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前編

 剣を振るう。

 ひたすらに振るう。

 それだけしか自分は出来ない。

 振るうと決めれば剣はするりと鞘を抜ける。

 柄は手に馴染み、鈍く輝く刀身は、目の前の男に向けて。

「ぐげぇっ!?」

 潰された蛙の様な悲鳴を上げながら、目の前の男が倒れた。

 その姿を見下ろす光景からは何も感じない。相手が倒れた。一応は峰打ちだが、暫くは立てないだろう。骨の一本は折ったはず。そんな風に次々と思う。それだけだ。

 それだけなので、視線を上げた。まだまだ人がいる。10人以上はいるだろうか。

 これも見たままに思った事であるが、皆、武装している。

 場所は薄汚れた酒場で、逃げられる場所も、利用できる空間も限られていた。

 このままでは逃げられはしないだろう。そういう評価を下す。けれど、逃げる必要も無いとも考える。

 今、この手に、剣が握られている限り、この倍の数が来たとしても、倒し切れるという答えも出そう。

 剣を振るうだけ。

 剣をただ振るうだけで良い

 そんな気持ちで柄を握り込んだ瞬間、酒場にパチパチと拍手の音が聞こえて来た。




「ちょっと! 起きなさいって! あなたね、こんなうっるさい場所で居眠りって、大した胆力ねぇ!?」

 拍手では無い、女の金切り声を聞いて、マイリン・スザイルは目を覚ました。

 まだまだ重い目蓋を開き、周囲を見れば、なるほど、ここも酒場だった。薄汚れてはいないが、賑やかで、人が多く、誰もが酒を飲み交わす。

 そんな場所だからこそ、さっきまでの夢もみたのだろうかと、マイリンは目元を擦った。

「……夢。そうだ、何かこう……昔の夢を見ていたよ。君と会うちょっと前くらいかな? 懐かしい夢だ。良い夢か悪夢かで言えば……どっちだろう」

「どーでも良いわよ! ったく。起きても眠ったいこと言うんじゃあないの!」

 怒りと言うよりは、母親が駄目な子どもを叱る様な口調で話す女。

 金色の髪を長く伸ばし、勝気そうな顔で睨んで来るその女性。

 丁度、少女から一人前の女性に変わったばかりくらいの年代のその女を見て、マイリンはへらりと笑った。

「フォリミナ。僕がこんなのだって言うのを、君は良く知ってるだろう? 別に短い付き合いでも無し」

 フォリミナ・ライムネンク。それが目の前の女性の名前。

 金の髪は輝かんばかりで、見る者は見れば、整った顔立ちと佇まいから、何がしかの高貴さを見出す事だろう。

 マイリンの方も、一応は金色の髪を持って居るが、よれた服に皺の付いたズボン。そうして、彼女が言う様な、眠たそうな目を見れば、誰しもが駄目な男のレッテルを張る事になる。

 マイリンはそういう男だった。

「あんたがそんな男だってのは、よーっく知ってる! だいたい、何時も部屋に籠ってるか、その腰に差した剣で素振りしてるかのどっちかなんだから、こうやって連れ出してあげた事を有難く思いなさいって、そういう事よ?」

 フォリミナの目線が、マイリンの腰へと向かう。正確には、腰にぶら下げている一本の剣へ。

 最近は碌に研いでもいないナマクラだ。そのナマクラさ加減は、まるでマイリンそのものみたいな剣である。

 一方、ナマクラなマイリンであろうとも、つい最近の事は憶えている。

「有難くかぁ……あんたみたいなのでも、猫の手くらいには使えるでしょうって言われて、引っ張られ続けた記憶しか僕には無いんだけど」

「そんなはずは無いわ。だってあなた、猫の手より役に立たないじゃないの」

 ショックな事を言う。これでも心の方は繊細なのだ。そりゃあ、猫の方が素早いし、猫の方がまだ愛玩動物として役に立つかもしれないが、こうやって喋るくらいは出来るのだ。

「あと、寝てたら話す事も出来ないんだし、本当に役立たずになっちゃうわよ、あなた」

「分かった、出来る限り起きてる事にする。で、何だ……その……根本的な事を聞いても良い?」

 頭を覚醒させながら、とりあえず周囲をみやる。状況確認と言うやつだ。そして気になる事があった。

「何かしら?」

「なんでさ、こう、強面の人間に、怖い顔されながら囲まれてるの、君」

 周囲の風景を見た時、酒場より先に、とある大きなものが目に留まる。それが何かと問われれば、立ち並ぶ男達であった。

 マイリンからは距離が近い。恐らく、フォリミナの方はもっと近い。

「ああ、気付いた? だから起こしたのよ。私一人だけだど、一人で五人を相手にしなきゃじゃない?」

「……ああ、そうだね。その五人に囲まれてるもんね、君と僕……さぁ!」

 何時までも寝惚けてはいられなかった。こちらが悠長に話をしているのに我慢できなくなったらしき男の一人が、棍棒を横殴りに振るって来たのだ。

 場所は丁度、マイリン達が座っているカウンター近くの椅子の上。

 そのままマイリン達が座ったままであれば、二人して、その棍棒に殴り飛ばされていた事だろう。

 そうなると痛そうだから、マイリンは椅子を滑って、床に尻餅を突いた。

「いった!」

「もうちょっとスマートに避けな……さい!」

 そういうフォリミナは言う通りスマートである。椅子に座った状態から、カウンター側に手を置き、そこから身体の方を持ち上げたのだ。

 椅子に座る姿勢から、棍棒を避けると共に、自身の足を自由にした。

 自由になったその長い足は、次の瞬間には、棍棒を振るって来た男の顎へと、一直線に向かう。

 それはバリスタから射出された矢の様な勢いで男を吹き飛ばし、まずは男を一人片付ける。

「残り四人。君一人だけで十分に思うけど?」

「その間に、あなたが踏み潰されそう……よっ!」

 吹き飛ばした男が立っていた場所に着地するフォリミナは、さらに次の男を相手取り始めるが、マイリンはそれをじっくり見ている事が出来なかった。

 フォリミナが言う通り、尻餅を突いたままのマイリンに対して、別の男が足で踏みつけようとしてきたからだ。

 当たり前であるが、踏まれると痛い。痛いのは嫌なので、床をごろごろと転がり、相手の足を避けて行くマイリン。

 スマートさはまったく無いその動きを、フォリミナが呆れた様な目で見て来た気もするが、気にしたら傷つくので無視する。

「てっめぇ! 逃げるなよ!」

 チンピラめいた男にそう言われて、逃げない輩も少ないだろう。

 怖いし、痛いのは嫌だし、逃げるが勝ちだ。

 もっとも、スマートさに欠け続けているマイリンは、逃げようとしたって簡単に追い詰められてしまう。

 転がった状態からみっともなく立ち上がり、他の客の脇をよろよろと通り抜け、そこに来て、そう言えば出口とは反対側に進んでしまったなと、酒場の壁を見て気が付く。

「ごめん、逃げないから許して」

 振り返ると、こちらを追って来ていた二人の男。怒り顔でこちらを睨み付けて来るその姿を見れば、マイリンを逃がすつもりは無さそうだ。

「うるせぇ、連れの女が何仕出かしたか分かってんのか!」

 碌な事ではあるまい。それは分かるから、こうやって逃げている。

 せめてマイリンだけでも争い事を避けようとしていた。

 だって、こちらが悪い可能性があるのに、目の前のチンピラ達を叩き潰したら、まるでマイリンの方が悪い人間みたいじゃあないか。

「やる前に一言……も、許してくれないかっ」

 男の一人が、腕を振り被って、マイリンへと迫る。だから仕方ない。

 これを避ける事が、ノロマなマイリンには出来ないからだ。

 このまま、拳はマイリンの顔に叩き付けられ、マイリンの鼻をまず潰す。

 その後、よろよろと倒れたマイリンの胴体目掛けて、男達が蹴りを放ち続ける。

 そういう予想だ。そういう予想が出来たから、マイリンはノロマではいられなくなった。

 ただ一本、腰に下げた剣を鞘から抜いたのである。

「細い身体で剣を持ったってな―――

 拳を振り上げる男の言葉は、そこで止まる。

 瞬時にマイリンが男の懐近くまで移動し、その移動距離分の力を、剣で胴体に叩き付けたからだ。

「あっ……かっ……はっ―――

 痛みはそこまででは無いだろう。ただ衝撃と、息が出来ない程のやはり衝撃。

 それだけで、人の身体は機能を停止して倒れてしまう。命を奪うに至らぬ程度に手加減はしたが、気絶した後は暫く起きられないくらいには力を込めておく。

 そうして、次に残り一人を見た。

「な、なんだ!? お前、いきなり……なんで!?」

 怒りから怯え。そんな感情の移り変わりを、個性的な表情で示して来るチンピラ。

 そのまま無抵抗であれば良かったのだが、手にはブラックジャックみたいな武器を持ったままだ。

 ここから反撃してくるだろうか? 考えるのも面倒だったので、さっさと終わらせる事にした。

「君らの隙の多さに、感謝するんだね」

 命までもを奪う前に、手加減をしつつ倒せる。そういう相手には、手加減をしてやるのがマイリンの常だった。

 相手への優しさと言うより、無用に他人の命なんて背負い込んでいられないという怠惰。

 その怠惰で持って、剣で相手の顎を叩き、そのまま身体を崩れさせる。

 その仕草はごく自然。流水の様にしなやかに。相手は、何が起こったのか分からないまま、床に倒れた事だろう

 三半規管が乱れ、暫くは立つこともできないはずだ。

 出来上がったのは二人の男が倒れている光景。それでマイリンの受け持ちは終了であった。

「……で、何があったの? これ?」

 剣を鞘に納め、背筋を曲げ、のそのそとカウンターの方を見る。

 そこにいるフォリミナの方も、残り二人の男を叩き伏せており、こちらを見つめて笑っていた。




「だってしょうがないじゃない? あんた良い女だな? そこのみすぼらしい男なんて捨てて、俺達と一緒にどうだ? なんて言われたのよ?」

 酒場での喧嘩沙汰から、ほぼ追い出される様な形で店を出たマイリン達。

 酒場の外は夜もすっかり深まり、並ぶ建物からの微かな明かりだけが道を照らしていた。きっとそんな薄い暗闇のせいだろう。足元がおぼつかず、マイリンは常に転びそうだった。

「えっと、もしかして、僕が馬鹿にされたのを怒ってくれた形?」

 並び歩くフォリミナに尋ねてみるものの、彼女は首を横に振る。

「いえ、みすぼらしい男が連れてるって言う事実を突かれて、困惑して、つい、手がでちゃったの」

「……それを聞いて、僕はどんな顔をすれば良いんだい?」

「どうせ、何時も情けない顔してんだから、そうしてなさい」

 言われた通りの情けない顔を浮かべつつ、空を見る。街が暗ければ暗い程、空の星は明かるく輝く。そんな気がしてくる。

「はぁ……この国も、綺麗なのは星くらいだ」

「何よ。私の出身国よ? 悪く言わないでちょうだい」

「その国、君は一度追放されたって聞いてる」

 この夜空の下にある世界の中で、マイリン達が歩くこの国は、狼王国と呼ばれている。

 王家の血筋に狼の血が混じっているなどと言う話があるらしく、だからこその狼王国。

 別に狼があちらこちらでうろうろしている訳でも無ければ、国全体が荒野であったりもしない、普通の、人間が治め、暮らしている国の一つ。

「今さら舞い戻って、何をするつもりだって思ってる?」

「そりゃあ、部屋から無理矢理連れ出されて、こんな遠国くんだりまでやってきたわけだから、理由は教えて欲しいところだね」

 とぼとぼと街中を歩きながらの会話も、続けたいところだ。

 夜はますます深まって、実を言うと、二人して宿のアテが無い。朝まで時間を潰すか、そこらで野宿がこの後の予定であった。

「……家族に会いに来たのよ」

「……」

 夜空を何度も仰ぎ見る。ついでに顔に手を置いて、どうしたものかと考えるも、何も浮かんで来ないので、ただそのまま歩き続ける。

「何? 何で沈黙なの?」

「いや、だって、僕らみたいなのから、家族なんてそういう言葉が出て来るなんて、さっきまで想像してなかった」

「……反論できないわねぇ」

 二人して、暗い気持ちになる。

 マイリンもフォリミナも、二人共、良い身分の人間とは言えないのだ。

 後ろ暗いところが幾らでもあり、どんなところに居たところで、居場所が無いと感じてしまう。そんな人間だった。

 それでも、多少なりとも仲間意識を感じているから、二人で歩いている。それにしたって、気が向けばそれぞれバラバラに行動し始める程度の仲でしかないが。

「で、家族って言うのは、どういう家族? かつて世界を征服しようと誓いを立てた、凶暴な獣たちとかそういう?」

「に、ん、げ、ん、で、しかも、血の繋がった実の家族よ」

「何だ、やっぱり会うのは獣の類か」

「あんたねぇ! 日頃っからやる気無い風な癖に、言う事は嫌味ったらしいわよ!」

 自らの根性がねじ曲がっている事は承知しているので、怒鳴られたって心に響かない。響くのは、目の前の凶暴な獣の類に、人間の家族がいると言う驚愕の事実だった。

「で、その人間の、血の繋がった家族って言うのは、君が会っても大丈夫な人間なのかい?」

「問題はそれよ。うん、今さらながら、ちょっと後悔してる。だってそうじゃあない? 国を追い払われて、どこで何してるのかと思ったら、そいつが超人結社の一員になってるなんて……こっちの顔より、あっちがどういう顔をするのかが心配になってきてるの」

 彼女が女性としての矜持を捨てていれば、ここで大きな溜め息を吐いていた事だろう。

 それくらいに、彼女の抱えている問題は特大だった。

 つまり、マイリン達が超人結社と言う組織の一員だと言う問題は。




 超人結社。それが何時、どこで出来たかについてを知る者は少ない。

 分かっているのは、その呼称をまず使い始めたのは、当人達では無く、その周囲であると言う事。

 彼らの在り方は、言ってみれば野盗に近い。この世界に存在するあらゆる国家からも距離を置くアウトロー。いや、アウトサイダー。

 最初は、ある一人の人間から始まったそれは、少しずつ数を増やしていく。もっとも、その構成員は最大時ですら20に満たない。そんな集団。

 どの国家からも庇護を受けずに、また少人数。

 そんな集団が超人結社などと呼ばれて、しかも、どこかの誰かに目障りだと消されないのは、その結社の、最大にして唯一の特徴のせいであった。

「ば、化け物か!?」

 結局、街から少し離れた場所でテントを張る事になったマイリンとフォリミナ。

 そうして少し休んだところで、また複数人の男達に囲まれる事になった。

「今度は酒場で絡んで来るチンピラじゃあない。多分、賞金稼ぎか何かなんだろう……けど、やっぱり狙われたのは僕じゃあないと思うんだよね」

 テントの近く。適当な岩場に座りながら、倒れている三人の男と、怯えた様子の一人の男にマイリンは目を向ける。

 その次には、そんな男達の中心に立っている、フォリミナの方を見た。

「分かってるわよ。だから私一人で相手をしてやったんじゃあない。で、残りのあと一人なんだけど、どうしたのよ。あんた逃げないの?」

「だ、黙れ! お前達の様な輩が……俺達の国をうろついている事を……看過出来ると思っているのか!?」

「あらあら、言うじゃあない。看過できなかったから、こんな状況になってるって言うのに」

 確かに、こんなとしか言えない状況だ。女一人に、男四人がまったく敵わなかった。

 相手からしてみれば、いったいどういう事かと叫びたくもなるだろう。

(化け物ね……)

 そう叫ばれる事も良くあると、マイリンは思う。

 超人結社。自分達がそう呼ばれる集団の一員と世間から見られている事は知っている。

 野盗と言う意味に付け加えて、構成員すべてが、化け物染みた力を持って居るという意味を持って語られている事を、良く良く自覚していた。

 だから超人。超人達の集団だから超人結社。

 ちなみに、フォリミナはその強さが超人染みているからこその化け物だ。一応……マイリンもその区分けに入っているそうな。

「ん? 君、ただの賞金稼ぎじゃあないね。言い方もそうだけど、立ち振る舞いが、きちんと訓練した人間だ……もしかして、国の兵士か?」

「黙れと……言ったぁああああうおぐっ!?」

 槍を両手に持ち、フォリミナへと突貫するその男は、やはり訓練されたそれ。

 しっかりと腰の入ったその突きは、玄人と言えども、避けるのは難しいだろう。

 だからかは知らないが、フォリミナは突き出された槍を避けるのでは無く掴んでいた。

 そうして、ただそれだけの動作で槍が止まる。

 一人前の、さらには戦うための経験を積んでいるはずの男の槍を、片手で止める。それがフォリミナの怪力だった。

 文字通り、超人らしい力の一つと言える。

「別にさぁ、悪い事しに来たわけじゃあないの。だから……見逃さない? こっちだって見逃してあげるしさ」

「黙れ、黙れフォリミナ・ライムネンク! 貴様の存在そのものが、この国を脅かしている事を知るが良い」

「ふーん。君、何度も聞くけどなにしたの?」

 怯えながらも闘争心を消さない兵士を見て、マイリンはフォリミナの事情に興味が湧いて来る。

「色々ねぇ、事情があるんだってば。ああ、もう良いわ、あなた。他の奴みたいに倒れてなさい」

「なっ!? うっ……ぐぅっ……」

 槍を掴まれ、さらに奪われ、柄の方で腹を殴られた兵士は、そのまま倒れ伏した。

 内臓あたりにダメージが入っていない事を祈るばかりだ。それくらいしかマイリンには出来ない。

「相変わらず荒っぽいね。手加減も出来て無さそうだ」

 殴られた兵士……だけで無く、殴った武器である槍の方もマイリンは見た。

 特に見るのは、へし折られた柄の方。フォリミナの怪力は、生半可な武器では耐えられず、こうなってしまうのだ。だから何時も、フォリミナは素手で戦う。

「これでもね、精一杯加減してるの。してこれ。まったく、嫌になっちゃう身体よねぇ」

「この国で、君が恐れられているのも、その力で何かしたって事かな」

「近いけど、ちょっと違う。っていうか、急に興味持って、どうしたのよ、あんた」

「何度も言うけど、僕は事情も聞かされずに、無理矢理連れて来られた身である事を、君は理解するべきだ」

「だからさ……ただ、家族に会いに来たのよ。それだけの事なの」

 なら、マイリンを連れて来る必要は無いはずだ。彼女一人でこの国へとやってくれば、彼女一人が暴れるだけで済むのだから。

「ま、事情が言い難いってのなら、別にそこまで詳しく聞かないよ。ただ、状況がこの程度で落ち着いている限りはだけど」

 マイリンにとってはこの程度だ。恐らくは国の兵士が数人倒れているこの状況。こういう程度であれば、まだ納得できてしまう。

 マイリンも大概、超人としての精神性を持っていた。

 このマイリンの言葉に、フォリミナがどう返してくるかと言えば、表情はやや申し訳なさそうなそれで、多少はこちらの事を考えてくれている様だった。

「分かってるってば。まあ、これ以上、事を荒立てるつもりは無いの。本当よ?」




 信用なんて出来るものか。少なくとも、これからはそういう態度を取らせて貰う。

「なーんで襲ってくる人間が増えてるんだよ! っていうか、村ごと砦化されてないか!?」

 狼王国へとやってきてから数日。フォリミナがどうにも国の中心、王都へ向かおうとしている事に気が付き始めた頃に立ち寄った村で、マイリン達は、再び国の兵士達に襲われていた。

 いや、兵隊と言った方が良いかもしれない。

「あー、これ、すっかり私がこの国に来た時の準備がされてるわね! 遂に復讐が始まったとか思われてるのかしら!」

「畜生! こうなる事も分かってたな!?」

 村の道を走り抜けていくマイリンとフォリミナ。その近くを矢が通り過ぎて行く。弓やクロスボウから打ち出されたそれは、当たれば痛いでは済まないそれ。

 時々、石の雨の様なものも降ってきているので、投石器も用意されているのだと思われる。

 そんな敵意の雨あられを、村中を駆け回って避け続けるマイリン達であったが、村に入って油断している間に出口を塞がれているため、安易に逃げる事が出来ずに居た。

「とりあえず、あの家に立て籠りましょう。結構な人数がいるみたいじゃない? この村」

「村人の大半が兵士の変装なんて思ってもみなかったけどねぇ」

 ただ、他に向かう場所も無いため、フォリミナに同行して、家の中へと入る事にする。その扉については、鍵が掛かっていたものの、フォリミナが容易く蹴破ってしまった。

「おっじゃまー!」

「挨拶に答えてくる輩がいれば、まず敵だよね、この状況」

 とりあえず、食糧なりを買い込めればと期待して入った小さな村。村人のフリをしていた人間がすべて兵士であったとして、数は50人くらいだと予想する。

 そんな、50人が敵に回っているこの状況で、都合良く、他に味方がいるなんて期待はしない。

「よーし、確かに他に人間はいないわね」

「で、付いて来ておいてなんだけど、ますます僕らに逃げ場が無くなった形にならないかな?」

 入った家は小さなものだった。土間と台所と、居間がその空間の大半。一つの家族が辛うじて暮らしていける程度の広さ。

 ここからさらにどこかへ逃げるには、そもそも出入口が無い。蹴破って入って来た扉くらいのものだろう。

「つまり……これから兵士全員をぶっ倒さなきゃいけないわけ。分かる?」

「……僕を最初からこうやって巻き込むつもりだったな!?」

 端からそのつもりだったと言わんばかりのフォリミナの笑み。漸く、マイリンが連れて来られた理由が分かった。

 戦闘が激しくなるから、そのための要員としてマイリンはここに居るのだ。

「どうする? ここまで来て、それでもやっぱり逃げちゃう?」

「この戦いが終わったら、そうさせて貰うよ。ただ……逃げるに逃げられない状況にさせられた恨みも晴らさせて貰う」

「あーら怖い怖い。そうなったら、今度は私が逃げちゃおうかしら」

 忌々しい女め。そう思いながら、マイリンは腰に下げた剣を抜く。恐らく、この家の周囲には、村中の兵士達が集まって来ている事だろう。

 少なくとも、それら全員を相手にしつつ、村を抜け出すくらいには戦わなければならない。

 であれば、今のマイリンは戦場にいると考えて良い。戦場においては、剣は抜くものだ。

「相変わらず、剣を抜くと表情が変わるわね、あんた」

「……君は手加減が出来ないから、僕の戦力を頼った。そう考えているかもしれないけど……僕だって、緊急時は手加減なんて出来ない。それは分かっているかい?」

「それでも、私より小器用だって知ってるわ。剣を抜いてる限りはね」

 なら、それで良い。それ以上を言葉にするのは意味が無い。

 コンビネーションなんて碌に期待していない相手。ただ、命の心配をいちいちする必要が無いというのが、超人同士の利点だった。

「……ところで、部屋の温度が上がった。奴ら、そこまでするか?」

「村一つを罠にするくらいだし、家の一つ燃やすのなんて訳ないわね」

「なら、家の籠ったのは失敗だったね。挽回しよう」

「私もそうするつもりだった!」

 先に家を飛び出したのはフォリミナだった。扉の脇に潜んでいた複数人の兵士に、槍を突き出されたのもフォリミナが先。

 その槍の内、二本を片腕と片足で砕き、一本を掴んで振り回す彼女の脇を、次にマイリンが通り過ぎて行く。

 外に出れば、案の定、家が燃えていた。さっさと出ていて正解だろう。あと数分、行動が遅ければ、丸焼けになっていただろうと予想出来る。

「矢を向けられるのと、どっちが良い事かは分からないけどね」

 障害物に隠れもしないマイリンに対して、兵士達がまた矢を放って来る。

 また走り抜けて逃げようかと思えたものの、数が多い。逃げるだけでは無事では済まないその数だから、まずは数を減らさなければならないと決める。

 矢の数にしてもそうだが、矢を放つ兵士達の数を。

「この状況、隠れていられないのは、そっちも同じだ」

 マイリンは逃げるのでは無く、弓に矢を番える兵士達の方へと走り出す。

 相手の兵士達にとっては、接近は予想外だったろう。マイリンへと迫る矢の内の数本は、命中しない軌道になった。

 そうして、マイリンに突き刺さるであろう軌道を維持したままの他の数本については、マイリンが剣と、もう片方の手に持った鞘を振るう事で弾く。

「なんだと!?」

 まだ先にいる兵士達が驚愕するのが見えた。声としても聞こえた。ただそれだけだ。マイリンにとっては、そのどちらも、別にどうって事は無い。

(今はただ、お前達を切り伏せる)

 躊躇しない思考は、そのままマイリンの速度へと反映されていく。

 次の矢を番えようとする兵士達だったが、驚愕により一手遅く、狙いを定める速度もまた遅く、矢を放つ頃には、そもそも飛び道具を使う事すら手遅れの状況に至っていた。

 マイリンが、剣の間合いにまで近づいたからだ。

「一人と……二人」

 最接近した兵士の一人を殴り倒し、次に姿勢を低くして、また近くにいる二人の兵士達の足を、同時に切り払う。

 血が幾らか飛んだ。手加減なんて出来ぬ状況で、峰打ちをし続ける情緒をマイリンは持っていない。

「あっ!?」

「がぁああ!」

 剣の一振り一振りが、確実に相手の戦力を奪う。剣で切り付けるとはそういう事だ。

 足の腱を切られた兵士は、立って戦う事が出来なくなり、戦力が無くなる。肩を切り付けられた兵士は、武器を持つ事が出来なくなる。心の臓を突かれた兵士は、命を保っていられなくなる。

「戦いを挑む覚悟はあるか? 僕が剣を抜くのは、その覚悟が完了している証だ」

 血しぶき舞うとは正にこの事。彼らとて、何かの事情があるのだろう。皆が皆、国を守ると言う気概を持っている事が、表情を見れば分かる。

 ただ、マイリンにとっては、あちらから襲って来たのだから撃退する。それだけの事だった。

 それだけの事で、複数人の兵士を相手にして、それでも優位に剣を振るい続ける。

 倒れる兵士達がまた一人二人と増えてく。あるものは弓から剣に武器を持ち帰る間に、腕を断たれる。あるものは最初から構えていた槍を弾かれ、ガラ空きとなった懐に剣が突き入れられる。

 これがマイリンだ。これが超人だ。これこそマイリン・スザイルという一人の人間を、超人結社の一員として扱わせる力の根源だ。

 名付けられて剣鬼。剣鬼のマイリン。どこかの誰かからは、そんな風に呼ばれている。別に気に入ってはいない。

「……うんざりだな、まったく」

 目に映る兵士。その最後の一人に剣の切っ先を向ける。

 その兵士はまだ若く、怯えて、腰を抜かしていた。

 きっと兵士としてはまだ経験が浅い。だからこそ、マイリンも倒すのを後回しとしたのだ。そうして、どうするべきかを考える。

「ま、ま、待ってくれ。俺は……俺はまだ……」

「死にたくは無いよね。だったら、これから背を向けて逃げると良い。それで君の命は狙わない」

「ほ、本当か!? だった……えっ……あ……?」

「うんざりだよ。本当にさぁ」

 マイリンは切っ先を、兵士の胸へと突き入れた。そうして抜き、こと切れたその兵士を背に、民家の影に隠れて、こちらをクロスボウで狙っていたらしき別の兵士へと接近。

 その喉目掛けて、また剣を振った。

「がっ…ふぐっ……」

 また一人、兵士が倒れた。そうするしか無かった。命乞いをしていた若い兵士は、逃げようとしている風でいて、服の下に隠した短剣を抜こうとしていたから。

(この兵と攻撃を合わせて、僕を仕留めるつもりだったか。ほんと……ちゃんと戦う気概を持っているんだ。彼らも)

 だから戦うしかない。剣を振るうしかない。マイリンはこの状況で、それ以外の方法を知らない。

 もう一方の場所で、その怪力を振るい続けるフォリミナの方はどうだろうか? マイリンがその剣を鞘に納める頃、フォリミナがその力を振るう音もまた、小さくなり始めていた。




 村で待ち伏せをしていた兵士達は無駄死にだったか?

 そんな問いに答えを出せるほど、マイリンは偉くも無ければ達観もしていない。

 戦いが終われば、そんな村からさっさと立ち去る。その程度しかできない愚かなこの身だ。

「参ったわねぇ。想像以上に敵対されちゃってる。このまま簡単に王都までって訳にはいかないみたいだわよ」

 村を出れば、また道を進む。隣を歩くフォリミナの目的地は、やはり狼王国の王都であるらしい。

 村一つ使っての大立ち回りをした割には、その足取りはまだまだ軽いもので、マイリンはその速度に疲労を感じてしまう。

「ところで、村での戦いが終われば、あなたさっさと退散するんじゃあ無かったかしら」

「ああ、その件か。その件についてだけどね?」

 話し掛けられたマイリンは、そのまま鞘から剣を抜き、フォリミナの喉元に刃を向けた。

「あら、まあ」

 もう少し押せば、そのまま皮膚を切り裂くだろうその距離で剣を維持しながら、マイリンはフォリミナに尋ねる。

「いい加減、君の事情を話せ。このまま立ち去るにしても、それをしなきゃ、本当に、無意味に僕は他人の命を奪った事になる」

「ふーん、意外に繊細ね、あなた」

「無駄口を叩くのも、この剣が皮膚を裂き、その奥に届くまでの間は許してやるよ」

 実際に、手に持った剣に力を込める。感じ取るか感じ取れないかはギリギリの、微かな力の入れ具合。

 脅すには丁度良く、相手を追い詰めるならもっと都合が良い。それくらいの力加減。

「分かった。分かーったわよ。長い話になるから、歩きながらでも良い?」

「速度はもうちょっと落としてくれ。疲れてるんだ」

 言いながら、剣を納める。脅しと言うよりは、こちらの本気を試された様な気がするので、何時までも剣を向けてはいられなかった。

 こっちがそれなりの覚悟を持っている様に、フォリミナの方とて、ある程度の思いはあるのだと思う。

 だから、脅したところでどれだけの事を聞き出せるか分かった物では無いし、脅さなくても、幾らかは話をしてくれるのだとは……思う。

「えっとね、長くなるって言うのは、まず、この国成り立ちから始まるからなのよ」

「想像以上に前提の前提から話しを聞かなきゃならないって事か」

「そ。だから面倒なの。まず、この国が狼王国なんて呼ばれてる理由については知ってるわよね?」

「王家の先祖に狼の血が入ってるとかそんなのだろう? どこの国だって、王家には特別な何がしかがあるもんさ」

 この世界に存在する国は、当たり前だからそれぞれの歴史があって、それぞれの国ごとに特異性がある。狼王国に関しては、そんな伝説が、この国の象徴でもあるのだ。

「それね、神話とかそういうのじゃなく、多分、マジなのよ」

 真剣に聞くべきか、話を流すべきか。迷うマイリンであったが、とりあえず、フォリミナは歩く速度を落としてくれたらしいので、その事に満足しておく。

「あ、それで? 続けて」

「何? さっきまで、人の命を奪ってでも聞いてやるみたいな雰囲気だったのにその態度。あのね、私、本気で言ってるのよ。そうして、この国の王家って言うのは、その血で苦労してんの」

「血って……狼の血って奴にかい? ちなみに人間に狼の血が混ざるなんて話、聞いた事が無い」

「ただの狼では無いと思う。けど、何か特別な血が入ってて、そのせいで、王家の人間には不思議な力を持った人間が生まれてくる事は確か。例えば、人間離れした怪力とか……ね?」

 実際に、そういうものがあると言う確信を持って、フォリミナはそれを話している様に見えた。

 となると、本当に本当を語っているか、フォリミナが気狂いであるかの二択になるが……。

「ちょっと待った。怪力って言った? もしかして君、自分がこの国の王族とかそういう話をしてる?」

「してるしてる。っていうか、私が出奔した頃と王様変わってなきゃ、それ、私の父親だから。ちなみに会いたい家族って言うのは、妹で、この国のお姫様」

 で、フォリミナもまたお姫様と言う事らしい。

「少しばかり、高貴そうな雰囲気が、万が一にでもあるなとか思ってたけど……兵士達が血眼になって君を倒そうとしているのもそれが関わってたりとか?」

「この国ね、王族は男だろうと女だろうと、長子が後を継ぐ文化なのよ。で、私が現国王の一番目の子ども」

「後継者争いかぁー」

 ますますうんざりしてきた。七面倒くさい事態である事を、漸く理解できたとも言える。

 逃げよう、マイリンはそう思って足を止めようとするも……。

「ほら、話がまだ終わってないわよ。さっさと歩き続けなさい。で、まあ、その関係で、私、後継者みたいな感じで、蝶よ花よと育てられてたんだけど、ちょっとした事件を起こして、追い出されたの。武力的な感じに」

 ちょっとどころか、狼王国のフォリミナに対する態度は、途轍もない事件として認識している証明だと考えられる。

 復讐に来たかなどとフォリミナは言われていたが、そうフォリミナが決意してもおかしく無いくらいの事件がこの国ではあったのだ。

「……で、君の方はどうなの。それで、立場を取り返すために、家族に会いに来たのかい?」

「何でそうなるのよ。普通、家族に会いに行くっていうのは、相手が心配とか、こっちは元気ですって姿を見せるために行くもんよ?」

「君から、普通なんて言葉を聞きたくなかった」

 普通じゃあない立場と力を持っている癖にと思う。さっきまでも、到底、普通と言える状況では無かっただろうに。

 やはり、これから引き返そうか。

「ちょーっとね。こう、厄介な話も聞いちゃってさ」

「これ以上に、厄介な話題があるって? 僕、これから帰るつもりなんだけど」

「話が終わるまでは帰んないでよ。もう、大分王都に近づいて来てるし、帰るとなると長い道のりよ?」

 これから、このフォリミナと同行した上で起こる問題よりは、長い道の方がまだマシだと思う。とぼとぼと歩き続けるだけで済むからだ。

「妹がね……私が居なくなって、今のところ、次期後継者として扱われてる立場なんだけど。どうにも、最近そこに問題があるらしくて」

「その問題の中に、君みたいな特大級の破壊的存在がやってくる方が問題じゃあない?」

「全部が全部、根こそぎ無茶苦茶にできれば、問題なんてほぼ解決したと言えたりしないかしら?」

 家族を心配して故郷へ戻って来たのだろうフォリミナだが、やはり行動の指針はぶっ飛んでるところがある。

 確かに、フォリミナが大暴れしたら、大半の問題は存在しなくなるだろう。けれど、それが悲劇的な物にならないとは限らない。

「現状、既に後継者問題が発生してるところに、さらに厄介な奴が帰って来たとなれば、国の兵士達が送り込まれる現状にも納得かな。僕の提案はこうだ。二人して帰ろう。君の存在そのものが、相手の迷惑になる」

「腹立つ言い方ねー。良いわよ、じゃあ私一人だけで行くわよ。どうなっても知んないからね!」

「あー、だから、僕一人だけで帰るんじゃあなくて、君も一緒の方が良いというか、ほら……僕ら、そもそもからして良く見られない人間で……んん?」

 未だに進んでいる道の先に、何人かの人影が見えた。こちらが歩いているせいで近づいてはいるが、あちらは立ち止まっている様子。

「なんか怪しくないかな? あれ」

「道の途中で、ちょっと休みたくなってるだけじゃあないの?」

「いや、だったら立ちっ放しって言うのも……っ!」

 今度はマイリンが立ち止まる。歩き続けて、人影の正確な姿を見てしまったからだ。その姿の中に、見知った顔を見つけてしまった。

「あーら、これは……思ったより早い再会になっちゃったわね」

 どうやらフォリミナの方にも、見覚えのある人間が居たらしい。

 彼女は、立つ人影の内、一人の女に視線を向けている。

「彼女……もしかして……」

「妹よ。名前はメリミエ・ライムネンク。私と違って、綺麗な黒髪でしょう? あっちは父親似なの」

「ああ、そうかい」

 聞き流し、腰に下げた剣の柄に手を触れる。何時でもその剣を抜き放てる様に。

「お久しぶりですわね、お姉様。また、暴れたご様子で」

 こちらが立ち止まったからか、人影達の方から近づいて来て、さらには話し掛けて来た。

 メリミエと言ったか。この国の次期後継者のお姫様。そんな人間がわざわざ会いに来たのだと思われる。隣の、何故か挑発的に笑うフォリミナに。

「ええ、相変わらずなの、私って。成長が無くてびっくりでしょう? けど、あなたは随分と大人になってる。他人を値踏みするくらいには」

 二人の女が睨み合っている。その事実だけで、マイリンは怖くて仕方ないのだが、今、警戒しているのは、そんな女二人に対してでは無かった。

 現れたメリミエというお姫様の両脇に、護衛の様に立っている数人に対して、マイリンは剣を抜こうとしていた。

 特にその内の一人。もっとも年配の男に対して。

「姫、お下がりを。ご存知でしょうが、奴らは危険です。特に、あの男の方は」

 その年配の男が、メリミエを腕で下がらせる。まったく、誰が危険な男か。

 どちらがどれだけの害を受けたかについては、マイリンの方が多大だろうに。

「僕らを退治にでもしにきたか? カーナード・マップス」

「今日は仕事だ。お前自身は……何時だって、出会えば殺す」

 年配の男、カーナード・マップスの方も、何時でも剣を引き抜く姿勢を取っていた。

 剣だけでなく、皮鎧を着込み、他の護衛も同様の武装しているところを見るに、準備万端、こちらを待っていたのだろう。

「で? どうすんの、あんた。これから帰る? あっちから会いに来てくれたんだから、私、これから妹と感動の再会しちゃうつもりなのだけれど」

 フォリミナは魅力的な提案をしてくるものの、マイリンは首を横に振る。

「あの男……カーナードがこっちを狙っているのなら、背中を安易に向けられない」

「あらそう。そっちも、複雑な関係の知り合いがいるみたいね」

 奇妙な状況だった。別々の人間が、別々の人間に、同じ場所で再会する。

 奇妙な偶然と言えば、どちらも喜ばしい再会とは思えない状況もまた不可思議だ。運命の女神とやらは、何時だって性格が悪いものなのか。

「お姉様? もう、王族ですらないあなたに対して、時間を費やすなどわたくしに対しての不敬も不敬ですから、端的に言わせていただきますわね? ここで、消えてくださいまし」

 そのメリミエの言葉が合図とばかりに、メリミエの周囲の人間がこちらへと走って来る。

 その数は、マイリンが知るカーナードも含めて四人。それぞれ二人ずつ、マイリンとフォリミナへと迫る。

 その間、マイリンがしたのはフォリミナとの目配せだ。それだけで、お互い、二人ずつ敵を相手にする事を決めた。

 後は目の前の敵二人に集中するだけ。内の一人はカーナード。彼の剣の腕が危険である事は承知している。

 先にマイリンの間合いへと入って来たのはカーナードの方。いや、彼の剣はマイリンのそれより拳一個分長く、それだけ間合いが長い。

 マイリンの剣が届かぬその距離を使い、カーナードの剣が振るわれる。

 だが、一方的にならぬ様に、マイリンは一歩踏み込んでいた。こちらも、拳一個分の移動。相手の懐に入る形になるが、そこでマイリンと剣とカーナードの剣がぶつかり、火花を散らした。

「相変わらず、技の鋭さが際立っている」

「っ……」

 カーナードからの評価が耳へと入るが、いちいち返答はしない。

 カーナードを回り込む様に、もう一人の敵が襲い掛かって来たからだ。

 関節部分のみが金属で出来た皮鎧を着こむ、恐らく女だ。細く丸い剣、レイピアの類を手に持ち、マイリンの方へと突き出して来た。

(こっちも早いな)

 瞬時に初対面の相手の力量を判断。カーナードの剣を受け止めた姿勢から、流す様に姿勢を低くして、もう一方の女のレイピアを避ける。

 ただ、それだけでは姿勢が悪くなる。カーナードもそれを逃がすまいと、上から剣を押し込もうとしてきたため、やはり流して女が回り込んで来た方とは反対側へと転がった。

(コンビネーションも取れている。昨日今日出会った奴らってわけでも無いらしい)

 国の姫が直接送り込んで来た戦力だけあって、厄介この上ない。

 マイリンが転がる間も、一切追撃の手を止めて来ないところなど、相手への嫌がらせをする事に慣れている事が分かる。

 だからその追撃の斬撃を、マイリンは持った剣で弾く。転がり、姿勢を正し、また相対するまでの間、幾つもの剣筋がマイリンの肉体を狙うも、そのすべてを弾き、身の安全を確保し続けた。

「ふんっ、些かも衰えてはいない。むしろ以前よりも際立っている。貴様の業は狂気的だ」

「ご評価どうも」

 防戦一方であるが、それでもカーナードは評価してきた。その間も攻撃の手は緩めないが、それはつまり、双方ともにまだ余裕があると言う事。

「カーナード様。彼は―――

「分かっている。お前の太刀筋を見るつもりだろう。だからわざわざ、攻め手を欠いているのだろうさ」

 こちらの考えなど幾らでも読める。カーナードはそんな風だ。実際、当たっていた。

(結局、僕にあるのは剣だけ。心理戦だって、あまり得意じゃあない)

 マイリンはずっとそうだ。自分には剣以外が無い。何もかもを上手くできず、どんな物だって器用に扱えない。

 あるのは剣だけ。この剣の腕だけがマイリンなのだ。だからそれを証明する。目の前の二人であるが、もう大方、手腕は見えた。

「君の剣は、早いが軽いね?」

 狙うはカーナードでは無く女の方。

 その身体と手足は素早く、玄人も玄人だが、反してその速さを維持するために剣と肉体からして軽く作り上げられている。

 だからカーナードの剣を弾き、続き女のレイピアを受けた段階で、マイリンは強く踏み込む。

 女はレイピアをマイリンの剣からズラす事でさらにマイリンを狙ってくるも、剣を受けた時点で、その狙いはマイリンから微かに逸れる。いや、マイリンが逸らした。

「そっ―――

 そんな馬鹿な。そんな事が。女が何を言おうとしたのかは知らない。ただ、マイリンは女の剣の弱さを把握し、その弱さでもって、女の剣筋をマイリンの好きに動かしただけだ。

 剣に弱さがあれば、剣は強い側の言いなりとなる。それがマイリンの思想の一つ。目の前の女にはその弱さがあった。だから原因はそちらのせい。

 レイピアを避けたマイリンは、ただ女の懐へと進み、自らの剣を突き出すだけ―――

「こいつは……こと剣に掛けては神がかっている。挑む前にそう教えたはずだぞ」

「そう言えば、あんたの方は弱くなかった」

 マイリンが突き出した剣は、女の身体へ届く前に、間を縫う様に差し込まれたカーナードの剣によって受け止められた。

 体勢的には、未だマイリンが有利だったが、マイリンはその有利を、距離を置く事に使う。女はこの瞬間にやれても、カーナードの反撃に合うと判断したから。

「……誰が狂気的だって?」

 ほんの一瞬、マイリンは自らの剣を見る。正確には、その剣で受けた、カーナードの剣筋を。

 女を守るために行っただろうその技。その技量は、先ほどまでの余裕が籠った物では無く、カーナードの剣の本質を理解させた。

 少なくとも、今のカーナードは、マイリンと互角の技量を持って居る。そう実感したのだ。

「私もだ。私も貴様と同じ狂気の只中にある。貴様に掛けられた泥を払うのでは無く啜り、糧とする事で、貴様の領域へと辿り着けた。それだけの事だ!」

 カーナードはマイリンが自ら離れたのを幸いと、剣を構え直した。そのやや後ろにはレイピアの女。女はマイリンを警戒し、カーナードを補佐する役に回ったらしい。

 カーナードがマイリンと互角だとして、彼女の存在が、カーナードをより有利にする。そういう事になるのだろう。

(数の利ってのは何時だって明確だ。多い方が有利になって、少ない方が不利になる。チームワークが拙いのなら別だけど、そうでも無さそうだし、こっちは……え、そうなってる!?)

 視線を逸らすのは、戦いの場においては失態だ。それが隙になるし、その隙を突かれて命を落とすなんてことは、戦場における日常茶飯事。

 けれどマイリンは、その光景を見ずにはいられなかった。

 何せ、共闘していたはずのフォリミナが地面に倒れ伏し、彼女が相手していたであろう二人の戦士もまた、マイリンの方へと近づいて来ていたから。

「……よし、参った。降参だ。彼女の事はどうしたって良いから、とりあえず、僕の命は助けてくれないかな?」

「そんな上手い話があるとでも?」

 剣を落とし、手を上げるマイリンに対して、カーナードの怒気の籠った声が聞こえる。

 彼はマイリンの頭部に向けて剣を振るってくる。それを見たマイリンは、その剣は避けられないなと諦め、意識を飛ばしたのだった。




 夢と言うのは、最近は自分の過去を見るものと決まっているのだろうか。

 これは昔の夢だ。夢を見ながら、マイリンは気が付いていた。

 そこには兄がいる。ライドリー・スザイルと言う、年の離れた兄が一人、マイリンには居た。

「なあ、マイリン。確かにお前は何をしても不器用だ。普段からノロマだし、一見すれば、これはもうどうしようも無い奴に映る事だろう」

「そこまで言われると、家族相手だって落ち込むよ、兄さん」

 話す場所は兄の私室だ。屋敷には幾つもの部屋があって、特に兄のそれはデザインが良かった。

 機能性と外観が上手く調和していると言うか、見ていて清々しいものがある。それがつまり……部屋の主の性格を現しているのだろうと、マイリンは感じていた。

「幸運な事に、家を継ぐのは私の方だ。お前が優秀かそうでないかは、家そのものは関係ない」

 なるほど、この夢は、それくらいの時期の夢か。

 マイリンは思う。これは夢。確かな夢。何時か醒める夢をマイリンは見えている。

「聞いているか? マイリン。だからお前は……好きに生きて良いし、これもまた運のよい事に、家には余裕がある。せめて一つ……得意なものを探すのはどうだろう」

 兄は……何時だって偉いし、マイリンにとっては指針だった。

 兄は貴族であり、マイリンの家族は貴族であり、またマイリンも貴族で……兄の方は少なくとも、高貴であった。

 国の中では中堅であったらしいが、兄が家を継ぐ事が決まってから、兄の働きに寄って、その格を増しているのだと聞く。

「得意なもの……それが見つかったら、僕はどうなるだろう?」

「自分に自信が持てる。自分に自信のある奴は、何時だって強い人間さ。お前が貴族だろうと、他の何かだろうと、自信さえあれば、世の中、楽しく生きて行ける。そこが重要だ。楽しく生きなければ人生じゃあない。そうだろう?」

「そうかもしれない。そうだ。兄さんは何時だって、正解を言う」

 そうして、マイリンもその正解を目指したかった。兄に言われたから。兄が、それをお前が何かを決めてみろと言ってくれたから。

 そうしてこの後、マイリンにとって得意な物は見つかった。

「けどね、兄さん。今にして思うんだ。得意な物を見つけたって、それを評価してくれる人がいないと、自信にはならない。僕にとっては兄さんがその人だったんだけど……もういないから、今でも僕はこんなだよ」

 こんな自分を、例え夢の中でも忘れない。

 兄が死に、家を出て、超人結社なんかの一員になっている自分の事は……絶対に。




「おはよう。良い夢は見れたかしら」

「……目覚めが悪いと、良かろうが悪かろうが、最悪な気分になるもんだね」

 目を開いたのに、目に映る光景は暗い。じめじめしている。耳からはフォリミナの声が聞こえる。

 マイリンにとっては、最悪な部類の目覚めだった。

「お互い仲良く捕まっちゃったみたいね。捕まったのは、そっちが先?」

「君の方が、先に倒れてた」

「そう。じゃあ、私が先に捕まったわけね」

 どちらにせよ、残念ながら状況は変わらない。

 どうにもマイリン達は、二人して牢屋に入れられているらしい。

 と言っても、微かに光が差し込むその先に、分厚い鉄格子が何本も並んでいる事で、辛うじてそこが牢屋だと分かる程度。

 他に明かりなんてないし、床も壁も無い。あるのは剥き出しの岩場だけ。

「岩盤でもくり抜いて作ったのかい? この牢獄。どうにも……背中が痛い」

「感謝しなさい。王族用の特注よ。ほら、うちって特別じゃない? いろいろやっちゃった人でも、普通の牢屋には入れられないの」

「人を簡単に吹き飛ばす怪力持ちの連中だって分かった後だから納得だ。ああ、なるほど。生半可な力じゃ抜け出せないとなると、脱獄するってのも無理か」

 寝たままでは身体全体か痛いので、マイリンは起き上がりつつ、今の状況を確認する。

 フォリミナと二人して倒されてから、命は奪われずにここにいる。

 服装はそのままだが、さすがに武装は奪われていた。どうせナマクラの剣が一本だけだったから、別に惜しくは無いが、これでマイリンは完全に役立たずになった。

 フォリミナの方はと言えば、ここが彼女みたいな人間を入れておく牢屋だとすれば、彼女の力だってアテには出来ないだろう。

「で、こんな状況になるだろう事は予想出来てた君が、何でわざとやられた?」

「あら? 気付いてたの?」

 マイリンは、フォリミナという女が容易い人間で無い事を知っている。

 性格的にもそうであるし、その身体能力そのものにしてもそうだ。彼女の過去や立場なんかは知らなかったが、彼女の力については良く知っているのである。

 だからこそ分かる。あんな簡単に敵に倒されたと言う事は、彼女は倒されたがったのであろうと。

「けど、そうだとしたら、あなただって、わざと倒されたって事じゃあない? もしかして、私に付き合ってくれる気になった?」

「事情に寄る。だいたい、あっちが僕の方も気絶させるつもりじゃなく、殺る気になってたのなら、そうも言ってられなかったしね」

 倒される前に振られたカーナードの剣。その一振りが、こちらの命を狙ったもので無い事をマイリンは見て気が付いた。だから大人しく気絶させられたのだ。

 そうで無ければ、フォリミナが倒れた分の敵だって相手取り、戦うつもりだった。

「けど、それはそれとして付き合う気になってくれた? 私に?」

「興味が湧いた」

「私の身体に!?」

「そこは大して、別に。君がこう、刃があって、金属で出来てて、柄みたいなのがあれば別かもだけど」

「私より剣の方が好きって事は分かったけど、それはそれとして、凶器的じゃあない私のどこに興味が湧いたって?」

「君が兎に角、妹さんを優先して動いてる事に……かな」

 あの場において、フォリミナがあっさりとやられた理由について考える。

 何か目的が無ければそんな事はしないだろうし、やられる事が目的なのだとしたら、死ぬ気で無い限りは、こうやって捕まる事を狙っていたのだろうと予想できた。

 相手に捕まれば、相手に会う頻度だって寄り増すだろう。それも、お互い殴り合う様な状況では無く、単純に話し合える。捕まえた側にその気があればだが。

「そりゃあまあ、私はあの娘に、わざわざ会いに来た側だもの。こんな風になってでも、会わなきゃいけないし、話をしなきゃならないのよ。けど、あんたが付き合う理由がわかんない」

「無理矢理付き合わせておいて良く言う」

「無理矢理付き合わせたからこそ、こっちの隙が出来たのなら逃げるもんじゃあないの?」

 もっともである。初めからそのつもりだったと言うのに、フォリミナ側の意図を知ってしまったせいで、マイリンも態度が変わってしまったのだ。

 彼女が、何より姉妹を優先しているというその事実に対して、その先がどうなるかを知りたくなった。

「僕には兄が居た」

「いきなりの自分語り」

「こっちの意図の話をしてるんだ。途中で、お前は何を考えてる。お前は怪しいぞなんて言われる前に、こっちがどういう指針で行動するか話しておきたい。僕らみたいな奴らにとって、それは重要だろう?」

 自分達には力がある。他者より圧倒的で、とても厄介な力を持つから超人などと呼ばれる。それは容易く、状況を捻じ曲げる力だ。

 だからこそ、何を目的としているか、それだけは共有しておかなければ、事態はさらにややこしくなるとマイリンは考えていた。

「私の願いなんて踏みつけてやる……っていうタイプじゃないわよね、あなた」

「そっちが何を狙ってるのかは、まだこっちが完全に知らないから何とも言えないけど、あっちは雇われを仕向けてまで、君の命を狙って来てる」

「そっちこっちあっち良く分かんないわよ」

「君は家族に命を狙われてて、なのに君は家族の状況を心配してる歪さって言うのがね……どういう形で決着を付けるか気になるんだよ。僕には兄が居たって言ったろう? そうして今はいない」

「死んだって事?」

「うん。んで、兄弟関係もそれで終わりさ。碌な終わり方じゃあなかった……だから……」

 だから、何だろうか。フォリミナもそうなって欲しいのか。それとも、そうで無くなって欲しいのか。そのどちらも、何か違う気がした。

 ただ、行き着く先が見てみたい。そういう興味だけは分かる。

「ふぅん。変な趣味」

「変である事は否定しない。僕の存在そのものが変だし、君だって十分変だ。変だと言えば、僕も君も殺されなかったって言うのも、思えば変だ」

「いたぶるつもりかもよ? そうであったとしても、私の方はあの娘が直接って事になるだろうし、それはそれで好都合」

 話がしたい。それが何より優先している様に思える。マイリンの場合はどうだったろうか?

 兄が居なくなるその少し前は、兄に対してどう考えていた?

「……そこからして、違うのかもね」

「何を思ってるか知んないけど、話すつもりなら、もっと詳しく話しなさいよ。何か、そっちも知り合いが居たみたいじゃん」

「カーナードの事か。奴とは……因縁が無いってわけじゃあ無いね」

「どういう因縁? 宿命のライバルとか?」

「兄を殺された」

「ああ、そう……」

 宿命と言うよりは宿縁かもしれない。命の取り合いについては……あっちについてはそのつもりかもしれないが、マイリンにとってはそうでも無い。

 兄の命を奪われ、復讐を考えた事もあったが……今は違う。

「騎士王国……だったけ? あなたの出身国」

「前に話したっけ? 結社の誰かには話した記憶がある」

「それが私だわよ。話した相手くらいしっかりと憶えておきなさい……って、普段のあんたはそこらへんもぬぼーってしてるわよね」

 ぼーっとはしているかもしれないが、ぬぼーっとはしているつもりは無い。きっとそうだ。そこまで落ちぶれてはいない……はず。

「で、その騎士王国で、お兄さんと一緒に暮らしていたけど、お兄さんの方が殺されちゃったと。あんたの腕でどうにかならなかったの?」

「兄が殺された頃は、剣の腕もそこまで研ぎ澄まされては無かった。国でまあ……十本の指にギリギリ入るか入らないか程度の腕で……」

「謙遜じゃなくて素で言ってるのよねぇ、これ。信じらんない」

「剣って、実は大局を決める様なものじゃあないんだ。良くって護身用の武器程度のものでね。けど、騎士王国って言うのは、そういう剣に価値を求める文化があった」

 何時か、兄に言われた事がある。優秀な兄に対して、不出来な弟。そんなマイリンを見捨てずに、兄のライドリ―は得意なものを一つ見つけろと言った。

 結局、マイリンが見つけたのは剣の腕だった。

「騎士王国は、もともと武門の家としてあった一族が、管理する領地が拡大して行く中で王家になったタイプの国でね。貴族もそういう風潮の中にあって、権力云々とは別の部分で、武芸の腕があれば評価されて、それなりに認められる」

 マイリンはそんなタイプの人間として、かの国で生きる事になった。家の実質的な部分は兄が管理する。お前は剣の腕で、名を上げろ。そんな風に、兄は応援してくれた。

 実利的な意味もあったのだろうが、それでも、認められて嬉しかった記憶がある。自分でも出来る事があるんだと、そう思えた。

「その話、あんまりオチを聞きたくない」

「想像してはいるだろう? その想像通りだよ。兄と家は格を上げた。それに僕も貢献した。そうして、今まで兄の上だった人間に目を付けられて、潰された。酷いもんさ。気が付いたら周囲は敵だらけ。王家に対する反逆罪だっけ? そういうものが、何時の間にか付けられていた」

 汚職とか賄賂とか直接的な暗殺計画とか。

 まあ、その辺りの罪を着せられた。実際はどうだったか分からない。兄は権力闘争も良くする性質だったから、何をしていてもおかしくは無い。

 ただ、マイリンはそういうものを知らないままだったので、その日は突然に訪れる。家に国の兵士達が大挙して押し寄せて来た。

 既に死刑の宣告でもされていたのか、家の中に居た人間はすべて殺されていく。一番に狙われていたのは兄だろう。その頃には既に、家の当主となっていた。

 丁度、マイリンが兄の私室で話をしていた頃。兵士達を率いたカーナードが、その私室へと押し入って来たのだ。

「……聞く限り、お兄さんが死んで、あんただけ生きてるっていうそういう状況よね? 何? 見捨てたってわけ?」

「ああ。そうだ。当時、カーナードは僕より腕が上だった。実を言うとね、当時の師だったんだ、彼」

 腕も、まだ彼の方が上だった。だから守り切れなかったのだ。敗れ、隙を突かれ、兄を殺された。

 あんなにも清く感じた兄の私室が、他ならぬ兄の血に染まる。その光景を見て、マイリンの中の何かが弾けた。

 大切な何かが弾け飛び、そうして……剣以外のすべてを捨てて逃げ出していた。

「ふぅん……ま、ありそうな話しよね。いえ、あんまりあっても嫌な話かしら。それで、それがどうだって言うの? もしかして、私とメリミエもそんな運命になるって?」

「まさか。君らと僕らは違う。同じ様な事なんて、逆立ちしたってならないだろうさ。けど、なら、どういう形になるのか。興味があったんだ。君は妹を思ってる。妹さんはどうか知らないけど……じゃあ、違う結果になったとして、僕らの方とはどう違うか。それが見たい」

「悪趣味」

「悪いね。そういう性質だ」

 返って来た言葉の語調を聞くに、拒否の意思は見えない様子。つまり……もう少し、付き合っても良いとの事だ。

(今回は無理矢理付き合わされたんだ。それくらいは受け入れて貰うさ)

 そう思いながらも、そもそも、この状況で何がどう決着するのかが予想できない。もしかしたらこのまま、処刑台に連れていかれるかも。

「出口なんか見たところで、鉄格子があるだけよ……ん? マジ? 嫌な奴が来た」

 鼻ですんすんと音を立てながら、誰かが来る事を嗅覚で察したらしいフォリミナ。こういうところは、実に獣染みている。

「嫌な奴って、君の知り合い?」

「あんたの知り合いでもあるわよ。ほら」

 そうこうする内に、その嫌な奴は鉄格子の向こう側に立った。

「うわ、本当に嫌な奴だ」

「聞こえる様に言うのは止めたまえ。知り合いだと言うのなら、簡単に相手を傷つけるのはいけない事だよ? 君達」

 鉄格子の向こう側に立つ男。長身で細身の、背筋がピンと立った紳士然とした男。

 マイリンはよりは10も上の年齢に見えるその男を、マイリンもフォリミナも知っていた。

 名をサンダーマンと言う。

「大した偶然ね? 何であんたがここにいるのよ」

「敵意剥き出しで牢屋の中の囚人に睨まれるというのは、むしろ貴重な経験かもしれないね? 何でと言われても、私だって仕事くらいしなきゃ食っていけない身なのでね」

 サンダーマンは仕事と言うが、彼が積極的に動いていると言う事は、碌な事態にならないと断言できる。

 このサンダーマンと言う男、見た目は宜しい方ではあるが、その内心や行動については、最悪の部類に入る男なのだ。

 具体的に言えば、彼もまた超人である。

「私としてはだね、君らが何故、捕まっているのかの方が気になるよ。おいおい、これは本当にどういう事かな? 同じ国に、超人結社の人間が、これで三人揃った事になる」

 サンダーマン。彼もまた、マイリン達と同種として見られる人種だった。同じ結社の一員と言う事にもなっている。

 ただし、彼の場合は、マイリン達とはほんの少しだけ違う部分もある。

「僕らが一緒になるというのは、確かに珍しい。サンダーマン。あなたは頭脳担当みたいなものだからね。何て言うかその……頭が良い。いや、最悪って言った方が良いよね?」

「私の頭の中について、悪い方向で同意を求めないでくれるかな、マイリン君。私が何時、そういう最悪な事をしたかね?」

「大陸中央辺りの国が、頭が爬虫類になってる様な連中を兵隊にし始めて、周辺の国を侵略し始めたみたいな事件が最近あったね」

「……」

「まあ、周囲の国が危機感抱いて同盟組んで、今は拮抗してるそうだけど、何で急にそんな不気味な連中が発生したんだろうか」

「さ、さぁ?」

 目の前の男が、何かした。そういう事を出来る人間だとマイリンは知っている。

 方法は分からない。だが、出来る人間なのだ、このサンダーマンと言う男は。

「【魔生博士】だったかしら? 何時聞いても、大層な二つ名よね。で、私の国で何するつもり?」

 マイリンなどより比較にならない苛立ちを見せるフォリミナ。

 それも仕方あるまい。魔生博士と呼ばれるこのサンダーマンは、知識の徒なのだ。

 マイリン達はその身体能力や技能が超人的なのに対して、彼はその頭に詰まりに詰まった知識こそが超人的なのである。

 物理的な力よりも、時にはそういう知識の方が世の中を乱す。フォリミナが警戒するのももっともだ。

「聞いた話、もう君の国というわけでも無いだろう? それに私だって、依頼があったからわざわざこの国に来たわけで……依頼者が誰か知ってるかね?」

「知らない。さっき会ったばかりじゃないか、あなたとは」

 だから嫌な奴が居ると嫌な顔を浮かべたのだ。事前にその存在と、どういう目的かを知っていれば、嫌な顔一つせず、ちょっとドン引きした様な顔を浮かべていたはず。

「マイリン君辺りは、それこそ超人的な直感でもって、色々と事情を察してくれると思ったのだが……」

「僕にはそんなの無いよ。あるとしたら、どちらかと言えばフォリミナの方。あと、あなたを今のところ危険視した方が良いのもフォリミナの方。やっぱり僕じゃあない」

「噛みつきゃあ良いの? あんたら二人に?」

 そういう事を言うから、フォリミナは危険なのだ。ただ、冷静に考えてみると、超人結社の連中に、危なくない奴なんて居ないかもしれない。

「分かった分かった。何が分かったか私にも分からないが、とりあえず分かった。私はね、フォリミナ君。君の妹さんの依頼を受けてここに居る。心底、文句を言われる筋合いが無いのだよ」

「博士は自分の趣向に合わない依頼を受ける性質だったっけ」

 二つ名とは関係なく、マイリンはサンダーマンを博士と呼んでいた。何となく、頭が良くて、頭がおかしい感じの彼には似合って居そうな呼び方だからだ。

「話をややこしくしないでくれ、マイリン君! ほら、凶暴なお嬢さんの目が釣り上がっている!」

 身も蓋も無い話として、マイリンは自身の安全以外の部分で、サンダーマンとフォリミナのどちらにも肩入れする必要が無い。

 ただ、状況を眺めているだけで良いのであるが、それはそれとして、気になる事は口を出す。

「フォリミナ。君の妹さん、こういう男の手を借りるって事で、どうにも厄介な事情を持っているみたいだよ」

「……ますます、会って話をしなきゃならなくなってきたみたいね」

「ま、まあ、姉妹の関係をどうこう言う筋合いが私には無いからね。ただ、居るんだったらこうやって挨拶をと思ったまでさ。こう、君らみたいな危険人物が牢屋にいるうちに」

「ちょっと本音が出たわね?」

「まっさかぁ! いやいやいや、私は暴力に弱いからね! こういう時で無い限りは君らにデカい顔なんて出来ないなどと思ってはいないよ! やーい、ざまあみろ!」

「ねえ、マイリン。奥の手使っても良い?」

「ここじゃ危ないから、僕がいないか、せめて僕が剣を持ってる時だけにしといて」

 ヒートアップしていく他の二人に対して、マイリンは溜め息を吐きたくなってきた。

 あまり長話をしていると、フォリミナが奥の手とやらを使いそうなので、そろそろ切り上げたいところだ。

「挨拶が済んだんなら、話はここで終わりにしとかない? 博士。あなたがどういう仕事でこの国に来てるのか話してくれるなら別だけども」

「悪いが、今回は本人からあまり話すなと言われていてね。既に前払いで幾らか報酬も貰っている。そこは誠実にさせて貰うよ、私は。それではだ、二人とも。また、きっとどこかで会うだろうが、明日からもお元気で」

 サンダーマンはあっさりと引き下がり、マイリン達が居る牢屋から離れて行った。フォリミナがキレる寸前だと言う事を察したのかもしれない。

「だぁ! 腹が立つ男だわね! 相変わらず!」

 フォリミナは叫びながら、壁に腕を叩き付ける。壁にヒビが入り、破片が飛び散る光景を見るに、彼女にとって、ここもまた牢獄としては不適当なのかもと思えてしまう。

「理解できない人間ではあるよね、彼。どいつもこいつもそうだけどさ」

「ねえ、やっぱり脱獄しちゃおっか! 無理矢理にでも出れるはずよ!」

「だからその無理矢理で、僕まで巻き込まれそうだから嫌なんだけど……」

 暫くは様子見。その方がマイリンの好みだった。

 どうしたって状況が動くと思えたのだ。超人結社の構成員の内三人が、同じ国の同じ様な場所にいるなんて、何も起きないはずが無いのだから。




 実際、状況は動いた。マイリンはあのごつごつとした牢獄を出る事になったのだ。

 ただしマイリンだけであり、フォルミナはそのままだ。

 しかも出たマイリンからして、自由の身と言うわけでは無い。二本程、剣を突き付けられた状態での解放だった。

(思うに、牢屋に居た時の方が居心地は良かったよね、これ?)

 場所は庭園。自分が閉じ込められていた牢屋を出て、そのまま幾つかの建物を通ればここへと辿り着く。

 背後には城が見えた。大きな大きな、そして荘厳な城。もっとも、背後にはもっと特徴的なものとして、マイリンに刃を突き付けているカーナードの仏頂面がある。

「なんでこんな事になってるか。そんな事、お互いに考えてたりしない?」

「……」

 カーナードからは答えが返って来ない。こんな麗らかな昼下がり、もうちょっとご機嫌良くできないものなのだろうか。

 代わりという意味では無いだろうが、マイリンに言葉を返すのは、お姫様のメリミエ・ライムネンクだった。

「わたくしがあなたを呼び出しました。そもそも、わたくしの狙いはあのフォリミナと言う女でしたので、あなたの処遇については、まだ宙に浮いたままでしたの」

 長く黒く、そして美しい髪を風に流し、お姫様らしい煌びやかなドレスを着込んだ彼女。正真正銘のお姫様であり、フォリミナの妹である彼女が、どうにもマイリンに用があるらしかった。

 まあ、碌な事ではあるまい。だって剣が突き付けられているのだもの。

 カーナードに、その部下の女が、二人して睨んできているのだもの。

「……どんな用かをまだ聞いてないんだけど、なんで僕? こういうのはさ、君のお姉さんにしてあげるのが吉だよ」

「わたくし、あの姉と話をする口を持ち合わせていませんの。けれど、あなたの剣の腕については別ですわ」

 今は剣を持たない相手に対して、剣の腕を買うとはどういう事だろう。売り物になる腕くらいはあると自負しているものの。

「あなたを、わたくしが雇うと言ったらどう思いますかしら? 世に名が轟く超人結社が剣鬼。護衛としては申し分無い存在かと評価しているのですけれど」

「剣の腕なら、僕の背中側にいる男がいれば十分だと思うけどね。彼だって、君が雇っているんだろう?」

 ちょっとは挑発になるかなとカーナードを話題に上げてみるも、さすがに雇われている側だからか、一切反応しない。その剣もぴくりとも動かない。

(逃げるつもりは無いけど、簡単に逃げられない相手だね、これはさ)

 だとするなら、出来る事は、このお姫様と話を続ける事くらいだろうか。

「わたくし、こう見えて強欲ですの。何時かはこの国を背負う身ですから、今の内から、良いものを選び抜きたい性質で」

「……剣の腕なんてものは、あまり良い値が付けられるものじゃあない。王様になられる様な方なら特に。その雇う金で、別の事をした方が有意義だって思ってる」

 これは事実だ。為政者なんてものの近くには、もっと上等な護衛であるところの軍隊があるのだから。

 剣の腕が良いだけの男を一人。高い金を出してはべらすなんて、見栄え以外の何に利用できると言うのか。

「そちらのカーナードは、あなたを捕らえる事に役立ちましたわ。あの凶暴な姉も一緒」

「ああ、そりゃあそうだ」

 多少は、剣の腕だって役に立つ事もある。そう返されたから、頭を掻いて誤魔化すしかない。

 ちなみに、一杯食わされたマイリンを見て、ほんの少し、ほんの少しだけ、カーナード鼻で笑った様な気がした。

(憶えとくぞ? そういう態度に対しては……何かしらの意趣返しをする)

 ただ、それは剣を持たない今では無い。剣を持たないマイリンは、それこそ金を出す価値も無いただの一個人でしか無いのだから。

「あなたの方も、あの姉と共に、兵士を何人切り伏せましたの? ただの剣の腕、というだけで済ませられない物だと思いますわ。わたくしで無くても、千金を積み、雇いたい人間はいるはず。そう、あなたが同行していたあの姉とか」

(うん?)

 今、何か、妙な話の展開があった。

 もしかしたら、彼女の言う通り、マイリンの技能には、金銭的価値があるのかもしれない。そう考える人間が複数人居るのかもしれない。けれど、だとしてもだ。

「誰が、誰に金を支払ってるって?」

「あら? 違いますの? あのフォリミナと言う女は、あなたを雇い入れ、追放されたこの国に対して復讐にやってきた。そうではありません?」

 どうだろうか。フォリミナの目的については、家族に会いに来たと言う事以外はまだ深く聞いていないが、マイリンが同行する上で、金を貰った憶えは無い。

 首根っこを引っ掴まれて、内に籠るくらいなら、外の空気を吸わせてやると無理矢理に連れて来られた記憶しかないのである。

(何か勘違いしてるな? このお姫様。そうでなければ、僕の記憶がとうとう狂ったかだけど)

 メリミエは、まるでマイリンが、フォリミナの従者か何かだと思っている。超人結社の中においても、上下関係があるとも勘違いしている。そういう風に見えた。

 その間違いを訂正して上げようか。そう思えたのだが、それより先に、ある発想が思い浮かぶ。

「君は、フォリミナが雇っていたっていう僕を、彼女から奪いたいって事?」

「……何をおっしゃっているのかしら。わたくし、あなたの腕を買っていると言っているだけですのよ?」

「僕の腕なんて、たかが知れてるさ。それなりだと思うけど、さっき言った通り、何かで代替えが出来る類のもの。それより君にとっての重要は、姉の持ち物を奪う事。姉より自分が優れているって見せるには、それが一番手っ取り早い。ああ、そうか。何だ、結局君は―――

 頬を叩かれた。目の前のメリミエにだ。

 中々に鋭い動きだった。避けられないわけでも無く、それでも叩かれたのは、不躾な事を聞いた謝罪……と言うわけでも無く、避けたら避けたで面倒くさそうに思えたからだ。

 おかげで、頬がじんじんと痛いだけで済んでいる。今のところは。

「他人の内心を伺うと言うのは、どういう意味を持つか、理解していますかしら? 特に、今のあなたの立場であれば、良く考えるべきかと思いますけれど?」

 怒り顔。まさにそんな顔を浮かべており、若干、頬を紅潮している。冷静さを振る舞おうとしているが、直情的な部分を隠せていない。

 そんなメリミエの様子に、マイリンは見覚えがあった。

(……彼女の扱い方について、僕は多少なりとも経験があるって事だな。それは)

 彼女は姉のフォリミナに良く似ている。外見も、振る舞いも、もしかしたら血縁だって関係無く、彼女らは性根の部分で姉妹なのだとマイリンは見た。

 だからこれから、マイリンに挑発されたと考えるメリミエが、何をしてくるのかについても、マイリンは予想出来た。

「あなたのたかが知れたと言うその腕を……これから試す事だって、こちらには出来る。その事をお分かりかしら? あなたは剣鬼と呼ばれていますけれど、あなたに剣を向けるカーナードもまた、剣聖などと呼ばれている。それをこれから、比べてみせろと命じれば……どうなるかしら?」

「そう言えば、そんな風にも呼ばれてたか。あんたは」

 背後から剣を向けて来ているので、目を向けたって見えはしないが、それでも横側に目を向けつつ、マイリンはカーナードへと話しかける。

「……試せと命じられれば、今すぐにでも、姫」

「剣を持たない僕にか? カーナード・マップス。騎士王国の筆頭剣士の名が泣くぞ? つまり……その剣聖って称号の事だけど」

 マイリンとカーナードの出身国である騎士王国は、武技を重視しているだけあって、その尺度を称号で表現する制度もあった。

 カーナードは国内でもトップクラスの剣士であり、その到達点の一つである剣聖の称号は、国内で随一の剣士であると言う意味を持つ。

「その名は捨てた。だから今はこうしている。分かるだろう?」

 ああ、剣聖の称号を持つ者は、要するに騎士王国の構成員とならなければならない。そうでなければその称号を与えられない。

 だが、彼は今、狼王国の姫に雇われていると言うのだから、称号も、身分だって捨ててここにいるのだろう。

「なら、あんたはもう剣聖じゃあない。だから今の僕とやりあったって、何かが決まるわけじゃあない。そういうわけですよ、姫」

「つまらない結果しか残らないと、あなたはそう仰るのかしら?」

 その通りだ。そこそこ腕の立つ剣士が、剣を持たないどこぞの馬の骨を切り捨てる。ここでこのまま起こる事と言えば、そんな事である。

「わざわざ、一国の姫が作り出す状況ではないだろうね。あなたの姉が聞けば、それこそ鼻で笑うんだろう。僕にとってもそれは癪に障る。あなたの姉と僕の関係なんて、そんなものさ」

「……分かりました。ええ、今までのは単なる戯れ。囚人相手に遊んでみただけに過ぎず、そこで命のやり取りなどと言うのは、如何にも子どものする事ですわね」

 先ほどまで存在していた怒りの感情を、メリミエは容易く捨ててしまう。

 こういうところも姉のフォリミナに似ていた。熱しやすく冷めやすい。だからこそ、ここまでの展開をマイリンだって予想する事が出来たのである。

(これで何とか、一時の命は拾ったね)

 正直なところ、ハラハラしていた部分はある。メリミエがフォリミナに似ているのだとすれば、気まぐれで、本当に命を奪ってくる可能性だってあったのだから。

 剣を持たないマイリンは、その行為に反する事ができまい。あっさり、この場で命を落とす事になったろう。

(あんたは、それが望みだったのかな?)

 やはりまた、背後に回って剣を突き付けて来るカーナードに思考を向けながら、マイリンはそんな事を考えていた。

 彼は何を狙っているのか。その部分についても、マイリンはまだ分からない。

「カーナード。もうその囚人に興味はありません。牢獄に戻しておきなさい」

「本当によろしいので?」

 そんなにマイリンの命が欲しいかとカーナードに言いたいところだったが、マイリンの方も、彼と同じ意見を持った。

 本当に、今からそうしても良いのか?

「僕の命にも関わりそうだから忠告しておくよ、姫。あなたは誰かに命を狙われてる。今、現在進行形で」

「なんですって?」

 驚いた時の顔も、やはりフォリミナに似ているメリミエ。だが、今はそれを感慨深く見てはいられない。

 マイリンは未だ丸腰のままだ。そうしてこの庭園に、十数人の男達が乗り込んで来ていた。

「姫。どうやら相手方の準備は出来ているらしいですな」

 言ったのはマイリンでは無く、カーナードだった。

 彼だって、とっくに気が付いていたのだろう。この庭園に、自分達以外の何者かが複数人集まり、こちらを狙って来ていた事に。

(音を消し切れていなかったから、結構人数がいるかなと思ったけど、予想外に多いな)

 暗殺者と言うより暗殺団と言う人数。ここは狼王国の王城内。その庭園である以上、単なる暗殺団ですら無い。

(このお姫様。多分、同族か同じ権力者の恨みでも買ってるんだろう)

 この状況は、明らかに内部の人間の手引きが無ければ作り出せない。それも、相応に力を持った人間の手に寄るもののはず。

「カーナード。あんたでこれ全員を相手に出来るか? ああ、そこの部下さんも戦力だけど」

 この場に置いて、戦える存在と言えばその二人くらい。なので、それぞれの腕に期待して、この窮地を脱したいところだが……。

「ふんっ。俺がこの剣をお前から離せば、その時点で逃げるつもりだろう?」

 そういう意図も無いわけでは無いが、それより増して、今の危機をどうするかだと思う。思うのであるが、それでもカーナードは、マイリンから目を離してくれない。これでは逃げる事も出来ない。

「どうであったとしても、ここではあんたが戦わなきゃならない状況だ。まさかお姫様がどうにか出来るわけでも……できるの?」

 ふと気になって、メリミエの方を見れば、彼女は笑っていた。

「この状況。どこかの誰かが、わたくしを追い詰めたつもりになっているのでしょう。けれど……尻尾を出したと笑いたいのはわたくしの方。甘く見られて気に障っているのもわたくしの方……ですわね!」

 次の瞬間、メリミエが跳ねた。地面をその脚力のみで跳躍し、もっとも近くに居た暗殺者の一人に、その腕を叩き付けたのである。

 メリミエのドレスが舞うと同時に、暗殺者の一人が庭園を転がって行く。

 恐らく、命すら奪いかねない威力の一撃。それはただ、メリミエの拳に寄って引き起こされていた。

「この国の王族の力を……お前も知らないわけではあるまい?」

「ああ、彼女の姉にしてもそうだったね……」

 本当にフォリミナとそっくりな、彼女の妹である。彼女だって、もしかしたら超人の範疇なのかも。

「ん? 何だが彼女の髪の毛が……」

 暗殺者を一人、また一人と、文字通り千切り飛ばして行くメリミエを見て、その輪郭がぶれた様な気がした。

 いや、そんなあやふやな視力をマイリンは持っていない。彼女の姿ははっきりと見える。ただ、本当にその輪郭が変わっているのだ。

 明らかに髪の毛が増えている。伸びていると言うよりは増えている。美しく、長く、真っ直ぐ伸びている様に見えたその髪は、ややカールし始めている様に見えた。

 既存の髪がそうなっているのではなく、縮れた毛が混じり始めた様な。

「狼の王か。良く言ったものだ。お前の同行者については知らないが、この国の王族は、力を真に発揮する時、より獣に近くなる。肉体も、精神も」

 戦うメリミエの姿は、もう既に異様なものとなっていた。

 動きは鋭く、迷い無く、身体のあちこちから髪と同じ色の体毛が生え、心なしか、身体そのものも鋭くなっている。

 速さも力も、また増していた。これは確かに獣の戦いである。

 暗殺者達は一転、肉食獣に狙われる獲物へと成り果てていた。

 どこかで悲鳴が上がる。その頃にはもう、悲鳴を上げた人間が、食い千切られたかの様に肉体を欠損させ、倒れていた。

 メリミエが肉食獣と違うのは、倒れた獲物に用は無いとばかりに次の獲物へと食いついていく事。

 これは反則的だ。襲われる側だったはずの姫が容易く獣へと変わる。世に王子様や騎士に助けられる姫の話は幾多あれど、姫が狼へと変わる物語がどれほどあるのか。

 物語ではなく現実なのだからもっと悲惨だ。庭園が赤く彩られ、呻き声の音楽が鳴り、花の匂いは血の臭いへと塗り替えられる。

 むせ返りそうになるその光景の中で、すべてが終わる。

 その終わりには、ただ獣から姫へと戻ったメリミエだけがこちらを見つめて立っていた。

「カーナード。もう一度命じますわね。その囚人を、さっさと牢獄へ返しなさい。わたくしこれから、別の召使いに、庭園の掃除を命じなければなりませんの」

 庭園を散らかした自覚があるらしいメリミエ。今度の笑みは、お淑やかそうなそれだったが、この光景と並べて見れば、恐ろしい以外の感情が抱けないものであった。




「おかえりー」

「ただいま」

 牢獄に戻されたマイリンを待っていたのは、退屈そうにしているフォリミナの姿。

 マイリンが色々と巻き込まれている間、この女は壁の亀裂でも数えていたのだろう。

「食事の配給でもあったの?」

「ああ、これ? うん。そんな感じ」

 床と言うかそこも岩肌だが、何本か骨が転がっていた。

 恐らく、肉が付いていたはずのそれであるが、綺麗に削ぎ取られているところを見るに、よーく味わったのだと思われる。

「あれ? けど待てよ? ここで肉なんて上等なもの出て来るかな? 良くって固いパンと薄いスープくらいで―――

「それはまあ良いじゃない。それより、そっちの方こそどうなのよ」

 まさか牢獄に入って来た小動物を狩ったりしてないだろうなと睨みつつ、確かに話題は、マイリンが出した方が盛り上がりそうだなと思う。

「君の妹に勧誘された」

「ええ!? あの娘ったら、気でも狂ったのかしら」

「実際、僕もそう思ったもんだけど、君から言われると何か腹が立つね」

「だって、あなたを雇うって……あなたよ? おかしいでしょうに」

 納得しか無い言葉だ。マイリンだって断って来た。それを理解した上で、目の前の女を本気で殴りたいと思ってしまう。

 落ち着け右の拳。剣を握らないお前は、大して役に立たない存在だろう。

「実際のところ、護衛だっていらないくらいに彼女、強かったよ。さすがは君の妹だ。お互い獣染みた怪力だ」

「あん?」

 挑発のつもりで言ったので、向こうが苛立つ……と思ったのだが、彼女の語調は、何か妙な事を聞いた風であった。

「ちょっとちょっと。待ちなさいよ。なんであの娘に護衛が必要無いのよ」

「その事については、君の方が詳しいだろう? 君を含めてこの国の王族は、狼か何かの血を引いていて、その力を今でも扱う事が出来る。君と君の妹の怪力はそれ由来ってわけだ」

「そうよ? 私はそう。でも、あの娘は違う。あの娘にはそんな力無い」

「は?」

 今度はこっちが疑問符を浮かべる番だ。力なら確かにあった。彼女へ襲い掛かった暗殺者達を、彼女が一人倒し尽した光景を、この目で見ている。

「あのね? なんで私がこの国に来たら、後継者争いになると思う? 幾ら私が長子ったって、既に追放された身よ?」

 そんな謎かけを行き成り投げられたって、すぐに答えられる物では無い。

 だから多分、謎かけでは無く、普通に思いつく事ではあるのだろう。

「君がアレだって言うなら……今の後継者である君の妹の方に問題がある?」

「そう。あの娘、確かに王族ではあるし、血だって引いてるはずなのに、力が無いのよ。王族としての、あんたの言う通り、アレな私とは違う。妹はね、能力に関して言えばただの人。それで後継者として不適当みたいな話だって当時あった」

「けど、僕は実際に見たぞ。彼女の力を。こう、毛がふっさふさになって……」

「典型的な、狼王家が力を発揮した時の姿ね、それ」

 考え込む時間になってしまった。フォリミナが嘘を言っている様には見えなかったからだ。

 彼女の驚き、そして今の悩みは本気のはずだ。彼女の家のややこしさみたいなのが、その力の部分にこそあるのだとしたら、考え違いと言う事も無いはず。

「後天的に、力が発揮できる様になるって可能性は?」

「私が知る限りにおいては無いけど、王家の歴史たって、どこまでも知ってるわけじゃあないし……けど、メリミエに何か変わった事があったのは確か。っていうか、なんであの娘、あんたの前で力なんて使ったのよ。挑発でもしたの?」

「挑発はした。けど、発揮されたのは、彼女を狙った暗殺者に対してだ」

「あん!? 暗殺者!? どういう事よ! あの娘、命を狙われてるっての!?」

 今度のあん? は怒りの感情がしっかり込められているなと思いながら、掴み掛かって来るフォリミナを、何とか押し返そうとする。

「僕だって良く知らないよ。けど、王城内の庭園で襲われるってのは、幾ら力があったって問題じゃあ……またお客かな?」

 また足音だ。ただの洞窟をくり抜いた様な構造であるためか、外からの音が良く響いて来る。誰かが来れば中の人間はすぐに分かるのだ。

 牢獄だと言うのに、良くもまあ千客万来である。

「今度は、私が呼び出しかしら? メリミエだったら良いのだけれど」

「そう上手い話も無いんじゃあない? というか彼女。多分、君と一緒で、強がりな部分がある。こんなところに放り込んだ君に対して、わざわざ自分から会いに行くってのも無さそうだ」

「じゃあどうやって会えってのよ! 捕まってる方が会いに行けるわけないでしょ! って言うかマイリン! 私と一緒で強がりってどういう意味!?」

「そのままの意味だけど」

「言うじゃない! あんたの挑発、私も買ってあげる!」

「そういうところも姉妹そっくりだね、君ら」

「あー……少し、良いか?」

 と、会話が白熱してきたところで、第三者の声が聞こえて来る。

 そう言えば、誰かが近づいて来る足音がしている最中だった。

 気付きは早かったのだ。けれどフォリミナとの会話が白熱して、鉄格子の前までやって来るまで無視してしまっていた。

「あら、もしかして……お父様!?」

 やってきた男の正体についても、フォリミナの言葉で分かった。

 どうやら彼女の父親らしい。と言う事は、この国の王と言う事か。

 長身の、全体的に鋭い印象を思わせる体付き。分厚い毛皮のマントを上から羽織り、その下には豪奢なローブが見える、そんな服装。

 一見しただけで、例え王で無かったとしても、相応の身分であると分かるそんな姿。

「久しぶりの父親との再会に、もしかしても無いだろう。フォリミナ」

「そうは言うけどお父様ったら、以前より白髪が増えていらっしゃるじゃない?」

 特徴と言えば、フォリミナが言う様に、頭部に白髪が目立ち始めており、雰囲気からして疲れていそうな男だった。

 王としての威厳も見えなくは無いが、それ以上に、一人の人間として疲労している様な姿をしている。

「色々と、苦労が多いからな? お前にしても頭痛の種だよ。今でも、ずっと」

 そのずっとには、嫌味では無く親愛の意味が込められている……様な口調ではあった。

 少なくともマイリンにはそう聞こえたし、そう言えば、兄が生きていた頃は、そんな言葉をマイリンも良く聞いた事がある。

「そこの君も……話には聞いているよ。うちの娘の友人? そういう事で良いのかな?」

「超人なんて呼ばれるよりかは、ずっと良い響きです。マイリン・スザイル。彼女とは……彼女が僕達の組織に属する様になってからの付き合いというか」

「友人で本当に良いのかしら? 敵と言うよりかは味方よね?」

 冷静に考えてみると、超人結社の一員同士と言う関係は、他の言葉でどう表現するべきか迷う。

 適当な物が無いのだから、王様の言う通り、フォリミナとは友人関係と言う事にして置こうか。

「ふん? 君の二つ名と言えば良いのかい? そういうのも知っているが、どうにもその印象とは違う男だ。いや、悪かった。先入観で人を見るのは良く無い事だったな」

 話す限りにおいては、王様だと言うのに、尊大な男では無かった。

 腰が低いとまでは行かないが、親近感が湧く人間。今のところはそうであり……つまり、困った事に悪い印象が無い。

「それでその、僕らに何が用があってあなたは来たのですよね? もしかして……王直々に処刑執行を行いに来たとか?」

 結局、相手がどうであれ、マイリン達が囚人であると言う立場は変わらない。

 そこから何かが変わるとすれば、元囚人から死人へと変わるタイミングくらいかもしれなかった。

「何を言っているのだね? フォリミナについてもそうだが、私は君らをここから出しに来たんだ」

 そう言うと、王様は手に持った分厚い鍵で、ここから出るための扉を開いてくる。

「お父様?」

 そんな父親の行動に、フォリミナも疑問符を浮かべていた。

 いったいどういう事だろう。自分達は、曲がりなりにも、この国の兵士達を何人も殺した連中であると言うのに。

「色々と、そっちが聞きたい様子だな? だが、ここでの立ち話は王としての沽券に関わるのでね。君らを食事に招待しよう。そろそろ夕食の時間だからな」

 それだけ伝えて、王様はマイリン達に背中を見せた。こちらが襲うはずも無い。そんな確信を持った仕草で、付いて来る様に促して来たのだ。

(第一印象よりは……豪胆な人なのかもね?)

 一筋縄では行かない相手。少なくともそういう人間だとマイリンは評価し、王様へと付いて行く事に決める。

 逃げる事だって出来るのだろうが、何となく、相手の信頼を裏切りたくないと言った状態にさせられたからだ。




 何かの罠では無いかとは疑っている。

 少なくとも、今はそう考えたって仕方ない状況だとマイリンは思う

(料理は美味しい。毒が入って無ければだけれど……美味しい事は確かだ)

 目の前に並ぶ皿には、色彩豊かで、食材の種類だって豊富な料理が乗っている。

 主には肉料理だろう。赤や緑のソースが掛けられ、肉の種類だって違うから、肉ばかり口に入れたって飽きが無い。

 柔らかいパンなども別の皿に添えられ、肉と合わせてむしろ食が進んだ。

 ここ暫く、碌な物を食べていなかったと言うのもあるだろう。栄養は取れる時に取っておく性質のマイリンであるから、遠慮なく食事を進めて行く。

「細い体ながら、良く入るものだ」

「あっ……いや、え、何かすみません」

 食事を取っている途中で、その仕草をずっと見られていた事を思い出す。

 皿が並べられた大きな机には、マイリンと、対面にフォリミナ。そうして、フォリミナの父である狼王国の王様が座っていた。

 全員でこの三人であり、三人に対しては量が多い料理があった。だからこそ、マイリンは遠慮をしていないのであるが、必要な礼儀と言うのもあったのだろうか。

「謝らなくても良い。遠慮だってして欲しく無い。毎食、夕飯にはこれくらい出るのだよ。そうして残す。日々、心苦しかったところだ。今日はそんな罪悪感も、何時もよりかは少なく住みそうだな?」

 王様の方は、既に食事を終えている様だった。そういえば、空になった皿が何枚かある。見た年齢を考えれば健啖と言えるだろうが、それにしたって料理の方が多過ぎる気がした。

「偉い人間には、残すくらいに大量に料理を出して、兎に角成長させろってのがこの国の文化なのよ。私が出て、また戻って来る間には変わらないくらいに根深かったりするし、効率悪いわよね?」

 フォリミナはそう言うが、彼女が人一倍食べている気がする。余程腹が空いていたのか、それとも、普段からそうなのか。

「家族が多く居れば、沢山の料理と言うのも楽しく思えるがね。最近は、一人で食事を取る事が多い。これも、今日はそうで無くて良かったと言ったところか」

「放蕩娘で悪かったわね。けど、追放されちゃったもんは仕方ないじゃないの。なのにわざわざ戻って来たのも悪かったけど」

 フォリミナは相変わらず気安かった。親子と言うのはそういうものかもしれないが、話をしていると、フォリミナと王様が、この国の権力者側であると言うのを忘れてしまいそうだった。

 フォリミナに関しては、今はマイリンが持つ認識の方が近いのだろうが……。

「お前の事だ。事情があるし、その事情も、メリミエの事だろう? 私だって、あいつの様子が変な事は知っている。親としては、私一人で何とか出来ると信用して欲しかったところだが……」

「こうやって、わざわざ私達を食事に誘ったって言うのは、お父様一人じゃあ難しい事情があるんでしょう? 私ですら、この国に来て、あの娘の様子が変だってもう分かったし」

 家族で分かった風な会話を続けるフォリミナの王様。そんな二人を見て、マイリンが思う事は一つ。

「親子仲良く話してるところ悪いし、こうやって僕の方も食事にお呼ばれしてるから言えた義理でも無いんだけど、本当に気安いね、お二人とも。えっと……一応、僕らはこの国の兵士をどうこうしちゃった立場なんですけど」

「ああ、その通り。その兵士達が正規軍だと言うのなら、私だって黙ってはいられなかった。が、実の娘に兵士を差し向ける程、落ちぶれちゃあいないのだよ」

 王様のその言葉で、本気で事態が厄介な状況だと知れる。もしかして、この食事と言うのは、そんな事態に巻き込むための仕掛けか?

(と言う事は、やっぱりこの食事は罠じゃないか)

 毒ならとっておきのが用意されていた。食事には仕込まれていなかっただけ。これ以上、何かを食べるのはどうだろうと思うのだが、胃に入ったものを戻せるものでは無い。

「どっかの貴族が暴走してるわけ? 一応、一部の私兵を国軍として動かせる権利あったわよね? そう言えばさ」

「大半がそうだ。メリミエが私の後継者として不適当だと考えている連中の大半が、君らを襲う事を画策した容疑者と言う事だな」

 食事を終えたらしき王様だったが、それでも、何か苛立つのか、近くのパンを取り、それを手で引き千切った。パンにでも当たりたくなったのだろう。

「連中にしてみれば、メリミエは順当に後継者から引き落とすとして、状況を無駄に混乱させる君らは邪魔なんだろう。国を混乱させる要素なのは確かだから、軍を動かす正当性もある」

 だから、王様の娘だろうと兵士を差し向ける事が出来た。と言う事だろう。

 この王様にとってフォリミナは娘だが、他の権力者にとっては追放者であり、反逆者としても見られる。

「こちらの娘さんが狙わるのは分かりましたし、確かに正当な部分があるから文句も言えなくて、苛立ってその様にパンを千切り続けるのも分かりましたが……」

「おっと、これは失礼。どうにもな、腹立つ事があっても人に当たれないから、物に当たる様になっている」

 漸く手を止めた王様を見て、マイリンは何やら気分が落ちそうになった。この国の王族と言うのは、どうにも暴力的な部分を秘めている様に見える。

 フォリミナの方も確認したら、肉が千切られていた。ナイフとフォークを使ってのそれだと思いたい。

「確かに、私は仕方ない。兵士を向けられたって撃退してやりゃあ良いもの。けど、メリミエの方はどうなの? お父様は聞いた? メリミエに暗殺者が向けられたそうじゃないの」

「今回が初めてじゃあない。だからとびっきりの護衛を探し出して付けているだろう?」

 なるほど。カーナードを正式に雇っているのはこの王様かと思う。

(あの男の腕は確かに良いし、雇用契約さえ結んでいたら、逆らう事も無いだろうしね。お姫様の好きに使われちゃってるけど)

 そこもまあ、雇われの仕方ないところだろう。ご愁傷様とだけ内心で思っておく。同情はしない。する義務も義理も互いに無い。

「頭が痛いのは、あいつ自身も、独自で動き始めたところだ。何か妙な学者を雇ったと聞いているし、妙な学者が、とびっきり妙だと言う噂もまた聞いている」

「関係者としては頭を下げさせて貰います。確かにあの様な輩を雇うなんて、刃物で出来た鉄塊を自分で抱え込む様な物だと断言しますよ」

「あの男はそこまでか……いや、元来、力が無いはずの娘が、そういう力を発揮できる様になったと言うのを聞いて、薄々気が付いていたのだが」

 もっと早く気が付くべきである。

 魔生博士サンダーマンは、自らの興味のためならば、倫理なんて簡単に捨てる性質の超人なのだ。

 それが人に雇われた事で勢いを増していると言うのなら、どんな結果がもたらされるか分かったものではない。

「それで……もしかして、僕達には、あの男を何とかしてくれと言いに食事へ誘ったとか?」

「そうだな。そういう理由もあるかもしれない。だが、本題と言うのは―――

 間が悪い。マイリンがその時、真っ先に考えた事がそれである。食事を取っている部屋の扉が開かれたのだ。

 そうしてその間が悪い相手と言うのがメリミエである事は、振り向くより先に、その声で気が付いた。

「どういう事ですの!? お父様! お姉様を牢獄から出すなどと!」

 メリミエの声は、つかつかという足音と共に大きくなる。ただでさえ甲高いのだから、これ以上は耳を塞ぎたくなった。

「どうしたもこうしたも無い。お前の姉で、私の娘だぞ? 何時までもあんな場所に置けるはずも無いだろう。だいたいあそこはそもそも牢獄では無く、気が触れた王族をとりあえず住まわせておくためだけの場所だ」

 もっと酷い場所に聞こえたものの、今は自由の身なので気にしない事にする。嫌な言葉を気にしない様にするのには慣れているので問題は無い。

「この女など、気が触れている様なものでしょう?」

「ちょーっと待ちなさいよ! 実の姉に向かって気が触れているってどういうこと? そういうの、喧嘩の元になるって昔言い聞かせたわよね?」

「いい加減、その家族面をまずやめてくれませんこと? あなたとは、もうとっくに縁も関係も断ち切ったはずですのよ?」

「あーら、私を国から追放する決定をしたのはお父様とその周辺の貴族連中でしょう? あなたに何か関わりあったかしら? お別れする時なんて、ワンワン泣かれた記憶を、今、ここで捏造してあげても良いわよ!」

 かしましい。ひたすらにかしましい。やはり前もって耳を塞いでおくべきであった。

 今さらそれをすると、この姉妹二人の敵意を買ってしまいそうなので、目の前にあるパンを千切り続ける事にする。

 なるほど、王様もこんな気持ちでパンを千切っていたのか。

「うんざりだ。まったくうんざりだな。何だ? どうしてこうなる? 家族一同、こうして揃った。天にいる妻も、身体や心があれば、一緒に食卓を囲みにやってくる事だろうさ。なのにどうして、子ども二人の仲違いを私は見なければならない?」

 堪忍袋が真っ先に切れたのは、王様だったらしい。

 彼はフォリミナとメリミエの二人を睨み付けると、大きく溜め息を吐いた。

「メリミエ、まず君は、正当な理由も無く姉を捕えたな? その事に目を瞑るとしても、お前にとって大事なこの時期に、自分の立場が不安定になる様な事を繰り返している。その事をどう思う?」

「そ、それは……わたくしとて、この国の王族としての自覚を持って行動し―――

「している事を知っている。だが、どうにも結果に結びついてるとは思えないのだよ。一度、反省してみてはどうだ?」

「それは……その……お父様は……ま、またそうやってお姉様の肩また持つつもりですの!?」

「そうでは無いが……いや、どうしてそうなる」

「わたくしは! わたしくが! どれほどの覚悟を持って行動しているか! お父様には、いずれ理解させて差し上げますわ!」

 入って来た時と同様に、甲高い声を発しながら、素早く部屋を出て行くメリミエ。

「あらあら、随分と駄々っ子になったじゃないの。あれも前からかしら?」

 懲りた様子の無いフォリミナだったが、そんな彼女に対しても、王様は何か言いたい事があるらしい。

 深く一度、王様は溜め息を吐いてから、フォリミナの方を見た。

「フォリミナ。お前もだ。お前は妹と顔を合わせて喧嘩をするために、この国に帰って来たのか?」

「え? いやぁ……そうじゃあ無いと言うか……っていうか、さっき、話をするチャンスだったと言うか」

 そもそも、メリミエと話し合いをするために帰って来たと言うフォリミナであるが、先ほどの喧嘩がそれでは無かったらしい。

 それでは確かに、何のためにここへ来たのかが分からない。

「どういう目的かについても、ここで詳しく聞くつもりだったが、それ以上に、一度頭を冷やす必要があるらしい。お前の部屋はまだ残してある。暫くはそこで反省しなさい。埃が積もっているだろうが、その掃除も含めただ。分かったな?」

「……はーい」

 意外な程の素直さを見せるフォリミナ。食事の手を止めて、やはり彼女も部屋を出て行った。

(つまり、残されたのは僕と王様だけ?)

 それはそれで気まずい状況なのでは無いか。

 マイリンが話題の種として、今日の天気はどうだったろうと思い出していたところ、王様の方から話し掛けて来てくれた。

「家庭の醜態を見せつけてしまって、申し訳ない。駄目だな。王族だ何だと言ったところで、実際はこんなものさ。親が子どもを叱ったところで、それほど聞いてくれやしない」

 マイリンが見る限り、確かに今、ここで食事を取っている男は、王と言うよりは父親であった。

「家族って、そんなものかもしれませんよ。そうやって、仲違いしながらも、肝心なところも切れてない……みたいな」

「そうであれば良いのだがね……まあ、君に話すというのもおかしな話か」

「なら、どういう話をするつもりで、僕はここの居るんです?」

 家族の一騒動については、今日はもう終わりだろう。であれば、このまま食事だって終わりになるか、別の本題に移るかだ。

「……状況をさらに混乱させるつもりはあるかな?」

「ありません。それを期待されても困る」

 剣の腕を買われている。それに寄って、事件の一つでも起こせとの注文らしい。ただ、そうであればマイリンは断る。

 それをする義理が無い。幾ら金を積まれたとしても、マイリンはそれに価値を感じる種類の人間では無い。

「そうか。なら……君らの仲間であるあの妙な博士の尻拭いをするつもりは?」

「そっちについての責任は……どうしてだか感じてますね」

 王様は、マイリンにまず納得させようとしてきた。マイリンを行動させる上での仕方の無い納得を、まず与えて来る人種なのだ。

 一筋縄では行かない相手。自分の中の、理屈にならない痛い部分を突いてくる相手。

 そういう相手にマイリンは弱い。剣を振ったところで、空振るだけの相手だから。

「あの博士だけじゃあなく、君の気分次第で構わないんだが……とりあえず気分が晴れる形で動いてくれると嬉しい。それだけを頼みたいと思ってね」

「こっちをまるっきり信用する様なやり方で良いんですかね?」

「君はフォリミナに連れて来られたのだろう? なら、フォリミナが、君が何をしたって大丈夫とお墨付きをくれた様なものだ。好きに動いて貰っても、私の損にはならないと言うわけさ」

 これまでの短い話の中でさえ、マイリンの人と成りをある程度把握したらしい王様。

 こういう事が出来るから、国の王なんて出来るのだろう。

「これを仕事だと言うのなら、報酬とかを貰えたり?」

「そこの壁に、剣が掛かっているだろう? 食事時に、何で誰かを傷つける道具を見なきゃならんのだと常々思っている。だから君にやろう。剣士に剣を持たせないと言うのもおかしいしな」

 安いのか高いのか分からないが、魅力のある提案ではあった。マイリンは剣を無くしたままだったのだ。剣の無い自分など、まったく存在意義の無い人間だ。それにまず価値を与えようと言うのである。

「なーんか、勝てそうにありませんよ、あなたには。分かりました。好きな様に、やれるだけやってみます。剣をいただいた価値くらいは見せないと、本当に僕に意味が無くなる」

「任せたよ。多分、碌でも無い状況が分かって来ると思うが……」

「そういう状況は、これまでもずっとそうでしたから……慣れてます」

 碌でも無いなんて事、これまでの人生では有り触れていた。

 席を立ち、壁に掛った剣を鞘ごと取り、腰に差す。

 さて、こんな国に対して、何から始めてみようか。




 魔生博士ことサンダーマンにとって、学びとは呼吸をする様なものだ。

 日々、何事も学びである。本を読み、未知を知る。世間を歩き、未知を知る。人と交流して、やはり未知を知る。

 それを続ける事で、漸く自分なりの発想と言うものが生まれる。

(何事かを行うというのは、その後の出来事なのだろうな)

 暗くなった空を窓越しに見る。サンダーマンがいるのは、自分に宛がわれた研究室だ。

 元は王城の一室であり、幾つもある客間の一つであったらしいが、今は改装され、サンダーマンが用意した資料と器具が所狭しと並んでいた。

 一応、サンダーマンなりに、どこに何かがあるかを把握し、利便性を追求しているのだが、他人から見れば雑多な印象を与える事だろう。

 研究者の部屋とはそういうものだ。研究者とは、余人が至れぬ領域に、自ら踏み込む存在。何時も孤高であり、自らだけの世界を持って居る。研究室と言うのは、そういう世界の延長線にあるのだと思う。

「研究の結果とは、自らの世界でもって、現実の世界に影響を及ぼす存在かもしれない。私の頭の中の空想を、現実のものとして顕現させる。もっとも、私の想像通りの結果を出せた事など、一度も無いのだがね……だからその……剣を納めてくれないか?」

「まだ話は終わってないし、逃げられるのも困る。この剣に慣れるまでは付き合ってくれないかな?」

「まさか剣の切れ味まで試そうとか思っていないだろうね!?」

 自分の研究室、自分の世界。そこでサンダーマンは、背中側から剣を突き付けられていた。

 相手はマイリン・スザイル。超人結社の一員として、親しい方の知人だ。そのはずだ。なら、どうして剣を向けられているのか、それが分からない。

「とりあえず、何をしでかすか一番分からない相手から、何とかしてみる事にしたんだ。そういうのって、大切だろう?」

「それって、私が評価されているのかね? それともこう……何時破裂するか分からない風船みたいに思われてる?」

「そういうものだろ? 僕らみたいなのはさ」

 超人。なるほど、確かにサンダーマン達はそうかもしれない。

 人を逸した存在と言われるのだから、人とは違う。人とは違うのなら、人の仲間とは思われない。そういう存在かもしれない。

 そうして、超人同士もまた、信用すべき相手では無いのか。

「だがね、私は思うよ。人と人とは分かり合い、より良い未来へと繋ぐ事となると! 私のこの溢れんばかりの知性もね、人類すべての発展のために行う、奉仕の種なのだと信じて―――

「で、何した?」

「何……とは? いたっ、痛い痛い! ちょっと背中に当たっているぞ! 脅すなら脅すで気を付けてくれたまえよ!」

 知的な自分と違って、マイリンは暴力を至上としているタイプの超人だ。やはり、相互理解は難しいらしい。

 だいたい何だ、剣が上手く使える超人って。剣を振って何がどう超越的なのだ。

 そういう疑問を持って以前に問い掛けたところ、剣の一振りで大岩を真っ二つにしたのを見て、理解できない事象の一つであると脳内で設定しておいた。

「この剣、王様に貰ったんだけど、良い剣みたいなんだ。重さも丁度良いし、振った時の感触も、手に良く馴染む。あとは切れ味を試すだけでさ。それにあなたの身体を使っても良いんじゃないかって思えて来た」

「おおっと! 頭が冴え渡って来たぞぉ! そうそう、この国に雇われたのはだね! メリミエ姫から直接の事でね! 王様も通さず、私にとある研究を依頼してきたからなのだよ!」

 命の危険には大人しく従う。それが知性ある人間の姿だ。

 意地を張って命ごと研究を秘匿したところでどうなる? 自分が死ねば、新たなる研究成果をこの世界に残せないではないか。

「そういう即物的なところ、嫌いじゃあないよ、博士」

 そう言って、漸くマイリンは剣を降ろして来た。まだ抜き身のままで、サンダーマンに斬り掛かろうと思えばすぐにでも出来る様な格好であるが……。

「評価されていると考えるべきなのかね、私。それでだ、研究というのも、彼女、この国の王族としては事情がちょっとあれでね」

「確か……彼女にはむしろ王族としての力が無いと聞いた」

「そう。興味深いと思わないかい? この国の王族にはね、獣の力と呼ばれる、何がしかが生来備わっている。その血は、一般とは違う異質なものだ」

 知識欲が刺激される。だからこそ、サンダーマンはメリミエ姫からの依頼を受けた。

 彼女がどこからかサンダーマンを探し出して提示してきた依頼は、サンダーマンにとってはむしろ渡りに船だったのだ。

「私は、この国の王族に力をもたらすそれを、獣性子と呼ぶ事にした。王族であればそれが濃く、他の人間と混ざればそれは薄くなる。王族も幾つか筋があるらしくてね。基本、この国の王家は同じ王族同士と婚姻を結び、その血の濃さを保つ。しかし問題が今代になって発生した。王の婚姻相手。メリミエ姫と、あのフォリミナの母親がそれだ」

「母親の何が問題に?」

「彼女は王族の出身では無かった。とある貴族の出らしくてね。この国の貴族は、すべて王家が先祖に来るらしいが、それでも血は薄まったからこそ、王族では無く貴族と呼ばれている。その婚姻にどの様な事情があったかっ知らないが、王族の血は薄まってしまうという懸念が生まれた」

「それだけでも、権力争いになりそうな状況だ」

「実際なっている。あのメリミエ姫はその争いの中で命を狙われているのさ。驚かないかい? もしかして、もう知っているのかい?」

「実際に見たからね」

 サンダーマンは話に聞いているだけだ。目の前で誰かと誰かの殺し合いを見るなんて御免被る。サンダーマンは何時だって学徒であり、戦士では無い。

「彼女の場合、その血の薄さは極まったものだった。何と言っても、彼女は王族であれば生来持って居る獣性子の力を発揮できなかったからだ。それが認知されるや、彼女は他の王族や貴族から、後継者不適当と見做される様になる」

「理解できる展開だけど、そこにはまだあなたは関わっていないよね?」

 サンダーマンは大きく頷く。そこからがサンダーマンの真骨頂だからだ。何せサンダーマンの成果を語る時が来たからである。

 何時だって、サンダーマンは世界そのものへの奉仕と自らの知識欲を満たすために研究や学びを続けている。

 それはそれとして、その行為を誰かに認めて貰うのは嬉しいから、話せる時は話すのである。

「私はね、メリミエ姫から、そこを何とかしろと命じられたのさ。つまり……件の獣性子であるが、血が幾らか混じったところで、ある事にはあるだろう? なら、再び濃くする方法があるはずだ……とね? ドンピシャだった」

「あのお姫様が、僕の目の前でその力を発揮できたのは、そのせいか」

「その通り! 言ってみれば、力そのものは一定の獣性子量があれば発現するのだ! そう、これだ! この錠剤こそ、私が作った新発明! 名付けて獣性子補填薬! 二日に一度くらいの頻度でこれを飲み続ければ、獣性子の力を発現できるという優れものさ!」

 机の上に置いていたガラス瓶をマイリンに見せつける。そう、見せつけなければならない。研究者や学者にとって快楽があるとすれば、この瞬間にこそあるのだ。

 どうだ。これがサンダーマンの知性を総動員し、財力と労力だって与えられて作り上げた研究の結晶だ。

 まだまだ、改良や応用の可能性があるものの、一つの結果がここにある。

「あなたが作ったものだ。多分、碌でも無いけど効果は大きいんだろうねぇ」

 何か呆れた様子であるが、ここは驚愕する時ではないかと思う。この国の、王家に関わる問題の一つを、解決できる代物だと言うのに。

「この国の歴史を、私の研究が上回ったのだ。そりゃあもう、その効果は確かだよ? なのに何故かね? どうして、頭の痛そうな顔をする?」

「厄介だからね。そうか、薬の効果に、あのお姫様は酔っているってところで……ううん。けど、それは僕が解決する問題じゃあないよね」

 何か、マイリンの方でも動き始めるらしい。あのフォリミナにしたところで、何かをしでかすためにこの国に来たのだろうと予想する。

 予想したところで、サンダーマンは一つの答えに辿り着く。研究者としての、ある種の答え。それは……。

「あ、私、明日から逃げる事にするよ。成果も出たし、研究の過程で得た知識はこの頭の中。つまり……もう良いかなって!」

「他に、逃げ出したくなる様な何かをしたな?」

「え? ええ? 何の事だい? だからその……この薬をこの国で作って、もう私なんか必要ないかなって思ってるだけなのだが!」

「まあ良い。それにしたところで、僕が関知する事じゃあない。あなたがこの国を去るって言うのなら、問題の一つは解決だ」

「人を疫病神みたいに扱ってぇ。態度悪くないかね、君ぃ?」

「そうかな。僕なんかは、まだ優しい対応だと思うけど。特に、逃げるって言うのならフォリミナには会わない方が良いね」

「彼女には研究の感動を味わう感性が無さそうだしね。ふむ。忠告は受け取ろう。なので、明日じゃあなく今から逃げる事にする。さらばだ!」

「は? いや、え!?」

 困惑するマイリンを無視して、サンダーマンは懐から取り出した玉を床に叩き付けた。

 玉は弾け、周囲に無毒であるが濃い煙を発生させる。その煙に乗じて、サンダーマンは走り出す。誰かに襲われるより早く、次の研究を始めるための舞台へ走り抜けていくのだった。

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