女神と神 code----
泣いていた。
滴る涙が地べたに落ち、地面に波紋を作る。
「ダメ、泣いちゃ…。私よりも、あの人達の方がつらいんだもの」
女神、未來は泣いていた。
そこは、なにもない空間。地平線だけが景色として広がり、全てのものが灰色に染まっている。
『ありがとう』
また、言われてしまった。
彼にも、その前の彼にも、その前の前の彼にも。これまで全ての彼に、隠していた感情を見破られてしまった。
しかもどうして『ありがとう』なんて言うのか。私は、自分を魔王にした原因で、憎いはずなのに。
いっそ、私を最低最悪な奴だと言って、憎んでくれれば、恨んでくれれば、私はこんな悲しい気持ちにならなくてすむのに。
なんで、あんな人達を魔王にしてしまうのだろう。
現実主義なのに優しくて、一緒に笑い合える友のいるお人好し。
そんな人じゃないと、魔王を務められない。私の願いを断れなくて、現実的に世界を救ってくれる人じゃないと。
ダメだ。また涙が落ちてしまう。こんなところを人に見られたら、笑われてしまうじゃないか。
気化も蒸発も存在しないこの空間では、流れた涙がただたまり続ける。
いけない。水溜まりを作ってしまう。
そう気にして、水溜まりができていないことを不思議に思う。
あ、と気付く。
床は、地平線の向こうまで水で、涙でおおわれている。これでは水溜まりなんてできない。元々水面なのだから。
そうか、自分はこんなに涙を流したのか。
大昔に散った、優しい少年達のことを思い出して、また頬を滴る滴が一滴。
「――邪魔するぜ」
その時、永い沈黙が破られる。
ただなにもない空間。灰色の虚空に、黒い穴が開いて、一人の男が出てくる。
「久し振り」
「…神登さん、でしたか」
彼の名は神登。肩書きは…
「おいおい、最高神に向かってその挨拶はないだろう」
神。唯一無二、絶対権限、最高神格である神。
自分はあくまで、「再生と存続の女神」だ。最高神ではない。
「何のようですか? 私は今、誰とも話したくないのですが」
「知るかそんなの。こちとら業務監査に来ただけだっつの」
頭を掻き、面倒臭そうにそういう神登。
「心配しなくても、ちゃんとしています。あとは歴史や書物を捏造するだけです」
自分は、「世界」に通じる穴を開き、操作を始める。
「…私達はどうしてこんなことをしているんでしょうか?」
欠伸をしていた神登に問いかける。
「それは、『どういう理由で』か? それとも『どういう経緯』か?」
「どっちもです。私は何のためにこんな馬鹿げた虐殺を起こしているんですか。何故こんなことをすることになったんですか」
そう返すと、ため息がひとつ。
「それは、俺に『人類のための必要な犠牲だ』と気休めを言って慰めて欲しいのか」
「――誰もそんなこと――!」
「じゃあ、『俺達が存在するため』と言って貶してやればいいのか?」
押し黙る。
私達神様が存在するためには、誰かが私達のことを崇めていないといけない。ようは『人思う、故に神有り』。
人が拠り所とするために神様がいるのであって、その人なくして神は存在意義を持たない。
そのために、神は人を助ける。自分を助けるために人を助けるのだ。
「経緯の方は、俺がお前にそれを命じた。そのために、俺はお前を生み出した。簡単なことだろ?」
あの時のことはよくおぼえている。何千年前(もしかしたら何万年前)、この世界に唐突に生み落とされ、目の前の男に命令された。
冷たく笑うその顔を睨めつける。
「何故私に命じた!? あなたがやればいいじゃない!」
その襟首を掴む。
「そうしたら、私はこんな思いをしなかった。ただ死んでいく人達を見ることもなかった! そうしたら――」
「最初の魔王は女だった」
突如として、神登が言った言葉の意味がわからなかった。
「はじめは、他の方法を探そうとした。神託を授けた。危機を救ってやった。洪水を引き起こした。だけどダメだった。結局、そんな方法で人は進化しなかった」
――私は、『命じられ』て、魔王と勇者の茶番をプロデュースした。
「下の世界に降りて、自分から歴史を変えようとした。知識を生み出し、教え、広めた。だけど、全てうまくいかなかった。人は堕落し、滅亡に近づいてしまう」
――なら、私が『命じられ』る前は、人類はどうやって生き残っていたのか。私が生み出される前は、誰が、少年達を泣かせていたのか。
「そんなとき、俺は一人の女に出会った」
――あるいは、誰がそのことで泣いていたのか。
「そいつは、強くて、優しくて、面倒見のいい、綺麗な女だった。そいつは、下界に降りていた俺に世話を焼いて、一緒に過ごしてくれた。永らく独りでいた俺が、『アイ』と呼ばれるものを見つけるのに、そう時間は変わらなかった」
目の前の男の顔が、いつの間にか哀しげなものになっている。
「だがある日、その女が命の危機に際した。女を貫いた矢は、命を確実に奪っていた。しかし、俺は思い付いた。女を、命の理から外れたものに、人でないものにしてしまえば、生き永らえさせることができるのではないか」
――その『だれか』は、私よりも先にこの世界にいた人で。
「そして、魔王が生まれた。その後、世界の理を知った女は、自分の身を犠牲にして救うことを考え、実行した」
泣いていた。
悲しそうに流れた涙が、ポチャリと音を立てて水面に落ちる。
「耐えられなかった。これ以上、大切な誰かを失うことに」
神、神登は泣いていた。
相手の言葉を理解した時、水面に膝をついていた。
「…一体、誰が悪いんでしょうか。誰の所為で私たちはこんな目にあってるんでしょうか…?」
震える声で呟く。
「恨むなら、運命と、そいつから逃げた俺を恨め。お前は何も悪くない」




