婚約破棄って正気ですか? わたし悪役聖女なんですけど ——悪役令嬢に転生した元聖女は滅亡予定の隣国を立て直します——
私には2つの記憶がある。
ひとつは25歳まで日本でOLをやっていた記憶である。
新卒で事務職に就いた会社は、実態は過酷な飛び込み営業ばかりのブラック企業だった。深夜残業に休日出勤は日常茶飯事。
私は過労で注意力を失い、若くして交通事故で死んだ。
もうひとつはクージュ大陸で大冒険をした記憶である。
それは大人気RPG——アフターエンディングの世界で、学生時代に没頭したゲームのものだった。日本での死後、私はその世界の登場人物として蘇った。
サポート役として勇者パーティに加わり、魔王討伐のために様々な街やダンジョンを巡り、そしてついに討伐は達成された。私の活躍ぶりも過分に評価され、最終的には聖女様だなんて崇められていた。もっとも残念なことに、その後パーティの仲間の裏切りにあってチヤホヤされたのは一瞬だったのだけれど。
ナイフで心臓を突き立てられ、痛みと共に徐々に意識を失っていく中で、せっかく異世界転生したのにまたこんな歳で死んじゃうのかな、なんて思っていた。
しかし。
水面に絵の具が広がるように、私の意識は誰かの中で再び目覚めた。
鏡の前にいた。
そこに写っていたのはとんでもなく美しい少女だった。均整のとれた体つきに、天使の輪が閃く漆黒の長髪。ビビッドな赤いドレスは派手なのに、それに負けないやや吊り目なキリッとした顔立ち。金のティアラやネックレスも豪奢なのに調和が取れており、すべてが収斂されて少女自体が一つの宝物のように輝く。
「参りましょう。リズお嬢様」
リズ。
私はその名前を知っている。おそらくファミリーネームはブラックヴィオラ。
恋愛シミュレーションゲーム——メロディアスキングダムの登場人物だ。容姿端麗、文武両道。家柄も素晴らしいにも関わらずヒロインにいじめを行い、展開によっては国を戦争に導く悪役令嬢である。
……というか、またゲームの世界に転生!?
さっき別のゲーム世界で死んだばかりなんですけど!?
ただしかし、せっかく降って湧いた命に文句を言っても仕方がない。これも日本のブラック企業に殺された私に対する神様からの慈悲なのかもしれない。
前の人生では冒険者リッサとして、苦しいこともありつつ大活劇を楽しんだ。仲間と共に魔王を倒したときのカタルシスなんて、絶対に日本の社畜人生では味わえないものだった。
今度は恋愛シミュレーションゲームの世界にやってきた。
きっと今回だって、この世界を攻略し尽くすことができるはずだ!
なんて自分を奮い立たせていたのだけれど、そこには大きな問題も横たわっていた。
「ど、どうしました? リズ様。お時間が過ぎてしまいます」
10歳くらいのメイド服をきた少女が必死に呼ぶ私は、敵役の悪役令嬢だ。
前回主人公格のキャラに転生したのとは正反対。リズ・ブラックヴィオラはほとんどのルートにおいて不幸な運命を辿る。
リズ・ブラックヴィオラ。
高貴な生まれと自身の能力を鼻にかけ、他人を馬鹿にする嫌なやつ。
メイドの少女の方を見た。
「ひっ」
少女は小さな悲鳴をあげた。
「別にとってくったりしないよ?」
少女は焦ったように小刻みに頷いた。
どうやらリズ・ブラックヴィオラは、身内にも嫌われているらしい。
今現在は、ゲームでいうとどの場面なのだろうか。そもそも私はゲームのシナリオ通りの進行になってしまうのかもわからない。確かめることがたくさんありそうだ。
「ところでクーシャ、お時間が過ぎているって、一体なにがあるのでしたっけ?」
私がリズであれば、メイドの少女はクーシャのはずだ。
メロディアスキングダムは社畜時代、魂の抜けるような休日の時間をそれに注いだため端役まで頭に入っている。
「はい、もちろん舞踏会でございます! シャルル様より、重大なご報告があるとのことなので、決して遅れることは許されません! 急ぎましょう」
そして少女が私に背を向け、案内しようとしたときだった。
急いだためか足が絡れ、彼女はその場で転んでしまった。
「痛ッ! お、お見苦しい姿を申し訳ございません! なんでもありません、すぐに参りましょう」
脂汗を浮かべながらクーシャは言った。
「待って、怪我したんじゃないの?」
私はすぐに彼女に駆け寄り、その足首を確かめた。
捻挫でもしたのだろうか、さっそく真っ赤に腫れていた。
「お嬢様! おやめください! 本当になんともありませんから! どうか、お慈悲を!」
私が何をすると思っているのだろうか。
彼女の足首を両手で包み込み、咄嗟に回復魔法をかけた。
——あ、違うか。
それは前の世界の、リッサとしての能力であって、いま自分はメロディアスキングダムのリズなのだ。
それなのに。
私の手のひらは光り、優しい熱を帯び始めた。
「……え、嘘。痛みが……引いてる?」
クーシャは驚愕の表情で私のことを見た。
驚くべきことに、私はリッサ時代の能力を使えるようだった。メロディアスキングダムの世界では、多少不思議な力はあるが、こんなゴリゴリの魔法は存在しない。
ちょっと誤魔化した方がいいかもしれない。
「さぁ? なんでもないって言ったのはあなたでしょ。……私に嘘をついていたわけ?」
「とんでもございませんお嬢様! 最初からなんともありませんでした……!」
まだ少し不思議そうだったが、クーシャは気を取り直して再び立ち上がった。
◆ ◆ ◆
部屋の中央には煌びやかなシャンデリアがあり、その光が広間全体に散らばる無数の煌めきを生み出していた。ドーム型の高い天井には空のような絵が広がっており、屋内なのに信じられない開放感だ。
赤を基調とした絨毯はふかふかで、それを踏み締めるだけでなんだか場違いなところへきてしまったように感じる。
前の世界での私は、骨付き肉に齧り付く冒険者だったのだ。
優雅なクラシック音楽に合わせて穏やかな表情でお喋りしている来客たちはまるで別世界の住人で、だからこそ私は気を引き締めた。
こういうのは最初が重要だと、私は身をもって知っていた。
なにせ前の世界に転生直後、挙動不審な振る舞いを続けた結果牢獄に閉じ込められてしまったのだ。せっかく転生したのに、そんな失敗はもうしたくない。
私はリズ・ブラックヴィオラ。
泣く子も黙る悪役令嬢だ!
「あら、リズさん。素敵なドレスでいらっしゃるわ! それはそうよね! なんでも今日はシャルル様のお伝えごとがあるそうじゃない。きっとリズ様に関することに違いない!」
そういって私の前に現れたのはリズの取り巻きの一人、マイカだ。
いつも金魚の糞のようにリズにくっついて周り、ときにはリズの悪巧みに加担する調子の良い女の子である。
そして名前に上がったシャルルと言うのは、メロディアスキングダムのメイン攻略対象であるシャルル・メルバーティ第一皇子のことだろう。柔らかい金髪に青い瞳で、どんな身分の相手にも優しい皇帝の嫡男である。
「私に関するお伝えごと、ですか……」
「ええ、きっと正式に婚約なさるのではないかしら!」
そもそもリズはシャルルの幼馴染であり許嫁でもある。しかし、ゲームの進行を正しく進めカノンの好感度が上がっていけば、シャルルはカノンを選ぶこととなる。
お伝えごとがなんであるかはわからないが、それを聞くことで物語の現在地がわかりそうだ。まぁカノンが普通の選択肢を選んでいけば、いずれ私とシャルルは疎遠になるのだろうけど。
「ただまぁ、お伝えごとの内容がリズさんに関わらないのであれば、ちょっとそのドレスは派手過ぎじゃないかしら? 弟君のこともあるのに」
「弟君って、パル様のことかしら?」
「他に誰かいらして?」
なんだかマイカのあたりがきつい気がする。
本来の彼女は取り巻きであり、リズに対する太鼓持ちなのに。
「パル様のお具合は本当によろしくないらしいわ。国有数の除術師を以てしてもどうしようもないらしいのだもの。シャルル様もさぞ心配されているっていうのに、リズ様ったら、ねぇ。暖炉の火だって、もう少しお淑やかに燃えるものよ」
パル・メルバーティはシャルルの弟で、たしか歳は10歳くらいだったと思う。兄に似た美少年だが、たしかゲームでは敵国の呪術師に呪いを掛けられ、ヒロインであるカノンが彼の呪いを解けるかというのもクリア条件なのだった。
メロディアスキングダムでは、魔法の代わりに音術という能力がある。
それは音楽を用いて人の体や精神になんらかの作用を与えるというもので、それによる呪いは人を死に至らしめることも可能だ。リズもカノンもマイカも、ノーザウン国立聖歌学園の音術部でクラスメイトだ。ちなみにシャルルは騎士部である。
ただそれとして、マイカの楽しそうな様子には少し違和感を覚える。ずいぶんリズに対して含むことのありそうな物言いだ。
「なにか言いたいことが?」
「いえ別に〜。あら、本日の主役がやってまいりましたよ」
そう言うと、大階段から降りてきたのは礼服に身をつつんだ長身の男だった。
一挙手一投足に惹きつけられるように、皆の目が彼に吸い寄せられた。会場の子女から嬌声が上がり、彼を見ただけで幸せになれると言わんばかりに。
シャルル・メルバーティ。
彼は確かに美しかった。階段を降りてくる優雅な所作に揺れる金髪。憂いを帯びた青い瞳。肌の色は不健康なほどに白いが、しかしその体躯からは日々の鍛錬も見て取れた。
ため息を漏らす子女たちに対して、私だって例外じゃなかった。
ここはかつて没頭したゲーム世界で、その皇子様がまっすぐ私を目指してやってきたのだ。
息を飲むほどの顔の良さ。
彼を見ているだけで呼吸が止まりそうになる。
シャルルは私のすぐそばまでやってきて、そして言った。
「リズ、残念だ……」
「……ざんねん?」
「ああ、君だけが希望だった。君こそがパルの呪いを解いてくれるものだと」
学園で、当初からリズの音術のスキルは秀でている。しかしゲームでは、彼女がいくら努力したところでパルの呪いを解くには至らない。それができるのは、カノンだけ。
しかし、私は閃いてしまった。
「ええ、確かに音術でパルくんを救うには至れませんでした。しかし、別の方法であれば救えるかもしれないです」
どうやら私は、聖女リッサ時代の能力を使えるみたいだ。
だとすれば、パルのことも回復魔法、あるいは状態異常回復でなんとかなるかもしれない。
それなのに。
「——もういい」
シャルルは目元を右手で隠すようにして、怒りを堪えるように言った。
「君の法螺話にはうんざりなんだ。いい加減にしてくれ」
「……ほらばなし?」
シャルルは感情を押し殺すように、さらに続けた。
「君はあることないこと学園で言いふらすことによって、カノンも傷つけているそうじゃないか」
シャルルに目を奪われていたから、私はそのときに彼の背後にカノンがいることに気がついた。カノンは目に涙を湛えながら、シャルルの服を掴んでいた。
「……そんなことはしていません。それに、仮に私がカノンさんを貶めるような噂を流たとしても、パルくんを救える可能性があることとは別の話で——」
「黙れ。おまえの話はもう聞きたくない」
静かだが確かな剣幕に、私は言葉を失った。
「リズ・ブラックヴィオラ。僕は君との婚約を破棄する」
異世界転生初日。
私は婚約者を失った。
きっとそれだけではない。立場とか、これまでの名声とか、もっとたくさんのものを失ったのだとシャルルの表情をみて直感した。
下を向いたカノンが、うっすらと笑っているように見えた。
もっとも物語上、リズが婚約破棄されるのはわかっていたことだ。
シャルルはゲーム上の思い入れはあったものの、しかしこの世界にやってきたばかりで彼との親交はまったくない。
ゲームでは婚約破棄された後もリズはシャルルに固執し、まだまだアプローチを続けた。そしてカノンが別の攻略対象と恋仲に落ちたり、あるいはおかしな選択肢を選んでカノン自身の好感度が下がっていけば再びリズとシャルルは婚約することになる。
でも、そんな行動を私がとる必要はない。
ゲームでは気にならなかったが、現実として大衆の面前で婚約破棄するシャルルはなんだか軽薄で子供じみていてさっそく興醒めしてしまった。当の本人はカノンや他の友人と楽しげに談笑を続けている。
しかしパルの呪いはなんとかしてあげたい。この世界のカノンがどんなルートを辿っているかはわからないが、彼女の音術の鍛錬が疎かである場合、パルは死んでしまうのだ。そうなることをわかっていて、のうのうと過ごすなんてできない。
シャルルの反応からするとパルに近づかせて貰うのはもう難しいかもしれない。まぁじっくりなんとかする必要があるだろう。
一旦食事でもとって落ち着こう。
そう思って歩いていたら、私は何かに躓いて倒れた。
慣れない厚底靴のためバランスが取れず、近くにあったテーブルクロスを引っ張ってガシャンと酷い音をたててしまった。
視線をあげた私は、何人かの少女たちに見下げられていた。
「あーら、リズさん。ずいぶん酷く汚しちゃって。こんなに無作法なのに上級貴族の子女だなんて信じられないわ」
「いつもあれだけ馴れ馴れしくしているのに、フラれちゃってみっともない」
「音術の成績だって先生に色目を使っているからでしょう? フシダラ!」
躓いたのは、足をかけられたからだとわかった。
リズの評判はずいぶん悪いようだけれど、それを私に言われても困ってしまう。私はさっきこの世界にきたばかりで、過去の行いについて文句を言われたってまったくピンとこないのだ。
しかし、こんなふうに言われたままでは今後の生活に差しさわる気がする。
私は立ち上がり、中心にいた少女を睨んだ。少女はメロディアスキングダムのモブキャラのような顔をしている。
「な、何よ!」
「私に文句があったとしても、そんな風にされるのは損をしてしまうわよ」
ちょっと魔法で脅かしてみようかなと、そう思った。
異世界で魔物と対峙していた私にとって、こんな少女たちなんて赤子も同然だ。
が、私はそれができなかった。
急にものすごい圧迫感に包まれた。そのプレッシャーは冒険者時代によく感じたことがあった。
まるで魔王に出会ったときに感じたそれで、死の淵に立たされたみたいで振り返ることもできなかった。
私の体が、急に宙に浮いた。
誰かが私を持ち上げた。誰かが私をお姫様抱っこしたみたいだ。
「これはこれはリズ・ブラックヴィオラ。怪我でもしたんじゃないか?」
「ちょっと、何よ!」
思わず乱暴な声が漏れる。
「ディミトリ様!」
「暴れないでください。足を挫いていては大変だ、医務室へ向かいましょう」
私を抱えていたのは、貴族の男のようだった。
歳はリズより上に見えるが、20歳を超えてはいないだろう。それは圧迫感の激震地であり、私はいつでも魔法を使える準備を整える。
男は不思議そうに抱き抱えた私を見ている。
端正で男らしい顔立ちだ。黒髪には艶があり、モブキャラというには華がありすぎた。
しかし、ディミトリ……?
そんな登場人物がメロディアスキングダムにいただろうか。かなりやり込んだ私にさえ聞き覚えがない。本編にまったく関係ないキャラだろうか。
「降ろして! 別に怪我はしておりません」
「ディミトリ様! そんな女を助ける必要はありませんわ。彼女はいつも嘘ばかりつく痴者です」
「その女のせいでいつも聖歌学園は混乱していますの」
「いつもシャルル様をつけ回す色情魔よ」
彼から逃れようとするが、しかし上手くバランスを取られディミトリの腕の中から解放されない。バタバタと暴れる私を差し置いて、ディミトリは続けた。
「この場を乱しているのはどう見てもおまえたちで、彼女は陰湿ないじめにあっているように見えるが」
ディミトリが視線を向けると、それだけで少女たちが青ざめていくのが見て取れた。
「わ、悪気があったわけではありませんわ」
「そうよ。ちょっといい過ぎたところはあるかもしれませんが」
「……リズさんが、カノンさんに意地悪ばかりするのが悪いのです」
辟易する言い訳に、ディミトリの視線は一層厳しくなった。
それだけで、彼女たちは何もできなくなった。
「……い、行きましょう」
結果を見れば、私は助けられたようだ。しかし、この人は誰だろう。
3人が離れて行くのを見届け、私はディミトリに提案した。
「もう、降ろしてください!」
「ダメだ」
聖女リッサ時代の魔法を使える感覚はあるが、肉体はリズのそれである。暴れて抵抗するが彼の腕から逃れることはできない。
この大広間で、私たちはひどく視線を集めていた。婚約破棄されたばかりの女が別の男にお姫様抱っこされて運ばれている様はひどく滑稽に違いない。
「まさかディミトリ様にも手を出していたって言うの?」
「本当に嫌な女」
「シャルル様と天秤にかけていたとしたら許せないわ」
そんなふうに悪口をいう女たちも、いざディミトリに睨まれれば震え上がったり、中にはうっとりするものさえいた。おそらく有名人なのだ。
バルコニーに連れ出され、そこでやっと降ろされた。
この男は得体がしれない。
しかし、気押されたらダメだ。
「一体どういうつもりなのでしょうか。医務室に向かうはずでは?」
「おや、怪我をしていないのではなかったか?」
「だったらその場で開放すればよかったでしょう。助けていただいたことには感謝しますが」
対峙したことで、彼の姿を初めてはっきりと見た。
長身で細身の男で、礼服の装飾も良いものが使われている。位の高い貴族なのは間違いないだろう。
漆黒の髪に銀灰色の瞳に月光が差しキラキラと輝いて見える。端正で美しいが、しかしそれは戦う男の顔。
ディミトリはなぜか笑った。それは少し怪しく見えた。
「思ってもないことを。お前は困っていなかったじゃないか!」
「……なぜそう思ったのですか?」
「そんなの、表情を見ればわかるさ。お前は逆に、ワクワクしていた。どう仕返しをしてやろうかとな」
魔法を使って脅かそうとしたのが、見透かされた。
「——殺そうとでも思ったのか?」
怪しい微笑みを浮かべたまま、ディミトリはそんなことを言う。
「まさか! そんな悪趣味なことをおっしゃらないでください」
「そうか、それは悪趣味か。ところでおまえ、いま婚約破棄されたばかりだったな」
「笑いますか? 哀れな女と」
「俺と結婚しろ」
——え?
「ちょっと何をおっしゃっているのか理解できませんが」
「俺がお前を幸せにしてやると言ったんだ」
ディミトリなんて名前は知らないが、リズと元々親交があったのだろうか。しかし、魔王のようなプレッシャーを放つ男である。
おかしな言動は避けなければいけないのはわかっているが、思わず聞いてしまう。
「ディミトリ様は、私のことをどれほどお知りでしょうか」
「お目にかかることは度々あったが、まともに喋ったのは今日が初めてだ。よく知らないな」
だとすれば、メロディアスキングダムに登場しないのも納得できる。
「それがなぜ結婚となるのですか?」
「一目惚れだ」
「お目にかかることは度々あったとおっしゃいましたが……」
「知らん。先ほど一目惚れしたのだ」
ひょっとして、この人はリズの中身が今日から別人になったことに気がついたのだろうか。
そしてリズではなく私自身を好きになった、なんて都合の良い妄想。
「お断りします」
「ほう、なぜだ?」
「ディミトリ様とは度々お目にかかることはございましたが、まともに喋ったのは本日が初めてです。その上、一目惚れしませんでしたので」
「そうか!」
なぜかディミトリはどこか嬉しそうに納得した。
「ではまた別の機会に思いを伝えるとしよう」
言うと、ディミトリは振り返って舞踏の場に戻って行った。
シャルルのお伝えごとは終わったので、私が舞踏会に残る意味もないだろう。
広間で人の間を縫ってクーシャを探した。
その間もみな私を指差して嘲笑いを浮かべていた。なるほど、そういう意味でディミトリの提案は悪くないかもしれない。私はこれから後ろ指を差され続けるわけだが、婚約という話題があればその限りではなかったかも、なんて。
ただ、終わったことをネチネチ考えてもしょうがない。
使用人の溜まり場にクーシャを見つけ、私たちは連れ立って帰途についた。
「あの、実は寄る場所がございまして」
馬車に揺られて彼女に連れてこられたのは森にほど近い辺鄙な場所で、ずいぶん古い石造りの建物があった。飾り気のない建物にはがっしりした錠前がある。ちなみにこんな場所はメロディアスキングダムには出てこない。まぁ、私が辿り着けなかったルートではその限りではないけれど。
馬車から降りると月はいつの間にか雲で翳り、ポツポツと雨粒が落ちていた。
寒くてずいぶん寂しい夜だ。
クーシャが錠前に手をかけた瞬間に、こちらに振り返った。
「あの、お嬢様……お逃げを」
言った瞬間、ドアが開いて大柄の男が出てきた。男はあまりにも機敏にクーシャを持ち上げ、そして口元を抑えつけた。
「なんだ? 嫌味たらしいお嬢様はみんなの嫌われ者じゃなかったのか?」
「ちょっと! クーシャに何しようっていうのよ!」
さらに2人の男が出てきて、私を取り囲んだ。全員が不気味な仮面をつけ、帯剣している。
クーシャが抱え上げている男が言った。
「別にこのお嬢ちゃんには用はないさ。重要なのはあんただからな。まぁ、そうだな……。このお嬢ちゃんを返して欲しければ中に入れ」
男は無機質な建物の中に入って行った。
クーシャとは先ほど出会ったばかり、しかし彼女を置き去りにしてどこかに行くなんて選択肢は私にはない。
彼に続いて部屋に入る。
その後に二人も入ってきて、扉は閉められた。
「クーシャに何かしたらただじゃおかないんだけど」
「ああ、いいよ。じゃあまずはお前、裸になれ」
唐突な言葉に、私は言葉を失った。
「いいか? おまえはシャルル皇子の婚約者であるカノン様を侮辱した。不敬罪で殺されることになる。ただ、元はシャルル様の婚約者だ。そんな相手が処刑になるなど皇家の名折れ。おまえは婚約破棄に心傷で失踪したことにする」
私は徐々に、頭の中にメロディアスキングダムのシナリオが思い出された。
「こんなところで殺されても誰も助けにこないから、まぁ諦めることだ。ただ無駄死にするのは嫌だろう? せっかくならクズのようなおまえだったとしても役に立ってから死ねばいい。いう通りにすれば、このチビは助けてやろう」
シャルル闇堕ちルート。
パルの除術の失敗が確定し、リズの悪評がとんでもなく蔓延ったときに陥る最悪のルート。リズは婚約破棄の後失踪。その後に訪れるパルの死によりシャルルは精神を犯され、皇帝となる彼によるノーザウン帝国の軍事化推進とその後の破滅。
ゲーム随一の胸糞シナリオはカノンが遊び呆け、かつリズの悪評をばら撒きまくらなければ辿りつかない。ゲームとはいえそんなムーブはしたくないので、私は攻略サイトでしかその存在を知らない。
ゲーム上ではリズの失踪についてはあとで報告されるだけなので、何が起こったかなんて描かれない。まさかこんなことになっていただなんて……。
仮面の男たちは3人。
おそらくリッサのときの要領で戦えば負けることはないだろうが、肉体はリズだ。確証はない。それにクーシャが人質に取られているので下手は打てない。
「さぁ、選べ。ただ死ぬか、勇敢にも僕徒を守って死ぬかを」
私はドレスの首元に手をかけた。それだけで男たちの下卑た笑い声が上がる。
クーシャを拘束していた男と目が合う。
私はゆっくりとドレスを解く動作を行いながら、魔法を練って視線を通して仮面越しの彼に伝えた。
すると彼は、頭がふらりと傾き、クーシャの拘束が解かれ、ガタガタと彼は地面に倒れた。
「……おい、どうした?」「大丈夫か?」
スリーピィの魔法を正面から受けたらそうなることは必然だ。大丈夫、魔法はぜんぜん前の世界と変わらない。
クーシャは私に走りより、抱きついてきた。
「お嬢様!」
私は振り返る。
さて、こうなって仕舞えばあとは二人だけ。一人が倒れたことはそれなりに怪訝に感じるだろうが、しかし彼らからすれば目の前にいるのは女子供が二人だ。
何が起きたかもわかっていないだろうし、相変わらず意識は弛緩している。
クーシャも近くにいるしもう大丈夫だろう。
と、油断したときだった。
唐突な爆音は、ドアが破壊された音だった。ドア付近にいた仮面の男たちは、その衝撃に吹き飛んでそれぞれの壁に打ち付けられた。それだけで動けなくなるほどの衝撃みたいだ。煙が巻き上がるほどの衝撃に爆弾でも使ったのかと思ったが、違った。
現れた長身の男は、背丈ほどもある幅広の大剣を握ってそこに立っていた。
それを使って爆弾のような衝撃を起こしたのは明らかだった。
男は部屋を睥睨し、一言発した。
「なんだ、必要なかったか」
それは殺気だつ圧迫感と共に。
死はすぐとなりにあると言わんばかりに。
ディミトリが、そこに立っていた。
視線がかち合い、緊張が走る。
魔法が使えなかったとしても、彼の放つ雰囲気は魔王のそれだ。どうしてそこにいるのか。目的も、誰の味方かもまったくわからない。
とにかくクーシャだけは助けなきゃ。
私は慎重に言葉を選ぶ。
「あなたも私を殺しに?」
大丈夫だ。
私は元聖女。まともにやりあえば、勝てる。
緊張がピークに達したその瞬間。
私の緊張をつゆとも知らず、彼は相好を崩した。
「クク、ククク」
「な、何がおかしいのよ!」
「はっはっは! どうして助けに来たのがわからないんだ」
助けに……来た?
え? 助けてもらえることってあるの!?
「狐に化かされたような顔をして、本当におかしな女だ」
現在の私は一応公爵令嬢であり、15歳の女の子でもある。であれば、確かに助けられることもあるかもしれない。でも、前世はずっと助けられる側だったから、助けられるなんて忘れてた!
……いやしかし、そんなに簡単に信じていいものだろうか。そもそも彼は素性もわからない男だ。
周囲を確認すると、最初にスリーピィで寝かせた男は相変わらず爆睡中で、他の二人は壁に打ち付けられた衝撃で気を失ったまま。
「どうしてここがわかったの」
「噂ぐらいは聞くさ。今日おまえが殺されるかもしれないとな。だからつけてきた」
「わざわざこんな僻地まで助けに来てもらえる理由はない」
「おいおい、俺はおまえにプロポーズしたばかりだ。惚れた女を助けて何がおかしい」
大真面目にそんなことを言う彼の真意が掴めない。
「まさかあれが、本気だと?」
「信じてもらえないとは心外だ」
一歩二歩と、彼が私に近づいてきたので私の体は強張った。
いつの間にかしがみついていたクーシャは離れていた。
私の目の前で、その男は跪いた。
「俺の名はディミトリ・バルクルス。ザイレント王国一の騎士にして第一王子」
王子。
それもザイレント王国の。
確かにこの人はメロディアスキングダムには出てこないが、しかしザイレント王国は知っている。
それは闇堕ちしたシャルル率いるノーザウン帝国が滅ぼす隣国の一つだ。
ザイレントの他いくつかの国が滅ぼされた後、ノーザウン自ら革命によって破滅する道を辿る。
エンディングで名前だけ出て踏み潰される隣国がザイレント。
その王子で名前さえ出ないのが目の前のディミトリ・バルクルス。
彼は、頭を垂れて私に手を伸ばした。
「麗しの姫君よ。どうか俺と結婚してくれないか?」
魔王のような圧迫感を放つ男。
しかしこの人は、きっと死ぬのだろう。
いずれ狂い出すノーザウンのために。
この私に一目惚れしたと言い張り、そして危険地帯に単身乗り込んできてくれたこの王子は。
私はそんな彼に、何か一つでも返しただろうか。
「その手を取ることは、できません」
「ほう。なぜだ?」
「私とあなたは、出会ったばかりなので」
彼の顔が、少しだけ寂しげに見えたのは気のせいだろうか。
「それは残念だ」
「……ですが、私をザイレントに連れて行ってくれませんか? もう私には、ノーザウンに居場所なんてなさそうなので」
せめて、そんな未来を捻じ曲げるくらいのことはしてあげなくちゃ。前世では世界を救ったこともあるんだし、国の一つくらいなんとかしなきゃ。
ノーザウンでは悪役でもいい。
私は、悪役聖女なんだ。
最後までお読みくださりありがとうございます。
長編版でリズの冒険は続きますので、ぜひ下のリンク画像よりお進みください!
※四話より、新しいエピソードになります