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後編

「なんで捕まえて、私の前に連れて来なかったのよ」

 マイリンが苛立つフォリミナの声を聞くのは、彼女が父親に謹慎を命じられた、王城の中にある彼女の部屋だった。

 確かに埃が積もっており、それをフォリミナが碌に掃除していない事が分かる部屋であるが、それでも大きなベッドに大きな調度品と家具。そうして大きな窓まで取り付けられた、総じて大きな部屋であった。

 そんな部屋で居心地の悪さを感じながら、マイリンは答える。

「僕の方は、彼と確執とか無いしね。剣を振る相手じゃあないかなって」

「あなた、お父様に雇われたんでしょう? この国のために働きなさいよ」

「君の御父上に言われたのは、僕の好きに動け……だ。そりゃあ、義理が生まれたから、国の損になる事はしないけど、積極的に動くかってなると、どうもね」

 変な恨みを買いたくは無かった。超人同士、結構仲間意識があるから争う事は少ないのだが、喧嘩状態になった場合は、それぞれ酷い目にあったりもする。

「じゃあ、あんたは何をするつもりなのよ。雇われた以上、働きはするわけでしょう?」

「そこなんだよね」

「何よ、勿体ぶって」

「僕に出来る事なんて、たかが知れてるわけだよ。何かこう、まともな事をしようとしても、そんな事は既に誰かがしてるだろうし、変わった事をしようとしたって、僕より頭の良い人間がとっくにしてる。だから……」

 役に立つ事をするにしても、普通では駄目だし、搦め手だって意味が無い。だとすればどうするか、マイリンは考え続けている。

「あの頭のあちこちぶっとんだ馬鹿学者は追い払ったのよね? じゃあ後は……あら、あなたに出来る事って、あんまり無いんじゃあないの?」

「僕自身、それを痛感してるから、気落ちする様な追撃は遠慮してくれない? いやまあ、けど、他に出来る事は思い付いてるんだけどね」

 要するに、マイリンにしか出来ない事を探せば良いのだ。もっと正確には、この国の人間や関係者には出来ない事をマイリンがすれば良い。

「こんな夜も更けって来た時間に、乙女の部屋にわざわざやってきたのも、それに関わる話ってわけ?」

「許可を取りに来た」

「なんのよ。この国で、追放処分になってる私が出せる許可なんてなんにも無いわよ?」

「家族としての許可が必要だ。君の妹の鼻っ柱を折る」

「……」

 きょとんと、そんな言葉が出て来るなんて想像もしていなかったと言う顔を、フォリミナは浮かべて来た。

 だからこそ、彼女から出て来るだろう次の感情がどの様なものか、今度はマイリンの方が想像できなくなる。

「あなたも、あの娘がちょっと調子に乗ってるって思う?」

「致命的な間違いはまだしてない。けど、放っておいたらする。そういう状態だろうと思う」

「本来なら……家族で姉の私がするべきよね?」

「君の父上だって、家族だって言うのならするべきだ。けど、王族ってのはややこしいね。そんな家族としての当たり前の事をしただけで、権力争いがどーとかになる。一方、他の人間がする義理なんて無いわけで……今のところ、都合良く出来るのは僕だけじゃない?」

 前金として貰ったのが剣であるのだから、猶更丁度良い。この剣を使う丁度良い機会なのだから。

「あの娘、護衛も付いてるし、あの娘自身だって、それなりに戦える状態なんでしょう? 大丈夫?」

「それで僕が撃退されるくらいなら……鼻が高くたって何とかなるだろう? なら、それで良いさ。さっさと逃げる」

「分かった、りょーかい。あんたがしようとしてる事には暫く目を瞑っておく。これで良い?」

「ああ。命とかを奪ったら本末転倒だからそれもしないよ。相手が何十人と居るとかで無い限りはね」

「出来れば、そんな何十人かくらいの味方があの娘に居てくれれば、それで安心なんだけど……」

 それは出来ぬ相談だ。マイリンが見た限りにおいてすら、メリミエの立場は危うい。それをメリミエ自身に理解させる事こそ、マイリンがやろうとしている事であった。




 闇討ちは苦手だ。隠れ潜むのも苦手の内だ。おかしな策を使うなんてもっての他だ。

 マイリンにとって、行動すると言うのは、何時も直線的な事なのである。正義感からでも倫理観からでも無く、ただ、そうするしか能が無いと表現されるそんな事。

「だから、こうやって、君が今日の執務を始めようとする朝。他に迷惑を掛ける相手もいない、庭に面した廊下で、君を襲ってみる事にした」

「それを聞いて、わたくしはどう答えれば良いのかしら?」

 剣を抜き身で持ちながら話し掛けて来る相手に対してどう言葉を返すか。メリミエから問われたその言葉について、マイリンの方とて分からない。

 マイリンに分かるのは、今、メリミエは彼女ともう一人の護衛だけであるという事実のみだ。

(カーナードはいないから……やり様はある)

 さすがに、カーナードが護衛に付いた状態では、メリミエに襲い掛かるなんて事は困難なので、そこだけは頭を働かせていた。

 一方、カーナードの部下である男の護衛は付いているので、上手くやれるかについては彼の腕次第だろう。

「話をするより、身体を動かした方が良い。そっちの方が分かり易―――

 実際、言葉を交わすより早く、護衛の男が剣を抜いて、その勢いのままマイリンへと斬り掛かって来た。

(護衛としては正解だ。襲い掛かると宣言した相手に、悠長に話すなんて馬鹿らしい。けど……)

 行動の素早さが正解だとしても、その剣の腕は不正解だ。

 相手の剣は長さと太さはそこそこの、典型的なブロードソード。剣を持った相手との斬り合いに優れた剣であるが、やはりその腕は剣の力を十全には引き出せていない。

 と、マイリンだけは考える。

 マイリン以外が見れば、護衛の男は確かな技能を持った剣士であった事だろう。

 動きの素早さ、腕力、攻め手の筋。どれを取っても不足無し。そうであるはずが、マイリンから見ればそのすべてが一流未満。

 動きが遅く、マイリンは剣を構える事が出来た。腕力も並で、剣を受け止める事が出来た。攻め所が的外れで、受け止めた剣を流し、隙を作る事が出来た。

「な……あぁ!?」

 襲い掛かり、斬り掛かったはずが、何時の間にか背中を見せる事になった護衛の男。本人からしてみれば、マイリンの剣と身体がすり抜けた様に思えたところだろう。

 マイリンがやった事は、あらゆる部分で無駄のある相手に対して、最小限の動きで避けただけだ。

 だからさらに、相手のがら空きの背中に剣を叩き付ける余裕だって作る事が出来た。

(それが出来る相手なら、僕にとってはそこまでの人間だ)

「ぐっ……うっ」

 背中を強く叩かれた場合、身体全体が痺れて、まず足が動かなくなる。命を奪わなくとも、それで暫くは戦闘不能にさせられる。

 そうして、彼が回復するより早く、メリミエを襲えば、今ここでのマイリンの仕事は終わりだ。

「情けない護衛ですわね。護衛と呼べるのかすら疑問」

「その護衛を倒されたお姫様は、もっと焦った方が良いと思うけどね」

 剣を構え直すマイリン。その間も、メリミエが何かを行動する気配は無い。

 マイリンを侮っているのだろう。自分の力を過信しているのだろう。ここでの敗北なんて、欠片たりとも想像していないのだろう。

「今から倒す相手に、焦りも何も無いでしょう?」

 メリミエが過信する力。それを彼女は発揮する。

 前に見た通り、黒い体毛が増え、全体の骨格が鋭くなった獣の如きそれ。

 護衛の男より素早く、その手から伸びた爪は護衛の男の剣より鋭い。きっとそうだ。

(これを喰らえば、僕の細い体なんて一発だ。そうだろうとも)

 けれど、そんなのは、武器を持って居る相手からの攻撃ならば、何だってそうだろう?

 どれほど素早くとも、やはり無駄が多ければ対処は出来る。こちらの無駄を少なくしてやれば、それだけで隙を突けるのだから。

「君を叩きのめす前に、幾らか、こっちから教えて置きたい事がある。襲う事もそうだけど、こっちについても主目的でね」

「戯言を発する余裕が! あなたに!」

 ある。メリミエが接近し、その凶悪な腕を振るうならば、一撃目を一歩引く事で避け、二撃目を剣で流し、そして無防備な相手に対して、剣では無く言葉をぶつける余裕がマイリンにはある。

「動きは常人離れしているが、それだけだ。その力、手に入れたのは最近だろう? なら素人だ」

 爪が唸る。迫る。ただ躱す。流す。時には腕を叩く。それだけでメリミエの攻撃は終わり、無傷のマイリンだけが残る。

「洗練しようと心掛けたかい? 力っていうのは、より適切に使おうと努力しなければ、どんな種類であろうとも握り拳とそう変わらない。それだけじゃあ誰も傷つけられない。自分の手が力んだだけ痛くなるだけさ」

「馬鹿にっ―――

 挑発に乗り、さらに加速するメリミエ。感情に力も反応して、さらに強く、さらに速く、さらに鋭く。

 けれど、それでも荒い。どこまでも拙い。だからマイリンは恐れを感じない。例えどれほどの力が秘められて居たとしても、彼女は力に振り回される側だから。

「乗ってぇ!」

 これなら避けられまいと、真正面から、馬鹿正直に拳を突き出して来るメリミエ。それは腕の突き出しと共に、突進する速度も乗せての一撃。

 その速度は、ただの突進だと言うのに、マイリンの反応速度を優に超えるだろう。

 剣で受ける他ない。だが、剣だってへし折り、その向こうにいるマイリンだって打ち砕く。

 それだけの一撃を、マイリンは剣に寄る突きで返した。

「えっ……?」

 手刀の形で突き出されたメリミエの手。その一番先である中指の、さらにその爪に剣を合わせた。

 力を込める必要は無い。後方に力は流す。ただ本当に正面から受けたのでは無く、ほんの微かに衝撃力が逃げる様に心掛けた。

 手の中で柄が滑る。刀身全体が振動し、受けた力をあちこちへ拡散させた。

 本当に、絶妙な剣の位置と角度、そして扱い方で、結構な威力だったはずの攻撃をダメージ無く受ける事が出来るのだ。

「手品みたいなもんだよ。真剣な戦いじゃあ使えない。ある程度、余裕がある中で、戦い以外の事に集中する事で出来る程度のものだ。分かって欲しいんだけど……それくらい、君と僕には差がある」

 一方で、幾らかの力はメリミエの方へと返った。

 極力、傷つけるつもりは無かったのだが、それでも剣を合わせた爪が割れて、指から血が流れている。

「君がどれほど戦う力が劣っているか、君自身が理解出来ているかい? そこで倒れている護衛だけど……多分、本気でやりあえば、君は彼にも負ける。君がどれほど力を得た事に自信を持とうと、付け焼刃ならそんなもんだ」

「黙りなさい……黙りなさい!」

 メリミエは止まらない。止まれる理由がまだきっと無いからだ。

 だからマイリンはその理由を与え続ける。振るわれた四肢を完全に受け流し、余裕を見せつけ、単純な力が、どれほど意味の無いものかを見せつける。

「力が無駄な方向を向いている。踏み込みが足りない。その腕の振りは何だ? 自分の腕の長さも知らないのか。それじゃあ僕に届かない」

 一方的が攻撃と、一方的な躱しが続き、その度にメリミエの息が上がって行く。

 こちらはまだ、息一つ乱していない。この程度の戦いであれば、もう2、3時間は続けられる。それくらいに、マイリンの動きに無駄は無い。

「こっ……このっ……このぉ!」

 また、メリミエの腕が迫る。

 とてもゆっくりとして、どれだけ力が込められていたとしても、そこらの子どもだって避けられるくらいに遅くふらふらとした腕。

「その力は……スタミナまでは増強してくれないらしいね。で、どうする? まだ付き合うけれど」

「何の……何が目的で……この様なことをっ……」

 息も絶え絶えのメリミエであり、お姫様らしくなく、廊下に膝を突きながら、マイリンを見上げてくるメリミエ。

 その目付きは凶暴そのものであったが、やはり力を無くしたものだ。

「今、君をそんな風にするためだよ。君は君自身の力を過信していた。暗殺者共を退治するくらいは出来るんだろう。けどそれだって、まだそこまでの能力を持って居ない相手の場合はだ」

 暗殺者なんて人種もピンキリだ。技能に劣る人間も優れる人間もいるだろう。ただ問題としては、あくまで暗殺者とは雇われる側だと言う事。

「少しでも、君を脅威と感じる人間がいるなら、高い金を出して、君より強い人間を連れて来るぞ。そうなった時、君はこの時と同じく、自分を過信して、相手を過小評価するのか?」

 メリミエには力がある。この国の姫である事を抜きにしても、あの魔生博士が作った薬を使えば、獣の如き力を振るう事が出来る。

 その力はきっと、俗人よりも優れたものでもあるのだろう。だが、そこ止まりだ。彼女を殺し切る事が出来る人間は、それにしたって幾らでも居るのだ。

「もう一つ教えて置こうか。君の御父上は、今、そうやって疲れて膝を突いてる君より強い。暴力じゃあなく、自らの能力と立場と、そして知恵を活かしきる強さを持っているのさ。君が真に目指したいのは、そういう立場じゃあ……うん。ちょっと違うのか」

 メリミエの表情を見つめる。彼女が王の後継者として、力を求めていると思ったのだが、一切の動揺を見せずに、睨み付けてくるままのメリミエを見て、話がズレているのだと感じた。

(彼女が何を思って力を求めているか、そんな事、僕に分かるわけ無いけど)

 そのままでは危険な彼女に対して、自信をへし折る目的で来た以上、もう少し、精神的な追撃が必要だなと思えた。

 何時もよりかは頭を働かせるマイリン。何時もなら、そうしたって良い考えなんて思い浮かばない鈍い頭であるが、今日は少し、気付く事があった。

「もしかして、君が力を求めてるのはフォリミナに関わる事でか」

「誰が! あんな女などにっ!」

 体力なんで、まだまだ回復していないだろうに。それでも飛び掛らんとするメリミエ。マイリンはそんな彼女から数歩距離を離しながら、納得したので頷いた。

「君の行動の根っこはそれか。確かに、話くらいはすべき状況だ」

「あの女がっ、何を言ったかしりませんがぁ……わたくしはこの程度の状況でっ」

「感情を昂らせるべきじゃあない。こういう状況なら特にだ。息が乱れてるのに、それを落ち着かせようとしなければ、さらに体力を失う。酸欠にもなる。戦いそのものを磨きたければ誰かに習うのがオススメだけど……君が望んでるのはそういう事じゃあないよね」

 今にも倒れそうなメリミエに対して、忠告しておく。もっとも、それで大人しくなる様な性格で無いことは理解した。

「お、憶えていなさいっ……わたくしをコケにした事……ぜ、絶対に……絶対に許さない。お姉様と同様……あなたも……絶対に!」

「ふん? つまり君は、フォリミナに、プライドをいたく傷つけられたと考えている。君のその荒々しさの原因も、掴めて来たかもね。ああ、けど、やっぱり気を付けて。僕やフォリミナを見返したいって言うのなら、今の倍は真剣にならないといけない。良く憶えて置く事だ」

 マイリンはそんな言葉を残して、わざわざ背中を見せてから立ち去る。メリミエが、もう立ち上がれない事を知っていたからだ。

 背中側から罵詈雑言が浴びせかけられている気もするが、背中を曲げたマイリンには聞こえない。聞こえたとしても届かない。

 そして廊下から角を曲がれば、メリミエの視界からも居なくなる。マイリンからもメリミエは見えなくなった。そうして、代わりとばかりにカーナードがそこに居た。

「……」

 だからどうしたと、マイリンは彼の隣を通り過ぎようとする。特段、彼と仲良く話したい事なんて無いのだ。今後もずっと。

「相当に恨むぞ、あのお姫様は」

 どうにも、カーナードの方は世間話をしたいらしかった。向こうからお茶の代わりに剣でもうどうだと、マイリンの首近くに抜き身の剣を向けて来る。

 さっき見た時は鞘に納まっていたそれであるが、カーナードに掛かれば、音も立てず、瞬時に抜き放つ事が出来るらしい。

「護衛なのに、護衛をしていない人間に言われたく無いね。何時から見ていた?」

「気付いていないお前でも無いだろう?」

 丁度、メリミエが馬鹿正直にマイリンへ突っ込んで来た辺りから、カーナードの気配みたいなものは感じていた。

 結果、興味が少しそちらを向いて、メリミエの爪を傷つける事にもなった。

「じゃあ、やっぱり助けに入る時間があったわけだ。給料分は働けよ」

「姫の命を守るのが護衛の役目だ。それを後押ししてくれる様な行動を、疎外するわけにも行くまい?」

「あの娘が危うい雰囲気だった事を、あんたも理解していたか」

 出会ったばかりのマイリンですら気が付いた事を、護衛として付き従っているカーナードが知らないはずも無いだろう。

 手に入れた力を玩具の様に扱う子ども。それがマイリンから見たメリミエの評価であるし、カーナード側にしたところで大差ない認識のはず。

「給料分は働かなければならないからな? 王からの指示だ。受け入れるし、お前を相手にするのも後に回している」

「何時か決着を付ける。そういう目をしてるぞ、あんた」

「おかしいか?」

 執着されている。その事はおかしい。自分は祖国をこの男に追われた様なものであるし、家族だって奪われた。

 何時も、奪われて追われる側がマイリンだ。カーナードの方では無い。

「何故、騎士王国を去った? あんたの何が、あんたを今の立場に立たせている」

「お前だよ。お前だ、マイリン・スザイル。お前の存在が、今の俺を作った。お前が、生涯を掛けているであろう剣に寄って、俺も変わらざるを得なくなった」

「どうも。帰って良いかな? とりあえず、早めにあのお姫様の姉に報告しとかないと、後が五月蠅そうなんだ」

「今は別の事に興味を向けているな? なら、その間は俺も手は出さん。やり合うなら……お前がその気になってからだ」

 気持ち悪い事を言うものじゃあない。突き付けていた剣を引くタイミングにしても、気持ちの悪い事をしていると思う。

 まったく。マイリンの何を、どういう風に執着していると言うのか。

「あんたとの決着には、それほど興味は無いんだよ。こっちは」

「本当にそうか?」

「……」

 見透かした様な物言いだ。お前にこちらの何が分かると言ってやりたい。

「俺は分かっているぞ。お前もまた、飢えている人間だ。こんな、ただの金属で出来た凶器に、そのすべてを賭ける事が出来る人間だとな」

 理解者。カーナードの存在は、マイリンにとってはそうなのだろうか。

 知った事かとマイリンは歩き出した。別に、どの様な関係だったとしても構わない相手だ。マイリンとカーナードは。

(どうせ、何時かは剣で切り合う事になる)

 何故か、マイリンの方も、そんな予感がしていた。




「ねー、ちょっと、聞いてる? あなたの方はどうなのよ。どうやって結社に誘われた?」

 メリミエに恥を掻かせてきた。そんな報告をフォリミナにしたわけだが、何故か何時の間にか、世間話を続けていた。

 フォリミナが続いて謹慎中なので、彼女の部屋での事だ。

 朝が過ぎて、窓から日が差す昼間。彼女はベッドに腰を掛けているが、世間を思えば贅沢をしていると言えるのかもしれない。

「曲がりなりにも妹を傷つけた男を目の前にして、何だろうね、この姉は」

「事前に許可取って、その通り、鼻っ柱折って来たんでしょうが。何で私がトドメに怒らなきゃならないの。それより、どうなのよ。そっちはどんな感じだった?」

 退屈なのだろう。妹の話をそれよりで流して、世間話を興じたいらしい。

 そんな世間話なら長くなりそうだなと、部屋の中にあった椅子に座り、マイリンは話を始める事にした。

「前に、国を追われた話はしたよね? お互い様な感じで」

「超人なんて、どこぞの国に居られなくなったから結社に居るみたいなところあるものね」

 どいつもこいつも禄でも無いと言う事。マイリンもまた禄でも無い人間の一人であるわけだが、結社に誘われる時もまた、碌でも無い話があった。

「追われる中で、どうしてもお腹が空いてね、適当な酒場にでも立ち寄ったら、そこで待ち伏せされてた。疲れてたけど、それでも何とか追っ手を剣で撃退してたら、拍手をされたんだよね」

 今でも思い出す事がある。印象に強く残っているのだ。

 武器を手に持った連中に囲まれたマイリン。そんな剣呑な雰囲気の中で、場違いな拍手が聞こえて来た。

 その拍手の主だって良く憶えている。

「拍手した奴、当ててあげましょうか。一番の人……でしょう?」

「まあ、超人同士なら分かる話だよね」

 フォリミナの言う一番の人とは、超人結社を作り上げた人間の事だ。

 どうしてか知らないが、超人達を住まわせる屋敷を作り、必要最低限の生活費までくれる変人の事でもある。

 さらにその変人は、世界のあちこちを旅しながら、マイリンやフォリミナの様な、居場所が無い超人を勧誘している。

「で、勧誘されて誘いに乗ったの?」

「結果的にはそうなんだけど、その時はちょっと違ったかな。拍手されて、気になったけど、まだ敵が居たから。そいつら全員を叩きのめした後、お見事って言われた。けど、まだ足りない部分がある……みたいな事もだ」

 もし、その足りない部分が見つかって、手に入れられれば、また誘いに来ると言われた。その時は、それだけで終わったのだ。

「ふぅん。で、見つかったの? その足りないものって言うの」

「今、超人結社に所属してるって事は、そうなんだろう」

「じゃあ、それって結局何だったのよ」

「それは……説明が難しい。こう、気持ちの問題って言うか、こう、ふわふわした感じの事だからさ」

「あなた、確かにいっつもふわふわしてるものねぇ」

「いや、そういう……普段の態度的な事じゃあないはずだ。そのはずだ」

 だいたい何だ、ふわふわしている態度が足りなかったとでも言うのか。もしそうであれば、自分の超人性について考えなければならなくなる。そもそも何だろう、超人性って。

「ええっと……じゃあ君の方はどうだったんだ。こっちはこう、言う通りふわふわしてるんだよ、実際。それでそっちは?」

「この国を出た後で、何かむしゃくしゃしてたから暴れてたの。そうしたら、何に苛立っているのか、じっくり考えた事はあるかって、同じく一番から」

「つくづく、課題を与えるのが好きな人だね、あの人。で、暫く放浪して、結局超人結社に?」

「いいえ? 暫くじっくり考える場所を君に与えようって、そのまま誘われたけど?」

「……何で僕の時とちょっと展開が違うんだ?」

 男女差別では無かろうか。これでも、暫くは屋無しで放浪する事になった身だ。今さらであるが恨みを持っても仕方ないのでは。

「まあね。けど……確かに、私にとって大切だったのは、暴れる事より考える事だったのは本当。ちゃんと考えなきゃ、やれる事なんて少ないじゃない?」

「そうして考えた結果、この国に帰って来たのかい? けど、まだ考えを実行してない。しっかり考えた後は、しっかり行動しなきゃ駄目だと思うけど」

「痛いところ突くわねぇ」

 まだ優しい言い方だとマイリンは思う。歯に衣を着せずに言うならば、ちんたらせずに妹と無理矢理にでも話し合えとの表現になるだろう。

「まだ、及び腰なんだろう?」

「離れてた実家に戻るって、そういうもんでしょうが」

「僕を無理矢理引き連れて、ひと暴れした後だ。そんな情緒捨ててしまえ」

「わーってるわよ。明日あたり、突貫してやるわよ。今日はさすがに、私と会いたく無いでしょうけどね、あの娘」

 随分とまあ、雑な言い方だ。けれど、この姉妹に関しては、こんな様子で良いのだろうと思えた。

 いがみ合っている様でいて、相手の事が頭から離れていないのである。これ以上、マイリンが手を出す必要が無い。

「あんたの方はどうするの? 暴れん坊の女の子の心へし折った後は、何かする予定、あるの?」

「これが困った事に、特に無いんだよ。いや、やらないとならない事は幾らでもあるんだろうけど、それが思い浮かばない。良い手も無い。つまり……僕の頭はそこまでだ」

「頭の方は期待できないものねぇ」

 お互い様だと言いたい。どちらにしたところで、頭より先に手が出るタイプの人間だと言う自覚があった。

 策士的な考えが必要なのだと言うのなら、マイリン達より頭の良い人間を連れて来るべきなのだ。

 例えばそう、早々に損切りをして逃げ出したあのサンダーマンの様な……。

「いや、それもそれだな」

「どれもどれよ。あーあ、お父様も、もうちょっと役に立つ人間を雇えば良いのに」

「僕らみたいなのを雇う人間が、超人って存在に、変な夢を見ているのは実際そうだけどさ」

 何か凄まじい、世界を支配だってできそうな力。そんな風に、余人は超人を見るし、恐れたりもするし、手に入れようとさえしてくる。

 けれど、実際はそうでも無い。どこまで行っても、それこそ圧倒的な剣の腕があったとしても、剣が他人より上手く使える以外の価値なんて、マイリンには無いのだから。

「けど、君のお父上は、人を選ぶ事に対して、失敗しそうなタイプには見えないんだけども」

「娘の選択肢は結構間違えてるじゃないの」

「生まれて来る子どもまで選べないさ。どちらの子どもも、勝気が欠点だから……父親か母親の血が原因かもしれないけど」

「母親の方よ」

 断言をするフォリミナ。確かに、父親である王様は、まだ思慮深そうであった。フォリミナとメリミエ。二人のやんちゃ振りは母親譲りか。

「君の母親は、本来、王族で無ければならないところを、貴族から選ばれたって聞くけど……血は薄くても、性格の方も凄かったのか」

「血だって濃かったわ。だからこそ、お父様と婚姻出来た。先祖返りって言うのかしらね。貴族だってどこかで王族の血が入ってるのがこの国だから、時々、力を持った存在が生まれたりするの。お母様の場合、それが特に強くて、力を使った時なんて凄かったわよ?」

 冗談では無く、深刻な話をする口調で言ってくる。

 だが、それならそれで、型破りな状態であった事は理解できた。当人同士の恋愛関係などの夢は見られないが、それなりに理由があったのだから。

「王族側は、もっと、血の濃さ……って言うか、力の強さを重視したんだね。周囲の貴族から文句を言われる事を承知で。そうなると、君のお父上はそれなりに謀略家なのかも」

「失敗したけどねー。私は追い出されて、妹はそもそも力が無い。変な血を混ぜるからそうなんのよ」

 どうにもフォリミナの方は、自分の母親に良い印象は無い様子だった。

「それにしたって、もうちょっと言い方があるだろうに。君の母親なんだろう?」

「なーによ、死人に鞭打っちゃあ悪いってわけ? でもね、母親としてはあんまりだったわよ。何度も言う様に、とんでもない人だったんだから」

 既に亡くなっている人間らしい。姿を現さないから、薄々、そうでは無いかと思っていたし、そういえば王様も、天にいるとか何とか言っていたか。

 想像以上に重い話をマイリンはしてしまっていた。

「君と君の妹を生んだ人間ってだけで……まあ、それなりの人だったんだろうね。あらゆる意味で」

「あの娘が苛立っているのも、そこが関わってる可能性もあるのよねぇ。母親は血が濃いなんて言われてたのに、あの娘はああだもの」

 薬の力を借りなければ、王族としての力を発揮できない子ども。どういう目で見られてきただろうか。

 母親がそういう部分を期待されていたのだとすれば、娘の立場はどうなる。

「ほんの少し、ほんの少しだけど、あのお姫様に感情移入してしまった。君は早く話でもして、頬の一発でも打たれるべきだ」

「多少の付き合いがある私よりも優先するってぇの!?」

 どれだけ付き合いがあろうとも、フォリミナの扱いなんてそんなものだ。きっと、これからもずっとこんなものだ。

「ちょっと外の風にでも当たりたくなってきた。僕はもう出るからね」

「やる事無いって愚痴ってたじゃあないの! だから私、暇なんだって! もうちょっと話に付き合いなさいよ!」

 謹慎のために部屋から出られないのだろうに。暫くは、そういう孤独ぐらいは味わうべきだろう。

 マイリンはそんな答えを出して、騒ぐフォリミナに背を向けながら部屋を出る。回らない頭ではあるが、少しくらい、考え事をしたい気分だったのだ。




(優秀な家族に囲まれて、明らかな劣等感を抱かなきゃならない立場か。甘えてるなんて言われるかもしれないけど、あれは独特の辛さがある)

 過去の自分を思い出しながら、マイリンは城の中を歩き回っていた。

 目的地なんてどこにも無い。城を出る気分でも無いから、城を歩いているだけだ。

 日はもう少しで暮れるだろう。フォリミナの部屋から出て、それくらいの時間は経っていたし、それくらいの時間彷徨って、それくらいの時間、特に意味の無い事で悩んでもいた。

「隙がある様でいて、何時だって剣を抜ける状態にはある。そういう仕草は、死に物狂いの訓練の先に身に付けた、癖の様なものなのか?」

「常在戦場でなければ剣士を名乗るな、なんて教えて来たのは、確かあんただ」

 話し掛けられた結果、漸くマイリンは立ち止まる。

 理由が無ければ立ち止まれない浮足立った我が身であるが、その理由が気に入らない相手との出会いとなれば気分が悪くなってしまう。

 その相手、カーナードは、何が面白いのか、こちらを見て片頬を釣り上げていた。

「教えを想定よりも上の領域で実践してくれるとはな。思えば、最初からしてそうだった。あの頃は、他人より才能がある程度の認識だったが」

「剣をひたすら振り続けろ。その後は剣に触らせずただ走り続けろ。思い出すだけで嫌になる。最初は多少、得るものがあるかと思ったけど、途中で意味が無いと気付かされた」

「それはお前が、俺の想像以上に技能を習得するからだ。他人が一ヶ月掛けて培う技能を、三日も経たずに手に入れる。自身がどれほどの規格外が、お前には、それを知る事から始めさせるべきだった」

 それはそれで御免被る。そういうマイリンの能力すら把握されたから、兄は危険視されて、殺されたのだ。

 そこに至る時間が、もっと早くなっただけだろうに。

「剣を教えてくれた事だけには感謝している。だけど、あんたに対してはそれ以外は無い。もしくはもっと悪い印象と状況になる。もしかしてそれが望みか?」

「まだだ。今のお前はまだ、別の事に気を取られている。そんなお前を相手にしたところで意味が無い」

「こっちの何が分かるって?」

「お前の事なら分かるさ。剣に対するお前の思い……いや、執着と言うべきか? 俺は良く知っている」

 気持ちの悪い奴め。気に入らない奴でもあったが、さらに悪い印象が増えた。

 やはり話なんてするべき相手では無いのだ。マイリンは彼の話を無視して、背中を向けて立ち去ろうとする。

 だが、カーナードを無視すると決めたと言うのに、その足が止まってしまってしまう。

「おい、こいつの事も無視できるのか?」

 振り向く。カーナードの横に、何時の間にか人影があったからだ。

 その人影は、想像すらしていなかった相手、無視できない相手でもある。そうして、もしかしたらカーナードよりも知っている相手であった。

「逃げたんじゃなかったのか、あんた」

「い、いやあ、逃げようとしたのだがね? こう、見ての通りだ」

 見ての通りと言われても、後ろ手を縛られたサンダーマンが、カーナードの横に居る光景がそこにある。

 何故だろう。逃げ出したはずの人間がまだこの城にいると言うのに、囚われているその姿がごく自然に見えた。

「もしかして、趣味か何か?」

「何で縄が食い込まんばかりに手を縛られた人間を見て、趣味だのなんだの言えるのかね! 捕まっているのだよ! この男に! 何故か! 城から荷物を纏めてアイキャンフライしようとしたところをね!」

「こいつの話を聞くと、もっと色々追及したくなるぞ? どうする?」

 どうすると言われても、無視して立ち去る選択肢を奪われてしまった以上、どうしたものかと悩む他無くなる。

「何をしでかしたんだい。博士」

「わ、悪い事は何もしてないぞ!」

「もう既にしてる」

 おかしな研究をして、メリミエが調子に乗る原因となった薬を作った。頼まれた事であろうとも、悪い事は悪い事だろうに。

「け、けどね? 本当に、それ以外に悪さをした記憶は無いのだよ! 分かってくれたまえ、マイリン君! そうして、私を捕らえるこの悪漢を退治してくれたまえ!」

「何時かはぶち殺してやるとか思った時もある人間だけど、今はそんな気になれないかな」

 本気で掛かれば、むしろ喜びそうな気もするから、カーナードを相手にするのは後回しにするのである。

 それ以上に、今のマイリンには気掛かりがある。

「確かに、この学者先生は悪い事をしてない。だがな、マイリン。悪い事はされたんだよ。だから逃げたんだ。その後に起こる事が予想できたからな。違うか? 先生?」

 カーナードは先生と敬称でサンダーマンを呼ぶが、サンダーマンの頬は引き攣っていた。何か、思い当たる事があるのだろう。

「で、何をしでかしたんだい? 博士。3度目を聞ける程、僕の方も悠長じゃあなくってさ」

「剣を鞘に当ててカチカチ音を鳴らさないでくれたまえよ! 言うよ! どうせこの男には喋ったんだ! あのだね! 姫のために作った例の薬だが、実は製法が盗まれちゃったのだよ!」

「……誰に?」

「誰かにだ! 盗人の正体を、盗まれた側が知る由もあるまい?」

 そりゃあそうだが、やらかした本人に言われるのは釈然としない。

 問題を作った側が、その問題が何時、どの様な最悪をもたらすかを知らない事に居直っているみたいな。

「俺には心当たりがあるぞ? どうする? マイリン・スザイル。俺の話を……聞くか?」

 嫌味ったらしく笑う顔を崩さないカーナード。ここまで来て、聞かない訳にもいかないだろう。

 特大の罠を見せつけられて、これが埋まっている落とし穴の場所を知りたくないかと聞かされる様なものだ。

「……何が狙いだ? 一応言って置くけど、誰かどういう意図で盗んだのかって言う意味と、あんたの狙いそのもの。どちらも聞いてる」

「欲が張るのか、多少の取引きだってする脳が無いのか。まあ、お前らしい言い方だ。答えてやる。こいつからその薬の製法を盗んだのは、この国の貴族連中だよ。中でもあの姫様の命を狙っている輩だ」

 思ったよりも事態が深刻だった。もっとも渡って欲しくない存在の一つに渡ってしまっている。そういう状況だ。

「僕はこの王国の王から、好きに動けと言われて、前金も貰っている。だから……王国の損は見逃せない。貴族連中が王家のゴシップを手に入れてあのやんちゃなお姫様を貶めると言うのなら、何とかしたいところだけど……」

「おいおい。鈍い人間である事は知っているが、そんな悠長な状況じゃあないだろう? 今がどういう事態が、本気で分からないのか?」

 馬鹿にした様なカーナードの声に、マイリンは眉をしかめた。

 だが、マイリン自身、自分の鈍さを十分に理解しているし、反論も出来ないから、とりあえずカーナードから目を逸らしてサンダーマンの方を見る他無くなる。

「私かい!? え、いや、まあ……あれは強くなれる薬だから、こう……王国で一番の強い人間になってやる! と、盗んだ人間が考え始めるとか?」

「そんな馬鹿な」

「いや、その通りだ」

「え!?」

 カーナードからの肯定に対して、マイリンとサンダーマンは二人して驚愕した。そんな馬鹿っぽい理由で行動する人間がいるだろうか。

「手っ取り早く、力が得られる方法が手に入った。利用するとなればそういう類だろう? そうして、力に寄って権威を得ている人間を潰せば、自分が成り代われるとも考える」

「まさか……王を狙うって?」

「いや、待ちたまえ、マイリン。王より先に、狙い易い人間がいる。それも、王に準じる価値を持って居る人間が一人」

「メリミエ姫か!」

 考えてみれば、そもそも彼女は暗殺者に狙われていた。既にその命の危機が近くにあり、それがさらに深刻になったと言う事なのだろう。

「そも、暗殺事件自体が、彼女の力量を判断するための行動だったとすればどうだ? 彼女の力を把握し、そうして勝てると踏めば……貴族連中が、その力を振るうチャンスじゃあないか?」

 カーナードの予想は、まだ突拍子も無いとマイリンは思えるものの、彼の方が、世間に対する見識は深いだろう。権力や謀略と言った話となればもっとだ。

「けど、貴族ともあろう人間が、直接手を出すはずも無し、僕らみたいなのじゃあ手が出せない」

「そうとも限らないのではないかな?」

 今度はサンダーマンの方が口を挟んで来る。彼の方がマイリンより頭が良いのだろうが、それでも、彼が分かる事が自分には分からないと言うのは、カーナードを相手にした時より屈辱に感じる。

「私が作った獣性子補填薬は、元々、多少なりと獣性子を持つ人間でなければ効果が無い。となると、どこぞの一般人を捕まえて鉄砲玉にするのは不可能だろう」

 だから、貴族連中が直接、メリミエ姫を狙ってくる。そういう状況が今である……などと言う事に納得しなければならないのか。

「マイリン・スザイル。妙に思わなかったか? 姫を襲った暗殺者共の、その腕前を」

「……王城の中で、堂々と襲ってきてるにしては、大した連中じゃあなかった」

 戦いにおいては素人同然のメリミエ姫が、力があったとは言え、複数人を相手取り、一方的に倒せる程度の相手。

 ああ、考えてみれば確かに妙だ。だが、メリミエ姫がどれほどやれるかについてを把握する上では、丁度良い存在だったのかもしれない。

 メリミエ姫が暗殺者を一方的に虐殺している間、それをじっくりと眺めて、値踏みしている連中が居たとすれば……。

 その不気味な光景に、マイリンは嫌な感触を覚えた。

「権力を持った連中の、独特なやり口だ。僕みたいなのが相手を出来る代物じゃあ―――

「馬鹿を言え、マイリン・スザイル。そんな事は当たり前だ。だが、その剣の腕は何のためにある? 奴らが蛇みたいに狡猾なら、お前はそんな狡猾さなんて欠片も気にせず踏み潰す類の鬼だろう? 剣鬼の名は、単なる名前で終わる代物ではあるまい?」

 挑発。カーナードの言葉は、完全に挑発的なそれだった。

 どれほどの策謀があろうとも、どの様な伏魔殿の中に居たとしても、それらを容易く潰すくらいならお前に出来ると、そう挑発された。そう評価されたのだ。

「お前は……何を僕にさせたい?」

「そう言えば、俺の狙いを言うのがまだだったな。俺は……お前の悩みを晴らしたいのさ。詰まらない事に悩むお前の目を覚まさせたい。今はそれが目的だ」

 カーナードのその言葉は、マイリンの想像の中にいる貴族連中より、余程、不気味な音として記憶された。




「まあね、ずっと機会があればなと思ってたけど、実際にこういう状況になると、どうしたもんか悩むところよね」

 フォリミナは呟く。場所は王城の廊下を幾つか進み、曲がり、辿り着く、ちょっとした空き地。

 増改築が繰り返された古い城であるため、何の意味も与えられなかった空間みたいなものが存在し、今居る場所もそんな庭園だった。いや、園とすら言えないただの庭。

「ここは……確かお姉様がまず見つけた場所でしたわ」

 こんな場所に、フォリミナとメリミエは二人きりで突っ立っていた。

 椅子なんて無い。そういうものが無いからこその空き地だ。周囲は城壁に囲まれ、出入り出来る扉が一つ。

「ああ、そう言えば、私が城の中を走り回ってた時に偶然見つけて……二人で遊ぶには丁度良いって教えてあげたのだったかしら? 思い出の場所ってところね」

 もしかして、良い事では無いか。フォリミナはそう思った。

 何せ、メリミエから直接、話があると呼び出されたのが今なのだ。

 ずっと望んでいた、実の妹との対話。その機会を、メリミエの方から用意してくれたと言うのは、歓迎すべきだと考えた。

 けれど、メリミエの目はこちらを睨み付けたまま。友好的な雰囲気とは程遠い。

「本当は、わたくしの方が、先にここを見つけたかった。城の中で……秘密の場所を見つけたいと思ったのはわたくしが先! お姉様はそれを真似て……そして先に結果を出した……」

「それは……仕方ないじゃない。私の方が年上だったし、活動的でもあったから……そういう事もあるわよ」

 どうにも言いたい事が伝わらない。本題は何だったろうと考え、ふと気が付く。そもそも、何から話すべきかが分からない。

 ここまで来て、肝心の事をフォリミナは考えていなかったのだ。だと言うのに、メリミエの方は、ますます感情が昂っている様子。

「何時もそう。お姉様は、わたくしにとって価値がある事を、わたくしより先に手に入れて……それで、何でも無い風にする! わたくしは……それが何時も気に入らなかった! けど、わたくしも、漸くお姉様と並び立てる力を手に入れた! なのに!」

 メリミエを見れば、何時の間にか、錠剤の様なものを掴んでいた。彼女はそれを口元まで持っていくと、そのまま飲み込む。

「メリミエ、あなた……それは」

「こんな物に頼らなければ、お姉様と同じ力を持つことすら出来ない。それを憐れんでいるのでしょう? あんな剣士まで送って来て、それを理解させようとした!」

 マイリンの事だろうか。メリミエの鼻っ柱を折るために行動した彼であるが、妹の精神は、既に歪な形になってしまっている様子だった。

「そんな事……あるわけないでしょう? 別に、そんなのに頼るななんて言わない。あなたにだって事情がある。けどねぇ……私に並んだってどうすんのよ。私は別に……」

 言いたい事が……何を伝えれば良いかが、まだ分からない。ずっと、話すチャンスが欲しかったのに、状況はどんどん、メリミエを興奮させる事へと繋がって行く。

(わたしが居るだけで、この娘を追い詰めてるって言うの?)

 そんな嫌な想像が、目の前の妹の姿を見るだけで頭を渦巻いて行く。

「何時も何時も、お姉様ばかりだった。子どもの頃はわたくしだって憧れていた! けど、何時からか、ずっと、わたくしはお姉様と比べられてきた。血がわたくしだけ薄い。姉はもっと途轍も無かったのに。わたくしは後継者失格。姉であればまだその血が王と証明されているのに。そんな事をずっと、ずっと聞かされて来たわたくしの気持ちが、お姉様に!」

「分かんないわよ! 急にそんな……並べ立てられても、考えてもみなさいよっ。私が、お父様の後を継ぐなんて、有り得ないでしょう? 私みたいなのが誰かを導くなんて出来ないし、そもそも国を追い出された人間が―――

 また、獣の尾を踏んだ。フォリミナはそう感じた。

 ずっと話をして、妹と、せめて和解したい。そう考えていたと言うのに、フォリミナの言葉は、どうにもメリミエを傷つけるだけしか効果が無いのだ。

 メリミエは遂に叫ぶ様に声を発し始めた。

「お姉様は、そうやって、最後にはすべてを捨てた! わたくしにとって欲しいものを、何でも持っている側のお姉様が、それを、何の価値も無いと捨てた! だからわたくしは許せない! わたくしごと、価値が無いと捨てたお姉様が!」

 ああ、ここに来て、漸くメリミエの気持ちが分かって来た。

 彼女とフォリミナは、価値観がずっと違ったのだ。別の視点を持って、同じ物を見ようとして、結果、それぞれが分からなくなった。

 これでは、何を話したところで平行線だ。それだけならまだしも、理解出来ない相手への怒りだって溢れてしまう。メリミエの方はきっとそうだ。

(だったら……マイリン。あんたのやった事、あんまり意味が無かったかもしれないわよ)

 メリミエの鼻っ柱を折って、危険な事を止めさせる。そういう事をマイリンはしたそうだが、結果が今のこれなのだろう。

 そもそもメリミエの自信は、ずっと前に失墜していた。フォリミナの存在がそうさせたのだ。

 姉より劣る妹。そんな風にメリミエは自らを評価している。そうして、薬に頼る事で自信を取り戻そうとし、その自信も、どこぞの剣士にへし折られた。

 だとするなら……今、メリミエに残っているのは。

「わたくしは……力を得たとしても、たかが剣士にすら劣る。けど……お姉様に一矢報いる事くらいなら!」

 メリミエの輪郭が鋭くなる。彼女の目付きも同様だったが、フォリミナにはそれがどこか泣きそうな顔に見えた。

(そんな顔をして……襲い掛かって来ないでよ!)

 メリミエは早かった。昔の記憶のどこにも無い、王家に伝わる力でもって加速する妹の姿に、フォリミナは哀れみすら感じてしまう。

(けど、それがあなたを苛立たせる事になる。じゃあ、どうしろって言うの?)

 メリミエはフォリミナに接近すると、腕を顔面に叩き付けようとしてくる。このまま殴られるべきか。けれど、わざと殴られれば、それだってメリミエの心を傷つけるだろう。

 そう考えたから、フォリミナはメリミエの腕を受け止める事しか出来なかった。

「わたくしは……この程度で!」

 重い一撃。メリミエの拳を受けてのフォリミナの感想だが、それだけだ。

 次の一撃も、その次の足払いも、その次の次の攻撃だって、フォリミナは受け止めて、致命傷を避ける。

 それだけの行動で、逆にメリミエの方は傷ついていた。

「敵わない! こんなに必死で! こんなにも全力なのに! お姉様は!」

 どうすれば良いのだろう。泣く妹に対して、フォリミナは姉としてどうしてやれるのだろう。

 わざと命でも捧げてみれば良いのか? 馬鹿らしい。そうすれば、やはり傷つくのはメリミエだ。手を抜き、命まで捧げた姉に、この妹は二度と勝てなくなるのだから。

「メリミエ……あなたは」

「お姉様は、わたくしをまだ見ようとも!」

 フォリミナはメリミエを直視する事が辛くなる。

 答えなんて返してくれるはずも無いのに、どこかの誰かに頼ろうとさえした。

(マイリン……あんたならこの状況で、どういう事が出来る?)

 妹の事が分からないと言うのに、彼が返す言葉の方は、すぐに想像できた。




「正面からぶつかるしか無いってのが、最終的な結論になった」

 マイリンがやってきたのは、とある貴族の屋敷だった。

 城から出て近くにある屋敷で、別邸とも呼ばれているらしい。何時も何がしかの会合やパーティがある時のために使われているそうで、それなりに大きな屋敷であった。

 そんな屋敷に、マイリンは一人、やってきている……だったらまだ気楽なのだが、同行者がいた。

「まあ、お前ならここに来るだろうな?」

「あんたに何が分かる」

「分からないはずとでも言うつもりか? お前程度の頭の奴が?」

 何か口を開けば、嫌味しか返って来なさそうなのが、カーナードと言う男だ。

 そんな男がどうした事か、これからマイリンがしようとする事を手伝うと言うのである。本当に、気でも狂ったかと思いたくなる。

「ふむ。君ら二人。どうにも剣呑な雰囲気だがね? 私の馬鹿みたいな予感は外れているであろう事を前提として尋ねるのだが……もしや、この屋敷に殴り込みを掛けに来たとは言うまいね」

 もう一人の同行者、サンダーマンはと言えば、どうにも目を離したら逃げてしまいそうな雰囲気だった。

 やる気なども無いだろう。だが、それでも、現状においては利用できる存在ではあった。

 逃げ出して欲しくも無いため、怯える彼をマイリンは宥める事にする。

「そんなまさかだよ、博士。屋敷には殴り込みを掛けない」

「そうか! いやはや、考え違いだったと言うのなら、何も言う事は無いのだよ! 君らが武断派だって言うのは知っているが、まさか、貴族の方々が悪巧みをしていると知って、そのまま喧嘩を売って潰そうとする性質だとはちょっと考え辛いからね!」

「殴るのは屋敷じゃなくて貴族だ。個人じゃなく、貴族連中だから……やっぱり屋敷じゃあないね」

「私は帰るぞ! 何でそんな事を!」

 背中を向けて立ち去ろうとするサンダーマンの服の裾を掴んで、逃げられなくする。

「今、この屋敷には、貴族の連中が集まって立食パーティみたいな事をしているらしい。週に何度かあるらしくて、連中、そういう事が好きだから、結構な人数が来ているって話だ」

「つまり、それだけの人間を、一挙に敵に回すと言う事だぞ! どうかしている!」

「くっくっ……そうじゃあ無い。いや、そうだとしてどうしたと考えるのが、お前と言う男だな? マイリン」

「理解したみたいな言い方はやめろ、カーナード。ただ……権力がどうとか、敵がどうとか何て言うのは、国を出さえすれば、どこまでも繋がらないものだって知ってるだけだ。今の僕は……身軽な立場なのが少ない利点の一つでね」

 だから……好き勝手に喧嘩を売れる。その喧嘩に勝てるかどうかは未知数だが。

「そうじゃあない! 君らが予想した通り、私の薬が貴族連中に出回っていると言うのなら、君らが襲おうとする貴族には、直接的に反撃する力を持っていると言う事だぞ!」

「全員が全員じゃあない。あくまで、メリミエ姫を狙っている一部の連中だ。だから、不特定多数を襲って、反撃してきた奴を潰す事にしたんだ。僕は細かい調査なんて苦手だし」

「頭と身体が神経を通さず直結してるのかね、君!? そういうしたいからするみたいなやり方が許されるのは子どもだけだよ!」

「子どもじゃあないから、手助けしてくれそうな人を連れて来てる。つまり、あなただ、博士」

 何はともあれ、貴族連中が持っている力とやらは、サンダーマンが作った獣性子補填薬とやらを使ったものだ。

 なら、サンダーマンの存在も役に立つだろう。頭脳派の彼であるが、実を言えば、まったく戦えない訳で無い事をマイリンは知っていた。

「で、どうする? 何時、殴り込みを掛ける?」

 痺れでも切らしたのか、カーナードは腰に下げた剣の柄に手を触れた。この男、それほどせっかちだったろうか。

「別に、こっちから何かを始める必要なんてあるかな? こうやって、屋敷の前で騒ぎさえしていれば、始まりは向こうからやってくる」

「なるほど」

 マイリンとカーナード、ついでにサンダーマンも、顔を上げて同じ方向を見た。

 丁度、屋敷の玄関口に立っていた衛兵の一人が、マイリン達へ近づいて来たのだ。

「お辞儀をして、ちょっと口論をしてただけですと言い訳すべき状況かな?」

 サンダーマンの言葉を無視しつつ、正解の行動をマイリンは取る。

「おい、お前ら。この屋敷はぐぉっ!?」

 正解は鞘に入ったままの剣で頭部を殴り付ける。だ。

「衛兵共は所詮雑魚だ。いちいち相手もしていられない。中の伏魔殿に急ぐぞ」

 カーナードの方は正解の行動を選んでいた。マイリンが衛兵を殴り付けた事が始まりの合図だと言わんばかりに走り出していたのだ。

 続くマイリンはサンダーマンの服の襟を引っ掴み、後を追う。

「ちょっ、服が伸びる! 強引に引っ張らないでぐえぇ!?」

 息くらいは詰まれとばかりに引っ張りつつ、追って来た衛兵の一人の腹を鞘で突いた。

「ぎうっ!?」

 息が絞らされる角度で突いたため、鞘だとしても相当な痛み。倒れて暫くは動けまい。

(相手が多い以上、無駄に剣を振るっていられない。手加減できるのも……ここまでだ)

 突いた鞘を引く勢いで、剣を鞘から抜き放った。峰打ちなども考慮にいれない。

 隙だらけの衛兵ならともかく、これからはそれ以上の存在を相手にしなければならないからだ。

(伏魔殿ねぇ)

 屋敷の中へと入りつつ、カーナードの言葉を思い出す。

(言い得て妙だな)

 屋敷の中はまず玄関を入ればホールへと繋がる。そこだけでも随分な広さだったが、ホールの奥はさらに広くなり、幾つもの丸テーブルが並んでいた。

 その上には種類と量が豊かな料理な並び、その料理に舌鼓を打つ人間達。マイリンにとっては、これより斬り伏せる事になる貴族たちの姿があった。

「で? どうする?」

 既に何人か衛兵を切り倒したらしいカーナード。会場からもその立ち回りが見えたであろうから、貴族の目はこちらに向いている。

 なら、好都合だ。

「脅せば良い。おい、お前ら! 僕は今からあんた達を切り殺す! 嫌だと思うなら、逃げ惑って見せろ!」

 マイリンの叫びが契機となり、会場の貴族達の何人が悲鳴を上げて逃げ惑い始めた。

(逃げる連中を追う必要は無い。力を扱える貴族なら……むしろ掛かって……くる……は……ず?)

 貴族が何人か逃げ惑っている。本当に、2、3人程の貴族がどこかへ。

 他の、まだ何十人かいる貴族達は、じっとこちらを見つめていた。

「ちょっと……これは予想外かな?」

「楽しい事になりそうだ」

 呆れの意味も込められたカーナードの言葉であるが、それより他の事柄に、マイリンは感情が動かされていた。

 貴族達の体格が鋭いものになり、体毛が増え始めていたからだ。

「て、典型的な、獣性子の力に寄るもの……だね?」

 怯えるサンダーマンも気にしていられない。マイリンは剣の柄を強く握り、貴族達を見据えていた。

(さて……倒し切れるものかな?)

 殆どの貴族がマイリン達へと襲い掛かって来る。人間離れしたその動きの中でマイリンは剣を振るう決意をした。

 後はこちらが勝つか、あちらが勝つかが決まるだけだ。




 勝ったところで問題が解決するとは思えない。

 少なくとも、今のフォリミナの状況はそういう類のものであった。

(妹に襲われてる……そういう状況って、本来はどう表現するべきなのかしら!)

 幾らか拓けているとは言え、限られた空間。後ろに下がって、メリミエの手から逃れるのにも限界があった。

「お姉様はっ……! そうやって、逃げて! わたくしの前から消えて! そのまま勝ち逃げするつもりですのっ!」

 妹は妹らしく、姉に向かって好き勝手を言う。

 これくらい言われる義理はある。そうは思う。そう思うからこそ、今、この瞬間まで考え続けて来た。

 だけど―――

「そうね……考えたって仕方ないし、あんたと私の関係なんて、ここまで深刻になる前から、こうだったかもしれない」

 壁際に追い詰められ、そうするしか無いから、再び、メリミエの拳を受け止める。受け止めて、今度は離さない。

「お姉……様っ!」

「あんたもねぇ……いい加減にしときなさい!」

 拳を掴んだまま、フォリミナは自前の力でメリミエを振り回した。何時だってこうだった。そうだ。メリミエとの関係はこんなものだ。

 フォリミナがメリミエを振り回し、メリミエがフォリミナに対抗心を抱く。そういう関係を、今だって続けてやる。

 その後にどうなるかは……知った事か。

「あんたが!」

「ぐぅっ!」

「力を手に入れた!」

「がぁっ!」

「おかげでぇ!」

「はっ……がっ、かふっ……」

 一言一言力を込めて、メリミエを振り回し、壁や地面へと叩き付けるフォリミナ。

 メリミエの呻き声が聞こえるものの、それでも止まらない。最後には手すらも開いて、宙へと放り投げた。

 当たり前みたいに地面へぶつかり、倒れるメリミエに対して、フォリミナが言葉を投げ掛ける。

「こうやって、喧嘩も遠慮なく出来る事になる。ええ、そうね! そう考えるべきだったわよ。あんたにいちいち気遣いなんてしてられない。あんたのその力は、そういう類のものよ! 力を手に入れたって言うのなら、泣き言なんて今さら言うな!」

 こちらだって怒りはある。これまで散々に罵倒されたのだ。こっちだって言い分があると伝えるには、やはり喧嘩しかない。

 ほら見ろ、メリミエの方も漸くそれに気が付いた。

 今まで、倒れそうな雰囲気があった彼女だが、憎悪とも怒りとも見える目をこちらに向けて、あれほどダメージを与えたと言うのに、立ち上がって来るのだ。

「ええ……ええ! わたくしも……最初からそう考えていた! この力で、漸くお姉様をひっ叩ける!」

 メリミエの速度が上がった。吹っ切れたとも言えるし、フォリミナにとっては手強くなっていた。

(けど、それで互角よ! これからどうするのかしら?)

 力の扱い方は、それでもフォリミナの方に分があった。

 生まれた時から付き合い続けた力なのだ。薬の力で漸く目覚めたメリミエとは、練度に差がある。

 鋭く、速く近づくメリミエは、手を真っ直ぐ、手刀の形でフォリミナの首元を狙うが、フォリミナはその手刀に首が届く前に、頭突きを敢行した。

「つっ! お姉様ぁ!」

 指の骨でも折れたか知らないが、指より額の方が固いのだ。力に寄る勢いが同等ならこちらが勝つ。

 だが、その程度で怯んでどうする。叫んでどうする。怒りに任せて力を振るって、何の意味がある。

「教えてあげるわ、メリミエ。私達が持つ、この獣の力がどういうものか!」

 もっと速く、もっと強く。どこかの誰かがそういう力を求めた。

 フォリミナやメリミエの祖父。そのまた祖父。それとももっと前。どれほど前か知らないが、誰かが力を求め、それを得てしまった。

 努力では無いだろう。何か、ズルをしたのだ。結果、その力は歪なそれとなった。

「まず一つ! 力が伸びた割に、身体の頑丈さはそれほどでも無い!」

「ぐぅっ!」

 突進し、メリミエの腹部目掛けて膝蹴りを放つ。メリミエはそれを両の腕で受け止めるが、それでも衝撃は十分に伝わったはずだ。

 さらに続く。

「もう一つ! だから防御に回らず、攻め続ける事がこの力の戦い方! 背中なんて見せない!」

 フォリミナは、引こうとするメリミエに対し、突進を続けて逃がすことを許さない。

 攻め続けるはインファイト。相手を逃がさぬ速度こそ、獣の力の真髄だった。

「これで最後っ! 飛び道具なんざ無いんだから、相手から離れず、ひたすら殴り付けなさい!」

 逃げるよりも相手に近づけ。怯むよりも相手を叩け。困惑するよりも何も考えるな。

 それを実行し、直接的にメリミエへと伝えて行く。

 超人などと呼ばれてしまった自分に出来る事なんて、たかがその程度だ。妹に何か、役に立つ事を言えない。忠告も出来ない。相手を泣かす事しかできない。

 だが、ずっとメリミエとはそんな関係だった。メリミエの方はどうだろうか。今も、昔と変わらない目でフォリミナを見ているのだろうか。

(けど、伝える事は伝えさせて貰う! 無理矢理にでも!)

 フォリミナの速度と手数はさらに増す。それはまるで小さな嵐の様だ。激しく速く、そして止めどない。

 だが、驚くのはメリミエの受けであった。

「まだ……まだ、わたくしはぁ!」

 フォリミナの攻撃を、さらに突き抜け、ボロボロになりながらもフォリミナへと拳を届かせてくる。

 たった一撃。それを届かせるために、何度フォリミナの攻撃を受けただろう。それでも届かせてきた。

 フォリミナの胸に衝撃が伝わる。手痛い一撃。確かに通用する一撃。気を抜けば足が折られそうになる程のそれ。

 だと言うのに、フォリミナは何故か、嬉しさを感じていた。

「そう……それで良い。それが……この力の使い方よ。立派なものじゃない。そうやって、まっすぐ向かって殴り付ける。それが一番……この力に合っている」

「お姉……様?」

 驚いた様な表情を見せるメリミエに対して、フォリミナは笑えてきた。ああ、ここまでやって、漸く伝える事が、こんな事か。

 もっと大事な事もあるだろうに。こうやって、殴り合いながらの話ではこんな話題しか思い浮かばない。

 けど、懐かしくもあった。この国で、まだ、自分がこの国の住人だった頃。妹のメリミエとはずっとこの様な関係だったはずだ。

「立派になったじゃない、メリミエ。ちょっとだけ……ちょっとだけよ? 私、それがどこか嬉しい」

「そんな……そんな事を……今さら言って」

「今さら言えなくてどうすんのよ。そっちだって、私の胸に拳をめり込ませたままじゃない……」

 痛みがある。メリミエの腕から力が抜けているのを感じるが、それはそれとして痛いものは痛い。

 だからフォリミナは一歩下がった。今度は逃げるためでは無く、話をするために。

「どう? 少しはすっきりした? 思えば、逃げた私より、あなたの方がずっと、辛かったのかも」

「お姉様は……またそうやって、変なところで自分を卑下して……」

「そういうところ……私には確かにあるわよ。反省しなきゃいけないけど……話したいのは、私のそういうところなの。私が何に負い目を感じて、あなたが見ている物が、本当はどういう意味を持っているか」

 もう、メリミエはこちらへと襲い掛かっては来ない。散々に暴れたのだ。そうで無くては困る。だいたい、フォリミナの方だって疲れているのだから。

「わたくしも、ずっと聞きたかった。どうしてお姉様は、この国を出て行ったのか。お父様は、お姉様を追放したとだけ言って……けど、仲違いをしたわけじゃあない。今の、お姉様とお父様の姿を見て分かった。最初は……私を……」

「あなたの立場を考えて、私が国を去ったって、そう思ったかしら? そうであれば……私は随分と偉そうな人間ね。けど違う。本当は―――

 話の途中。漸く続けられそうな話のその前に、またしても邪魔が入った。

 その瞬間、フォリミナは怒りに任せて、その邪魔を殴り付けようとする。

 目の前で、突如として男が現れ、フォリミナとメリミエの間へ割って入るや、妹の身体を傷つけたからだ。

 その光景を見た瞬間、フォリミナの心から何もかもが弾け飛ぶ。

「ざっ………けんなぁ!」




 ひたすらに剣を振るう。

 どれほど目の前に驚愕があろうとも、脅威がそこら中に転ぼうとも、マイリンはただ剣を振るしかできない。

(剣を振ることは出来る。それで、人だろうと獣だろうと、斬る事が出来る。それだけだ。僕は……それだけが出来る)

 銀色の剣筋が、どこかの誰か。豪奢な服を着込みながらも、その全身の輪郭が、服越しでも鋭くなっている誰かをなぞる。

「がぁっ……あっ……」

 その誰かは、マイリンが振るった剣通りの軌道で、身体を分け、力無く倒れて行く。これで一人。

「やっと一人」

「もうそっちは三人だろう?」

 癪であるがカーナードに背中を任せつつ、彼の言葉も聞く。それは評価の言葉だったが、もう三人も、お前は剣で命を奪ったのかと言う意味にも聞こえた。

 相手にその様な情緒があるなどと思いもしていないのに。

「相手が常人なら、もう十は斬れたはずだ」

「常人を斬る趣味があったのか。驚きだ。そうでも無いか?」

 この後に及んでも、まだ減らず口を叩くカーナード。

 それくらいに余裕が出来たのだろうか。いや、彼もまたマイリンと同じ状況だろう。

 貴族達を襲い、逆に獣の力を発揮する貴族達に襲われ、それでも戦い続け、そうして……。

「相手も警戒してきた。簡単に隙を見せてくれるのはこれで終わりだろうね」

 倒れた数人の貴族を見る。

 自らの力を過信し、警戒もせずに近づいて、案の定、マイリンとカーナードに斬られた貴族達の歪な姿。

 だが、それを見るのも終わりだろう。まだまだ残っている貴族達は、漸くマイリン達の力を把握し始めたからだ。

 これからは、馬鹿正直に襲い掛かっては来ないはず。

「こっちも余裕を見せていられなくなった」

「となるとどうする? 全力を出すなんてのは、最後の手段だ。違うか?」

 何時だって、全力で戦える時間は少ない。体力だって続かない。だから長く戦う時は、ある程度の余力を残し、ここぞと言う場面以外は力を発揮しない様にするのが常道である。

「その最後の段階が今と考えよう。ただ、それにしたって切っ掛けが必要だ」

 様子見や手を抜いて戦い続けられる程、周囲の貴族達は生易しくなかった。

 こうやってカーナードと話をしている間だって、獣染みた貴族の攻撃が繰り返されている。

 先ほどまでの明らかな隙は無く、ひたすら牽制に近い攻撃。それでも鋭さを緩めずに繰り返し攻撃を続けている。こちらの体力を削るつもりなのだろう。

 こうなってしまえば、数の優位があるあちらが上。マイリン達にとっての後は、一か八かで挑む他が無くなる。

「何が狙いか知らんが、たった二人で挑むのは馬鹿を通り過ぎて愚者だと知るが良い!」

「と、貴族の誰かが言ってるが、実際どうだ? このまま追い詰められて、俺達は死ぬか?」

 他人事では無いはずだが、どこ吹く風と言う様子のカーナードを見て、溜め息を吐きたくなる。

 ただマイリンは、貴族達の硬く長くなった爪を剣で弾くのが忙しいので、溜め息だって吐く余裕が無かった。カーナードだって、同じ状況だろう。

 だから、こちらが攻め込む切っ掛けを、まだ暇そうな人間に頼る事にする。

「博士。何か無いかな。何かあるだろうと思って、無理矢理連れて来たんだけど」

「必死こいて君らに守られ続けている私にそんな手があると思うかね!?」

 マイリンとカーナードの間で、泣きそうな顔を浮かべて、泣きそうな声を上げているのがサンダーマンだ。

 実際、化け物の集団に襲われ、それと戦うのがマイリンとカーナードの二人だけとなれば、身を守るのだって命がけだろう。

 確かに必死そうであるし、正直なところ、邪魔でもある。

「この状況で何も出来ないとなると……見捨てるか」

 正面からぶつかってくる貴族の一人を剣で受け止めながら、ふと呟く。状況を考えての、素の意見だった。

 だが、思ったよりもそれが効いたらしい。

「まーちたまえ! 待ちたまえ! 奥の手! 奥の手がある! 君達が無様にやられた場合に限り、使うつもりだったが……ええい! こうなれば自棄だ!」

 サンダーマンはそう言うと、懐からガラス瓶を何本か取り出した。

 中には薄い紫色の溶液が入っている。嫌に危険な色をしたそれであるが、マイリンが止めるより先に、サンダーマンはそれらを周囲へ放り投げる。

「ちょっと待って、博士! それ、何!?」

「ふふふ! こんな事もあろうかと! と言うやつだよ!」

 ガラス瓶が割れると、中の溶液が一気に気化し始めた。

 色は変わらず紫だ。紫のガスの様なものが周囲へと広がったのである。

「おいおいおい。これは……大丈夫なのか?」

 さすがのカーナードも、この状況には戸惑うらしい。周囲の貴族とて同様だ。空間に広がって行く紫色の気体に、危機感を覚えぬ人間の方が少ないと言える。

 だが、その少ない方であるサンダーマンは高笑いを続けていた。

「はーっはっはっは! 諸君! 私が開発した獣性子補填薬だが、その危険性を考慮し、私が対策のための薬を開発していないと思っていたのかね!」

 サンダーマンの言葉は、それそのままに、彼が投げた薬の効果を現しているらしい。

 その紫色の煙は、マイリンにとってはちょっと異臭のする……一応は無毒らしい煙でしか無かった。

 だが、他の貴族は違う。

「な、なんだ……力が……私の力が!」

 貴族の一人が嘆く。彼らが身に秘めていたはずの獣の力。それを象徴する外見の鋭さや体毛の増加が無くなって行ったのだ。

「えっ、これってもしかして……」

「そう、そうだともマイリン君! これこそ獣性子抑制薬! 補填薬の効能を阻害する、私の奥の手さ! ふふふ! 偉大な研究家は、何時だって自らの研究への対処方法を用意しているものなのだよ!」

 偉大な研究家だと言うのなら、そもそも研究成果を盗まれるなと言いたいところだ。

 今の問題は、そこが根本となっているのだろうに。ただ、感謝はすべき状況ではあった。

「良くは分からんが……チャンスか?」

 カーナードの言う通り、貴族達から力が無くなったのであれば、今こそ攻め時と言う事だろう。

 だが……。

「まだだ! まだ我々は終わってはいない!」

 貴族達が……先ほどよりかは鈍くなったかもしれないが、それでも常人離れした動きでこちらへと襲い掛かって来る。

「研究がまだ途上で……十全に効果が発揮されないのが、今の課題なのだよ! 分かったかね、マイリン君!」

「ああ、くそっ。そんな上手い話をあなたに期待するのが馬鹿だったよなぁ!」

 またしても貴族の攻撃を受け止める事になる。

 重く、そして素早いその一撃。だが、それを受けて思うところがあった。

「おい、マイリン」

「ああ、分かってる」

 貴族達の力は、完全に失われてこそいないものの、やはり減じていた。

 サンダーマンの薬が、役には立っているのである。

 そうであれば、やる事は一つ。

「今こそ、攻め時だ。これから先、さっきの薬の効果が無くなるより早く、決着を付ける」

「はっ、そうで無くてな!」

 不気味な程に、カーナードと考えが合致する。

 こと、剣を使った戦いにおいて、マイリンとカーナードはそっくりだった。

 性格も、能力だって違う二人だと言うのに、何故が、本当に何故かそうなる。

 二人して剣を振るえば、一人、また一人と貴族が倒れる。貴族は青い血などと言われるが、部屋にまき散らされるのは赤のそれ。

 舞うのは血だけでは無く、マイリン達の剣にしてもそうだった。より速く、より鋭く、より効率的に。

 ただひたすらに鍛え抜かれ、洗練された剣の腕は、どこか舞に似ていた。

 マイリンとカーナード。二人の剣舞は止まらない。既に止まる切っ掛けを突き抜け、ただ事を終えるまでは舞続ける。

「くるな! くるなぁ! うおああああ!」

「助けて。あの薬よ! あの薬があったから私達、調子に乗って! や、やめてぇ!」

 止まらない。止まれない。一度振り回される剣は、目的を終えるまでは止まる事を許されない。

 常人の剣であればそうでも無いのだろう。だが、マイリンの剣は違う。

 一切を削ぎ落し、目的を達成するまでは、剣を理想のままに振るう事だけに専念する。そういうものに成り果てていた。

 命乞いをされたところで困るのだ。何せ、命を奪うために剣を振るっている。

 乞われたところで、今の剣技はそれを考慮に入れていない。だから……懇願されたとしても剣を振るう。

「力を持って、クーデターでも起こそうとしていたこいつら。これほどの無様を見せられれば、こいつらの目的だってへし折れるだろうと思うが……それでも止まらんか、お前は」

 カーナードの声がマイリンに届く。届いてそのまま流した。

 だって、今は声を聞くよりも剣を振るう時間だ。剣の鬼などと呼ばれる自分。一度本気を出して剣を抜けば、雑念などすべて掻き消えて行く。

 だが、そんな内心の中ですら、一つの疑問が浮かんで来た。

(あんただって、そういう類の人間になったんだろう? カーナード)

 同類に何を言われたところで、お前もそうだとしか返せない。だからやはり、カーナードの言葉はどこかへ流れ去って行くのだ。

「やれやれ……これが剣の道か。まったく……誰が用意したか知らんが、碌でも無い道もあったものだ」

 愚痴が聞こえた。その愚痴が聞こえて来た方が視界に入るが、カーナードが剣を振るい始めた光景があるばかり。

 彼もまた、止まらないだろう。止まれない。ただひたすらに剣にその人生を賭ける。お互い、そんなどうしようもない人種なのだから。

 そうして最後。剣を振るい続けて、目に映る敵の殆どを斬り尽くしたその瞬間。マイリンは最後の敵に向かって剣を振るおうとして―――

「おっと」

「このまま……続けるか?」

 金属と金属がぶつかる音がして、漸くマイリン達は止まった。

 マイリンとカーナード。二人の剣がぶつかり合い、そこで漸く、隣で剣を振るっていた人間が、そういえば敵で無かった事を思い出したのである。

「き、君らなぁ……ほんと、なんなのだね。これ。まるで刃のある竜巻みたいに誰も彼もをズタズタにしてしまって」

 どうやら、サンダーマンの方も無事らしい。部屋の隅に居る事からして、戦いの中で、必死に逃げ続けたのであろう事が分かる。

 そんな彼に、戦いが終わった事を告げようと近づくマイリンは、ふと、床に転がる貴族の一人に目が行った。

「あれ、まだ生きてる」

「ひっ、ひぃ!」

 肩を大きく切られた貴族の一人だが、まだ息はあり、言葉も発する事が出来る様子。

「この切り口は、カーナード、あんただ。剣速が鈍ったのか?」

「馬鹿を言え、一人は話を聞き出そうと、あえて傷を浅くしておいただけだ。おい、そういう事だ。聞いた事に答えれば、命を助けてやらんでも無い」

 言いながら、まだ命がある貴族へと近づくカーナード。手に持った剣はごく自然に、貴族の胸元近くを突き付けていた。

「は、はっ……ふ、ふんっ。誰が貴様らなんぞに……!」

 だが、返って来たのは、こちらへの反抗心である。

 手を抜いて、情報を聞き出そうとしたのは分かるが、その相手が口の堅いタイプであると言うのは、カーナードにとっての誤算では無かろうか。

「い、良いか? 良く聞け。お前達は……こ、こうやって我々の狙いを潰したつもりかは知らないが……我々には……ま、まだ、仲間が居る! 我々を……た、倒したところで……すべては終わらんっ!」

「そうか」

「なっ―――

 一言だけ返すと、カーナードは貴族の胸元に、剣を突き刺した。貴族は口元と胸から血を吹き出すと、そのまま、今度は本当に命を失って、床に倒れたままとなった。

「おいおいおいおい。いったいどういう事だね!? 話を聞くから生かしていたのでは無かったのかね!? それをこんな……こう……殲滅ではないか! もう、死体しか残っていない」

 サンダーマンが一番困惑している様で、フロアの中をおろおろとしている。一方、マイリンは何となく、こうなるだろうなと言う予感がしていたので、そうでも無い。

「もしかして聞きたかったのは、別動隊がいるかどうかって事か?」

「そうだ。こいつらを倒せばそれで終わり……と言うわけでは無いが、であれば、何故、こいつらを倒して終わりでは無いかを考えるべきだろうな」

 一所に集まる習性が無いだけ……と言うのなら、そもそも最後に殺された貴族が、嫌味に笑う事は無かっただろう。

 明確に、何か別の事をしている人間達がいるから、貴族は自分達だけでは無いと宣言できたのだ。

「……もしかして、この屋敷に居た連中は、実際に目的を実行する奴らの残り?」

「ほう。ならば、その目的は何だと思う?」

 既に答えに気が付いているらしいカーナードに対して、であればさっさと話せと睨み付けるマイリン。

 だが、睨んだところで怯える相手でも無かった。

「馬鹿にするな。それくらいは僕だって分かるさ。こいつらの目的は、はなからメリミエ姫……で……その、既に別動隊が……いたとすれば……」

「なるほど! あのお姫様が、今、襲われているかもしれないということなのだね! それがそこで倒れている貴族の言葉で分かったと! む、大変では無いか!」

 いちいち言われなくても分かる。

 ここの貴族達を倒したところで、まだ肝心な部分が終わっていない。戦いはここでは無いどこかで、既に始まっているのかもしれないのだ。




 フォリミナが殴り付けた相手は、そのまま近くの壁に叩き付けられて動かなくなる。

 残ったのは襲われて、腕を大きく傷つけられたらしい妹の姿……だけでは無かった。

「お、お姉……様」

「喋らないで、メリミエ。あなたのその傷、早く手当しなきゃ、力を持った状態だって危ういものよ」

 妹を守る様に、妹に背中を向ける。今、見つめるべきは彼女では無く、彼女を狙う敵だったから。

 妹を直接襲った敵は殴り付けてやったが、まだ他に複数人が、フォリミナ達を囲む様にして立っていた。

 どいつもこいつも、高そうな服を着込んだ人間だ。だが、フォリミナは直感だけで分かってしまった。

 その人間達が、フォリミナやメリミエと同種の力を持っていると言う事に。

「薬が相当出回ってるってところかしら? ああけど、あんたらが仕出かしてくれた事に対しては、しっかり意趣返しする事は変わらないから。覚悟しなさい」

「ふんっ。この状況で、何を覚悟しろと? するべきはあなた方では無いか。我々は言わば糾弾する側だ。余計な血を王家に入れ、国を混乱させたのは今の王だ。そうして、その混乱の象徴が貴様らその娘。違うか?」

「ううっ……」

 フォリミナにとってはだからどうしたと言う襲撃者の言葉だったが、傷ついたメリミエの方には、相応に堪える話であるらしかった。

(そんなの、生まれて来ただけのあんたが責任持つもんじゃあないでしょうに。身体だって傷ついて、心まで傷付けてどうすんのよ)

 無責任にそう言葉を投げ掛けられるほど、フォリミナは妹を無下には扱えない。

 だから代わりに、襲撃者連中を睨み付けた。これから戦う相手だ。全員を潰してやろうと考える相手だ。睨みつけるくらいなんだ。

 あちらだって、こちらの視線を鼻で笑ってきやがった。

「あんたらだって、力に目覚めたばっかりでしょう? だったら……それでも私が有利っ!」

 近くにいる一人の襲撃者に向かう。何よりも怒りを込めたフォリミナの攻撃であったが、それは途中で止まってしまった。

 いや、止めた。別の襲撃者がフォリミナでは無く、メリミエを狙おうとしてきたから。

「ぐぁっ!」

「お姉様!」

 フォリミナは自らの動きを、メリミエを庇う方へと動かし、結果、一手遅くなる。どうなったかと言えば、生じた隙を突かれ、敵の蹴りを腹部に受けてしまった。

「だ、大丈夫よ。それほどじゃあない」

 痛いことは痛いが、耐えられなくは無かった。

 相手とて、軽い一撃のつもりだったのだろう。だからフォリミナが反撃しようとした瞬間には、距離を離して来た。深くは踏み込んでこないつもりだ。

(けど、それがヤバい……ってことよね)

 この場に置いて、フォリミナがもっともそれを肌で感じる。

 フォリミナはメリミエを守るつもりだ。この状況で、守らなくて何が姉か。

 けど、そうであれば、フォリミナは追い詰められたままだ。少しずつ、メリミエを庇う中で、一方的にダメージが蓄積されていく。

 その後に待つのは、倒れるフォリミナと、トドメを刺されるメリミエの二人。

「助けがくる予定は……無さそうね。ここ、あんまり人目が無いし」

 壁際でもあったので、出入口から逃げる事も出来ない。追い詰められた状態。それを作り出せると感じたから、こいつらは襲い掛かって来たのだと思われる。

(壁の上から、私達を眺めてたんでしょうね。機会があれば……何時でも襲える様に。くそっ。降りる事は出来るけど、登れる高さじゃあない)

 王城の壁だけあって、王家の力を基準に作られたものだ。人並み外れた力を持って居たとしても、安易に飛び越える事は出来ないくらいに高い。

「我らの憎しみを……上手く受けいれる状況が出来たわけですな、姫」

 襲撃者の一人がこちらを嘲笑い、そして襲い掛かって来る。

「あっ……がっ!」

 反撃しようとして、メリミエを狙われ、メリミエを庇おうとして、また身体のどこかを攻撃される。

 相手は慎重だ。厄介だ。少しずつ。少しずつフォリミナを戦えなくしてくる。

「ふっ………ぐっ……ああっ」

 膝が折れそうになる。幾ら慎重な攻撃と言えども、王家の力に寄り強化されたそれだ。何度も受けられる程、生易しい代物では無かった。

「お姉様! わたくしなど見捨てれば良い! わたくしの命が潰えたところで、あなたにとっては敵が一人……減るだけでしょう?」

「そういう事、守られてる側が言うもんじゃあ無いわよ。ったく」

 心が折れそうになるから、特に言わないで欲しい。ここはもっと、元気付ける言葉が欲しいところだろうに。

「無理ですな。無理ですよ、メリミエ様。フォリミナ様が、安易に他者を見捨てられる性質なら、とっくにそうしている。それが出来ないから、この方は国を出たのです。そういう選択肢しか選べない……弱いお方なのですよ」

「……あんた、黙りなさい」

「お姉様?」

 心配そうにこちらを見つめるメリミエ。だが、フォリミナの感情は、フォリミナについて語る襲撃者を向く。それは今まで以上の怒りである。

「何を黙ると言うのです。血と言う意味でなら、あなたこそが王にもっとも相応しい。だが、それを捨てたあなたは、やはり王に不適切だ。今の王家は歪んでいる。だからこそ、我々が―――

「メリミエ」

 誰よりも、この場に響く声で、フォリミナはメリミエに話し掛ける。

 妹ははっとした様子でこちらを見つめ……そうして次の言葉を伺ってきた。

「私のことが心配なら、あなたにも無茶して貰う。その身体で……大変だと思うけど、これから兎に角、どんな手段を使ってでも逃げなさい」

「逃げるって……ここからでは敵に……」

「私がその切っ掛けを作る。けど、その後どうなるかは保障できない。だから逃げなさい」

「そんな……それってお姉様が―――

「犠牲にはならないわ。むしろ……私だけが助かるかもしれないから、それが最悪。だから聞きなさい。変化が起こったら、すべての力を逃げる事に回して」

 返答は待たない。慎重に行きたいところだったが、それを許してくれる相手では無いから。

 襲撃者達はすぐ、フォリミナの狙いに気が付いたらしかった。

「自棄になったか! 苛烈な性格をしているとは思っていたが―――

 妹の事を気にして、手を抜いたままでいるとでも思ったか。

 そんな情緒も優しさもあるなら、もっとスマートな生き方をしている。自分は今、こうするしかない。そう思えば、どんな無茶でも馬鹿でもしてしまうのが自分だ。

 だから、すぐにそれを始めた。

(やる事は単純。私はただ、全力を出せば良い)

 そうするだけで、まずフォリミナは、その意識を飛ばす事になった。




 メリミエにとって、その光景は悪夢以上の何かであった。

 姉と真正面から殴り合った事も、その後、何者かに襲われた事も、傷つけられ、姉に守られ続けた事も、その光景よりは大分マシと言える状況だった。

「お姉……様?」

 今日何度目か、姉を呼ぶ。だが、その姉は、メリミエの良く知る姉では無くなっていた。

 まず身体そのものが肥大化していた。いや、その表現もおかしい。姉は人の姿を保っていないのだから。

 全身からは体毛が生え、身体の輪郭が鋭くなるどころでは無く、まさしく獣のそれになっていたのだ。

(わたくしは……何を見ているの)

 姉は、何時の間にか、巨大な獣になっていた。

 メリミエが知る、最も近いそれは、やはり狼だろうか? だがそれは、人間よりかは近いと言う意味でしかなく、狼からも離れた姿をしていた。

 兎に角巨大で、周囲をねめつける様に顔を動かすそれは、凶暴性を隠そうとしていない。熊か、獅子か、やはり狼か。そのどれにも見えて、どれとも違う姉だったはずのそれ。

 既に二本の足で立つ事を止め、四足で大地を踏みつけるその獣は、まるで獣の中の王の様だった。

 その姿を見て、恐怖を抱くのは本能に寄るものか。

 だが、その姿を見て、メリミエがすぐさまに走り出したのは、他ならぬ姉からの忠告に寄るものだった。

(どんな手段を使っても……逃げるっ)

 手が痛む。傷つけられた跡は今なおメリミエを苛むが、それでも今の恐怖が麻痺させていた。

 あれは駄目だ。あれはいけない。あれを正面から見るべきでは無い。あれは……先ほどまでメリミエを守っていたはずのフォリミナは、違う代物へと変わってしまった。

(一番最悪なのは……その判断が正解だったことっ)

 まっすぐに、この庭の出入口を目指す。他の襲撃者から襲われる事は無かった。

 メリミエの行動を妨害しようとした襲撃者の一人は、フォリミナの前足の一振りによって、壁に叩き付けられ、原型を留めなくなったから。

(お姉様の……馬鹿っ!)

 次に狙われるのがメリミエだったら、その瞬間にメリミエの命は失われていた事だろう。そんな事をフォリミナは行ったのだ。

 あれは、恐らく、理性と引き換えに力を得る何か。それを全開にして、フォリミナは目の前の敵すべてを潰すつもりになったらしかった。

 問題としては、メリミエと敵の区別も付いていなさそうなところか。

 巨大化し、獣化したフォリミナは、メリミエも巻き込む勢いで、他の襲撃者達を逆に襲い始めたからだ。

「ぎゃああああっ!」

 叫びが上がる。襲撃者の一人が、姉に噛みつかれて放り捨てられる。次の瞬間には別の襲撃者が後ろ足で踏み潰されている。

 ああ、なるほど。姉が何よりメリミエに逃げろと言った理由が分かる。

 あの獣は、とりあえず狙い易い相手から狙っているのだ。逃げるメリミエを後回しにして。

「はぁっ……はぁ……」

 滑り込む様に、庭からの出入口へ飛び込み、その影に隠れる。その瞬間も、向こうからは破壊音が聞こえて来た。

 大凡、人が発生されるはずも無い音が、ひたすらに聞こえる。何もかもを破壊してしまいそうなそんな音。

 瞬間―――

「ひうっ……」

 肩を叩かれた。びくりと身体が弾け飛ぶ様な気さえしたその瞬間。肩を叩いて来た相手を見れば、それは自分の父であった。

「どうやら……私はまた間に合わなかった様だな……」

 悲しそうな顔をする父の顔がそこにあった。良く見れば息を切らしている。この庭の騒動を察し、すぐさまにやってきたのだろう。

 心配そうに、メリミエの腕の傷を見つめてもいた。

 けれど、父が間に合わなかったと言うのは、きっと、姉の今の姿を言っているのだろう。

「お父様……お姉様の……今のお姉様はいったい」

 自らの傷を忘れて、メリミエは父に尋ねる。きっと、父はあの姉の姿だって何か知っているのだ。

「お前の傷の手当が先……と言いたいところだが、そうだな。フォリミナの、あの力だけは説明しておくべきか……あの力は……お前の姉はね、メリミエ……」




「獣王のフォリミナ。超人結社の一員として、そんな二つ名を持ってたりするんだ、彼女は」

 マイリン達が貴族達の死体が転がる屋敷を出て暫く。

 ふと足を止めたマイリンは、隣で歩いていたカーナードに向けて話す。

「お前達、超人仲間がどんな人間だろうと、知ったところでは無いと言ったところだが……」

 道を歩きながら、興味無さげなカーナードであるが、ならば尚更、マイリンはその話題を続けたくなった。

「そこの博士は頭がぶっ飛んでるけど、彼女は身体能力がぶっ飛んでる性質でね」

「頭がぶっ飛んでると言う意味について、私は詳しく聞きたいのだがね?」

「博士はどっか行かないの? もう、頼ることも無いと思うんだけど」

「無理矢理連れて来た割にすぐ捨てて来るね、君。さっきまで、我々がしていた事を分かっているのかい? この国の貴族の大半を敵に回して、さらには殺戮までしたのだよ!?」

 その一行が三人、ただ道を歩いて話をしている。どこか馬鹿らしい光景だろう。

「その件だがな、焦らなくても良いのか? この国のお姫様が狙われている状況が、今なお続いているんだぞ?」

 確かに、先ほどまでは焦っていた。焦って、王城へ引き返そうともしていた。けれど、今はそうでも無くなっていた。

「足りない頭でさ、考えてみたんだよ。現在進行形でメリミエ姫が狙われているって言うのなら、今さら急いだって遅い。そうして、狙われているお姫様を、真に守る存在が居るとしたら……彼女を心配している家族こそがそうでしょ」

 マイリンが出来る事はと言えば、せいぜいがその補助だ。

 この国の王家であるが、まあ、その家族を狙っている貴族共の力を削ぐ。それがせいぜいで、それは既に実行された。

「まだ残党がいるかもしれないし、権力闘争なんて延々と続けられる物なんだとしても、それをどうにかするのは僕じゃあないし、あの王様なら、それくらいは何とか出来るんじゃないかと思う」

「そうして、直近の危険があるとしたら、その獣王のフォリミナが何とかすると?」

 カーナードはその言葉に疑問符を付けているが、マイリンと、同じく超人結社の一員であるサンダーマンは、それを過言だとは思っていない。

「獣性子を研究する中で、分かって来た事の一つとして、フォリミナ君のそれはやはり際立っていると言うか、彼女もまた、どうしようも無く超人なのだろうね?」

「ふん?」

 少しは興味が湧いて来たのか、カーナードが耳を傾けて来た。それとも、マイリンの話で無ければそんな様子なのか。

 試しにマイリンが続けてみる事にする。

「フォリミナについて……他の王族や、薬でその力を発揮できる様になったメリミエ姫と同じく、際立った身体能力を発揮できる人間である事は、あんただって知ってるだろう?」

「……そうだな」

 やはり素っ気ない。これはあからさまにマイリンが嫌われているであろう事が分かる。

(まあいいや。別に好かれたいとも思わないし)

 だから気にせず、話を続ける。むしろうざいと思われた方が、嫌がらせになる。

「フォリミナの場合、その先がある。先があるから……多分、この国を追われたんだろう」

「どんな先だ?」

「獣になる。何か良く分からない獣で……ただデカくて強い。そんな獣だ」

 マイリンはそんな獣になったフォリミナを、何度か見た事があった。

 そうして毎度、そんな姿になるな。そんな姿は、相手が出来る人間なんていないし、周囲をぶち壊す事くらいしか出来ないぞと語り掛けていた。

 サンダーマンの方も、マイリン程では無いが、彼女のそんな姿を見た事があるはずだ。実際、彼は頷いていた。

「恐らく、血が濃いのだろうね。誰よりも濃い」

「そもそも、この国の王族が引く血とは何だ? 濃ければ、それほど力を発揮できると言うのは……」

「獣の血だね。狼などと語り継がれているが、フォリミナ君のあの姿を見れば、そんな生易しい存在では無いと知るだろう。それでも名を付けるとすれば……獣王となるはずだ」

 些か詩的に過ぎるサンダーマンの言であったが、あれを獣王と呼ぶのは同意だ。

 フォリミナのその姿は、まさに獣の王そのものであり、あの姿を持つからこそ、獣王などと呼ばれる様になったのではとも思う。

「マイリン君は、ああなかった彼女を止める役割だったね? 彼女、あの姿になると心まで獣に染まると言うか。ああ、だから、良く良く彼女と同行している」

「引っ張り回されてるって感じだねぇ。いや、止めるって言うのも、時間を稼ぐだけで、彼女、疲れれば元の姿に戻るから……ずっとそれ狙いだ。下手に手を出す輩相手なら、どんなのだって負けないよ」

 超人の中でも有数だろう。本当に、勝つ気でマイリンが挑んだところで、倒せるかどうか。

「だから……慌てて助けに向かう必要を感じないと?」

「かもしれない。兎に角、フォリミナ自身は生き残るだろうし、守るべきものだって守れる。そうで無かったら、やっぱり彼女が生き残って、何もかもを壊すかのどちらかだ」

 つまりは、本当にマイリンが動く必要が無いのである。

 マイリンが、この国に対して出来る事は終わった。元々が部外者だ。出来る事も少なく、幾らかすれば、それも無くなる。

「ああ、そうか。だから……他にやり残した事が無くなってしまうんだ」

 マイリンは立ち止まる。カーナードの方は、ほんの少し先に立ち止まっていたので、少しだけ距離が出来てしまった。

「お、おおう? どうしたのだね? 二人とも。そんな……何故、腰に差した剣の柄を握るのかね?」

 サンダーマンは、突如立ち止まったマイリン達を見て、困惑している様子。

 そんな彼は置き、マイリンは立ち止まるカーナードの方を見た。

 手は常に、剣の柄に。

「このまま、どこかへ去るつもりかと思えたが、やはり、こうなる事を予感していたよ」

「……あんたに釣られたって形に見えるのが、何だか悔しいけどね」

 カーナードが、事を起こす前に言っていた事。

 マイリンが、剣以外の何かに気をやっているという事。

 恐らく、それは事実なのだろう。他にやる事がある限りにおいて、マイリンはその剣で全力を出そうとしない。

 もっと正確に言えば、自らの剣の事だけを考えて行動しようとしないのだと見透かされていた。

 そうして、本当に、他にやる事が無いのなら、そこで剣を優先して考えるだろう事も。

「何なんだ、いきなり。君らは何を―――

「博士。そっちもやる事が無いなら、見届け人にでもなってくれないかな。もう、博士を巻き込むつもりは無いから」

 本当に、他人に巻き込まれたり、巻き込んだりと言った段階は終わったのだ。

 だから今がある。この、マイリンにとってすべてが終わって、残りは、このカーナードと剣をぶつけ合うという行為だけがそこにある。

「我々はそういう人種だ。お前と私。二人だけかもしれないが、行き着くところまで行き着けば、そんなものだ。目の前に、自分と同等か、それ以上の剣の腕の人間がいれば、互いにぶつけ合わずにはいられない」

「あんたが、僕の用に付き合ったのは、この状況になるためだったか。ほんと、どういう趣味だ? 相手に全力を出させて戦うために、相手を助けるなんてのは」

「お前とて、私と同じ立場ならそうしたろうさ。分かっているだろう? お前なら理解できるはずだ」

 ああ、本当に否定したい言葉で、本気で否定できないその言葉。

 目の前のカーナードは、かつてそんな言葉を吐ける人間では無かった。

 もっと、権力とか、金銭とか、名誉とか、そういうものに拘泥するタイプの人間であったはずなのだ。

 かつて剣聖と呼ばれたこの男に、何が起こったのかをマイリンは知らない。知る必要は無い。

 理解するのは、目の前のカーナードが、自らと同じ人間になったと言う事。

「剣に生き。剣だけを支えに。剣を振るう」

 手に触れる柄を軽く握る。軽くで良い。強く握り過ぎれば、剣は途端に不機嫌になって動きが悪くなる。

 すべては丁度良く、心地よい感覚のままに。

「剣だけがすべてだ。剣技こそが自らの証だ。過去は知らない。未来も知らない。今はこの剣のために」

 カーナードの方も、剣の柄を握っていた。あちらも自然体だ。気負いが無い。ただ、自らのすべてを剣に捧げている。

「理解、理解できないぞ君達!? さっきまで共闘していたのだろう!? 戦う程の恨みつらみだって、無いのだろう!? ならば何故!?」

 サンダーマンには理解できないだろう。理解できる人間は、きっと目の前のカーナード以外にはいないのだろう。

 剣の鬼などと呼ばれて、ここまで来たマイリンにはずっと理解者がいなかった。

 だから今は……ただひたすらに剣を振るえる事に感謝し、一気に剣を鞘か引き抜いた。

「っ……!」

 剣と剣がぶつかり合う。カーナードとマイリン。二人の剣の軌跡は、まるで鏡合わせのそれだった。

 理想的な抜剣。理想的な振り。理想的な力具合で、互いの剣の威力を削ぎ合った。

 だが、そこからは違う。マイリンとカーナード。二人の体格が違う以上、それ以降の、理想の剣には違いが生まれる。

 縦に横に左斜めに。時には真正面に剣を振るい、横に縦に右斜めに。時には退く形で剣を受ける。

 攻守は一瞬一瞬で入れ替わり、剣の音は鳴り止む事を知らない。動きは流れる様に、この瞬間だけは疲れを忘れた様に身体が動く。

 剣だ。すべてにおいて剣が優先されていく。マイリンは剣だけしか無かった。これまでも、これからも剣だけしかない。それをこの国で知った。

「少しだけ、淀んだか?」

「感傷は何時だってあるさ」

 お互い、言葉を合図に距離を置く。次の戦いの前の、少しばかりの休憩。

「余計な事を考える。そういう立場では無いだろう? お前は」

「そうだろう。それを思い知ったよ。僕は最近、この剣には他に、何か意味があるんじゃあないかと思っていた」

 最近に見た、過去の夢のせいかもしれない。

 マイリンの剣の才は、もっと上手く扱えれば、人並みの幸せを得られたかもしれないと思う様になった。

 大切な家族を守ったりしたりも出来るのでは無いかと。だが、そうでも無かった。

「所詮、剣で出来る事なんてたかが知れている。他人様の家族は、その家族同士でしか助け合えない。とっくの昔に、僕は自分の家族を失っていた。なら、剣で何か出来るなんて思うのは傲慢だ」

「お前の家族を奪ったのは、この俺だ」

「それも単なる事実でしかない。怒りを誘うつもりでも無いんだろう? ただ、そういう過去があんたと僕の間にはある。それだけ。それだって、何時かは消える」

 残るのは、互いに持っていた剣のみ。

 息を整える時間なんてもう終わった。抜き放ったままの剣をまた振るってぶつけ合う。だが、先ほどまでの重さは感じなかった。

 互いに、これはまだ準備運動の最中だと認めている。

「そうだ。そうだよ。その境地だ。私も、お前の後を追う様にそうなった。最初、騎士王国を出たのは、お前へと執着だったよ。お前はひたすらに逃げて、それでいて、何時も俺を上回った」

 逃げる側が上回る事も無いだろうに。だが、カーナードが仕向けて来た追っ手を切り捨て、カーナードもまた撃退した憶えがある。

 今、マイリンが生きているのはそうした行為があったからだ。

「プライドが……あなたを突き動かしたか?」

 剣をぶつけ合い、時には退き、またぶつかる。それでもまだ、全力では無いから、マイリン達は会話を交わして行く。

「最初はそうだ。下らないプライドで、今までの地位を捨てて、ひたすらにお前を追った! だが……このザマだ」

 国を出て暫く、マイリンは彼に会っていなかった。

 なるほど。無様ではあるのだろう。すべてを捨てた上で、狙ったマイリンにはついぞ会えなかったのだから。

 だが、カーナードにはさらにその先があったとマイリンには分かる。

「何もかもを捨てて、僕にすら出会えず……それでもあんたは止まらなかった。そうだな?」

「研ぎ澄ますしか無かった。お前とてそうだろう? 何も叶わず、何も得られず、自らを支えるものすら無い。そんな中では、自らの内にあるものを捨てて、それでも残ったものを研ぎ澄ますしか無い」

「あんたにとって、それは何だ?」

 マイリンはそれが聞きたい。カーナードのそれは、表面こそ違うが、マイリンの根っこにあるものと同じだったからだ。

 マイリンもまたそうだった。剣しか無かった。剣しかマイリンには無く、それ以外のものを捨てて来た。

「渇望だ。ひたすらに求めても、それでも届かないところに届きたい。それだけを持って剣を振るっている」

 そうだ。残るのはそんな物しかない。

 家族を失い、国を失い、あらゆる場所を放浪した中で、マイリンもまたその感情に行き着いた。

「僕もそうだ。僕も、認めて欲しい家族を失ってもまだ、剣に何かを求めていた。馬鹿だ。大馬鹿者だ。何でそんな物に縋ったのか。今でも分からない」

 だから剣を振るい続けている。この瞬間も、例え決着が付いたとして、何も残らない様な剣のぶつけ合いに、全身全霊をかけている。

「俺達はそうだ。そういう人種だ。剣にしか価値を置けず、同類が居れば、ただ全力で剣をぶつけ合う事しか無くなる。そんなどうしようも無い人間だ。未来も、過去すらも捨て去ったそんな輩だ」

 だから……今、この瞬間だけは全力で剣を振ろう。

 それしか無いのだから、ただ剣が擦れ合う音だけを楽しもう。

 もうこれ以上、話をする必要すら無い。ただ身体と剣が求めるままに、他に何も考えぬ様に、全力を尽くせる機会を歓迎しよう。

「……」

 まるで、剣の音だけで世界が構成された様な、そんな感覚。

 極限の集中の中で、マイリンとカーナードは周囲の環境すらも無視して、自らの剣の理想を振るい続ける。

 理想などと言うのも生易しい。それはマイリン達にとっての業だった。もう、剣以外に縋るものが無いと言う業。

 縋り続けた剣の価値を、どこかで示したいという業。

 目の前に、丁度良い相手が居ると言うだけで、戦う理由になる業。

 そんな業をぶつけ続ける。

 思うに、顔も背も、恐らく性格だって大きく違うマイリンとカーナードが、唯一相似であったものがそれなのだ。

 事、剣を振るい続ける限りにおいて、互角だ。その剣に己の業を込める限りにおいて、二人は力尽きるまで剣を重ね続ける。

(別に……それはそれで良いのかもしれない)

 だが、マイリンにはブレが生じてしまった。ただ剣を振るうだけの状態から、そんな事を考えてしまったから。

 マイリンは動きが一つ遅れる。それはカーナードの剣に合わせられず、剣がマイリンの胸元に届く事を意味していた。

「ぐっ……あぁっ」

 痛み……は、無視できた。今は頭が痛みすら遮っている。だが、衝撃までは無視できない。斬り付けられた胸元から流れ始めた血は、マイリン自身の体力も意味しているから、やはりそれも無視できない。

 剣を持つ手が緩み、一歩下がるだけでも息が乱れた。

「何故……そこで止まった?」

 カーナードは追撃を仕掛けて来なかった。

 それが出来ない訳も無いだろう。ただ、彼とて理由を知りたいのだと思う。この後に及んで、マイリンが手を止めた理由を。

「あんたと僕は、根っこの部分ではそっくりだった。けど、違うところもあった。そういう事さ」

「お前には、まだ人としての情緒が残っていると言う事か? お前は、剣聖でも無ければ剣鬼でも無いと言うつもりか」

 カーナードの言葉にマイリンは笑った。どうしようも無く笑いたくなった。

 まったく見当外れだったからだ。

「違う。違うさカーナード。あんたなら分かると思ったんだけどな。僕には、剣に上回る情緒なんてものが残っていない事くらい」

「だからこそ、俺も剣を止めた。なればこそ、今、この瞬間の違いはなんだと聞く。何故、俺はまだ、お前との剣の打ち合いを望んでいると言うのに、何故、お前は止まる」

「捨てたからさ」

 マイリンは胸元から流れ出る血を無視して、もう一度剣を握り込んだ。

 力の入らない無力な手だ。握り込めるのはその一度だけ。振り抜くのだって一度切り。一度切りの剣の振りだけがマイリンに残されている。

「お前は……何を捨てたと?」

「剣への執着。剣への業。剣を通した世界への渇望。ある人は僕に、足りないものがあると言った。僕はその言葉を聞いて、何が足りないのかと探して回った」

 それだけしか、目的が無かったからそうしたのだと思う。

 探して探して、世界のあちこちを見て回り、そうして、何も手に入らなかった。自分には足りないものなんて無かったのだ。

「お前は、何を知った?」

「お前が言った事だぞ、カーナード。無駄を削ぎ、剣のみに生きるからこそ今の境地がある。なら、その先はどうだ。僕やあんたは後戻りできない境地にあるのだとしたら、その先には何がある」

「そんな物があるはずも無い。あるのは、いや、そこは無だ」

「そう。無だ。空だ」

「何?」

 分からないのかカーナード。限りなくこちらに近い位置にいるお前が、それでもまだ気が付けないのか。

 ならば、やはりマイリンの方が一歩早かったのだろう。

「剣すらも……剣を振る、いや、相手を斬ると言う行為において不用だった。身も蓋も無いだろう? 足りないものを見つけようとして、足りているものすらも切り捨てると言う結論に至ったんだ。僕はさ」

 構えを取る。その境地を見せつけるために。

 カーナードとの斬り合いが止まったのも、この境地故。

 過去の自分を俯瞰している様な気分になったのだ。かつての自分をカーナードに見た。だから……それと命を共にしても構わないかと思ってしまった。

「こんな……こんな空虚な心持ちの向こうに、お前は何を見たと言うのだ。見せてみろ、マイリン・スザイル。お前の……至った場所を」

 ああ、こう言われてしまったから。

 カーナードの剣はマイリンの命に届かなかったから。

 マイリンはもう一度、剣を振らなければならない。

 それが結果だ。やはり情緒なんて残りやしない。

「良いさ、カーナード。今から僕は、一度だけ剣を振るう。どうせ、その一度だけしか、今の僕には出来ない。他をする力なんて残ってはいない」

「なら、その剣を俺の剣で受けてやる。それだけだ」

 ああ、それだけだ。カーナードにあるのはそれだけ。だが、マイリンはそれすらも捨て去った。

 剣を構える。そこで終わる。

 すべてを捨てよう。かつての過去も、これからの未来も、そうして、手に握る剣への思いすらも、今は捨てる。

 心が凪いで行く。いや、それは先ほどまで、ただ剣を振るっていた時の思いだ。

 凪ぐ何かすらも捨てる。剣を振って相手を斬る。その行為から、剣すら捨てる。あとは斬るだけ……相手を斬るだけ。

 それだけなら、心すらも必要無い。何か……おかしな事かもしれないが、マイリンはそこに行き着いた。

 何もかもを捨てて、大事だと思っていた何かすら捨てて、それでも……結果だけは残る。

(無……空……それが―――

 それが、マイリンの至った場所。

 それをする時、マイリンには記憶すら残らない。他人に見せた事もあったが、おかしな事に、その他人すら、何が起こったか分からないと言う。

 ただ、それでも結果だけはしっかりと残る。

「がっ……ふっ……」

 何時の間にか、マイリンはカーナードの背中側に立っていた。

 まるで切り捨てたかの様に、背後ではカーナードが倒れている。致命的なまでに届いた斬撃は、カーナードを倒し、地面に血の赤を広げさせていた。

「お前の……お前は……何を……?」

 断末魔。カーナードはそれを残そうとしていた。倒れ、口元から血を零しながら、目だけはマイリンの方を向いている。

 マイリンはそんな彼へと近づき、力無く笑った。

「分からないさ。けど、お前を斬ろうと思って……思った後は、その考えだって邪魔だろう? だから……それを消して……ああ、ごめん。言葉が、どうしようも無くまとまらない」

「そう……か」

 マイリンの答えに、満足したわけでも無いのだろう。

 だが、それを聞くだけで、カーナードは終わらせるつもりだったのだ。

 彼は、もうマイリンを見つめてはいない。目を閉じ、ただ身体を脱力させていた。

 それは死を受け入れるつもりだからか、それとも、もうそこには、命の燈火が残っていないのか。

 マイリンには分からない。実を言えば、立っている力すら残っていないのだから。

「しまった……僕も、そう言えば……お前に斬られていたか」

 マイリンはそうして倒れる。一度剣を振るだけ。その体力しか残っていなくて、それを使い果たしたのだからそうもなる。

 意識が遠のいて行く中で、自らの死もまたそこに感じる。傷が癒えるアテも無く、確かに血が流れている胸の傷。

 それはマイリンの命に、漸く手を届かせようとしていた―――

「見届けろと言うがね? 最後に存在すら忘れ去られると言うのは悲しいものだよ?」




 壊れた壁が見える。

 ひたすらに壊され、これでもかと言うくらいにグチャグチャにされて、無残にも壁としての用を果たせなくなった、ただの瓦礫がそこにある。

「元は高い壁であった事が、瓦礫の量で分かる。それが、結構な労力と費用で持って作られた事も、僕には分かる。それで後―――

「もういいわよマイリン。うんざりする事、耳に聞こえさせないでちょうだい」

 そう言われたマイリンは、本当にうんざりしてそうな顔と声をしているフォリミナを見た。

 散々にここで暴れたらしいフォリミナであるが、そんな彼女も、今ではただその大暴れを反省する一個人でしか無い。

「暴れて……身内に被害が出なくて良かったと、最後には言いたいところだった」

「なんであんたが安心すんのよ? 私の家族がそんなに心配?」

「僕が特に何も出来なかったからね。しかも、まったく関係の無いところで命の危機にも陥ってた」

 ただ、今は生きている。カーナードを切り伏せた後に倒れたマイリンを、サンダーマンが治療してくれたのである。

 あの博士、あれで医者としての技量もあったりするのだ。

 もっとも、奇妙な程に傷の癒えが良いので、何かされたのでは無いかと不安になる。

「それは……仕方ないんじゃないの? あなただって、理由があったんだし、こっちの問題は、やっぱりこっちの問題だもの」

「ん。それはそうだけど……理由がね。ちょっと……」

「あのメリミエの護衛だった奴と、何かあったって事かしら?」

「殺した」

「……そう」

「恨みとかも、その時には無かった。ただ剣を振るうために、殺した」

「そう」

 他人事……そういう風に受け止めてくれるフォリミナに対して、マイリンは感謝する。

 話を聞いてくれるだけで、助かる時もあるのだ。時に共感は、ただ相手を苛立たせる行為にしかならないのだから。

「それであなた……何か変わったのかしら?」

「何も……。それが一番、納得できない事かな。何か、こう、いけすかない相手だし、好きよりかは圧倒的に嫌いな相手だったけど……それでも、自分にとって重要な相手だった。なのに―――

「んな事言ったら、私なんてどうなるのよ。この壁。壁だけじゃないのよ? 襲って来た相手だけど、何人もぶち殺して……それだけ。なーんにも変わってない。そういうもんなのよ、きっと」

 何かが変われる身ならば、超人などと呼ばれていない。そういう事なのかもしれない。

 どれほどの事を仕出かしたとしても、変わらない一個人としてそこにいる。それを超人と言うのかも。

「けど、君の方は何か変わったんじゃない? つまり君と……君の妹さんは」

「そっちは、元の状態に戻っただけ……かしらね。あの娘が必要以上に敵視してきてたのって、私がこの国を、理由も告げられずに追放された件からだもの。それを幾らかあの娘が知った以上、しこりだって無くなる」

「……そう言えば追放の理由って、やっぱりこれの力だったんだ?」

 これ。完膚なきまで破壊された壁を見つめながら、彼女の力を実感する。

 フォリミナの力。獣王のフォリミナの力は、周囲の何もかもを破壊してしまう。それを恐れられて、国を追放されたのだろうと言う予想は付いた。

「昔、もうちょっと派手にやらかしちゃってさ。それだけでもヤバいけど、それってつまり、私達の血に、想像以上に厄介なものが潜んでるって事じゃない?」

 王家の証明として血の濃さがあるのだとしたら、その到達点にフォリミナが存在すると言う事でもある。

 化け物を生む血筋。そう思われてしまっては、王権だって揺らぐのだろう。だから彼女は追放された。

 彼女だって、それを受け入れる。誰よりもまず、彼女自身が自らの力の恐ろしさを体感していたのだから。

「君一人追放したところで、問題が解決したってわけでも無いのが厄介だね」

「だから……むしろメリミエは希望だったのよ。あの娘だって、私と同じ血が流れてるのに、力は扱えない。それって、足りないんじゃなくて、ちゃんと血を制してるって事でもあるでしょう?」

 暴れ回る猛獣より、知恵を持った人間の方が、まだ王としては価値がある。そういうことかもしれない。

 だが、そんな事情があったとしても、その姉妹は喧嘩をし、仲違いをして、その後は、また元の関係に戻った。

「なんていうか、立場ってのが厄介って話なんだろうね。そうで無ければ、どこにでもある話だった。君と、君の妹さんについては」

「ん……だからずっと、話す機会が欲しかった。それだけで済むと思ったし、実際、紆余曲折あれ、何とかなった」

「紆余曲折ねぇ」

 また、周囲の風景を見る。本当に、瓦礫の山となっている場所で、身内に死人が出なかっただけ奇跡だなと思う。

「あなたが居たら、こうなる前に止められたんじゃないの?」

「何時だって僕が隣に居られるわけでも無いだろう?」

「だから、こうやっていちいち付き合って貰ってんのよ」

 今回は残念ながら、その役目を果たせなかった。なら、マイリンが存在する意味なんて、特に無いのかもしれない。

「今度からは、しっかり止めなさいよね」

「今度からは、あの奥の手を使わないで貰えると嬉しいんだけど」

 存在する意味なんて無くても、そんなものは後から生えてくるらしい。暫くは、このフォリミナとの旅なんてものを続ける事になりそうだ。

「じゃあ、そろそろ行きましょうか」

「妹さんとは、別れの挨拶をしなくても良いのかい?」

「怪我してるところを無茶させたから、寝込んでる。起きる前には、ちゃっちゃと去るのが良いんじゃないかしら?」

「それすると、また妹さん、怒るんじゃない?」

「かもね。けど、ならまた会って謝れば良いのよ」

 行動に縛りなんて無いのが超人として存在するメリットだった。重いものなんて持ち歩けないから、無責任に国を去る迷惑者でもあるが。

「君もまあ、大分、性根が捻じれてるのに頑丈だよね」

「何よ、悪い?」

「いいや。これからは見習いたいなと思ってるところだ」

 思い、そうして空を見上げる。曇り空であるが、雨は降って来そうにない。

(こんな空でも、生きてるから見れるんであって、そこで死んで構わないとなると、そこで本当に終わるんだろう。カーナード。これも、僕があんたより先を歩いてる事の証明かな?)

 何時の間にか、自分とそっくりな業を持って現れた、かつての敵。

 だが、その距離は、これからどんどん離れて行く事になる。マイリンが生きて、カーナードが死んだままである限りは。

「そうだね。そろそろ、この国を出ようか」

 挨拶なんてものも必要無い。仕事の報酬は剣一本で十分だ。笑い、無責任にまたどこかへと向かえば良い。

 だいたい、この国に来てから、二人して碌な事をしていないのだから。




 まどろみの中に居たメリミエは、その時、ふと目を覚ます事になった。

 襲撃者に傷つけられた腕には包帯が巻かれて、少し動かせばすぐに痛み、やはり目を覚ます理由になる。

「つっ……」

「病み上がりだろう? そう無理するものじゃあない」

「えっ……あっ……お父……様?」

 目を覚まし、ベッドから起き上がると、ベッドの隣には父が居た。

 ずっと付きっ切りの看病を出来る立場では無いから、ほんの偶然だろう。だが、それでも目を覚ました先に家族がいるというのは、少し嬉しい。

「お父様……お姉様は?」

「だから無理をするな。聞きたい事があるなら、横になりながらにしなさい。それとフォリミナだが……真っ先に聞いたと言う事は、お前も、分かっているんじゃあないか?」

 父の答えを聞き、メリミエは言う通りベッドに入り直した。何かを急ぐ必要が無くなってしまったから。

「そう……お姉様は……また」

「ああ。また、あいつはこの国を去った。前の時は……その力を危険視されての事だったが、それでも、本人が本気で嫌がれば、それでも国に留まる事は出来ただろうな」

 だが、前も今回もそれをしなかった。だから姉はもう、この国にはいないのだろう。

「本当に、勝手な人。そうやって、好き勝手に、馬鹿みたいに生き続ければ良いんですわ」

「そう嫌ってやるな。騒動ばかり起こしたが、それでも、お前との仲を修復するために戻って来たんだ。それに、騒動にしたって、大概が王族にとっては有利だ。潜在的に敵意を持って居た貴族は潰してくれたし、そうであればお前も―――

「いいえ、嫌いますわ。嫌いますもの」

 どんな理由があろうと、嫌う事にした。姉がどうして、この国を去ったのか。その理由を知った。

 姉の選択を知り、納得もした。けど、だからこそ、メリミエはフォリミナを嫌う事にしたのだ。

「だって……そうすれば、また、会いに来るかもしれませんもの。あの人、まだ、わたくし達の事を家族だと思っているみたいですから」

「ははっ。確かに、そうかもしれないな」

 それをメリミエが理解出来ただけ、姉がこの国帰って来た意味はあったのかもしれない。

 けれど、今度帰って来た時は、何を言ってやろうか。今はそればかりを考えていた。




「おいおいおい。まーた私の事を忘れていたな? 諸君!」

 狼王国を出て行く道すがら、マイリンとフォリミナに背後から話し掛けて来る人間がいた。

「ああ、博士。まだ国を立ち去って無かったんだ」

「逃げ足とか早そうなのにね?」

「散々だな!? 君らの私への評価!」

 追ってきたらしきサンダーマンが叫ぶ。

 ただしお互い、本当に碌な事をしていないのだから、互いに評価なんて出来るはずも無い。

 だが、それでも並んで話をする状況になるのだから、お互い、どこか相手を認めているのだろう。

「まったく。特にマイリン君にその様な事を言われる筋合いは無いのだよ。立ち去るのが遅れたのは、君の後始末をしていたからだぞ?」

「後の始末? なんだっけ?」

 何か残したものなどあるだろうかと首を傾げる。

 いや、問題なんてものは幾らでも残して来たつもりはあるものの、既にマイリンにとっては過去として放り捨てられる思い出になっていた。

「君な、墓くらい作ってやればどうだ? 見届けさせておいて、死体は放り捨てたままかね?」

「ああ、カーナードの」

 良く見れば、サンダーマンの服は泥で汚れていた。恐らく、さっきまで穴でも掘っていたのだろう。

「ああ。ではない! まったく、そりゃあ私だって立派なものなんぞ作れる立場では無いがね? あれだけやり合って……何か互いに思いがあったのだろう? 切り捨ててそれで終わりとは、悲しいではないか」

 悲しさも、その他の強い思いも、一緒に叩き切った気がする。

 しかし、例えそうだとしても死体は残っている。こと切れた死体だが、サンダーマンが思った様に、何かしらの思いはそこに残っているのかも。

「やーね。そういうの駄目よ? 死体が放りっぱなしとか、不衛生」

「そう、不衛生だ! って違う! 私が言うのはだね、墓の一つくらい作って、心に決着を付けるべきだと……ええい! 何故、ほぼ無関係の私がこう、一番感情を動かさなければならないのか!」

「いや、博士。ごめん。ありがとう。あいつの墓くらいは……確かに僕は作ってやる義理があった」

 頭を掻く。狼王国には、忘れ物があったのだ。それを拾ってきてくれて、始末もしてくれたサンダーマンには、純粋に感謝する。

「あいつはさ……超人になる前の僕なんだよ。きっと」

「……まだ、後戻り出来るとかそういう?」

 フォリミナの言葉には、超人なんて存在が碌でも無いものであり、なるべきでは無いものと言う意味が含まれていた。

 それはそうだろう。人を超えた立場なんて、素晴らしいものでは絶対に無いのだから。

「いや、カーナードも、もう戻れない領域まで来ていた。あいつと僕で違ったのは、それを受け入れた上で、生きてるならそれでも前に進まなくちゃいけないって言う覚悟なのかも」

 カーナードは、マイリンと戦うまで、その先が無いと思っていただろう。その先がどん詰まりであると。

 だが、それでもその先があった。マイリンと彼の違いはそこに至ったかどうか。

 それが恐らく……超人になると言う事。

「剣聖か……それって、剣鬼なんてものに、あと一歩の場所にある立場なのかもね」

「なーに黄昏れてんのよ。つまり自分はすごーいって事言いたいんでしょう」

「いや、そういうわけじゃあ……」

「じゃあどういうわけ? さっきまでお墓を作る事まで忘れてた癖に、今さら、落ち込んでるんじゃあ無いの!」

 フォリミナの言う通り、今さっきまで、マイリンは落ち込んでいたのだろうか。

 そうであれば……カーナードの死は、マイリンにとってはショックだったのかも。

「いやしかし、昔は仇だったとかそういう関係だったのだろう? ならばまあ……もうちょっと複雑ではないかい? 良く分からないが」

「僕もそうかな。良く分かんないや。そうして、分かんないまま、僕にとってはあいつも過去になっていく。悲しいけど、そうするしか無いのが僕らだ」

 人を超えて行く。そんな超人達は、余人を置き去りにして行くと言うのが共通点なのかもしれない。

 だから歩く。誰よりも先に進む事が超人としての在り方でもあるから。

「けど、仲良くするに越した事は無いでしょ? 私達って」

「ん……険悪になるよりかは……そうかな?」

 やはり、この後に及んで、マイリンが他の二人に悪い印象を持っていないのは事実だ。

 他人を置き去りにしても、超人同士は肩を並べているのかもしれない。

「考えてる事は、てんでバラバラかもしれんがね」

「博士はまた、そうやって空気を読めない事言うよねぇ」

「私だけかね? それ!?」

 まあ、今はそんな状況を笑って置こう。

 何時かは、マイリンもカーナードの様な終わりを迎えるかもしれない。

 けれど今はまだ、超人としての、剣鬼としての生き方を続けられるから。

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