第鉢章 当たり前だと思っていたものの大切さは失って分かる
目が覚めると、黄鞠はベッドで寝ていた。
ふわふわもこもこの布団でいいにおいがする布団だった。
さらに黄鞠はあることに気付く、何か肌寒いと思ったら今自分は服を着ていないことに気が付いた。
バスタオルを体に巻いたままの状態で布団の中にいた。
辺りを見回すとそこはどうやら女子の部屋らしい。
機能的な部屋の配置に本棚、パソコンなどなど片付けの行き届いていた清潔感のある部屋だった。唯一気になるとすれば、窓際に置かれた可愛らしいぬいぐるみがちらほらと並んでいることだった。
妖怪っぽい猫、電気出しそうなネズミ、何となく気に入らない梨、その他可愛らしい人形…そしてソチもんの生首。あれは俺のか?
さらに周囲をちらちら見渡すとベッドのそばに自分の着替えが置いてあることに気付いた。
ずっと全裸でいるのもどうかと思ったので着替えることにしましょ。
黄鞠が着替えているとき、扉がバッと開いた。入ってきたのは寮長の遠山 志津だった。
どうやら黄鞠は遠山先輩の部屋で寝ていたようだ。
「む、着替え中だったか。失礼した」
「あー、別に気にしなくていいですよ。女じゃあるまいし」
黄鞠は急いで残りの服を着込んだ。
「さて、私はお前に聞かなくてはいけないことがある、わかるな。言わずもがな昨日のことだ」
そりゃあ、そうでしょうね。
「……女子のほとんどはお前が女子風呂に入ってきたと一方的に言っているが、お前の話を聞かずに
判断するのもどうかと思ってな。風呂場で裸で気絶していたのは事実だが、何か申し開きはあるか?」
「まず、お礼を言っておきます。多分気絶した全裸の男なんて扱いに困るのに、部屋に運んでもらったうえにあまつさえベッドを貸していただいてありがとうございました」
そして、黄鞠は状況を整理する。落ち着いて、なぜ、どうしてこうなったのかを振り返る。
「……俺は確かに大浴場に行きました。それは事実なんですが、俺は11時から入浴の許可を貰っていたんです」
「許可とは誰にだ?」
「管理人さんですよ、そりゃ。知っての通り俺はテント生活で個室に風呂なんてありませんですし、だからと言って入浴しないのは拷問なので女子の入浴時間である10時から1時間後の11時から入浴してもいいといわれていました」
「なっ!そうなのか?しかし…」
遠山先輩は考え込む。
なにか思い当たる節があるのだろうか?
「私たちはそのことを聞いてはいない。だが、思い当たることがある。私たちは管理人さんから入浴の時間はとにかく厳守だときつく釘を刺されていた。今年は違和感を感じるほどに念押しをしていたから何か理由があるのかと思っていたのだ」
「それですよ。女子にとっては自分たちが入る浴場に男子が入るのが気持ち悪いとか自分たちの入った浴槽に男子が入るのが耐えられないって言う人たちが絶対に出てきますからね。そういうところを配慮してなぜかは言わなかったんですよ」
「……なるほどな。私はお前がそこまでバカな行動をとるようなやつには思えなかったからな」
「いえ、ここは女子寮であることに変わりはありません。せめて誰かが入っているかくらいは確認するべきでした。俺の落ち度が全くないとは言えません」
「いや、確かにそういってしまえばその通りだが、今回悪いのは時間を守らなかった女子たちだ。お前は咎められるべきではない」
先輩は本当にいい人だ。悪いものは悪いときちんと客観的な判断を下せる人間だ。
「みんながみんなそう思ってくれれば、この事件は解決なんですけどね」
「寮の皆にはそういっておくが、多分皆好意的な解釈はしないだろうな」
そりゃそうだろうなと思う。客観的にどちらが悪いかなんてそんなことはどうでもいいことで、重要なことではない。何だっていいから俺を攻撃するチャンスだからね。
不都合な事実は聞こえないのは当たり前。というより、悪いのはどう考えても私の都合の悪いものが悪いんだってことは男子だって女子だって変わらない。大抵の人間がそうだってそれは一番言われていることだ。
まるで日本の縮図だな。正しいかどうかは世論が決めるのだ。
しかも学校という閉鎖的な社会には法律なんてない。正しいかどうかは世論が決めるみたいな傾向は殊更に強い。
「そういえば、今何時だろ」
電力をチャージなどさせてもらえない現状では携帯電話を時計代わりにする事が出来ないので、ショックに強い腕時計をしていたのだがどこだろう?
周囲を見回して、ポケットの中を探る。っとポケットの中に入っていた。
どうやら先輩が入れてくれていたようだ。この人本当に気が利くな。
時刻は7時13分、気絶していたとはいえ日ごろから規則正しい生活で培った体内時計は正確だった。いつも起きる時間に目を覚ますことが出来た。
「すいません、俺戻ります」
「まあ待て、時間はある。朝食、と言っても簡素なものだが食べていけ。
あんな生活ではまともな飯は食べていないと思ってな」
先輩が輝いて見える。
もし俺が女性という生物自体に偏見を持っていなければ確実に惚れていたところだ。
クズばっかのこの学園で多分一番心の綺麗な人物だろう。
「そこまでしていただくわけには……」
「まあそういうな、毎日缶詰やレトルトでは飽きが来るだろう」
そういって先輩は大皿にラップで包まれたおにぎり三つとつけもの、そして味噌汁を振る舞ってくれる。味噌汁の懐かしい香りが何故だか泣けてくる。一度は遠慮したが、ここ最近缶詰生活だった黄鞠はこの家庭じみた朝食をこれ以上なく欲していた。
「う……じゃ、じゃあお言葉に甘えて」
せっかく出してもらったものを遠慮するのもよくないし、俺はごちそうになることにした。
「ああ、おかわりが欲しければ言ってくれ」
本当にこの人最高だな、今度お礼しなきゃ。黄鞠は心に誓った。
「では、いただきます」
海苔がしんなりと米に張り付いている。黄鞠は思わずおにぎりにかぶりつく。中身は鮭フレーク。定番だが今の黄鞠にとってはその定番にすら涙が出てくるほどだった。
そして味噌汁。
ジャガイモの味噌汁だった。
そして漬物、これは出来合いなのか手作りなのか判別がつかないが、これも今の黄鞠にとっては至高の一品だった。
当たり前だと思っていたものこそ大切なものだと気づいたとき、黄鞠の目から何かが流れた。
「む、おい大丈夫か。なぜそんな怖い顔で泣いているんだ」
「いえ…本当だったら俺はこんな朝食を食べるはずだったと思うと、悲しみと憎悪をこみあげてくるんです」
黄鞠は再び、いつの日か学園長を頃すことを心に誓った。
「お前も大変だな」
ありがたく朝食をいただき、禁断症状の症状そのまま衝動のままに朝食を平らげる。あっという間に朝食を食べ終わった。
「ごちそうさまでした。簡素だって言ってましたけど俺にとってはジャガイモの味噌汁ってだけで
十分手間がかかってると思いますよ。俺は作ってもインスタントですからね」
ジャガイモはそもそも皮むきが面倒だし、そこそこ火にかけないとシャリシャリする。そこら辺は電子レンジ使うとかそういった裏技があるのかもしれないが、基本的にジャガイモは面倒くさそうな印象がある。
味噌汁は火を入れすぎると香りが飛んでしまう。余った味噌汁を温めなおして食べるのは嫌なのでインスタント味噌汁というのは一つの正解だと思っている。
なんてったって楽だから。
それなのにあえてジャガイモで味噌汁を作るところに先輩の几帳面さが垣間見える。最近の言い方をすると女子力が高いとかいうらしいが、俺は女子力という単語自体にピンとこない。
女子力ってなんだよ?
こういうのゲシュタルト崩壊とかいうらしいっすよ。
「この味噌汁は実家では毎日出されていた。これがないと落ち着かなくてな、習慣というやつだな。」
「しっかりしてますね」
「そうか?」
「そうですよ」
黄鞠は自分の食べた食器を流しに運んだ。腕時計を見るとそろそろ学校へ行く準備をしなければいけない。
住処に戻らなければならなかった。
「俺はそろそろ戻ります。ありがとうございました」
ここは女子寮のどのあたりに位置しているのか分からないが、このままでは寮内の女子に見つかって変な目で見られるのかもしれない。そう思ったときふと思い出したことがある。
こんな時に便利なアイテムがあった。
「あっ、そうだ。ソチもんの着ぐるみを忘れていた」
黄鞠は窓際に並んだぬいぐるみの方へ向かおうとする。
それを見ていた遠山先輩がなぜが慌て始めた。
「あっ、ちょっと、お前っ!」
黄鞠は数ある可愛らしい(梨を除く)人形の中からひときわ異彩を放つソチもんの生首を手に取る。
改めて見てみると、ぬいぐるみは結構量があるなと思った。
「そのぬいぐるみは……あれだその、貰い物なんだ。別にぬいぐるみ自体は興味ないんだがくれるというものを受け取らない訳にもいかないからな!」
貰い物?これほどの量のぬいぐるみが貰い物なのか?この言い方は嘘をついている言い方だ。
「そうなんですか?先輩が自分で買ったものだと思いました、俺の妹でも結構買いますからね。女の子ならみんな買うんじゃないんですかね?むしろぬいぐるみを集めない方がマイノリティですよ、きっと」
実例は妹と先輩しか知らないので実際はどうなんでしょ。
「む、妹がいるのか?」
「そうですねいますよ」
「へえ…どんな妹なんだ?」
「うーん、性格や面倒見の良さとかは先輩そっくりですよ。結構優秀な妹で付いたあだ名は『兄より優れた妹』でしたからね」
「『兄より優れた妹』とはすごいあだ名だな。でもそうなのか?女性ならぬいぐるみ買うのは当たり前なのか」
「違うんですか?」
「……実は私が買ったんだ。」
「そう」
そうか、ぬいぐるみを買わない女子の方が珍しいのか、と呟きながら清々しい表情を見せる先輩だった。
でも梨のぬいぐるみだけはセンスの欠片もないのでやめたほうがいいと思います。
「でも、先輩、梨のぬいぐるみだけはセンスの欠片もないのでやめたほうがいいと思います。」
思うだけでは不十分なので、口にも出した。