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雨夜の星  作者: 千歳
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★新種発見!

 遊浜市立遊浜高等学校は、閑静な住宅街の真ん中にある。古くて低くて乗り越え放題の校門の脇に真新しい守衛さん詰所が建って、昨今のセキュリティ意識の向上に対応してる感を頑張って主張してる。賢い高校生はあんなのあてにせず、自分の身は自分で守ると思う。

 ちなみに、知らない人のために言っとくと、遊ぶに浜って書いて”ゆとりはま”。僕も高校に入るタイミングで県外から引っ越してきた新参者で、自分の新しい住所が読めなくて困った。漢和辞典まで引っ張りだしたけど、遊ぶって字に”ゆとり”なんて読みはない。固有名詞って自由だよね。

 そんな遊浜の市立高校は、中身もけっこう自由だ。

「そいつを捕えろおおっ」

 状況説明完全省略で突然そんな命令を下されることも、ままある。いやいや、あったらたまんないよ。完全に異常事態だよ。

 購買部の前だった。『CLOSE』の札を下げた購買部の扉に突き当たってから右手に行くと、五、六時限目の僕らの戦場、化学実験室がある。右手に曲がった瞬間に背後からそんな絶叫をぶつけられて、僕と数人のクラスメイトは、固まった。

「どけえええっ!」

 叫びながらこっちに走ってきているのは、ぼさぼさ頭の男子だった。そんなに遠くからではなかったので、このままじゃぶつかるって思った時には、もうぶつかってた。人と顔面からぶつかるって、あんまないよね。貴重な経験だったよ。ぶつかった瞬間、ものすごいスローモーションの画像についてる音みたいな、わんわん響く鐘の音が聞こえた。

 気付いたら、僕は購買前の冷たい床の上に仰向けで転がってた。居合わせたクラスメイトが真上から覗きこんでた。鼻の奥が、ずーんって重くて、そこに大量の水分を感じた。さらーっと流れてほっぺたから耳にまで至ったそれは、もちろん鼻血。その時、僕は十五年ちょっとの人生史上最大の流血量を記録した。

「あーあー」

 静まり返った正面衝突の現場に、のほほんとした声が割り込んだのは、僕がやっと鼻を押さえて上半身を起こした時だった。自分のポケットを探るより先に、ひょいっと鼻先にポケットティッシュが差し出された。有名なコンタクトレンズの宣伝入りだった。

「派手にいったねー」

 そこにいたのは、見たことのない男だった。男って言うのも変だけど、実際、先生だと思ったんだ。体育着じゃないジャージとTシャツだったし、何より外見がとんでもなく大人びてたから。

「それ、全部使っちゃって」

 その人はそう言って僕にティッシュを押し付けると、僕とぶつかったぼさぼさ少年の方に歩み寄った。ありがたくじゃんじゃん使わせてもらいながらそっちを見ると、その人は、まだ床で伸びていたぼさぼさ少年の脇腹を上履きの先で蹴っ飛ばしてる。むおーん、という意味不明の呻き声とともに、ぼさぼさ少年は目覚めた。

「廊下は走らない、大声出さない、初対面の人間には丁寧な言葉で喋る」

 意識が戻ってるのかどうか微妙な表情のぼさぼさに、呪文のようにそんなことを言う。

「これくらいも守れないようじゃあ、一般生徒に馴染むのはほど遠いよー? て、聞いてんのかよ」

「……はっ」

「は、じゃねーよ。ほら、正気になったんなら謝れ」

「それどころじゃないんすよアマサワセンパイ!」

 ぼさぼさが僕とは反対の鼻の穴から血を流しながら、その人にそう言って食い下がった。それで、その人が先生じゃなくて上級生だってことが分かったんだけど……正直、ない。どう見ても高校生じゃない。て言うか、日本男児じゃない。

 イケメンって言うのはイケてるメンズだかイケてる面だか知らないけど、だいたい顔の良さを言うもの。でもほんとの迫力って顔の造作よりスタイルで決まると僕は思う。クラスメイトたちより頭ふたつ分も高い身長とバランスの取れた手足、思わず「ちっさ!」て言っちゃいたくなる小さい頭。顔自体はそんなにくっきりもしてなくて、しょうゆに分類して差し支えないと思うんだけども、驚異的な頭身のせいで和風美人的な上品さを醸してしまってる。

 早生まれのせいもあって常に周りより遅れて成長してきた僕の、長身への憧れは年季ものだ。どう考えても絶対安静なのに、血圧上がったよ。

「だからそりゃお前の幻覚だっての」

 アマサワ先輩は雑にしゃがみこんで、後輩のぼさぼさ頭をいなしてる。ぼさぼさがいったい何を主張したのかは聞いてなかった。どうでもいいし。

「あー、ごめんね、そこの人」

 当人が意地でも謝らないと見て、アマサワ先輩はしゃがんだまま首だけ方向転換し、ぺこんと頭を下げた。

「俺、こいつの部活の先輩だから。よーく言っとくから許してやって……」

「何してる、そこ!」

 アマサワ先輩の、美的シルエットに優雅な微笑みを乗せての模範的な台詞は、化学の粕谷先生の怒声に遮られた。どうも、衝突の効果音だと思ったあれは、五時限目の本鈴だったみたいね。

「さっさと入りなさい! いつまで義務教育気分でいるの!」

 それは高校一年生を叱咤する常套句だったけど、僕らを萎縮させるにはじゅうぶんだった。あの先生、普段の口調もテストの採点も容赦ないんだよね。

 僕を取り囲んでたのがわらわらと撤退して、化学実験室へ向かう。鼻血が落ち着いたのを確かめてから、僕は教科書やノートを手放しているのに気付いた。誰かが拾っておいてくれたらしい、床の上に几帳面にそろえてあった化学セットを慌てて引き寄せ、もう一度振り返る。ぼさぼさは放置としても、アマサワ先輩にはひと言くらい、何か言わなくちゃと思ったから。

 そして僕は、衝突の後遺症を疑った。

 アマサワ先輩はこちらに半分背中を向けてた。その背中を、Tシャツの布を全力で握りしめてよじよじと登ってく、ちっちゃな人がいたんだよ!

 白っぽい、髪の短い男の子みたいだった。顔は見えなかったけど。それが首筋にたどり着くと、アマサワ先輩は片手でうなじを梳くふりで、明らかにその小人を急かした。小人はつっつかれて、ぴゃっと先輩の襟中へ消えた。

 視線に気付いたんだろうか、直後、アマサワ先輩は一瞬だけこっちを見た。僕はぎくっとしたよ。その目が、さっきまでののほほんとした空気とはほど遠かったから。すぐになんでもないふりして、ぼさぼさ頭の髪をますますぼさぼさにかき回しながら立ち上がったけど、そうやってぼさぼさくんの視線をよそに向けておいて、アマサワ先輩はそっと、もう片方の手の人差し指を唇につけたんだ。

 しー。

 秘密、てわけ。

「じゃ」

 ころっと元の雰囲気に戻って、先輩は申し訳なさそうにまた首を折った。

「ほんとごめんね。見たとこ元気そうだけど、頭とか打ってるとやばいから。何か変なことあったらすぐ保健室に行って」

 ……変なものなら、たった今見ましたけど。

 そうも言えずに、僕はお礼を言ってその場を離れた。いい加減、粕谷先生の忍耐も限界って感じだったし。

 先輩とぼさぼさくんは、化学実験室とは反対の方向に消えていった。ガラスの瓶とか虫の標本でいっぱいの棚が立ち並ぶその奥は、何かと噂の生物部の部室なんだって、後で知った。

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