3. 拾う
やっと出会った(名前すら出てないけど)
空が白んできた。
希望を見いだせずにはいられない、美しい朝。しかし男も火喰い鳥ももう限界だった。
男は、頭から血を流していた。
(カヨがいなかったのは幸いだが、あの弾け石はガロか…。直撃を免れたのは良かったが、クソ…撒くのに無駄な体力を…)
痛みに頭が揺らいで手綱を掴む手が緩んだ一瞬、火喰い鳥の頭が大きくぶれた。
「しまっ…!」
──落ちる!!
ガクン、と、火喰い鳥が急降下した。男を振り払う余力がないほど、火喰い鳥も憔悴している。
薄れ行く意識の中で男は手に巻き付けていた手綱を手放した。
「お前だけでも自由に…」
だが火喰い鳥は羽ばたきもできず、男と共に墜ちて行く。
(すまない。お前を巻き込んで)
ケカカカカッと、苦しげな、それでも狂人の笑い声に似た鳴き声を彼の相棒は上げる。
男は目を閉じた。
走馬灯のようにこれまでの人生が過ぎ去って行く。
(約束を守れなかった)
焼けただれた肌を包帯に巻かれ苦し気に息をする彼女。自分は何一つ彼女にしてやれなかった。
(許してくれ)
弟の感情のない泥のような眼差し。彼は自分を恨んでいるだろうか。
(すまない、俺は)
風を感じる。
ごうごうと耳元を風が通り抜ける。
助からない。これから自分は地面に叩きつけられる。
落ちる、墜ちる。
地獄へ、堕ちる。
「ゲール!!!」
遠くなる意識の中で、清廉な一筋の風のような声が聞こえた気がした。
▲▲▲
「ゲールありがとう!」
ひ、人が落ちてきた!しかも炎の民だ!!
彼らが地面に衝突する瞬間、ゲールがその下に間一髪滑り込んだ。一瞬ふわりと浮き上がり、炎の民─男の人だ。彼と火喰い鳥は無事に地面へと落ち着いた。間に合って良かった…!
「うわぁ……」
胸がどきどきする。
短く刈り込まれた赤い髪、同じ色の男らしい眉も苦し気に寄せられている。頬に巨大な獣の爪痕のような傷があるがこれは昔の傷みたいで塞がっている。盛り上がり変色した皮膚は生々しい。…いかんいかん。
「見惚れてる場合じゃないぞ…!」
頭部からの出血がすごい。傷口は深くはないけど広範囲が抉れていて火傷もしている。どうやったらこんな傷が?急いで農作業中スカート状の上着のポケットにしまっていたスカーフを取り出して傷口に当てた。若草色の布地に赤黒い血がじんわりしみていく。…ああ嫌だ。
息はしているが苦しそうだった。ざっと見た感じ他に血を流すような大きな怪我は見当たらないけどもしかしたら骨を折ったりしているのかもしれない。
「頭なら動かさない方がいいんだろうけど…」
とりあえず彼の身に付けていたマントを取って丸め枕代わりにし、そっと頭を固定する。堪らなくなってその革手袋をした大きな手を握った。
「う…」
男の人がうっすら目を開けると、紅玉色の瞳がその隙間から覗く。
「わ…」
本当に、想像した通りの色。きれいだ。その瞳が私の目を見て、何かを言ったが声が小さくて聞き取れない。口許に耳を近づける。
「頼む…──を……」
それ以上は聞き取れなかった。何かを託そうとしている?…嫌だ、そんな遺言染みた言葉なんて聞きたくない。
私は握った手に力を込めた。
「大丈夫、絶対助かる」
そういうと彼のぼやけた瞳に刹那、正気の光が灯る。
「俺はいい…あいつを」
「火喰い鳥のこと?わかった。お兄さんもあの子も絶対死なないから、大丈夫、安心して」
安心させるには笑顔が大切だ。
ニッと笑ってみせる。
男の人は驚いたように目を見開きその薄い唇にふと笑みを浮かべた。そして無理やり繋げた私の手をぎゅう、と、強く握り返すと力尽きたように気絶してしまった。
「シオ爺!!」
大声でシオ爺を呼ぶ。少し耳が遠いから直接行った方が早いかもしれない。でもこの人から目を離すのが怖かった。
「何だ騒がし、い」
シオ爺が先ず巨大な火喰い鳥を見て固まった。次に私の側に倒れる男の人を見て目を大きく見開く。
「炎の民…!!」
「シオ爺、この人達空から落ちてきた!医者を呼んで!」
「空から?」
シオ爺の眉間に深い皺が寄り空を見上げた。
「お前はまた厄介ごとを…」
ため息をつきながらも伝書梟を取りにシオ爺は小屋に戻る。
シオ爺の姿が見えなくなった途端、背後でゲールの歌うような鳴き声が聞こえた。
「!?ゲール、やめな!!」
クルルルル、とゲールがまるでからかうかのように火喰い鳥の周りを旋回し、鶏冠や尾を引っ張ったりつついたりしている。
「ゲール!やめろ!」
思わず男の人と繋いだ手を離し立ち上がって火喰い鳥を庇うように腕を振り回したら私が怒っているのを察知したのか、ゲールはフ、と風に溶けて姿を消す。まったく、後でご機嫌を取らなきゃだ。
それにしても、
「かっこいい…」
初めて見る火喰い鳥は本当にかっこよかった。
手綱を通されているのは磨かれた紅玉鋼のように鋭く暗褐色な嘴。牛一頭を片手で掴めそうな強靭な鉤爪も同じく鋭い。全体的に赤銅色の小さい羽に覆われ首の付け根はふさふさとしている。何より見事なのはその鶏冠と翼と長い尾だった。深紅に黄色と橙と金を編み込んだような複雑な色彩は息を飲むほど美しかった。しかし明らかにその毛並みは悪く、羽は所々抜け地肌が見える。よく見ると傷だらけで血があちこちから滲んでいた。ゼヒュー、ゼヒュー、という苦しげな息をしていて、かなり弱っているようだ。
「どうしたら…」
とりあえず胴に回された鞍を外してやると、火喰い鳥がぶるりと震えた。そうだ、本で読んだじゃないか。彼らは寒さに弱いはずだ。この地ではもうひとつきすれば初雪が降る季節のうえ…マグマを腹に溜め火を食らい、飛ぶときはその熱を利用する火喰い鳥──この子はどれだけ長く飛んでいたのだろう。
火喰い鳥は火傷するほど体温が高いと言われるのに近づいてもそんな熱気は伝わってこない。
「寒い?」
そっと手を伸ばして首を触る。温かい。火喰い鳥基準からすれば冷たいのだろうか。とくとくと脈打つ鼓動が伝わってくる。
「とりあえず火を焚いて、傷を消毒しよう。ちょっと待ってて。…ゲール!」
木笛を吹くと、ゲールが姿を現したが、グルルと飛びまわって近づいてきてくれない。機嫌がとても悪い。
「さっきは怒鳴ってごめん。…薪を運ぶのを手伝ってもらえる?後でたくさん美味しいものあげるし遊んであげるからさ」
ゲールは答えない。
「ゲール、お願いだよ」
びゅう、と風が私の麦わら帽を吹き飛ばした。
──お断り!
ぐ、と唇を噛んで帽子を追いかけ小屋の外にある薪を一人で運ぶことにする。ゲールは自由気ままで気分屋だ。今はへそを曲げているので何を言っても無駄だろう。
「シナト、何をしている」
小屋からシオ爺が顔を出した。表情は厳しいままだ。怒っている。
「火を起こす。火喰い鳥が寒がっているから」
「やめろ。火喰い鳥なぞ放っておけ」
無視だ無視。抱えられるだけ薪を抱えてもせいぜい五、六本。しまった野稲の所にある荷台持ってくればよかったな。
「シナト、やめろ」
「いやだ」
「…鳥は災いを呼ぶ」
伝書梟を空に放ちながらそう苦々しげに言われた言葉を私はまた聞かなかったことにした。