失せもの
「おい、京子、俺のズボン知らないか?」
困り顔で、リビングに恭平がやって来ると、愛妻の京子に訊いた。夕食のハンバーグの種をこねていた京子は振り向きもせずに、
「知らないわよ、あなたがどこかにやったんでしょう?」
と、剣もほろろだ。恭平は泣きそうな声で、
「確かに洋服ダンスに入れて置いたんだよ。それがない」
「また始まったわね、あなたの悪い癖」
「そう言うなよ、俺の記憶に間違いはないさ、どうしたんだろう?」
恭平は、食卓にペタンと座り込むと、いつものように考え込んだ。そんな恭平を、ぼんやりと京子は眺めている。いつものことではある。
俺も年かな?何だか情けない。しかし、不思議ではある。この前は、愛用の青瑪瑙の灰皿をどこかにやった。それが、数日して彼の寝室のベッドの下から出て来た。おかしい。そんなところに置くはずがないのだ。その前は、彼の万年筆だ。上着のポケットから消えて、玄関の棚の上に置いてあった。俺も忘れっぽくなったかな。
ポケットからタバコを出すと、火をつけ、ふうと煙を吹く。
「ちょっと出かけてくるよ」
不機嫌そうな妻を残して、恭平は表通りに出た。空気が新鮮だ。あたりは、静観な住宅街である。人の気配もない。そして、彼が外れの公園まで差し掛かったときだ。はたと気づいた。
そうだ、さっき出るときに階段の途中でズボンらしきものを見かけたが、あれは何だったんだろう。一旦気になると、頭から離れない彼である。公園のベンチに座り、メビウスを1本吹かしていても気が気でない。それでタバコもそこそこに靴でもみ消すと、とにかく帰宅しようと心に決めた。
帰ってみると、やはりそうであった。彼のなくしたズボンが階段の途中に置いてある。俺、こんな所置いたっけ?訳が分からない。とりあえずズボンを部屋に戻して、居間へ行く。
居間では、夕食が始まっていた。恭平は魚の煮付けに箸を伸ばしかけて、そのまま置き、ボンヤリと考え込んだ。
待てよ、なくし物が置いてあった場所が、どうも気になる。灰皿はベッドの下、万年筆は玄関の棚、そして、ズボンは階段の途中だ。ふむふむ、よく考えたら、ベッドの下、玄関の棚、階段といえば京子の掃除している場所ではないか?妻が何か関わっているのだろうか?恭平は、そっと京子を盗み見た。妻の京子は、ハンバーグを頬張りながら、彼をジッと見つめていた。
よしよし、ここはひとつ、京子を鎌にかけてみるか。
「おい、京子」
と、たくあんを口に運びながら、恭平は何気ない風を装って、
「お前、何で俺の持ち物盗んだんだ?分かってるぞ」
すると京子は、ふくれっ面で、
「何よ、何のことよ」
と、こうである。よし、もう一押しだ。
「俺、この前見たんだよ、お前が隠すところを」
「見てたの?」
「ああ、バッチリと」
京子は、しばらく黙っていたが、やがて小声で、
「やっぱりバレたか」
と告白した。そうか、やはり妻の仕業であったか、しかし、何故?
「何でそんなことしたんだよ?俺に教えろ」
「あなたの顔よ」
と、京子はとぼけた顔でいう。
「あなたの悩んでる顔よ、好きなの、あたし」
「俺の顔?」
「あなたが悩んでる所見たいから、何だかんだ悩ませたり、最近は隠しものしたりして、こっそりと、あなたが悩んでる様子見て、うっとりしてたの、悪い?」
「悪いよ。そんな癖やめて、何か他の趣味でも見つけろよ」
と、かくも夫婦とは不思議な関係である。些細なことから、とんでもないことが持ち上がる。それでも、何とか一生添い遂げる。夫婦愛とは、まことに偉大である。




