物語「狂気の邂逅」
拳銃をコートのポケットにしまい、少女は闇夜を歩く。
人通りのない真夜中の路地、月明かりだけが彼女を見ていた。
少女の目的は復讐。
即ち、満月の夜の殺人鬼に、宴の終わりを告げること。
少女の恋人は犠牲者だった。
満月の夜、無差別的に一人を殺す狂った仮面の男の、六人目の犠牲者だった。
今でも不意に頭に過ぎる、仰向けの死体の写真。
リボルバーが持てる球の数と全く同じだけの銃創が確実な死と殺意を証す。
赤く飾られた白色のシャツ、殺人鬼の残した金属の月が魂なき身体を飾っていた。
わざわざ路地に運び込まれ、狂気の作品は展示されていた。
冷え込んだ冬の満月の夜、十二度度目の殺人の日。月の形は、殺人鬼の狂気が満ちたことを示していた。
狂気が正気を超えた時、新聞社に届いた手紙。
最早男はアーティスト気取り、エンターテインメントのように悲しみを演出していた。
それほどに余裕があった。
満月の差す真夜中の街には人の影は一つもない。
街の者はみな、隠れている。
立ち向かう者はみな、殺されてしまった。
掟破りの7人殺し、警官さえ殺して見せた三度目の夜の殺人が、民衆の反抗の意思を削いでしまったのだ。
街の者達は音も立てず、静かに家に篭っていた。
家だけは自らを守ってくれる不可侵の領域と信じていた。
だが、甘い考えはすぐに粉々に砕け散った。
男は、その不可侵であるべき領域を、難なく侵してみせたのだ。
四つ目の作品は家から引き摺り出されていた。
もはや、逃げ場などなかった。
街から出ることが出来たのは幸運な一部だけ。
四度目、五度目と犯行が重ねられていくなかで、街の人々は壊れていった。
平凡に見せた日常の中で、誰もが猜疑心を抱く。
あいつが殺し屋か、それともそいつか。
誰もが互いを疑い合って、無い腹のうちを探っていた。
同調圧力は強まり、抜け駆けは許されなかった。
誰もが平等に、この恐怖を味わうべきだ。
歪んだ正しさに人は狂い、正気の者も口を出せなかった。
純粋な眼が盲いていく。
少女もその瘴気にあてられ、日々頭を痛ませていた。
唯一の頼りは恋人だけ。
互いに抱き合う間だけは、何もかも忘れられた。
六度目の満月、少女は眠りの中。
何も知らぬ間に大切な人は、新たな犠牲者に変わっていた。
葬儀の日、少女は涙を流せなかった。
未だに信じられなかった。
悪い夢だと思いたかったが、部屋に残された空虚が、それを許さなかった。
ようやく起こったことを受け入れられたのは、一週間経った頃。
少女は拒んでいた悲しみを、その胸に抱いた。
ひどく、虚しかった。
絶望の淵から立ち上がる時、少女の中で眠っていた悲しき獣もまた目を覚ました。
殺意、華奢な身体に収まりきらぬほどの憎しみが牙を剥き、咆哮を上げる。
少女の瞳に闇が灯った。
狂気は理性と混じり合い、冷酷さに磨きをかける。
切り裂くのは性に合わない。
毒殺は狙えない。
ならば、撃ち殺してやろう。
自らがしたのと同じように、弾倉の弾を全て使って、外道の飢えを満たしてやろう。
少女は笑みを浮かべた。
その死に様を想像することが、愉快で仕方がなかった。
少女は街の銃器店で、拳銃を購入した。
いくつかの拳銃を手に取り、それを吟味する。
さほど時間は掛からなかった。
最初に手に取った銃が一番、少女の手に馴染んだのだ。
十二発。
殺人鬼の使う銃のちょうど二倍の容量を持つ、コンパクトな拳銃が最終的に選ばれた。
銃を手に入れた少女は、大量の弾丸を買って、来る日に向けて爪を研いでいた。
毎日のように拳銃を撃ち、少しずつ力をつけていく。
全ては完璧な復讐のために。
最高の瞬間のために。
少女の生きがいは、復讐だけ。
執念と狂気が、彼女を生かしていた。
それは決して正義感や、恋人のためではないと少女は自覚していた。
全ては自らのため、絶えぬ渇きを満たすため。
的へ撃たれる全ての弾に、怨念がこもっていた。
やがて少女は、望んだ力を手に入れた。
ようやく、爪が磨き上がった。
あとは、その日を待つだけ。
的に撃つ弾は秒針のように、時を刻む。
死神の足音のように、無機質に引き金が鳴る。
拳銃の消音機でさえ、滲む狂気を消し切れはしなかった。
満月の日、いつものように少女は銃を撃っていた。
磨き上げられた爪は、ギラギラと光っていた。
空が暗くなり始め、少女は銃をポケットにしまう。
家路につく足は、心なしか踊っていた。
時計塔が零時を告げ、同時に宴の始まりを告げる。
恐怖を振り撒く狂おしき宴が、いつものように始まろうとする。
だが、今日の宴は一味違う。
少女は、無意識に舌舐めずりをした。
ーー今夜の宴の主は、私だ
獣は静かに告げる。
その声には、抑え切れぬほどの喜びが宿っていた。
宿る喜びを抑えつけながら、少女は家を出た。
満月の光の下でコートのポケットに手を入れ、少女は歩く。
街では、夜行性のの酒場さえも闇の中で眠ってしまい、街灯だけが石畳を照らしていた。
少女は殺人鬼の特徴を思い出す。
高い背丈、黒いコートに白の仮面。
模倣者でもない限り、おおよそ間違われることのない特徴。
あとはしくじらないだけ。
少女はひたすらに、夜の街を歩く。
歩けば、時は来ると確信していた。
そして、やがて少女は人影を遠くに見つけた。
だんだんと距離が縮まるにつれ、影のヴェールが解けていく。
一歩一歩、少女は歩み続ける。
人影も、歩み続ける。
ついに、月明かりのもとにその姿が照らし出された。
白の仮面、黒のコート。
情報と寸分の狂いもない仇の姿が、そこにあった。
仮面の男が、少女に声をかける。
何気ない挨拶のフレーズが、男という存在によって恐ろしい言葉に変化する。
少女は挨拶を返した。
その恐ろしさは、少女にはまるで通用しなかった。
男は仮面を外す。
思いの外、男は美しい顔をしていた。
ナルシズムにはうってつけの、整った顔立ちであった。
だが、男の眼に光がないことに少女は気づいていた。
「面白い人だ」
男はそう言う。
声さえ、美しかった。
男は気のふれた天使のようだった。
「あなたもね」
少女は大して会話する気がなかった。
男は少し笑い、そして息をついて両腕を広げた。
「君、俺を殺しにきたのだろう?やってみたまえよ」
その右手に握られたリボルバーが、妖しく光る。
少女はあえてゆっくりと拳銃を取り出す。
そうしたのは、取り出す隙に男が撃ってくると読んでいたからだ。
だが、男は撃たなかった。
拳銃を向ける少女に対して、男は挑発するかのように、言葉を続けた。
「君はたしか、六番目の作品の家で眠っていた娘だろう?」
男の眼は、子供のように爛々としていた。
「ええ、その通りよ」
少女は何も隠す気はなかった。
「これもきっと何かの運命だ。あの時から数え、またしても六番目の作品が、君になるとは」
男の声は、喜びの感情に満ち溢れていた。
「そうなると思う?」
「なるさ。君だって、光栄だろう?もっとも美しい作品として死ねるんだから……さ!」
男が素早く銃を向け、射撃する。
少女はその直前に、銃の動きを見て弾を避けていた。
「独特のセンスをお持ちのようだ」
男は嗤っていた。
罠に嵌った獲物を弄ぶような、そんな態度だった。
少女は無言で、男に近づいていった。
男は動かなかった、或いは動けなかった。
迫り来る姿に宿る狂気は、自らを凌駕していたのだ。
少女は、男の腹に銃口を当てる。
「ええ、そうよ」
瞬間、銃弾が放たれた。
獣が解き放たれたのだ。
男は力を失い、尻餅をつく。
「助……け……」
最も滑稽な瞬間だった。
男が命乞いの言葉を言い終わるよりも前に、少女は次の弾を撃った。
男は石畳の上に倒れた。
しばらくの間、男の眼は少女を見ていたが、やがてその視線は虚無へと向いた。
少女は一発ずつ、甘美な瞬間を噛み締めるように、残った弾を撃っていった。
「助けなんて、来やしないわ」
少女はポケットに銃をしまい、来た道を戻っていった。
満月の夜の殺人鬼は、月明かりのもとに死し、復讐は遂に成された。
その瞬間、少女を生かしていた狂気の獣は安らかに死を遂げたのであった。
少女は寝支度を整え、寝室へ向かう。
そして、立てられた写真に写る恋人の頭を撫でた。
かつて、そうしたように。
かつて、そうしてもらったように。
少女は笑みを浮かべ、ベッドに入る。
夢の中で、恋人は生きていた。
その死から復讐を遂げるまでの間、一度も姿を見せなかった恋人と、ようやく少女は再会したのだ。
幸せだった。
昔のような暖かさが、そこにはあった。
朝日によって全ての幻が失われた時、少女は虚しさを覚えた。
葬式の日の朝と、まったく同じ感覚だった。
生きることに対して、もはや少女は意味を見出してはいなかったが、恋人も自分も死を望んでいないことをなんとなく感じていた。
少女はただ、生き続けた。
街は殺人鬼の死によって、少しずつ活気が戻り、やがてかつての日常を取り戻した。
少女もまた、街と同じように少しずつ生きることに喜びを見出していった。
少女は年を重ね続け、やがて自然に死んだ。
愛した男が死んだ月の、満月の夜のことだった。
一人の男を愛し続けた少女は、生涯独り身を貫き通した。
墓は、愛した男が眠る墓のすぐ隣に建てられ、静かな月と街灯の明かりに二人は照らされていた。




