第5回
どのくらいわめきもがいたか、何とか落ち着いた利成は真剣に対応策を考え始めていた。とにかく働くなりして『ファイナルドラゴン3』の価格8800円を捻出する他に手はなかった。現在の所持金は1120円。何とか8000円級の日雇いで即払いしてくれるバイトを見つけなくてはならなかった。もちろん今バイトをしているゲームセンターにも掛け合ったが、毎月20日締めの25日払いなので『ファイナルドラゴン3』発売日の12月24日までにお金を貰うことは無理だった。『ファイナルドラゴン3』発売前日から店に並ぶことを考えると、今日はもう17日、早くバイトを探さないと手遅れになってしまう。
利成は慌てて外へ駆け出して行くと、いつも立ち読みする本屋へ向かった。自動ドアから書店内に入り、真っ先に目指したのはいつものゲーム本コーナーではなく、求人情報雑誌のコーナーだった。利成はとにかく自分の家から近くで求人を募集していないか調べた。しかし長期のバイトはあっても、日雇いで一日8000円くれるような職種は電車で遠くへ行かなければ見つからなかった。日雇いの場合、交通費まで面倒見てくれる所は少ない。従って日給8000円以上のバイトでも、目標金額には達しそうもなかった。ただ運が良いのか悪いのか、ちょうど利成の読んだ雑誌の数々は先週出たものばかりで、ほとんどの雑誌が明日今週号を発売するのだった。だから彼には明日に賭けて見るチャンスが残っていた。
確かにバイト以外にも方法がない訳ではない。友達に借りるのは人徳の欠如から無理だとしても、博打や消費者金融という手も考えられた。だが危ない橋を渡っての金銭入手だけは、切羽詰まったのならともかく、今のところは避けておきたかった。実際に彼は大学で競馬で身を持ち崩した同級生を見ていた。それを考えるとギャンブルするのは嫌だったし、金融もTVや漫画で悪例を見ているので気乗りしなかった。何よりも、金を手に入れる手段でトラブルを起こして、ゲームが出来なくなることだけは絶対にしたくなかった。
翌日、利成は一番乗りでまた本屋に行って、昨日と同じコーナーでバイトを探した。
「天は我に味方せり!」
彼は思わず興奮して店内で叫んだ。いい仕事が『週刊アルバイター』に載っていたのだ。開いたページには、自転車で行ける距離で日給8000円、12月21日一日限りの掃除バイトが書いてあった。
利成は早速募集先の電話番号を頭に記憶すると、本屋を出て外の電話ボックスに駆け込んだ。ゲーム操作のように番号ボタンを押して電話がつながるのを待つ。5回程呼び出し音が鳴ると相手側の反応があった。
「もしもし?」
「あのう、『週刊アルバイター』で見た掃除のバイトをやりたいんですが?」
利成は単刀直入に話を切り出した。
「はい、12月21日の仕事ですね?」
相手も電話の来ることがある程度予想できていたようで、軽快な喋り口で応対してきた。「そ、そうです。まだ空いてますか?」
「ええ、大丈夫ですよ。やっていただけますか?」
「は、はい。お願いします」
「ではお名前とお電話番号の方をお願い致します」
「えーと、川口…利成、電話は048−466−5779です」
「お名前が川口利成様、お電話が048−466−5779ですね?」
「はい」
「それでは川口さん、21日午前9時からですがお時間の方はよろしいでしょうか?」
「ええ」
「それから場所の方はおわかりでしょうか?」
「はい、大丈夫です」
利成は答えながら『週刊アルバイター』に載っていた地図を思い起していた。
「では当日は現地集合ということでよろしいですか?」
「はい、よろしいです」
クスッという失笑が受話器からかすかに漏れ聞こえたような気がした。ゲームのような機械を相手にする機会が多く、対人関係をあまり得意としない利成は「よろしいです」という何とも間の抜けた敬語表現を使って返答したことに気付いて恥を感じ、顔を真っ赤にしていた。電話だけに、相手に自分の顔が見えないことにホッとした。
「ではよろしくお願いします」
「こちらこそ…」
利成はそう言うと受話器を置いて電話を切った。金の確保ができそうなので、何はともあれ安堵した。多少機嫌の良くなった彼はその足で家に戻って、またゲーム界にどっぷりと浸かった。
12月21日になった。利成はいつもより朝早く起きてバイトへ行く準備をしていた。時間ギリギリに目覚めた彼は、顔を大雑把に冬の冷水で洗うと、朝飯も食べずに家を飛び出した。自転車を必死に漕いで辿り着いたのはMTビルという街中にある大きなビルディングだった。今日のバイトはここで、先月までテナントが入っていた2〜6Fを清掃員5名でクリーニングする仕事であった。
「おはようございます!」
ヒゲ面でごつい体格をしたリーダー格の男が皆の前に出てきて挨拶を始めた。利成や他のメンバーも形だけは神妙に聞き入っていた。一人当たり1フロアが割り当てられ、利成は3Fを任せられることとなった。早口で諸々の作業説明がなされ
「では今日一日がんばりましょう」
という掛け声の後、皆は蜘蛛の子を散らすように担当のフロアへ向かっていった。
利成は3階の広々とした空間でほうきを持ち、一人埃だらけの床を掃いていた。彼にとってこの清掃業務は退屈な仕事であった。もちろんフロアはかなり汚れていて、それなりに一生懸命やらなくては綺麗になりそうもなかった。そんな事は自分でもよくわかってはいるのだが、とにかくゲームだけが楽しみな彼にとって、何の関わりもないこの作業がつまらなくてどうしようもなかったのだ。そのため自然と頭は『ファイナルドラゴン3』をプレイする妄想で満たされ、掃く手も遅くなりがちであった。
12時になると休憩時間が設けられた。気が付いてみると利成一人だけ作業が遅れ気味という状態であった。他の4人はフロアを掃き終えて床の雑巾掛けに入っていたのに、彼は未だに掃き掃除すら終わっていなかった。
「終わらない場合は最後までやってもらいますよ、それも無給でね!」
朝に皆を統率したリーダーが、利成に対して優しい口調ながらも怖い顔をして凄んだ。
「は、はい…」
利成はその迫力にヒビッて恐る恐る返事をした。怖がりの彼は休憩時間もそこそこに、早々と3Fに戻って仕事を再開することになった。とてもサービス残業して働く気はなかった。ゲームが早くしたいのに時間を過ぎてまで働いてなんかいられない、そう思った彼は珍しく雑念をシャットアウトして必死に清掃に取り組んだ。普段、力仕事をほとんどしないこともあり、一日掛かりの掃除は肉体に疲労を感じさせた。
3時を過ぎた頃には腰の痛みを覚え、かなり辛くなってきた。痛みが強まると意識も朦朧としてくる。最後には『ファイナルドラゴン3』への執念とリーダーへの恐怖心が利成の身体を突き動かしていた。彼はロボットのように働いて、時間内に1フロアのクリーニングを成し遂げた。
「ふむう…」
最後にリーダーのチェックが待っていた。利成はこの時だけはゲームの緊張感に似たものを感じていた。彼特有の感覚だろうが「もうすぐでクリアできるか!」というワクワクした気持ちに近いものがあり、さながらリーダーはゲームの最終ボスだった。
「ま、いいでしょう。お疲れ様でした」
リーダーの口からその言葉が出て、利成はゲームクリアのような清々しさを感じた。封筒入りの現金を貰った時、単純な男である彼は心の底から嬉しさが込み上げてきて、労働の素晴らしさというものがわかったような気がしていた。清掃員各人はそれぞれリーダーのチェック後、個別に解散しており利成はその最後であった。彼は誰もいなくなったMTビルを背に「ゲームしたい」という欲望に駆られて自転車で家まですっとばした。