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「出来るか出来ないか」ではなく「やるかやらないか」


「魔獣だ!!」


 誰かの叫び声でブラッドは意識を取り戻した。ふらつく頭で辺りを見回せば、すでに街中が火の海に包まれている。逃げ惑う住民たちの影の中に一つ、明らかに大きな影が一つ。アレが恐らく件の魔獣なのだろう。


 しかし、自分はどうしてこんな所で寝ていたのだろうか。確かアイシャに作ってもらった弁当を抱えてリューを見舞いに行ったはず……だが、いくら思い出そうとしてもそこから先の記憶が見つからない。


「あら、起きたんですか?」


 不意に頭上から声が投げかけられる。この状況には全くふさわしくないのんきな調子だ。


「アイシャ、これはどういうことですか……」

「どうもこうも。ご覧の通りですが」


 のんきな声の主―――アイシャは炎に包まれた街を遠巻きに眺めては特に何の感情も浮かべずに「皆さん、逃げ惑っていますねぇ。私の家も燃えちゃいましたかね?」とまるで他人事のように言った。


「アイシャ、魔獣が暴れているんですよ!街の人たちを助けに行かないと……!」

「ええ、分かりますよ。ブラッドさんの言っている意味は分かります……」


 そう言いながらもアイシャは動こうとはしない。それどころか、自分の両腕を縛っている縄を更にきつく結び直した。


「……でも、ダメなんです。魔女様が言ったんです。『こんな街は全て燃やしてしまえば良い』って」


 ブラッドの全身に悪寒が奔った。


「アイシャ……今、なんて?」

「ですから、魔女様が『この街を燃やし尽くせばいい』と」


 聞き間違いではなかった。ブラッドは身を捩って何とか縄をほどこうとするが、きつく結び直された縄は全くほどける気配がない。


「ああ、ダメですよ無理に動いちゃ。すぐに魔女様が来ますから」

「だからですよ、すぐに魔女を止めなければ……!」

「ええ?なんでです?」


 ダメだ、街の惨状に対しても何の疑問を抱かないほどにアイシャは魔女に操られている。まずはこの場を離れなければ―――。そう考えて必死にもがく彼の背後にフワリと凍えそうな風が吹いた。



「おやおや、お前は確か……225893号だったかしら?」



 その声にブラッドは動きを止めた。


「私が誰だか分かるかしら」

「……ええ、分かりますよ。お前が深淵の魔女ってことくらい」


 遅かったか。来るとは思っていたが、あまりにも早すぎる。まるでこちらの考えをあらかじめ予測していたかのような動きだ。


「水くさいわね。私の事知っているならちゃんとあの頃の番号で呼んでくれないと」


 後ろ手に縛られている体勢ではまともに振り返ることは出来ないが、魔女がどんな顔をしているかは見えなくても分かる。


「……お前は天上界から追放された身だ。あの頃の名はすでに天上界からは削除されている。今残されている名前はたった一つ、大犯罪者としての『深淵の魔女』だけですよ」

「あっそ。普段の対応は遅いくせにそんなことだけは人一倍早いのね」


 魔女は吐き捨てるように言った。


「おまけにこの大犯罪者を捕まえるのにアンタみたいな若造一人寄こすだけって……私の事捕まえる気ないでしょう?」


 まあ、捕まる気も無いけど、と言いながら魔女は地に伏したままのブラッドを椅子の代わりに腰を下ろす。


「アンタも大変ね。上の連中が無能だと苦労するでしょう?」

「……お前を目の前にして捕まえられない自分の無能を悔いるばかりですよ」

「あら、随分と真面目ね。まさか本気で私を捕まえる気でいたの?」


 やや芝居がかった身振りを加えて魔女が言う。


「よほど自分の腕に自信があったのかしら。それとも、いざとなったらあの子にやらせるつもりで計画を組んでいたのかしら……?」


 心の内を見透かしたような魔女の言葉にブラッドはただ言葉もなく歯がみするばかりだ。


「彼女を……リューはどこへやったんですか!」

「大丈夫。彼女はちゃんと預かっているわ。安心して?私はお前みたいにあの子を飼い殺すような真似はしないもの」

「この……外道め!」

「どっちの台詞よ。それを言うなら私を殺しかけた天上界の奴らに言ってやりなさいよ」

「お前一人のせいで、みんなが迷惑を被っているんですよ!?心が痛まないんですか!?」

「ああ、なんてありきたりな台詞。天上界で仕事をしている時に100万回くらい聞かされたわ」


 魔女は体勢を代えてブラッドと視線を合わせる。


「いい?天上界でそんな心ない言葉を聞かされ続けた結果が今の私を産んだの。そんなことにも気がつかないから、平気で『死の騎士』なんて超ド級の爆弾を戦力にしようなんてとち狂ったことを考えちゃうのよ。一度、全部壊してしまえば良いと思うの。天上界も、この世界も、全部」

「そ、そんなこと本気で出来ると……!?」

「それを本気でやろうとしているのが私―――『深淵の魔女』なんだけど?」


 魔女が懐から杖を取り出す。


「……な、何をする気ですか?」

「なぁに、まずはお前がやろうとしたことを現実にするのよ」


 杖の先端が俄に光を帯びる。


「お前は私を捕らえる作戦を立て、その場所にこの街を選んだ。それはつまり『私を捕らえるためならばこの街くらいはどうなってもいい』ということに違いないわよね?」

「ち、違う……私はそんなつもりじゃ……!」

「ああ、嘘はダメよ?私にはお前の心が透けて見えるもの……」


 ブラッドは自らの身体に違和感を覚えるのに時間はかからなかった。徐々に変質していく肉体と次第に埋没していく意識、そしてそれを見てほくそ笑む魔女。怒りや憎しみだけで彼女を倒すことができたなら―――その考えが頭をよぎるが、それすらも意識と共に消えていってしまう。


「精々、天上界のみんなに見せてあげて?不十分な計画と人員で得られる結果なんて悲惨なものでしかない、ってことを……」



「また魔獣だ!!」

「もう一匹現れたぞ!?」

「どうなっている!?」



 誰もが口々にそう叫んだ。混乱は次々と伝播して街中が大騒ぎになっている。それを呆然と立ち尽くしたまま、アイシャは視線だけを動かした。彼女の視線の先には自らが召喚した魔獣―――ヘカトンケイルが一言も発することなく家屋を打ち壊し、住民たちを追い立てながら暴れ回っている。その隣には先日どこかの街を騒がせたばかりの大魔獣―――ハイドラが地面を抉りながら這いずり回る。二匹で暴れれば街から逃れ仰せる者はほぼいないだろう。これでこの街も地図から消える。


「良い眺めね。アイシャもご苦労様」


 ふと、背後からかけられた声に振り返ることなく「いいえ、仰せの通りにしたまでです」と返す。


 自分はどうしてこんな事をしているのだろうか。街を脅かす魔獣を召喚したのも、新婚の冒険者夫妻のお弁当に一服盛ったのも、そしてこの現状を招いたのも、全て自分の仕業であるはずなのに、心の中には一片たりとも罪の意識が芽生えない。まるで他人事のように捉えてしまっているのだ。


「やっぱり、自分の街がなくなるのは寂しい?」

「……いいえ、ちっとも。元々寂れた街でしたから。これで私も都会に出て行くきっかけになりそうです」


 自分の故郷であるはずの街が魔獣に蹂躙されているというのに、どうして立ち尽くしているのだろうか。本来であれば、例え実力は及ばずとも剣の一振りでも握って立ち向かうべきなのではないだろうか。だが、頭でそう思っても身体は動かない。それどころか、心にもないことを口走ってしまっている。


「そう。それなら良かったわね。まあ魔獣がいなくても225893号が私を捕まえるためにあの街をめちゃめちゃにしたでしょうけど」

「ああ、魔女様。ソレ、忘れないで下さいよ?」

「あらあら、いけない。つい忘れるところだったわね?」


 魔女はおどけたように微笑んで、ズタ袋にくるまれた「ソレ」を抱え上げた。魔女様曰く「ここしばらくずっと追い続けていたお宝」らしい。モノではなくて人なんだけどな……。


「じゃあ、私はもう行くわね。こんな所にはもう用はないし」

「……はい、魔女様もお元気で」

「違うわよ、アイシャ?」


 魔女は杖をアイシャに向けた。


「お前も、あの炎の中に飛び込むのよ?」

「……あら、そうでしたね。私もうっかり」

「全く。そんなんじゃ困るわ。後始末はちゃんとするのが私のモットーなんだから」


 魔女は笑いながら去って行った。あの炎の中に入ったら熱いのだろうか。いや、その前に魔獣に踏み潰されて終わるだろうか。どちらにしても他人事だ。私の脚はゆっくりと燃えさかる村の方へと向かっていった。


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