act01 はしゃぐなら履き慣れた靴で(上)
床一面に敷かれた高そうな赤い絨毯。
その上を行き交う煌びやかなドレスを着た淑女達。
そして手を引くスーツ姿の紳士達。
優美な音楽が演奏され人々は談笑しながら杯を傾ける。
そんなパーティホールの隅で、黒のロングドレスを着た女が一人壁にもたれ掛かりながら深い溜め息をついた。
細目られた視線の先ではお世辞に作り笑いを浮かべ、見栄の張り合いに勤しむ人々の姿がある。仕事でもなければ絶対に来ないであろう。
履き慣れないハイヒールに靴擦れを起こした足は痛いし、何より……。
すっと隣にやって来た人影に気付きながらも女はあえて見ることはしなかった。
それが誰だかわかっていたのだ。
「シイナ」
名を呼ばれ、否応なく顔を向けた女ーシイナ・レインーの目に映ったのは銀髪の端正な顔立ちの男だった。
「……隊長」
そう呼んだ瞬間、銀髪の男の眉間に皺が寄る。
「お前なぁ、今はそう呼ぶなと言っただろうが。話を聞いていたのか、ど阿呆」
シイナの額を軽く小突くと、銀髪の男ー隊長ことシス・ライアローーはすぐに会場に視線を移した。
「……痛いし」
何もそこまで言わなくてもと思いながら、隣に佇むシスを横目で見る。
少し伸びた銀髪に青よりも深い紺碧の瞳に整った顔立ち。
悔しいがスーツ姿も様になっている。
見た目の欠点を上げるなら、ヒールを履いた私と身長が変わらないことぐらいだ。
そんなことを考えていたシイナは、自分に突き刺さる視線を感じて目を向ければ、シスが訝しげな表情を浮かべていた。
「何か良からぬことでも考えてたのか」
「まさか、なにも」
若干上擦った声に不自然な笑顔を浮かべるシイナにシスは小さく溜め息をついた。
「任務に集中しろ」
結局またシスに小突かれるはめになるシイナだった。
そのうち額に穴開くかも、などと思いつつシイナは辺りに目を配る。シスもまた同じようにパーティの様子を窺っている。
二人がパーティを楽しむわけでもなく会場内を警戒するには訳があった。
それはパーティが開かれる三日前に届いたタレこみに関係していた。
[近日中に、ある著名人がラト教過激派に襲撃される]
嘘か真かわからないが、ラト教過激派という名を出されては軍人であるシイナ達も動かざるを得なかった。
ラト教とは古くから大衆に信仰されてきた宗教だ。
人々の支えとなる反面、神の名を借り過激な思想を持つ者達もいる。過激派と呼ばれる者達はまさにそれだ。
国や民を守るのが軍の役割の一つであることから、例え嘘の情報だとしても動かないわけにはいかなかった。
「今のところ異常はなさそうだな」
「……ですね」
どことなく不機嫌なオーラを醸し出すシイナに、シスはまた溜め息をついた。
「お前はガキか」
「アナタ様よりは年下なのでガキですね」
「お前なぁ…」
シスの説教が始まりそうになったその時、今まで流れていた演奏が止み拍手が起こった。
「主催者の登場のようだな」
皆の視線の先、一際目立つ真っ赤なドレスを着た女性がステージの上に立つ。
彼女が今回の護衛対象。
アリス・マディキュオ。
現在国のトップに立つハート・マディキュオ議長の愛娘で、デザイナーとして活躍している。
そのアリスが主催の新作ドレスの発表パーティ。
タレこみに合った過激派が狙うに値する人物ということで、軍では事前にパーティを止めるように進言したのだが、主催者側からはそんな不確定な要素で中止に出来ないと言われ、現在に至っている。
「今宵は、私の新作パーティにご出席いただきありがとうございます」
ステージ上で光を浴び、笑顔で話すアリスの姿に皆が注目している。
会場内で怪しい動きはない。
現在、アリスの警護に当たっているのはシスが隊長を務める特殊機動部隊BF第02小隊の6人で、二人一組で行動している。
警護などの任務時にペアで行動するのは安全面や効率を考えれば当然だ。
そして犯人の目くらましも考えて女がパーティ会場担当になるのもわかる。
だが、ペアの相手がまさかの隊長殿とは、シイナにとっては胃が痛いことこの上なかった。
(昔はこんなんじゃなかった気がするけどなぁ)
10年前、初めてシスと出会った時。
[大丈夫か、ボウズ]
シイナは男に間違われた。
(……あぁ、昔から最悪だった)
隣を睨めば、先程と変わらない横顔がそこにある。
「今度はなんだ」
目だけを動かし尋ねるシスに、シイナはすぐに会場に視線を向けた。
「なんでもありません」
なぜかイライラしてる様子のシイナにシスは首を傾げるばかりだった。
◆
「今日は無理を言って申し訳ありませんでした」
無事パーティを終えたアリスが自宅に戻る馬車の中でシスとシイナに頭を下げる。
肩までのウェーブがかった金色の髪に、青い瞳。言葉を話さなければ人形のような容姿の女性だ。
「いえ、どちらにせよアリスさんには警護が付いていたので気になさらないで下さい」
淡々と答えるシスに、アリスは愛らしい笑顔を返した。
「ところで、ライアロー大佐はご結婚されているんですか」
急な私的質問にも表情を変えることなくシスは答える。
「いえ、まだしていません」
「あら、そうなんですね」
相槌を打ちながらアリスは頬を緩めた。
(よし?)
アリスが小声にもならないような声で呟いた言葉は、シスには聞こえなかったようだが、″ヒト″より聴覚の優れたシイナの耳にはしっかりと聞こえていた。
(何がよしなんだろ?)
だが、恋愛ごとに疎いシイナには言葉の意味まではわからなかったようだ。