駅にいる男と居合わせた少女
『――番線に電車が参ります。白線の内側まで下がってお待ち下さい』
某所某駅で、とある電車を待つ少女がいた。
ガタンガタン、電車の音を聞きながら、目当ての電車をまだかまだかと待っている。
そんな中、ふと立ち上がる何かの気配を感じて、少女の視線は斜め後ろへと流された。
少女は黒目がちな双眼でその気配を見つめ、そっと足音を潜めて近付く。
仕立ての良さそうなビジネススーツを身にまとい、そわそわと落ち着きなく電車を待つ男。
「お兄さん」
少女は上目で男を見る。
目が合えば光の少ない瞳の中に、少女の顔が映り込み、こちらを見つめていた。
白く細い少女の手が、男のスーツの端を掴みシワを作る。
「……」
「誰か待ってるんですか?」
男が口を開くよりも先に、少女が口を開き言葉を吐き出す。
僅かに男の瞳が見開かれるのを見た少女は、ゆっくりと己の首を傾けた。
うろ、男の黒目が少女を映さなくなり、電車の来ていない線路に向けられる。
「そう見えた?」と男が言えば、少女はゆっくりとスーツを掴む手を解く。
そして男の問に答えるように、男が電車が来る度にウロウロしていたことを告げれば、ふぅん、とさして興味のなさそうな返答が投げられた。
少女が駅のホームに入って来るよりも前からいたらしい男は、そのホームに電車が入るアナウンスを聞く度に腰を上げていたのだ。
そうして、そわそわと落ち着きなく電車を眺めては、通り過ぎた後にベンチに座り込む。
その様子を少女は、もう十回以上見ていた。
「……待ってるんじゃないよ。会いに行く勇気がないだけ」
男の視線は線路に向けられているはずなのに、もっと、どこか遠くを見ているようだと少女は思った。
大きく無骨な男の手が、スラックスのポケットに収められる。
気怠そうに猫背になる男を見て、少女はますます首を傾け、その顔を覗き込む。
「恋人ですか?」
小動物みたいな少女の瞳に映る男の姿は陰鬱そうだが、少女はそう見えていないような素振りで、ニコニコと笑顔を向ける。
ステキ、少女の口がそう動こうとした時、男は眉を寄せはの字に下げた。
少女の言葉をかき消すように、違うよ、と吐き出されれば、少女はキョトン、と目を丸める。
「そうなりたかった人」皮肉そうな笑顔を見て、少女は「片想いね」と手を打った。
言葉選びにその言葉の吐き出し方、大人びているように見えて、動きは酷く幼い。
「多分、ソイツも俺と同じ気持ちだったろうけど」
はぁ、短く溜息を吐き出す男。
そんな男を見上げて、少女は肩に引っ掛けていた鞄を掛け直す。
難しい話ですね、少女の言葉に男は目を細めて足元を見た。
男の視線の先にあるのは、綺麗に磨かれた革靴に、点字ブロックと白線だ。
ザリッ、と音を立てて革靴の裏で点字ブロックを撫でる。
「お兄さんは会いたいんでしょう?その人は、お兄さんに会いたくないの?」
「……ただの口約束。きっとソイツは俺に会うことは望んでないんじゃないかな。俺が勝手に会いたがってるだけ」
ギュッ、と男の手に力が入る。
スラックスのポケットに収められているにも関わらず、それを感じ取った少女は、男の腕を掴む。
「大好きなら会いに行きましょうよ!」
ふわり、少女は加工のされていない黒髪を揺らして、男を見上げた。
スラックスのポケットから、男の手を取り出し、壊れ物でも扱うように優しく握る少女。
その細く白い指先に力が入る。
包み込むように、優しく、優しく。
男が少女を見下ろせば、そこにあるのは酷く無垢な笑顔だった。
「約束したんでしょう?」と敬語になったり、タメ語になったり、ぐちゃぐちゃな言葉遣いで少女は言う。
その言葉に男は目を見開いて、次の言葉には眩しそうに目を細めた。
「勇気が出ないなら、私が付いて行ってあげる!」
無垢で無邪気な少女に、男の口元が緩む。
柔らかな弧を描いた唇で「君がついて来るには、少し早いかな」と呟いた。
そうして、少女が握り締めている手とは逆の手を、少女の小さな頭の上に置いて、髪を梳くように撫でる。
「それに俺は、全然会いに行けそうにないからさ」
少女は撫でられながら首を傾ける。
大きな瞳の中に男を映していると、別の人物が少女を呼んだ。
黒い髪をなびかせて振り向けば、そこには、少女が駅に来た理由があった。
随分とラフな格好をした男が、キャリーバッグを引きながら少女に近付く。
少女の頭を撫でる男を見て、少女と酷似した笑みを浮かべる男は、少女の正真正銘血の繋がった兄だ。
お兄ちゃん、嬉しそうな少女の声。
男と少女の兄は視線を交わらせて会釈をする。
そんな二人を見て少女はニッコリと笑い、最後に男の手を強く握り上下にゆらゆらと振った。
「お兄さんの大切な人によろしくね」少女の楽しそうな声に、男が吹き出し、少女の兄は慌てて少女の口を塞ぐ。
苦笑を浮かべる少女の兄は、少女の手を取り、再度男に会釈をした。
男もそれに答える。
うちの妹がご迷惑をお掛けして、いえ、楽しかったので、二人の言葉に少女は体を揺らす。
兄妹は手を繋ぎながらその場を後にして、少女はずっと男に手を振っていた。
男もまた、それに答えるように手を振った。
そうして二つの背中が見えなくなると、男は見せなかった歪んだ表情をする。
ぐしゃり、歪んた表情のままその場に崩れ落ちる男は、嗚咽を噛み殺して泣き出す。
ぼろぼろ、ぼたぼた、こぼれ落ちる雫は留まることを知らず、本日何本目になるか分からない電車が男の目の前を通り過ぎた。
「ごめん……おれ、できねぇよ」
男はきっと、明日も駅にいる。