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深淵の魔女について


 一息ついたのは弁当箱がすっかりと空になった後であった。


「……意外と美味しかったよ。ごちそうさま」

「そうですね。アイシャにはお礼を言わないとダメですね」


 うんうんと頷くブラッドは結局、用意されていたお弁当の半分以上を自分で食べやがった。僕の分じゃなかったのかよ。


「私も干し肉や塩辛じゃなくて良かったと今になって反省しています」

「もしも干し肉や塩辛を僕の寝床に持ち込んだ日には深淵の魔女の前にお前を八つ裂きにしてやる」

「ああ、ダメですよ?深淵の魔女は生きて捕まえるんですから」

「ツッこみ所はそこじゃねえよ」


 下らないやり取りの後、お茶を飲んで人心地ついたところで僕は切り出した。


「……ブラッド、そろそろ話してもらうぞ。僕の身に一体、何が起きた?魔女と僕には何の関係があるんだ?」


 それまで満面の笑みで食事を口にしていたブラッドだったが、僕の言葉にはさすがに表情を曇らせた。どうやら相当答えにくい質問らしい。


「……僕は今回の正体不明の魔獣を相手にした時、今まで使った覚えのない能力を使った。それも魔女と何か関係があるんじゃないのか?」


 彼は渋い表情で茶を啜っている。それは決してお茶が渋いからではない。


「言っておくけど『何も知らない』とは言わせないぞ。証拠があるんだからな」


 僕は見せつけるようにして未だに解除されない鎧を突きつけた。彼が観念したようにため息をついた。


「……まずは何から知りたいですか?」

「取りあえず、記憶がないのはエルフの国から帰った後からだ。僕の身に何が起きたのか説明しろ」



「分かりました。まずは悠里さんはですね―――」



 ブラッドはゆっくりと語り出した。


 僕がエルフの国から帰った直後に屋敷もろとも借金の形に差し押さえられたこと。ベヒモスを慕う魔獣、ドッペルゲンガーに拉致され、その場で僕の半身と共に例の「深淵の魔女」に出会ったのだろうということ。



「―――そして、魔女に心を乱された貴女は『死の騎士』へと変貌したわけです」



「……それがコレってわけか」


 未だに外すことの出来ない鎧を憎々しげに見つめる。


「魔女はどうしてこの能力を知っていたんだ?僕自身、この能力の存在を知らなかったんだぞ」

「それは私にも判断がつきかねます。あるいはこの世界における貴女の出自にも魔女の存在が絡んでいるのかも知れません……」


 ブラッドの説明によると僕が「首と胴それぞれに意識を持つデュラハン」であること「肉体を構成する魔物や兵士の能力を使用できること」というのは、他ではないことらしい。何事にもイレギュラーというのはつきものだが、それが自分自身であるなんて誰が想像するだろうか。


「もしかすると556678号のミスも魔女の手による意図的な操作を受けたのかも知れませんね」


 ブラッドの推測が正しければ、つまり魔女は僕がこの世界に降り立つ時から狙いをつけていた、ということになる。ただのしがないサラリーマンだった僕に何かを期待したのだろうか。それともただ単に場当たり的に標的にしただけなのだろうか。


「何故、お前は今までこの能力のことを黙っていたんだ。教えてくれれば制御も可能だったかも知れないのに」


 僕の主張にブラッドは首を横に振った。


「いいえ、残念ながら現在の悠里さんの能力では『死の騎士』を制御することは叶いません」

「どうして?」

「本来であれば過程を積み重ねて覚醒に至るものを、魔女はその過程をねじ曲げて強引に貴女を覚醒へと至らせた。悠里さんの肉体も精神も『死の騎士』を制御するのに必要なレベルに達していないのです」


 レベルの概念があったことには驚くが、言われてみれば魔獣と戦った時に押さえられなかった感情の昂りも、この鎧が外せない理由にも納得がいく。同時に納得がいかないことも一つ。


「ブラッド……お前の言い方だと、このまま行けば放っておいても僕は『死の騎士』に覚醒したことになるんだが?」

「そうですよ?『死の騎士』はデュラハンの最終形態といっても差し支えありません」

「え、そうなの?」


 思わず素っ頓狂な声が漏れた。今までも毒蛇やオーク、リザードマンにドラゴンとやりたい放題ではあったが、この陰湿で物騒な能力が元々、自分に備わっていたとなると何だか複雑な気分だ。


「話を戻しましょう。ですので、私はできるだけ貴女を死の騎士からは遠ざけようとした。覚醒を遅らせようと貴女の側について監視しつつ、いざという時には魔女を捕らえるための戦力として利用させてもらおうとしたわけです……もっとも、魔女の方が上手だったようですが」


 そこに至って、僕はある違和感に気づく。


「……待てよ。そういえば天上界もその深淵の魔女を追っているんだよな?」

「ええ、私はそのために派遣されたものですから」

「だったら、ブラッド一人で追いかけていないで全員で来れば良いんじゃないのか?」


 ブラッドはまたしても首を横に振った。


「いいえ、それは出来ないのです。我々、天上界の者たちが大勢で下界へと押しかければ魔女は敏感に察知します。逆に魔女は常に自らの存在を感知されないよう、身を隠しています。この世界の隅々まで見通すことの出来る天上界からでも、彼女の存在を辿ることだけは出来ないのです」


 またしても納得がいかないことが一つ。それは先ほどの僕の出自にも関わる疑問だ。


「……その言い方だと魔女はお前たち神様の存在を知っていることになるな?」



「その通りです。魔女は元々悠里さんの言うところの天上界に住まう神様の一人です」



 ブラッドは平然と答えた。

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