夜空に咲く一輪の花
*
そばにいるのに、遠い。
あなたとの距離が縮まない。
もっとそばにいたいのに。
どうしてあなたは、近づいてきてくれないの?
●
八月も終わりに近づいてきたこの日、家の近くの公園で夏祭りが行われることとなった。公園と言っても結構広くて、聞いた話によると、東京ドームの半分の大きさはあるみたい。多分これは言い過ぎだと思うけど。
「いらっしゃい! 一本三百円だよ!」
立ち並ぶ屋台から、威勢のいい声が聞こえてくる。たこ焼きやお好み焼きのような食べ物から、射的やくじ引きのような縁日物まで、いろんな出店があった。屋台の光が、夜の公園を照らしていた。
「栞那! これもなかなかいけるぞ!」
イカの丸焼きが刺さった串を両手にそれぞれ一本ずつ持っている和信が、笑顔を見せながらアタシに言葉を投げかけてきた。いきなりアタシの前から消えたと思ったら、それを買いに行っていたのね。
「私の分も買ってきてくれたの?」
「もちのロンだぜ!」
笑顔を見せながら、私に串を差し出す。そこにはおいしく焼きあがったイカがいた。
「そうね。せっかくだからもらって……って、早く渡してよ」
私はそれを受け取ろうとして、だけど和信は渡そうとしなかった。なにやら口元をニヤつかせている。もしかして、何か企んでいるの?
「はい、あーん」
「むぐっ!」
私の口の中にそれを入れてきた。口の中に広がる香ばしい匂いと、イカの独特の風味。確かにこれは美味しい。けど、味がよかったからと言って、今の行動が許せるわけじゃない。だって、
「いきなり何するのよ! あついじゃない!」
広がってきたのは味だけでなく、熱さもやってきたからだ。
「大丈夫だ! わざとだから」
「余計質が悪いわよ!」
悪びれた様子もなく、和信は笑いながら自分のイカを食べていた。もう何度見たのか分からない、和信の笑顔。その笑顔が好きな私は、見せられるともう何も言えなくなってしまいそうになる。折れるのはいつも私の方。
「せっかくの祭りだ。たくさん遊んで、思い出に刻もうぜ!」
「なによそれ、何処かの漫画の受け売り?」
「うっさいなぁ。ほら、行くぞ!」
私の言葉にそう返すと、和信はどんどん前へと歩き出す。その手は私の右手をしっかり握っていた。
あまりにも自然な流れだったから、一瞬驚くことすら忘れていた。
ずるいよ、和信。
そうやって私の心を引き留める癖に、貴方は私に近づいてくれていないような気がするんだもの。むしろ、敢えて遠ざかろうとしてるような……。
そんなことを胸に秘めながら、和信に連れられるままに、祭りの騒ぎの中を進んで行った。
*
本当はこれからもずっと栞那と一緒にいたかった。
けどその望みも叶いそうにない。
だから俺は今日言わなければならない。
この日を境に、終わりにしよう、と。
▲
あれからたくさんはしゃいだ。
射的をやって使いもしないマッチ箱を倒したり、金魚すくいで網を破いたり、りんご飴の数増しを狙ってじゃんけん勝負をしたり。
結局、ほとんどいいところなしだったっけ。見せ場もなにもあったものじゃない。本当に騒いだだけじゃないか。
「和信、今日ほとんどいいとこなしじゃないの!」
栞那には笑われる始末だ。
少し位美味しい場面を提供してくれてもいいじゃないか。
「ほっとけ! こう言う日だってあるんだよ」
「和信がいいところを見せた時なんてあったかしら?」
「あるよ! 日頃俺のことをどんな風に見てるんだよ!」
もしかして、スルメイカを口の中に突っ込んだ仕返しなのか?
栞那の表情は、笑顔だった。心から楽しんでいる、と思う。
楽しんでいるようでよかった、という安心感と同時に、この状況から言いださなくてはならないという想いに襲われる。
でも、始まりがあれば終わりもある。それが早まっただけだ。
「それにしても、今日は楽しかったな」
「ええ。今日はたくさん笑ったわ!」
祭りも終わりに差し迫り、今は二人きりで今日起きたことを振りかえっていた。周りには、時間がきたのか帰っていく人々もちらほらと見え始めていた。中には残らずにその場に残っているグループもある。
「本当だな。楽しい一日だったぜ」
本当に、楽しかった。
「……どうしたの?」
途中で俺が言葉を発しなくなったからか、栞那は少し不安そうな表情を浮かべながらじっと見つめていた。
そう言えば、俺がこんな風に思いつめたような表情を浮かべるのはほとんどなかったな。ある意味新鮮なものかもしれない。
「ありがとな、今日は一緒に来てくれて」
「いきなり何よ、改まっちゃって」
訝しげな表情をしていた。いきなりそんなこと言ったんだもんな、俺らしくもなく。
でも、今だからこそ言えるんだ。いや、言わなくちゃならない。
「俺さ、お前に言わなきゃならないことがあるんだ」
そして俺は、言い放つ。
「別れよう、栞那」
その言葉を言った時、栞那は最初目を丸くしていた。口からは言葉が発せられていなかった。パクパクとさせて、何か言いたいのだろうが、言葉という形に出来ていない。
許してくれ。これは俺なりに決めたことなんだ。
「どうして……どうしてなの? なんで今日なの? なんでいきなりそんなこと言いだすの?」
栞那は、それらの言葉をようやっと出した。
このまま未練が残った状態で別れるのは、駄目だ。だってもう、俺達は会えないかもしれないのに。
ならばいっそのこと、ここで終わりにしてしまおう。
*
終わらせるわけにはいかない。
このままだと、和信が遠くにいってしまう。
何も分からないままなんて、絶対に嫌だ!
引き下がれるわけがない!
●
「この関係を維持し続けるのに、俺はもう疲れたんだ」
嘘よ。ならなんで今日祭りに誘ったの?
疲れたのなら、私と話すのも面倒になったら、普通こんなことしないわ。私のことをつなぎとめるようなことも言ってくれないはず。
でも、和信は違った。
「本当はいつ言いだそうか迷った。けど、なかなか言い出せずにいたんだ。今までの日々も楽しかったのは嘘じゃないから。でも、やっぱ駄目だった。長続きしないんだ。飽きたんだよ」
淡々と、和信は言う。今までの笑顔とは違う、冷めたような表情で。
だけど、私は確信を持って言える。
これは嘘だ。和信は今、私に嘘を言っている。
「申し訳ないとは思っている。けど、それが俺の、今の気持ちだ」
ならどうして。
「泣きそうになってるの?」
和信の口が止まった。信じられないと言いたげな様子が丸分かりだった。分かるわよ、だって今にも涙が出そうなのを必死でこらえて、目元に皺が出来てるもの。
なんでそんな悲しいこと言うの? どうして思ってもいないようなことを言ってしまえるの?
「和信がそんなこと思ってないって気付いたわよ。それに、和信はとても分かりやすいの。自分が興味ある人には仲良く話して、そうじゃない人とはそもそも話もしないわ」
もし和信が本当に飽きたのだとしたら、こんな話、もっと早くに出てるはず。そうじゃなかったということは、まだ私のことを好きでいてくれてるということ。
諦めるわけにはいかない。幸せを手放すわけにはいかない!
「ねぇ、和信……本当のことを教えて? 何か理由があるんでしょ? 事情があって、こんなこと言い出したんでしょ?」
和信は口を塞いだままだった。閉ざした口を開こうとはしなかった。
でも、これはどうしても聞きださなければいけないこと。何も分からないまま、ただ別れるなんて真似は出来ない。
希望があるなら、掴むまで。
「本当のこともなにも、これが俺の……」
「いい加減にして! これ以上偽らないで!」
耐えられなかった。和信はここまで言われても尚貫き通そうとした。
嫌よ、こんな別れ方認めるわけにはいかないの。
だって私は……。
「私は、和信の事が好きなの! 離れられないの! だからこんな終わらせ方するわけにはいかない。和信が泣きそうになってるのに気付いてて、このままに出来ないの!」
和信の顔に、驚きの色が見えた。
そうよ、私は和信の隣に居続けたいの。だからお願い。
「本当のことを言って!」
私は叫んだ。喉が枯れるかと思う位に大きな声で、言い放った。
そして、待った。和信の次の言葉を聞くために。
「お、俺、は……」
はじめてみる、和信が困惑した姿。こんな場面を見たのは、初めてのことだった。何か迷っているような、そんな感じ。
そして和信は、静かに語り始めた。
*
別れようと言ったのは俺の方なのに。
栞那のことが離れらなくて。
そして気付いてしまったんだ。
俺はこんなにも、栞那のことが……。
▲
「俺、引っ越すんだよ。この場所からいなくなるんだ」
親の事情で、俺はこの街から引っ越さなくてはならなくなった。
もう二度と栞那に会えないかもしれない。
「会えなくなるのなら、いっそのこと終わりにしようと思った。辛い想いをさせるより、こうして別れた方がいいと考えたんだ。その方が、お互い未練を残さずにいれると思ったから……」
「勝手なこと言わないでよ!」
俺の言葉を待たずに、栞那は叫んだ。その目には、涙が滲んでいた。
「こんな別れ方をした方こそ未練が残るに決まってるじゃない! 私なら信じて待ってるわ。どんなに遠くに離れていても、心は通じているんだから、きっとまた会えるわよ!」
言われて、はっと気付いた。
そうか、俺は間違った選択をしていたのか。
栞那を泣かせないために取ろうと思ってた俺の行動は、根本から間違っていたのか。
「和信の言葉は、また会えるって信じてないのと同じよ! そんな悲しいこと言わないでよ!」
気付いたら、俺は栞那のことを強く抱きしめていた。
どうしてこんなことに気付けなかったんだ。栞那のことが大好きなのに……!
「ごめんな、栞那。俺、間違ってた……こんなことするべきじゃなかったのに、俺……」
「気付いてくれたのなら、もういいの。ありがとう、和信……」
強く抱きしめる。もう離さないように、しっかりと。
幸せを自分から手放そうだなんてバカな考えはもうやめだ。ならば、信じようじゃないか。そんな簡単なことを、栞那は気付かせてくれた。
「離さないから。もう俺は、この幸せを手放したりしないから。だから待っててくれないか? さっきはあんなこと言っちゃったけど、いつか必ず、俺はここに戻ってくるから……」
「うん、待ってる……和信が戻ってくるまで、私、ずっとこの街で待ってるから……!」
*
そして二人の唇が合わさる。
同時に、祭りの終わりを告げる花火の音が鳴り響く。
夜空に咲いた花火は、二人の恋を応援しているかのように見えた。
●
「もう十年になるのね」
あの日からもう十年。今でも私は、祭りの日が訪れるとこうして思い出の公園に足を運ぶ。こうすれば、いつか会えると信じてるから。
「栞那」
その時、私の背中より声が投げかけられる。
聞こえたのは、ずっと聞きたかった声。
そこにいたのは、ずっと待ちわびていた人。
「ただいま、栞那」
一輪の花が、夜空に咲いた。