第6回
12月23日になった。利成は清掃のバイトが終了してからも『バカッパクエスト』のLV上げなどをしてゲームをやり続けて、たぎる心を落ち着けた。とにかく一刻も早く『ファイナルドラゴン3』をやりたくてたまらなかった。バイトで肉体を酷使したことも反動となってゲームへの思いを加熱させていた。そのためこの2日間、ほとんど精神安定剤に近い状態で『バカッパクエスト』が使われていた。
そして23日、発売日の前日を迎えて、利成の心ははち切れんばかりに期待に胸膨らんでいた。予約が出来なかった彼は隣街にある『ベストカメラ』という当日販売する店に今日の閉店後から並ぶつもりだった。『ベストカメラ』は仕入れ数も多く、万が一、並んでいる奴が多くいても100本は入る店だった。利成は8時の閉店を待ち切れず、夕方6時頃家を出て自転車で隣街まで飛ばした。
「な、何いっ!?」
家から15分程の『ベストカメラ』に到着した時、利成は唖然とした。『ファイナルドラゴン3』用の行列場所が既に準備されており、前日にして早くも30人近い人間が列を成していたのだ。その光景を見た利成は慌てて列に加わった。前日に来て正解であった。この調子では今夜中に販売分の人数が並んでしまったことだろう。わざわざ前から数えて自分の順番を調べると、37番目だった。
とりあえず列に入ることが出来て安心した利成は、早速背負ったバックから携帯型ゲーム機を取り出してプレイを始めた。並んでいる間さえゲームをせずにはいられない彼の悲しい性である。ゲームをすることによって、明朝までの長い待ち時間を我慢することができるのだ。黙々とゲームをする利成の後ろには続々と人間が来て列を作っていった。
深夜11時頃には既に80人近い人間が並んでいる大盛況だった。流石に『ファイナルドラゴン3』は一般の週刊誌やTVなどで騒がれる怪物ソフトだけのことはあった。今回の発売による騒ぎは一種の社会現象にまでなっていて、予想売り上げ数は300万本とも400万本とも言われていた。日本全国の子供から大人までが利成程ではないが、熱狂的に『ファイナルドラゴン3』を買い求めようとしていた。
どのくらい時間が経ったのか、気付くと朝になっていた。列の人数は、果たしてそれだけの販売本数があるのかわからないが、朝になっても増えだし150人程になっていた。深夜、周りには段ボールを敷いて、持参した毛布に包まって眠る者もいたが、利成は夜を徹してマシーンのようにゲームに没頭した。正直言ってこれから『ファイナルドラゴン3』をプレイするに当たって寝だめをしておきたいのはやまやまだったが、臆病な利成はもし寝たら翌朝この行列がどうなっているかということが心配で、ゲームの力を借りて眠気に耐えたのだ。彼の目は真っ赤になって充血した上、黒い隈が出来上がってパンダのようになっていた。『ファイナルドラゴン3』への執念だけが彼の身体を支えていた。
午前10時、ついに店が開いた。結局その時間まで専用の並び場があった以外、店内から何の整理も呼び掛けもなかった。かなりの人数が並んでいたが『ベストカメラ』はそれだけの本数を用意しているのだろうか怪しまれる程だった。おそらく「そこまでの騒動になるまい」とタカをくくっていたのである。その証拠に、入口を開錠した際に店員が見せた驚きの表情は尋常ではなく、明らかに大きな動揺を含んでいた。店員は慌てて人員整理を行なおうと列のたたずまいを正そうとするが、膨れあがった人数はそう簡単に統制できそうなものではなかった。これは買えなくてあぶれた者達の怒りは凄まじいものになりそうだと、利成にすら予想できた。とはいえそんなことは彼にとっては大したことではなく、100人以内にいる自分の安泰だけを感じてホッとしていた。
開店と同時に列が少しずつ前進していった。店内に前の方の人間が次々に入って行き、しばらくすると『ファイナルドラゴン3』を購入した者達が、続々と包みを手にして外へ戻って来ていた。10分もすると、利成もレジが見える地点まで来ていた。自分の前方の人が購入を済ませる姿を見ているだけでも、彼の心はジリジリとしてきていた。かなり以前からこのゲームに期待をしていた為、目の前にあるのにその物がなかなか手に入らないのは辛かった。彼がやきもきする内に一人また一人と望みの品を手に入れて去って行った。
段々とレジとの距離が縮まり、利成は期待と興奮と軽い緊張でドキドキしていた。心音が自分の中で響き、額や脇の下から汗が流れ落ちた。だが同時に彼の頭の中は珍しく整理されてスッキリとしていた。あと少し待つことさえ我慢すれば欲しくてたまらなかった『ファイナルドラゴン3』が自分の物になるのだ。やるべき事がシンプルな分、頭だけは落ち着き払っていた。
そしていよいよ利成の前の奴の番が来た。先程落ち着いたものの、この時ほど長く感じる時間はなかった。スカした柄のジャンパーを着て黒い皮のキャップを被っている前の男は高校生くらいの年令であるように思われた。彼はレジで会計を済まして商品を手に取ると嬉しそうな顔をして店から走り去って行った。
「次のお客様どうぞ!」
ついに、ついに利成の番が来た。レジから呼ばれて前に進んだ彼は表彰でもされるかのような心地で店員と相対した。
「あの『ファイナルドラゴン3』を…。2じゃなくて3です」
利成はいちいち言わなくてもいいことを口にする。行列は『ファイナルドラゴン3』を買う為の人間達で構成されており、店員達もそんなことはわかっているのにである。彼の心配性な性格がうざったらしくもそうさせていたのだ。店員はそんな利成の声に耳を傾ける事無く、無造作に商品を取り出してきてレジを打った。
「9240円になります」
アルバイトなのか面倒臭そうな顔をした店員は「さっさと金を寄こせ」とでも言いたげな表情をしていた。しかしその表情はすぐに何かを恐れるような顔に一変した。目の前で奇妙なものを見た為である。
「き、きゅうせん…にひゃく…よんじゅう…えん…?」
9240円という値段を聞いた時、利成の顔はこの世のものとは思えぬ程に変化した。目は釣り上がり、鼻は曲がり、口唇は歪んで歯はギリギリと食いしばられ、顔全体が崩れかかっていた。急速に心臓が高鳴って、汗が先程以上にダラダラ流れ出した。そして頭の中がクラクラと回るような感覚に支配され始めた。利成は9100円しかもっていなかった…。
「ち、ちょっと!8800円じゃないんですか?」
利成は何とか正気を保って尋ねた。店員は利成の変貌に不気味さを感じて恐怖しつつも、毅然とした態度で
「そりゃあ定価は8800円ですけど、そこに消費税5%の440円が付いて9240円じゃないですか」
消費税!利成はその言葉を聞いて愕然とした。ガーンという音が頭の中で大きく鳴り響いた。そんな存在はとうに忘れていた。彼は今まで目先の定価8800円を集めることしか頭になかったのだ。そして必死になって稼いできたつもりだった。
「どうしたんですか?ないんですか?」
店員が意地悪そうに尋ねてくる。利成はある筈もない金を全身をまさぐって探した。もはやその顔は必死を通り越して狂気に近付いていた。涙を流しながら利成は懸命に自分の身体を捜索していた。
「オイ、早くしやがれ!」
「何やってんだ!」
「いつまで待たせんだ!」
「子供が家で待っているのよ!」
あまりに利成の時間が掛かっているので、後ろから怒号が飛び交い始めた。その声を耳にして利成の焦りは最高潮に達した。「どうしよう、どうしよう?」と考えても、咄嗟に良い方法は浮かんでは来なかった。店員や後ろに並んでいる人々はジロジロと不審な目で利成を見ていた。もはや万策尽きたかと思いきや、利成の混乱した頭に最後の手段が浮かんだ。
「す、すいません!ひゃ、140円貸して下さい!お、お願いします!」
ついに利成は後ろの奴に不足分を貸してもらおうと懇願した。しかし
「すいません。僕もちょうど9240円しかないんです」
後ろの男は本当にすまなそうにして利成の申し出を断った。仕方なく利成はさらに後ろの人間にまで頼もうと視線を向けたが、みんなが待たせる彼に対して怒りの表情を見せており、誰一人として貸してくれそうな者はいなかった。状況を理解した利成の頭は大混乱を起こした。頭の中でいろいろなものが出現して、今の利成を嘲笑うかのようにグルグルと回っていた。
「うわああああ!」
利成はついに成す術なくなってわめきだした。店員も困った顔で対処に苦慮して、上の人間を呼びに走った。するとまもなく店の責任者と思われる人物が登場した。
「お客様、お金が足りないのですか?」
彼は物腰穏やかに利成に聞いてきた。
「あわわわわ!」
しかし利成はショックで気が動転して言葉にならない叫びを揚げるだけだった。それを見た責任者は苦笑して
「申し訳ございませんがお金がないのでしたら当方と致しましてもお売り致す訳にはまいりません。お引き取り下さいませ」
と言ってお辞儀をして利成の退店を願いでた。だが利成はわめき散らすだけでその場を動こうとしない。後方からは段々と罵声も揚がりだしてきて店内が騒がしくなってきたので恐れを為した責任者は目くばせして警備員を呼び出し、利成を強制的に摘み出した。
「またのご来店をお待ちしております」
責任者は連れ去られて行く利成に向かって丁寧にお辞儀をして見せた。予想外の行列騒動で彼も疲れていたのだ。この後、並びながらも買えなかった人間にお詫びをしなくてはならないかと思うと胃が痛くなった。いっその事利成と共に退店したい気分であった。