魔王様と救世主様 code2254
「死にたくない!」
叫んでベッドから飛び上がった。
「…夢か」
自分の周りを確認する。
いつものベッドで、いつもの部屋。いつも通りだ。
「悪夢だった…」
顔を洗おうと、ベッドから起き上がる。
夢の内容は、自分の体がねじきられ、内臓が出ているのに死ねない、という地獄のようなものだった。
洗面台から水をすくい、顔を洗う。
「全く、酷い夢だった」
顔を拭いて、鏡を見つめて、
「あらら、そんなことが起きるなんて、真底運が悪いわね」
銀色の髪を見つけた。
「…」
「お目覚めはいかがです? 魔王様。記念すべき終焉の始まりですよ!」
銀色の女性は、鏡の中、本来は自分が写っている場所に居座っている。
「…悪夢だ」
「わー、大変ですねー」
またも完全な棒読みだ。
本当、世界は悪夢に狂ってる。
「俺は絶対に滅亡なんてさせないからな」
「誰も滅亡させるなんて言ってませんよ。その一歩手前まで殺しつくしてほしいと言ってるんです」
結局やることは変わらないじゃないか。虐殺虐殺大虐殺。
「それに、言ったはずですよ。やらないなら、タカラちゃんや、あなたの大切な人たちが大変なことになるって」
その言葉に頭を抱える。
「…わかった。いつかはやる。いつかはやるから、まだ何もしないでくれ」
「まあいいですケドー」
その棒読みの度合いで、逆に背筋が冷える。
「それはそうと…」
かじっていたパンから目を離し、相手に目を向ける。
「どうなってるんだそれは?」
鏡の中の自分に。
「ああこれですか」
無論、その姿は自分とはかけ離れていて、完全な女性。髪は銀髪。容姿も体型も、似ても似つかない。
しかし、目の前の鏡に自分はおらず、そこにはしたり顔の女神――未来がいるのだった。
「諸事情で、私はそっちの世界にいけないんですよね。だけど、こっちの世界になら、姿を表せる。ただ単純な理由です。安心してください。あなた以外には至って普通の『あなた』が見えてますから」
ニコニコと女神が微笑む。
「…ああもう、いつかは人類を滅ぼしてやる。だから、本当にタカラやユキヒトには何もしないでくれよ」
「ええ。今、その言葉を魔王様の命令として肝に銘じておきます」
…いまいち安心できない。
「いってきます」
本当なら誰もいないはずの家に向かって言うと、
「いってらっしゃい」
憎たらしいあの声が聞こえた。そして家を出る。
いってきます。いってらっしゃい。
その問答ができることに嬉しさを感じていた。
「…ま、避けられないのよ。運命は」
教室に着き、防寒のためのニット帽と手袋、ネックウォーマーを置いて一息。
自分が通う、市内の学校は、早朝は暖房が入らず、室内でも防寒具が欠かせない。今日はもうエアコンがかかったようだ。
「…痛い」
昨日から痛む頭を抑えながら、席に着く。
しょうがないか。生き返ったとはいえ、一度死んだみたいだし。頭痛ぐらいの不調も我慢すればいい話だ。
あーあ、自習でもしようか。
と、ノートを開いたときに、
「なぁ…タカヒロ」
クラスメイトの一人が声を掛けてきた。
「なに?」
「いや、その…お前、大丈夫か、頭?」
頭痛のことだろうか。なぜわかったのだろう。
「少し痛むけど、それだけだ」
「いや、そうじゃなくて…」
その級友が鏡を取り出す。
「お前、その額のはどうしたんだ」
その鏡で自分の顔を映すと、
「宝石…?」
赤黒い、何もかもを塗りつぶすような色の宝石が額に埋め込まれていた。
「なんでこんなのが…? 朝にはなかった…」
そこまで言って、朝は鏡を見れていないことに気づく。
あんの女神。体に何しやがった。
「ごめん。今日休むって言っといて!」
それだけ言って、荷物とともに席を立つ。走り出し、向かうのは家。
女神は家にはいるはずだ。いやどこかで鏡を覗けばいるのか。でもさっきは俺の顔が映ってたし…。
学校の校庭から駆け出し、駅へと向かう。あの角を曲がって近道ができたはずだ。
「これで、五分はショートカットでき――」
他よりも交通量が多いはずのその道に入って、ありえないものを目にする。
「車が、一台も走ってない?」
車どころか、人っ子一人いない。いや、正しくは車はあるのだ。しかし、そのどれもが乗り捨てられたように道路に置かれ、まるで暴徒が通った後のように閑散としている。
「何が起こって…?」
視線を横に向けて、さらに気づく。
「警官隊? なんで…?」
暴徒や犯人の取り押さえをする彼らが、何故か道路を封鎖していた。まるで、
「俺を取り囲んでるみたいじゃないか…」
次いで浮かんだのは、女神の言葉。
『人類の敵となる外敵を――』『魔王様は――』
じゃあこの人たちは俺の正体を――
「確保!」
自問自答の答えが出る前に、警官隊が動き出した。
「やばい」
何がやばいのか知らないが、自分がやばいのはわかる。
引き返そうとして、自分の元来た道も封鎖されていた。
その警官たちが自分を取り押さえる。
あるものは警棒で殴り、あるものはジェラルミンの盾で押しつぶそうとしてくる。
一体、どうなっているんだ。
ガコリ、と重い音を立てて監獄の扉が閉まる。
監獄の材質は、硬度を上げた石油製品が使われており、戦車の砲撃でも壊れないらしい。
扉も材質は同じで、かつ開けるには、SPを五人倒し、数十はあるセキュリティを突破。そして政府要人の指紋声紋網膜認証を必要としている。
拘束具も同じものでできており、しかも筋肉に食い込み、そもそもの動きをさせないようにしている。
イイノ タカヒロは、監禁されていた。
どうなってんだ。
罪状は「世壊」。かつて勇者が魔王退治を行った時、勇者が大義名分として上げたものだ。
「なあ女神さん。どうなってんだ」
「んー? 何がー?」
綺麗に磨かれた壁が鏡の役割をして、そこに女神を写している。
「いつかは世界を滅ぼす。だから今はなにもしない。そうじゃなかったのか」
「うん、今はなにもしてないわよ」
頭を抱えた。(あくまで「悩む」の慣用表現で、実際は項垂れただけだ)
「…俺が言う前に全部終わらせたのか」
「もちろん。言ったでしょ、待つ暇はないって」
とことん性格が悪い。
「どうやってしたんだ」
「至って簡単。私が、政府要人の女神信仰者、秘密結社やカルト教団の幹部に、神託としてあなたの情報をあげただけ。あとは彼ら彼女らがやってくれたわ」
捕らえられれば、俺は動かずにはいられなくなる。タカラやユキにも何らかの手が及ぶだろう。
「もう一度聞くわね」
目の前には、にこやなか女神の顔が。
「死か滅びか」
即答はできなかった。
「…俺の額のこれはなんだ?」
「ん? ああ。それは魔力の供給源。オカルトチックな話になるけど、魔物のパワーの源。魔王の陣営であることの象徴ね」
女神と勇者と魔王が出てきて、オカルトもクソもあるか。
「タカラとユキヒトは?」
「恋人と幼馴染君? 二人は二人で――」
そこで女神が言葉を止める。
「時間切れね。続きはあとよ」
は? と呟きかけて、サイレンがなった。
『面会ノタメ扉ガ開キマス』
機械的な音声がなる。
続いて重厚な扉が開いて現れたのは、
「タカラにユキヒト…」
噂をすれば何とやら。その話の二人だった。
「タカくん…」
タカラが駆け寄ってきて、ユキヒトは無言のまま佇む。
「二人とも、何か迷惑かけなかったか? 俺も自分の整理がついてないんだ。本当にごめん」
「なんでこんな時も人の心配するの。今は自分のことを考えればいいんだよ」
タカラがそうやって慰めてくれる。
「…」
気になるのは、無言のままのユキヒトだ。
「…ユキ。お前はどこまで知ってるんだ?」
そう問いかけると、大きくため息をついて、
「タカラ。見せるぞ」
タカラと共に頷く。すると二人は――
「――!? なにしてんだ!」
タカラは胸をはだけ、ユキヒトは口に手を突っ込んだ。
「一体どういう――」
途中まで言って、それを見つける。
タカラは胸の谷間に、ユキヒトは舌の上に、それぞれ赤黒い宝石が埋め込まれている。
「説明がほしいな、女神様」
虚空にむかって問いかけると、どこからか小さな笑い声が。
「しょうがないでしょ。魔王には手勢が必要だもの。さしあたって必要な戦力はその二人で揃えさせてもらったわ」
しょうがないで済む訳がない。
タカラもユキヒトと魔物に、つまり魔王の陣営となってしまった。それは、人類の敵になることを意味する。もれなく俺と一緒に殺される運命にあるのだ。
女神の声を聴いているらしい二人は、黙ったままこちらを見つめる。
「それに、今回ばかり私の所為じゃないわよ。なんてったって――」
「――私たちが」
「こうしてくれと頼んだ」
女神の言葉をタカラとユキが引き継ぐ。
「だって、私たちの大事な人が困ってるのに、助けないわけないじゃない」
「ああそうだ。幼馴染は業務を幅広く受け持っているんだぞ。手伝いで世界を破滅させるなんて、お安い御用だ」
クッ、とうれしさと面白さの混じった笑い声を押しこらえる。
「驚いたわよ、ホント。ちょっとふざけて、計画を話してみたら、二人とも即答してついてくるんだもの」
やれやれ、と壁の向こうの女神が首を振る。
「――じゃあ決まりだ」
その言葉に、女神とタカラとユキヒト、そしてもう一つ別の笑顔が浮かぶ。
「俺は滅びを選ぶ」
「よく言えました」
女神の声が響く。
虐殺。大いに結構。滅亡。やってやろうじゃないか。
大切な二人を殺さないで済むなら、一緒にいてくれるのなら、俺は大丈夫。俺が割を食うだけなら、世界を壊して人が救われるのなら、俺は人を葬る。命をけなす。上等だかかってこい。
「女神、まずは手始めにこの状況を打開する手立てを教えてくれ」
「しらばっくれないで。もうあなたにはその力があるわ。あとはただそれを使うだけ」
なるほど。この宝石がある時点で俺は魔王になってしまったんだ。
魔王が、たかが大昔の死体を熱してこねたものに拘束されるわけがない。
腕に力を通す。額から集中が送り込まれ、やがて腕には紋様が刻み込まれる。
ブチリ。
化学製品の鎖は容易く切れ、体は自由になる。
「で、ユキヒト。周りの状況はどんなだ」
悪ガキが悪事を思いついたような笑みを浮かべているユキヒトが口を開く。
「周りは戦車師団が砲門を定め、ロボット歩兵が空と陸から襲い掛かろうとしている。核のボタンの用意もされているだろうな。魔物になった幼馴染二人と一緒に魔王を吹き飛ばす気だ。奴らどうやら、俺たち二人のことも分かったうえでここに送り込んだらしい」
さすが、兵器企業の御曹司だ。軍事・政治関係の情報には困らない。
「で、タカラ。こっちの戦力は?」
優しい母が、すべてを悟ったようにほほ笑むタカラに目を合わせる。
「あなたと私、そしてユキ君だよ。魔王様に、その伴侶と親友。最高の布陣じゃないかな」
言うなり、タカラはその掌に黒い球を作り出す。魔力の塊だ。ユキヒトも体に紋様が浮かび上がっている。
「女神様。俺たちに何か言っておくことは?」
「そうね。絶滅はさせないで。あと、絶対に無茶はしないように」
ふっ、と笑って、自分も力を手に、いや、全てにあふれさせる。
自分の周りに展開されたのは、魔王の力。黒い影のような触手が地面を這い、宙に浮く。
「それじゃあ――」
地面をトン、とける。
「破滅を始めよう」
攻撃は一瞬だった。
いや、あくまでそれは人の感覚であって、魔物の感覚で言えば至って普通の時間であっただろう。
「…」
ただ無言。ただ作業。
撃たれた数十センチの砲弾を蹴り飛ばし、砲手を吹き飛ばそうとして、あたり一帯にクレーターを作る。
触手を展開し、飛んでいた戦闘機を狙ったつもりが、誤ってその方面の全てを薙ぎ払う。
敵の突っ込んできた戦車に投げた魔力の球が、勢い余って後ろのロボット歩兵部隊を蒸発させた。
監獄の屋根が吹き飛んで十秒後、そこには何も残っていなかった。
「なあ二人とも。親御さんの心配とかはいいのか?」
煌々と、戦火が煌めく中、二人に問いかける。
「うーん。私は、離婚しちゃってて、お母さんは病気で死んじゃったし、お父さんは行方不明。別にどうってことないよ」
「俺があんなクソ親父のことを心配すると思ってるのか? あいつならどんなことをしてでも人類最後の人間になろうとするさ。それに、その方が面白いじゃないか。ラスボスが実の父なんてな。まるでどこかの銀河戦争だ」
二人の返答に、思わず笑みが漏れる。
「なら、問題ないな」
背中に作った触手の翼で浮かび上がり、火の中から出る。
「――戦争だ」
「たとえその先にあるのが殺される運命であるとしても、先に進みなさい。それもまた運命」
「たとえその先には大切なものの喪失があるとしても、先に進みなさい。それもまた一興」