『社会貢献(?)をした話』〜錆のニオイとオレンジ色の水溜り〜
歩いていると、目が丸くなるほどの強烈なニオイがした。顔が反射的にその方を向いてしまって、首に強い痛みが走った。……いまもまだ痛む。
血のようで、生臭くも、鼻の奥を突き刺すような金属的なニオイ。
「もし『サビの世界』があるのなら、きっとこんなニオイだろうな」と、断言できるほどに、それは濃く、不快な存在感で、一瞬にして私をサビの世界へと連れ去った。
そして、私は気がついた。
「雨が降ると、必ず同じ場所に現れるオレンジ色の水溜り」
あれも、このサビのニオイと関係しているのではないか?、と。
◇
私は、奇妙な物事に遭遇しやすい人間だ。現在連載中の『奇妙な街に住んでいた』というノンフィクション微ホラーでは、私が出会ってきた奇妙な人々や現象について書いている。
そんな私は2年ほど前から、ある「物」が気になっていた。それが「雨が降ると、必ず同じ場所に現れるオレンジ色の水溜り」だ。
この水溜り、本当に奇妙なのだ。
雨が降ると、アスファルトには水溜りができる。
その色を思い出してみてほしい。
大抵は、無色透明なはずだ。
しかし、私が見つけたその場所だけは、必ず濃いオレンジ色に染まるのだ。
周囲の水溜りは透明なのに、そこだけが赤茶色の粘土のように濃いオレンジ。
最初は、どこからか赤茶色の土が運ばれてきたのだと思った。誰かの靴や車のタイヤ。あるいは、自転車。
そんな物たちにくっついた赤茶色の土が、水溜りに入り、オレンジ色に染めたのだ、と。
だが、違った。
雨が降るたびに、その場所に″必ず″オレンジ色の水溜りが現れた。それが2年も続いている。
流石におかしい。
そして、ある晴れた日。
奇妙な水溜りの場所から、3メートルほど離れた場所で、冒頭に書いたような、強烈なサビのニオイがしたのだ。
雲ひとつない晴天。
湿度の低い空の下で、鼻を突くほどの異臭。
通常。人間の嗅覚は、雨天時やお風呂のような「湿度の高い環境」で敏感になる。そのセオリーを無視して襲ってくるほどの″濃いニオイ″。
それは、地上の出来事ではない、どこか異世界から届いた『日常生活を破壊する異形の兆し』だと直感した。
ここで一旦、状況を整理してみる。
◇
・雨の日に、必ず決まった場所に現れるオレンジ色の水溜り。
・そこから3m地点で感じた強いサビのニオイ。
・そのニオイは晴天時に強まる。
私はこの情報を元に、さまざまな仮説を立てた。そして、ふと、以前テレビで見た道路陥没のニュースを思い出した。
原因は確か、下水道管の腐食だったはずだ。
私はその話を元に、1つの仮説を立てた。
「 あの場所では、下水道管の腐食が進んでいる。アスファルトの下には、腐食によって生じたサビのガスが充満している。
晴天で気温が上がると、アスファルトの下に溜まったガスが膨張し、逃げ場を失って、何処かの亀裂から地上に噴き出してくる。
それが、晴天に感じた強烈なニオイの正体だ。
そして雨の日。アスファルトの下に溜まったサビの成分が、何らかの圧によって地表に漏れ出し、ある窪みに溜まることで、『オレンジ色の水溜り』が出来上がる。
つまり、あの窪みそのものが、下水道管の腐食によって出来上がった『異形の兆し』なのではないか。 」
これが私の立てた仮説だ。
◇
自分なりに納得がいく仮説が立てられたことで、私は満足感を覚えた。あとは、AIを使って答え合わせをするだけだ。それが終われば、2年間に渡る私の疑問は解消される。
私はさっそく、AIに仮説を投げかけた。
――すると、AIの挙動がおかしくなった。
以前、あるドラマの結末の考察を投げかけたときと同じ、異様な反応。
AIは特定のメッセージを執拗に繰り返した。まるで、自分にはできないことを誰かに頼み込んでいる人間のようだった。
「直ちに通報してください」
AIはことあるごとに、「市町村、あるいは国交省に通報を」「通報用の文面を作成しましょうか?」と言ってくる。
スムーズな会話は、もはや不可能だ。
最後に答え合わせをして終わりにするつもりが、新たな『異形の兆し』に触れてしまったかのようで、……ほんの少しだけウンザリした。
確かに、私の仮説通りに下水道管の腐食が起きているのなら、大変なことが起こる。だが、素人の考察で役所の仕事を増やすのは気が引けた。
けれど、AIはすがりつくような警告を止めない。
「その状況は極めて危険です。今この瞬間に陥没してもおかしくありません」
ふと、私は考えた。
近々、ここを通るであろう入学式を控えた子供のこと。何かを愛し、誰かに愛されているどこかの誰かのこと。
その人たちは、足元の地面が崩れたとき、「こんなはずじゃなかった」と絶望するのではないか。
私はかつて、母の運転する車で交通事故に遭ったことがある。幼かった私は、救急隊員に運ばれながら「こんなはずじゃなかった……」と、泣きながら言い続けた。
運命に命を遊ばれて、とても悔しかったから。
その記憶が、悩む私の背中を押してくれた。私は、市町村の窓口に連絡を入れた。
仮説が正しいかは、わからない。
けれど、もしあの場所が修繕されたなら、そのアスファルトに残った修繕の跡は、勇気を出した私にとっての勲章になるのだろう。
もしあなたが、街でオレンジ色の水溜りを見つけ、近くでサビのニオイを嗅いだのなら。
そのときは、迷わず通報してほしい。
あなたのその行動が、誰かの絶望を未然に防ぐかもしれない。
「誰かがもう通報しているだろう」という心の声に、負けてはいけない。
その″誰か″が、あなた自身なのかもしれないから。




