選択と雨
「まぁそれはどうでもいいんです。」
「いや、いいの!?」
誰であろうがどうでもいい。
もうじき、僕はこの世界から消える。
あの、錆びた剣を探そうとして、ふと思い付いた。
彼女なら、苦もなく僕を殺してくれるのではないか?
「あの、1つお願いがあるんです。」
「んー。いいよー。エッチなことじゃ無かったらねー?」
女性が、手で胸を隠しながら言う。
思い出す。思い出してしまう。
兄の愉悦の顔を。レーナの嬌声を。【聖女】を。両親を。あの、村を。
あぁ、頭が痛い。嫌悪感が、憎悪が、吐き気が湧いてくる。だけど。表情に出しちゃいけない。そうだ。平静に。平静に。
「・・・そうですか。」
よし、もう大丈夫。落ち着いた。
そして、一呼吸の後、僕は望みを口に出した。
「僕を、殺してくれませんか?」
「・・・ミリ。一旦抜けて。」「お、王様、でも、」「ミリ。」「・・・はい。」
「・・・で。もう一回言ってくれるかな。」
「僕を、殺してください。」
声音に真剣さを滲ませて、再度言う。
女性は、僕の目をたっぷり3秒見つめた後、苦虫を噛み潰したような顔をしながら、「いいよ。」と、声音だけは気軽に返してきた。
「・・・顕現せよ。【貪り喰らう手】。」
女性の翼の膜から漆黒が生まれる。
部屋の白や、彼女の髪と対照的なそれは、草原で見たものよりも、黒く、恐ろしく、そして・・・美しかった。
「これは、君の選択だよ。君が死を望むのならば、私は君を痛みもなく、楽に殺してあげよう。それが、君を呼んでしまった私の責任であり、慈悲だから。」
品定めをするみたいに漆黒が蠢く。そして、徐々に一対の手の形をとりはじめた。
「そう、ですか・・・。」
これで、ようやく終われるのだろう。
「でも、」
でも?
「もし、君が生を望むのならば、私は・・・いや、これ以上は無粋だね。」
そうだ。もういいんだ。僕がいたって、ただの無駄だ。
目を閉じる。
「あぁ、そうだ。」
「・・・どうか、したの?」
「さよなら。」
言えなかった遺言。今度は言えた。これで、思い残しも、もうない(楽になれる?)
・・・『本心』がまた、問いかけてくる。
・・・ああ。
これで、未練もないだろう?
(本当に?それで僕は楽になれるの?)
・・・ゴチャゴチャ煩いな。
僕は、僕は速く・・・、速く・・・。
(あぁ、死にたくない。)
そう思い始めたのは、3回目にして、ようやく働いた『生存本能』か、煩かった『本心』か、それとも、絶望直後の勢いもなく、戦闘後の高揚感もない、弱いだけの『僕自身』か。
どれにしろ、一度生まれた想いは、そこを開き口にするようにドロドロとあふれでてくる。
死にたくない。死にたくない。生きていたい。何かがしたい。誰かに認められたい。誉められたい。愛されたい。愛したい。助けたい。助けられたい。強くなりたい。守られたい。
あぁ、レーナ!兄さん!誰か、誰か、誰か、誰か・・・。・・・しにたく、ない。
あぁ。
(やっぱり、僕は割りきれてなんていなかった。希望を捨てることが、できていなかった。)
瞼を閉じたまま、上を見上げて、呟く。
「あぁ、ははっ。未練たっぷりだ。・・・嫌だなぁ。」
そうだ。僕は、僕は誰かに助けてほしかったんだ。暗く、狭い、独りぼっちの世界の底から。
・・・けど、僕を救ってくれるような人は。そんな人は、もういない。
「舞え。『手』よ。」
“時間切れだ”と。死刑宣告も、待ってはくれなかった。
僕が生きていても、生き恥を晒すだけかもしれない。あぁ、でも、でも、それでもっ!
そして、視界は闇に包まれた。
「助けて。」
直後、柔らかい感触に包まれる。
「君がもし、生を望むのならば、救いを望むならば。私は君を救うよ。君の事を必ず幸せにする。君には、幸せになる、義務がある。だから・・・」
もう、泣いてもいいんだよ。
頭上から降ってきた声。恐らく、あの豊満な胸元に抱きしめられているのだろう。
思えば、初めてだ。こうして、誰かに抱きしめられたのは。
(・・・また、死ねなかった。でも、僕は。)
「あ、あ・・ああ。」
ポタリ、ポタリと。
雨が、降りだした。僕の瞳から溢れ出てくるその雨は、徐々に量を増やして、黒いドレスに降り注いでいく。
漏れ出てしまった、嗚咽。それは、僕がもう、一人ではなくなった事の、証明のようで。
『安堵』して出た涙。
それは、春に雪がじわり、じわりと溶け出すように。
ゆっくりと、静かに僕の心にも染み込んでいく気がした。