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ダンッ。
薄暗い部屋の中、机にたたきつけたコーヒーの入ったカップ。
もちろんそんな事をすれば零れるわけで、零れたコーヒーは数枚の紙を濡らした。
白い紙にじわりと茶色い染みが広がる。
「あーあーよして下さいよーアタシの大事な紙なんスからー」
「っとにありえねぇ!!」
今時珍しい瓶底眼鏡外し、髪をぐしゃっと握りつぶした少年はギリッと音がしそうなほど強く歯をかみ締めた。
「なんですかーまぁた猫君の事スか?」
「あの野郎人が折角忠告してやってんのに言った傍から!!」
深くニット帽を被った男が棒つきキャンディーを舐めながら愉快そうに笑えば少年は忌忌しそうに顔をゆがめた。
くしゃくしゃになった髪を整えると小豆とすれ違ったときとはまったく予想も出来ない程男前な顔をしている。
「猫君はそういう子スからねえ~いいじゃないスか可愛くて」
「はあ?あれが可愛い!?あんた本当、救いようのない変人」
猫が好きなニット帽は猫田小豆という少年を大層気に入っている。
まず名前から好きらしい。
「駄目っスねぇ、猫は気まぐれだから可愛いんスよ~」
「あんたの趣味が変わってるんだよ!大体なんで俺があの野郎に渡しに…問屋の本体はあんたなんだからあんたが行けばいいだろが」
「まー情報処理は最近少ないから新しいお仕事って事で!アタシだと目立つんスよ~わかるでしょー」
白黒のボーダーニット帽にだぼだぼのセーター。
加えて細身の長身。
「そんな頭してるからだろ」
「いーじゃないスかー一度入れてみたかったんスよ~!」
眼が見えるか見えないか微妙なラインまで下げられた帽子やら髪やらで隠れているため容姿はわからないが奇抜な髪は目立った。
片ほどまである長い黒髪のパーマには所々ピンクのメッシュが入っている。
たまに襟足の一部、そのピンクの部分だけ三つ編みにされていたりと中々に派手だ。
「……俺等は他人に見つからないように仕事すんのが普通なのになんであんたはそんな派手なんだよ」
「趣味っス」
「…ついてけねぇ」
そうため息交じりに呟くと少年は自分のデスクにつきパソコンと睨めっこを始めた。
(なんでもかんでも…人と違う事をしたがるあんたには猫田はお似合いだろうよ…ちくしょう、毎回俺はハズレくじばっかだ。)
ここ最近のニット帽の機嫌の悪さったら。
猫猫猫猫、そんなに猫がいいなら猫の一匹でも買えばいい。
自分のものじゃなくても見てるだけでもいい、だけど他人のものになるのは嫌だなんて。
とんだ我侭な野郎だ。
少年はこの先の事を考えると何度も大きなため息をついてしまうのだった。
「ため息吐くと幸せ逃げるんスよ」
「っせぇ!こんの猫フェチが!!!!」
「あいたっ!!」
とりあえずニット帽に向けて針を投げつけ、デスクの上にある猫田の写真に本日4本目の針をブッ刺した。
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志摩視点。
カーテンがひらひらと揺れている。窓は開いているのか、そこから吹き抜ける風でそれはもう盛大にばっさばさと揺れている。
「…ん」
ゆっくりと瞼を開けると白い天井が見えた。
(どこだ?ここ……。)
起き抜けの頭はあまりうまくは回らなくて、しばらくぼーっと天井を見つめていた。
(あれ…俺なんでここに居るんだっけ…たしか猫田と屋上に…。)
「そうだっ!!」
ばっ、と起き上がった俺はすぐに頭に走った痛みにベッドにもう一度倒れた。
ズキズキと痛む頭。
「いってぇぇ……」
「こらこら、勝手に飛び起きないでよ」
ふいに聞こえた声。
俺は開けられたカーテンからここが保健室だとわかった。
「あ…俺…」
「赤井君、だっけ?彼が運んできてくれたんだよ」
「赤井?」
さらりと光る茶髪を靡かせながら保険医、たしか今坂雫だったか。
優しく笑いながら氷をいれたビニール袋をタオルに包んで渡してくれた。
俺はそれを受け取り頭に押し当てながら必死に思いだす。
たしか…赤井は久木先輩のところの…。
(あ、俺猫田に殴られたんだっけ。)
思い出すと余計頭が痛い。タオルを押し当てていた場所に指を這わすとぽっこり、膨らんでいる。
確実にたんこぶだこれ。
猫田は変な所でツメが甘いから、まあばれたからって焦ったりしない所が猫田らしいんだけど。
多分そんな自分を偽る事に必死になってない様だから、ばれてもそんなダメージないんだよね~とか言ってそうだ。
「頭たんこぶなっちゃってるから、というかどうしたの?」
「あー…階段で足すべらしちゃって」
「ドジなんだ?可愛いね」
「あはは……は?
ゆら、と妖しく今坂の目は光った気がした。
あれ、そういえば保険医ってなんか噂あったような…。
『保険医は誰でも食う節操無しだから気ィつけろよ』
『はは、そんなまさかあ』
『いやまじだって!!まぁ志摩は保健室の世話になることないだろうけどさ』
『俺健康っ子だからなー』
『とにかくっそれだけは覚えてろよ?保険医節無しなんだからな!!』
(あ、あれ…まさかこれって…。)
「まぁ、あれだけ噂流れてて保健室来るって事は…そーいう事だよね?」
(そういうことってどういうことだよ!保健室は怪我人病人がくるところだろおお!?)
貞操の危機ってやつですか?
ゆっくりとベッドに押さえつけられた体。
嫌味なくらい綺麗な顔が近づいてきた瞬間、保健室のドアが勢い良く開かれた。
「幸助ええええ!!!」
あ、この声は。
「チッ……」
上から聞こえた舌打ちにやっと意識が正常に戻った俺は今の非現実的な光景に慌てて今坂先生の胸を押し返した。
思っていたより簡単に離れた今坂先生は腰にくるような声で「残念、」と呟くと手をひらひらさせた。口元のほくろがやらしいです先生。
垂れ目気味な目と薄い唇、口元のほくろ。
どこのエロゲのキャラだっ、て叫びたくなる。
ぜぇ、はぁ、と荒い息を吐く秋。
未だによく状況が理解できていない俺はずんずん近づいてくる秋に意識が向いていなかった。
だから、
「幸助ぇえ!!!」
「ぐふっっ!?」
突進してきた秋を受け止められなかった俺に罪はない。
そのまま突進してきた秋に俺はそのままベッドから転げ落ちた。床に打ち付けた腰と背中の痛みに俺はうめく。
「あーこら、神田君はなれなさい」
「うっせこの万年発情期保険医!!!」
「失礼な、俺にだって好みはあるよ。ノンケっぽいやつを無理やり快楽に落とすのが好きなんだから」
「いだだ…ノンケっぽいんじゃなくて俺ノンケです」
あれ、そうなんだ、ラッキー。
なんて笑いながら俺の上に乗る秋を引き剥がした今坂先生。
普通の学校なら教員免許剥奪されてもおかしくないです先生。