第拾参章 デビッド音無
燕は学校が終わった後、すぐに寮の自室に戻った。証言は集めた、あとは尋問して真実を明らかにするのみ。
胡桃子はベッドの上で上体を起こした状態で本を呼んでいた。彼女の顔は目元が少し赤いような気がしたが、それでも今朝と比べれば間違いなく顔色が良くなっている。
「大丈夫?」
「うん……ちょっと休んだら大分良くなったよ」
「そう、じゃあ約束通り話を聞かせてもらうから」
「……別に大したことじゃないよ、平気だから」
胡桃子は結局、自分から話そうとしない。会話の内容が内容だし、あまり人に知られたくないことだとは分かる。でも、もうこの問題は胡桃子だけでは解決できないことなのかもしれない。
燕は意を決して聞く。
「音無に二度と関わらないでくれと言われた」
その言葉を聞いた胡桃子の作り笑いが固まった。蛇にでも睨まれたようなその表情は核心を告げていた。
この子はきっと腹芸をやれと言われても無理だと思う。ポーカーとか絶対弱い。
「やっぱりね」
ひとまず燕は安堵した。これじゃないのならもう心当たりなんてない。わかりやすい子でよかった。
「でもなんで?」
本人にとってそれは聞かれたくないことなのかもしれないが、聞かずにはいられない。別に他人の恋路が気になるとかそういんじゃないし、ただ心配だから聞くんだし、別に他人の恋路が気になるとかそういんじゃないから。
……だって気になるじゃん。
胡桃子の顔がみるみるうちに赤くなって湯気を出しそうな様子を見ていたら、気にならないわけがなかった。
「……うー、そのあの、うー」
胡桃子は気恥ずかしさのあまりうーうー言っていたが、やがて観念して話し始めた。
「私、小学校の頃、同級生の男の子にいじめられてたの。くるみこなんて珍しい名前だったから。嫌だって言ってもやめてくれなかったし、女の子は味方してくれたけど我慢するの辛かったし、自分の何がいけないのか全然わからなかった」
細矢 胡桃子は小学校1年生のときから男子にいじめられていた。理由は『変な名前だった』から。だが、それは口実に過ぎない。
小学生は容赦がない。いくら幼女が相手でも手加減などしない。虫とか蛙を平気で虐札するその残虐性は時に悲劇を生む。
男子小学生の動機は変な名前の女の子を断罪することにあらず、可愛い女子をただ嬲りたかっただけ。好きな女子をいじめて、ぼろぼろにして咽び泣く姿を見て興奮し滅茶苦茶に壊してやりたいというのは普通の小学生の男子であれば当たり前。
だが、当時小学生の胡桃子に男子小学生の美学を分かれと言われても無理な話であることも当たり前。
そして彼女は小学校1年生のとき苛められ続けた。小学校2年生のときも苛められ続けた。しかし小学校3年生の途中から、苛められることはぱったりとなくなった。
世の中は理不尽の塊だ。理不尽にいじめをうけて、その解決方法などない。が世の中の理不尽は逆もありえなくもない。ただ一回のきっかけでその雁字搦めの南京錠を蒸発させることだってありえるのだ。
ある日の風景、いじめっ子の男子が当時小学生だった黄鞠に話しかけた。
「なー、音無もそう思うだろ。くるみこなんてへんな名前だよな、ばかじゃねー?」
「そうだよ」
胡桃子は今日もいじめられていた。きっと、この男子も同調して自分を責め立てるに違いない。
そう思った。男の子はもう恐怖の対象でしかなく、抵抗する気も起きなかった。
しかし、この男子だけは違った。
「お前ら、他人の名前をバカにするのはやめろ」
その台詞を聞いたときの胡桃子の衝撃は計り知れないものだった。
「なんだよ、お前女子の肩持つのかよー」
「そうだ、そうだ、男子の屑がこのやろー」
「うっせんだぼけ! ひとの名前で遊ぶのをやめろっていったんだよ!」
「なんだと、このやろー。きまりなんて女みたいな名前しやがって」
「そうだ、女の名前なのに男なんて恥ずかしくないのかよー」
「きまりが男の名前で何で悪いんだ! おれは男だよ!」
黄鞠は男子生徒をぶん殴った。
「いってー、やりあがったなこんちくしょー」
「うっせー、ハム太郎! おめーはヒマワリの種でもくってろ!」
「なんだとこのやろー! つのなしキマリはこのクラスから出ていけ!」
「「やろーぶっ頃してやる!」」
教室で乱闘が始める。思い悩んでいた胡桃子の気持ちなんて無視して、野蛮な男子たちが殴り合いを始めた。
が、その日以来、二年間続いていた残虐行為がぱったりと止まる。単純に飽きたのかは分からない。いじめっこにどんな心境の変化があったのかは不明だ。だがなんにせよ、いじめはなくなった。
今思えば、黄鞠は胡桃子のために怒ったのではないのかもしれない。だが、それは当時の胡桃子に恋心を抱かせるのには十分な理由だった。こんなんで好きになるのかよと不特定多数の人は思うかもしれないが、好意を持ってしまったのだからもうどうしようもない。
彼女は引っ込み思案でいじめられていたことから男子に対してフランクに話せるようなこともなく、彼の視界に移ることすら恥ずかしかった。
でもその日から小学校を卒業するまでの間、ずーっと恋心を抱き続けそれは日に日に大きくなっていった。だけど思いを告げる勇気なんてなかったのでそのまま中学に進学する。
中学に入ってから自分は比較的人に好かれるタイプなのかと思い始めた。友達もいっぱいできたし、告白も結構受けた。胡桃子がその告白を受け入れることはなかったが、それは胡桃子の自信となった。
苛められていたというコンプレックスを彼女は完全に払拭したのだ。
そして唐突な再会、女子高なのに再び出会ってしまって同じクラスになった。奇跡だと思った。柄にもなく運命的なものを感じずにはいられなかった。
結局、彼女には黄鞠が懸念していた裏の顔なんて存在しなかったのだ。奇跡的に好意を持たれていただけ。これを黄鞠に想像しろと言われても、不可能だってはっきりとしていた。
「……なるほどね」
燕はようやく納得した。小説より奇なりなんてよく言ったものだ、そして察するに音無は胡桃子を助けたくて助けたわけでは決してない。結果論だってはっきりしている。音無は胡桃子のことをさっぱり覚えていなかった。眼中になかったのだ。ただただ、名前をバカにする行為自体に腹を立てた普通の小学生だっただけだ。何より、名前がニアミスすぎてネタにしてくださいと言っているようなものだからその気持ちは理解できる。
胡桃子の力になってあげたい。でも……これどう解決すればいいんだろう?音無に洗いざらい白状するそれは余りにもハイリスク。下手すると胡桃子の恋は終わり、最短一年間、振られた相手と顔を合わせる羽目になる。自分のことならまだしも他人に降りかかるリスクを終えるほど私の肝は据わっていない。じゃあどうすればいいのか?
結局その日答えは出なかった。
黄鞠が胡桃子を傷つけたという傍から聞いたら、別の意味で激烈な風評被害が起きそうなその事柄はこれまたTKMMボム級の波及効果で広がり、黄鞠の耳にも届くほどだった。
攻略狙いの女の子以外の女の子をないがしろにすると発生する爆弾を放置すると爆発するその爆発はその爆心地だけでなく、攻略狙いの女の子の印象をも吹き飛ばす。
理不尽な話だ。別に爆心地の女の子の評価だけ下げればいいじゃんよー。
しかも攻略狙いの女の子と一緒に下校するだけで、他の複数の女の子にその爆弾がくっつくその理不尽さは『女なんて面倒くさいだけ』という身も蓋もない事実を突きつけられているようだ。その理不尽さを黄鞠は垣間見ていた。
「何でこうなったのか……誰か説明してくれよ」
黄鞠が相談できるのはシグノくらいのものなので、隣でピコピコゲームをしているシグノに洗いざらい吐いた。シグノは黄鞠が持ってきたTVゲームにご執心だった。やっているのはアーカイブスのタイトルだった。次世代機なのにあえてのオールドタイトルというのもまた一興である。
タイトルは10年以上前に発売されたゲーム。主人公が6人いて、それぞれ独立したストーリーを展開するロールプレイングゲームだ。
今、シグノがプレイしている主人公では、仲間のお姉さん最後に抜けるけど愛用してるみたいだし黙っておこう。
シグノの回答は『想像つかないの』だった。だよね。
「でも、多分もう二度と関わらないでくれの件だと思うの」
「えー!」
確かに俺が話した範囲でいえばその部分しかないだろう。これが客観的な意見というやつだ。
「でも、シグノが俺にそう言われたらどう思うよ、殆ど初対面であることを考慮に入れてさ」
「キレてぶっ飛ばしてると思うの」
「だろ?それでキレるって言うのならまだ分かるんだよ」
「じゃああれなの、実は廃人でデータが消えたことに立ち直れていないの」
「女って面倒な生き物ね。このまま放置でいいと思うか?」
「キマリがそれでいいならそれで構わないの。私も面倒くさいのは嫌いなの」
その答えを聞いて、黄鞠はもうシグノとだけ友達でいいやと思い始めていた。




