神聖エル帝国のプロパガンダ 〜なぜ帝国は我々『魔族』を憎み続けるのか〜
著者 ニケ・スフィア
建国元年、首都ヘルウーヴェンに生まれる。
幼い頃より大陸中を歩き回り見聞を得る。
その幅広い知識を魔王に買われ、外交顧問に就任。
おもな著書に『帝国民の生活』
『魔族と人族、それぞれの信仰』など。
この本は、神聖エル帝国が行ってきたプロパガンダについて、読者が正しく理解をすることを助ける目的で書いたものである。
我が国と帝国は、現在緊張状態にある。
どのような舵取りをするにしても、正確な判断材料が必要である。
この本が、その判断材料の一つになることを私は信じる。
これまで、我が国ヘルウーヴェンでこのような本は書かれなかった。
なぜなら、我々魔族が帝国に入ることは至難の業であり、人族に紛れて情報を集めるなど、到底不可能だったからだ。
今回、私はこの本を執筆するにあたり、共和国にいる人族の友人の助けを得て、帝国に侵入することができた。
彼にはここで謝辞を述べたい。
ここ最近、人族による魔族への攻撃が頻発している。
だがたとえ、人族が魔族を一方的に憎んでいるとしても、私は安易に帝国へ反撃するべきではないと考える。
繰り返し書くが、この本を執筆したのは、あくまで読者に事実を知ってもらい、その事実をもとに各々で判断してもらいたいからである。
では、帝国が行ってきたプロパガンダの実際を見ていこう。
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第一章
どのようにして、帝国の幼子たちは
我々魔族を憎むようになるのか
まず事実として、魔族と人族は生まれながらにして仲が悪いわけではない。
教育や環境により、人族の幼子は魔族を憎み、恐れるようになっていく。
遺伝的な気質が備わっていて、育つにつれて互いに憎み合うようになる、という説もある。
だが、私はそう考えない。
私に人族の友人がいること、それを先の説への反論とさせていただく。
帝国の幼子が魔族を憎む。
やはりそこには、帝国のプロパガンダが関わっているのだ。
以下の物語を見てもらいたい。
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「ははは! 勇者よ、幾度の敗北を乗り越え、よくここまで来たな!」
「魔王よ! 今度こそお前を倒す!」
暗く広い部屋の中で、二人の男が向かい合っていました。
美しく光り輝く剣を手にした勇敢な若者と、おぞましい暗闇をまとうローブを着た老人。
魔王と呼ばれた老人は玉座に座ったまま、口元に恐ろしい笑みを浮かべて言いました。
「威勢だけは買ってやろう。だが、何度来ようとも無駄だ。返り討ちにしてくれるわ!」
勇者と呼ばれた若者は力強くそれに応えました。
「私はもう以前とは違う! 強くなった! そして、今回は心強い仲間たちもいる!」
若者の後ろには仲間たちが控えていました。
彼らは武器を携え、勇者の側に並び立ちました。
魔王は笑みを浮かべたまま言います。
「有象無象がどれほどいたところで、この力の差はくつがえるものではない。だが、それでもやるというのなら相手になってやろう!」
魔王がゆっくりと立ち上がると、それに合わせて周りの空気が重苦しく淀みました。
しかし勇者たちはそれに恐れることなく武器を構えました。
「やってやる! いくぞみんな、これが最後の戦いだ!」
勇者が叫んで魔王に斬りかかり、壮絶な死闘の火蓋が切られたのでした。
苛烈な攻防をいくども繰り返し、勇者と仲間たちは、ついに魔王を追い詰めます。
「ぐうああ! ま、まさかこれほどの力を!? この世界の支配者たる私が負けるだと!」
魔王は膝をついて勇者を睨みつけました。
勇者はその視線に負けることなく、魔王に剣を突きつけました。
「観念しろ、魔王! お前の負けだ!」
「認めん、認めんぞ! この私が家畜どもに敗北するなど、あってはならないことだ!」
「私たちは家畜なんかじゃない! 私たちはお前を滅してお前の支配から解放されるんだ!」
勇者は力強く宣言しました。
魔王は悔しそうに勇者を見上げていました。
ですが突然、魔王は狂ったように笑い始めたのです。
「……くくく ははは はーはっはっは!」
「何がおかしい!」
不気味な魔王の笑いに、勇者たちは底知れぬ恐怖を感じて、一歩後ずさりました。
「ははは! 勇者とその仲間たちよ、この私を追いつめたことは褒めてやる。素直に認めよう、お前たちの力は私の力を上回っていた。だが私を滅することはかなわない」
「どういうことだ!」
「勇者よ、おまえがあの忌々しい女神の加護を得ているのと同じように、私も偉大なる邪神の加護を得ているのだ」
「なんだと!」
「私はよみがえる! 何度でも! クク、人族の寿命は短い……次はお前たちが年老いるのを待って、ことを起せばよい。家畜どもよ、つかのまの平和をかみしめるがいい! 私がよみがえったあかつきには、更なる恐怖による支配が待っているのだ! ははは! よろこべ! 税は百倍! 生け贄も百倍だ! 人族の未来を想像して、絶望しろ!」
なんという恐ろしい支配なのでしょうか!
勇者はその恐ろしい未来を想像して愕然としました。
仲間たちも顔を青くして魔王を見ています。
ですが、そこに凛とした声が響きました。
「させません!」
その声の主は、勇者が教会で出会い、彼の仲間になった少女でした。
彼女が放った不思議な力が魔王を包み込みます。
魔王はそれを振り払うことができず、取り乱して叫びました。
「なに!? この力はなんだ!」
「女神さまより授かった力です! この力であなたを永久に封印します!」
「なんということだ! 貴様は天使! 忌まわしい女神の手先め! 封印される前に貴様を殺してやるわ!」
魔王は残りの力を振り絞り、少女へと跳びかかりました。
突然のことに少女は微動だにできません。
そして魔王の鋭い爪が彼女へと届こうかという時、勇者の剣が爪を受け止めました。
「仲間はやらせない!」
「ぬぅっ!? 勇者め、邪魔をするな! ぐっ、ぐおお!」
封印の力が強まり、魔王は苦しみます。
ですが、魔王はそれ以上に人々へ苦しみを与えたのです。
自業自得です。
魔王の身体がだんだんと消えていくのを見て、少女は更に力を込めました。
「これで終わりです!」
「魔王よ! 人の世から消え去れ!」
「ぐおおおお! む、むねん!」
こうして邪悪な魔王を討ち滅ぼした勇者とその仲間達は国へ帰り、大勢の人たちから歓迎されました。
そして魔王を倒した英雄として、王様からたくさんの褒美を与えられました。
その後、勇者と少女は女神に祝福されて結婚し、いつまでも幸せに暮らしました。
神聖エル帝国 女神教総本山 発行
『世界を救った勇者の物語』より 抜粋
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これは、帝国の教会が各家庭に配布している子供向けの本から抜粋したものである。
もっと幼い子供用に、易しい言葉で書かれた次のようなものもある。
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「ゆうしゃ よ! ついに ここまで たどりついた か!」
「まおう め! ぜったい に たおして やるぞ! くらえ!」
「なんの これしき! おまえこそ しんでしまえ!」
「ふん! こんな こうげき が あたるものか!」
「ならば この おそろしい まじゅつ を うけてみろ!」
「うわあ! なんて つよい こうげき だ! このままでは やられて しまう」
「ゆうしゃ さま だいじょうぶ ですか?」
「きみ は てんし! ああ まだまだ やれるさ!」
「ふたり で いっしょ に こうげき しましょう!」
「うん そうしよう! いくぞ!」
「なにい! ふたり に こうげき されたら さすが の わし も やられてしまう ゆうしゃ と てんし が いないところ へ にげよう」
「やったあ! まおう を おいはらった ぞ!」
「これで へいわ が おとずれ ますね!」
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いかがだっただろうか?
これらが帝国で、幼い子どもたちがよく聞かされている物語である。
他にもバリエーションはあるが、内容は同じだ。
人族を支配する恐ろしい魔王を、人族の勇者と天使が倒す。
ここで言う魔王とは『悪魔の王』、『魔物の王』である。
読者諸賢には言うまでもないことだが、我が国の魔王は『魔族の王』または『魔術師の王』である。
帝国のプロパガンダによって、この物語の中の魔王と実際の魔王は混同されている。
この物語を読むことによって魔王を憎むようになった幼子たちは、実際の魔王や、魔族をも憎むようになるのだ。
さて、先程の話は抜粋である。
実際の本には、勇者が旅立つところから始まり、魔王を倒すところまでが書かれている。
私もそれを手に入れて読んでみた。
魔族の私が言うのもおかしいかもしれないが、よくできた物語であった。
帝国の幼子たちが夢中になって読む(注1)というのも理解できる。
この物語を読み、男子は勇者に憧れ、女子は天使に自分を重ね合わせるのだ。
この『世界を救った勇者の物語』の初出は数十年ほど前である。
つまりは帝国の創作(注2)なのだが、今では『若獅子物語』や、『七匹の竜』のようなクラシックと同列に置かれている。
いまでは帝国民の神話となっているのである。
一体誰が、幼い頃から聞かされた自国の神話を疑いたがるだろうか?
帝国に住む者は、幼い頃から先程のような物語を何度も聞かされる。
物心ついた頃の幼子には、正誤判断の材料がない。
家族が崇める教会の話であるからには、それを信じるしかないのだ。
結果、言葉を自在に操れるようになる頃には、魔族を恐れ憎む、立派な帝国民が出来上がるというわけだ。
子供向けの物語による影響も、決して小さくはないのである。
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(注1)それは帝国民の識字率にも良い影響を与えているようである。
(注2)完全な創作と言うわけではない。勇者や天使がいたというのは史実らしい。その記録は我が国にも残っている。
『お願いします、魔王さまっ! 〜村娘からのお手紙〜』の冒頭部に出てくる劇中劇を、書籍仕立てで書いたものです。
読んでいただきありがとうございました。