第2回
「うっ、臭っ!?」
目覚めた時、利成はまず部屋の異臭に気付いた。眠い目を擦りよく見るとテイッシュが無造作に散らかっている。悪臭の原因は自分の体液だった。利成は何とも言えぬ情けなさを感じながら、落ちているテイッシュを拾い集めゴミ箱に投げ込む。そして換気の為に窓を全開した。
「さ、寒っ…」
窓を開放した途端、寒気が部屋に流れこんできた。あまりの寒さに耐えきれなくなった利成は慌てて窓を閉じる。すると換気が不十分なため、部屋には何とも言えぬ臭気が残り漂った。朝から昨日のイライラに拍車がかかり、部屋にいるのも嫌になった利成は、時計が10時を回っているのを見て取ると外出することにした。行き先は彼の一番のお気に入りスポット、ゲームセンターだった。自分のバイトしている店へ行けば、3ゲーム(300円分)までは無料にしてもらえるのだ。金に余裕のない彼としては気晴らしにもってこいの空間であった。
「おはようございまーす!」
利成は入口付近で店長が掃除をしているのを見付けて、挨拶した。
「おう、また来たのか。お前も好きだなあ。俺と店長代わるか?」
店長は利成のゲーム狂に半ば呆れたような表情を見せながらも、300円を手渡し、店内に招き入れた。
中に入ると利成は真っ先に『闘拳』という対戦格闘ゲームの前に座り、コインを投入してゲームを始めた。対戦格闘ゲームとは、同じゲーム機が2台表裏に並び、勝ち抜き戦のように次々と自分の正面に座って乱入してきたチャレンジャーと戦うゲームだ。そしてその大半が格闘技という題材を扱っていた。利成のスタートした『闘拳』もその類のもので、空手家やプロレスラー、少林寺拳法使いなどが闘うゲームだった。
「うりゃうりゃあ!」
利成はゲームとなると真剣そのものなので、格闘ゲームなどをプレーすると、操作するキャラクターに成り切ってパンチやキックを繰り出しているつもりになって声が出る。それは端から見ると変な人そのもので、客が多い日などは周囲から異様な物のように見られることもあった。そんなことにはまるで構わず(というよりも気付いていない)彼は誰も挑戦してこない『闘拳』を、コンピューター相手にまず一回クリアした。
「ちっ、つまんないなあ、一人くらい挑戦して来ないのかよ」
『闘拳』に絶対の自信を持っている(自称プロ)利成は、相手が来ないことに拍子抜けしていた。
「しょうがないな、モグラでも使ってみるか」
ここで言う『モグラ』とはゲーム中に出てくるキャラクターのことで、モグラ拳法という訳のわからない技の使い手だった。利成は対戦相手も入って来ないので、その『モグラ』を初めて使用してみることにした。店長から貰った2枚目のコインを投入してゲームをスタートさせる。利成はキャラクターを『モグラ』で選択し、格闘を始めた。すると画面上に寝そべったモグラが姿を現わす。利成の操る『モグラ』は奇妙な動きでコンピューターの格闘家を攻撃する。
「何だこいつ面白いなあ。今度から使ってみるか」
利成は『モグラ』の破天荒な格闘スタイルが気に入ったようで、対戦相手の来ないことなど忘れてゲームを楽しんでいた。利成の気分に合わせるかのように、『モグラ』は順調に勝ち進んでいく。朝から憂欝だった彼の気分も少しずつ晴れてきていた。『モグラ』のコミカルな動きは彼を和ませるのに充分な価値があった。
ところがその心の平穏はすぐに乱された。プレイ中の画面が反転し、「Here comes a challenger!!」という文字が現われたのだ。これは正面側のゲーム機に対戦相手が来たことを意味する。
「チッ、今頃来やがったか。こっちはモグラだってのに…」
利成は誰に言うともなく呟くと、キャラクターをコントロールするレバーを握り締め、臨戦態勢を整えた。
「Fight!!」
と画面から表示と音声が出て、乱入者との闘いが開始された。ガチャガチャとレバーを動かし、画面上のキャラクターに成り切る利成。しかし相手の使うプロレスラーはなかなかの強者で、今日初めて『モグラ』を使用した利成には歯が立たなかった。『モグラ』はプロレスラーに捕えられて投げ飛ばされた。
「あっ、ちくしょう!」
悔し紛れに叫ぶ利成。結局なす術なく『モグラ』はやられまくった。
「K.O」
「You lose」
「Game over」
と敗者を罵るような文字が次々と画面上に表示され、利成はゲームを続ける権利を奪われた。
「野郎、ムカついた!本気でやってやるよ!」
ほとんど無抵抗の『モグラ』がやられたことを、まるで自分の親類でも殺されたかのように感じた利成は、怒りに任せて最後のコインを投入し、乱入した。彼は今度の使用キャラに最も得意とする空手家シロウを選んだ。そして「今に見ていろ」と息巻いて、画面に食い入るように身を乗り出す。
プロを勝手に自認するだけあり、利成の操るシロウは流れるような動きで相手のレスラーを圧倒する。蹴りや突きが面白いように相手に当たって利成は圧勝した。
どうだ見たか、とばかりに得意になる利成。しかしこれで憂さを晴らしたかと思いきや、再びチャレンジャーが乱入してきた。相手のキャラはまたも先程のレスラーで、おそらく同じ人間に違いない。あれだけの差を見せ付けられながらまだ挑戦してくるのかよ、と感じた利成だが、お構いなしにバトルはスタートする。結果は当然利成の連勝である。だが挑戦者は再度挑んできた。
「おいおい、学習機能ついてないのか?」
利成は相手のあがきにブーたれた。若干イライラしてきて、相手をおちょくるような操作をし始めた。それでも彼の勝利が揺らぐようなことはなかった。だが相手は引っ込む様子を見せない。利成に何度倒されてもしつこく挑戦して来た。
「てめぇ、しつこいぞ!」
利成は画面に向かって叫ぶが全く効果はなかった。相手は負けても負けても次々にコインを投入して乱入してくる。これが対戦格闘ゲームの鉄の掟とも言える、連続乱入法(命名は利成)である。はっきり言って後ろに順番待ちの奴がいなくて、なおかつ注ぎ込めるコインが無尽蔵にあれば、店が閉店するまで半永久的に乱入できるのである。つまり金さえあれば負けないことは可能なのだ。普通、そんな間抜けはまずいないだろうが。
闘いは既に15回目を迎えていた。その間、利成が空手家シロウを使ってからは一度も負けていなかった。
「バカかこいつ。もう1500円も注ぎ込んでいるぜ。こうなりゃ憂さ晴らしにいくらでも使わせてやるぜ」
フンフンと鼻歌気分で余裕の利成だったが、半ば相手のしつこさに辟易もしていた。しかし挑んで来る限りは金を使わせてやろうと、底意地の悪さが頭をもたげ始めていた。それが慢心に繋がったのか、信じられないことが起こった。
「何いっ!?」
何と三本勝負の一本目、利成は負けてしまったのだ。こうなると小心者の彼は弱い。恐る恐る操作して二本目は取り返したものの、三本目は「負けるかも」というプレッシャーに呑まれて縮こまってしまい、まさかの敗北を喫してしまった。
「くそっ…」
拳をガーンと基盤に叩きつけた利成の眼前では空手家シロウが無残にも横たわり「Game over」の文字が踊っていた。対称的にプロレスラーが勝ち誇って「Come on!」と中指を突き立てていた。
「この野郎!ふざけんな!」
画面から相手の挑発を感じ取った利成は頭にカーッと血が昇り、無意識の内に財布から金を取り出してゲーム機に投入していた。怒った彼を嘲笑うかのように、相手のレスラーは対戦が始まっても逃げまくる。空手家シロウはダッシュしてそれを追い掛ける。すると奴はいきなり方向転換してドロップキックしてきた。これがカウンターでシロウにヒット!シロウは開始早々大きなダメージを負った。レスラーは続け様に倒れているシロウを引きずり起こしてジャンプしてのパイルドライバーを決めた。
「そ、そんな…」
「K.O」の文字が利成に突き付けられる。相手もただのバカではなかった。15回も負けている内に自分なりの利成攻略法を練っていたゲームバカだった。相手は調子に乗ってきて利成を連破した。
「ムムムム…」
利成は怒りを抑えることが出来ず、血管をピクピクと浮き立たせていた。このままでは辞められないという気持ちが無意識的に次の100円を財布から取り出させた。
「はあっ、はあ…」
息切れを起こす程の激闘は終わった。一時間以上も闘った結果、利成はようやく相手を帰らせることに成功した。しかしそのために自分も1500円の犠牲を払う結果となった。相手も利成の戦い方に慣れてきて一進一退の攻防となったので、負けたままでは絶対帰らんという下らない意地を張る利成は、予想外の出費を余儀なくされたのであった。
「あーっ、ちっくしょう!」
利成はゲーセンを出て開口一番、怒りの口調で叫んだ。最終的な勝利はともかく、1500円という出費は今の彼にとってかなり痛かった。ついムキになってしまったことで、一時の満足は得たものの、大局的に見て大きな損をしてしまったのだ。下手をすると購入予定のゲームソフトがさらに一本買えなくなってしまったかもしれない。
「くそっ、なんてバカなことをしてしまったんだ…」
利成は今更ながらに後悔していた。確かに相手のしつこさには腹が立っていたし、負けたまま帰ることは絶対に嫌だった。しかしまさか自分もここまで出費するなんて思いもよらなかった。
「ちくしょう、ゲーセンなんか来るんじゃなかった…」
気晴らしにゲーセンに来た筈だったのに、利成の気持ちは重くなるばかりであった。自然と漕ぐ自転車のペダルも重く感じられてきて、沈む気持ちに拍車を掛けた。
そして家に戻ると体液の悪臭が待ち構えていた。利成はとりあえず気持ちの清浄という意味も込めて部屋の掃除に取り掛かった。まずは寒いのを我慢して窓を開ける。冷たい空気が部屋に流れこむ。あっという間に狭い部屋は冷気で満たされた。利成も厚着をしているものの、震えが止まらない。彼は縮こまりながらも部屋に散らばる紙屑を透明ゴミ袋に入れて、掃除機をかけた。
「うへえ、汚えなあ…」
自分で独り言を呟くほど彼の部屋は汚れていた。よく見ると愛用のゲーム機まで埃をかぶっている。朝からの悪臭はもちろんのこと、部屋中が埃っぽい感じだった。この惨状に気付いた利成は、久し振りに大掃除に取り掛かることを決心した。積み上げられた本やゲームソフト、衣服などを一ヶ所に集め、再び掃除機をかける。ブオオーンという轟音が鳴り響き、塵や埃が吸い込まれていく。テイッシュを捨てたことや換気の影響もあってか、匂いの方も良くはならないが、悪臭も消え去っていた。約二時間の掃除はちょうどよく部屋の模様替えにもなったようで、今までオタクの巣窟と言われても仕様がなかった所が、一般的な学生の一人暮らしの城に変貌を遂げた。
「しっかし綺麗になるもんだなあ」
利成は部屋の見事な変化に自分のことながら感心していた。次第に気分の良くなってきた彼は手を休めずに片付けを続けた。積み重ねられた衣類や本をテキパキと所定の位置に収める。大きな山が暴風雨によって削り落とされるかのように、積まれた物資が次々と片付けられ小さくなった。
「よし、これでラストだ」
利成は残された全ての物を一気に持ち上げて運ぼうとした。結構な重量にひ弱な足腰がフラついていた。ここで悲劇は起こった。
「うわっ!?」
何と利成は荷物の重さにバランスを崩し、後方に倒れてしまったのだ。バラバラと散らばる書籍やCD、ゲームソフト。しかしそんなことはどうでもいい。何よりも利成は自分の尻餅を着いた辺りで聞こえた「メキッ」という嫌な音が気になっていた。
「ま、まさか…」
利成は恐る恐るお尻を持ち上げて、その下を覗き込んだ。「ガーン!」という漫画に出てきそうな音が冗談ではなく利成の頭を駆け巡った。お尻の下には命の次に大切なゲーム機があったのだ。そしてそれは彼のヒップドロップによって無惨にも一部潰れて損傷していた。
「そ、そんな…、マジかよ…」
念のため、利成は電源を入れて動作の可否を確かめてみた。が、結果は見るまでもなかった。ゲーム機は不貞腐れたかのように全く作動しなかった。それどころか彼に対して怒ってでもいるように煙を吹きだしていた。
「うわあああ!」
利成はたまらず叫びを揚げた。悲しみのあまり涙まで流れてきた。今の彼にとってゲーム機の故障という事態はかなり痛かった。ただでさえ金銭的に余裕がないところへ、修理代を請求されればさらに購入予定のソフトが買えなくなる。それもこの手の自己責任による破損の修理は相当値が張るというのが相場だ。下手をすると新品を購入しなくてはならない可能性もあった。
善は急げとばかりに利成は電気屋へ向かった。彼は玄関の扉をロックもせずに家を飛び出し、手に持った小さな鍵で自転車の鍵差し込み口をガチャガチャとやって動けるようにすると、一目散に駆け出した。そのスピードは時速50km近く、常人の速さではなかった。その様子はまるでバイク乗りが「今日で終わってしまう」というような暴走りをしている感じに近かった。大げさでなく今の状況は利成にとって人生最大の危機といって差し支えのないものだった。家でゲームができない、それは牢に繋がれているのと同じくらいの苦痛だった。しかも金銭面の危機で『ファイナルドラゴン3』が買えなくなるかもしれない。利成は何か考えるとムシャクシャして頭が爆発してしまいそうだった。