例のウイルス騒動が続いていた世界線。その後の日本は?
「しすてむ」に登場したオカルト大好きクルー、松木、若葉、柴田が再登場。そこに「屁はくちほどにモノをいう」の小野田と山本、そして大江が加わり、あのウイルス騒動が継続していた世界線にある日本で起こった国家存亡の危機、サイレントインベージョンを仕掛ける正体不明の敵に立ち向かう。
第一章 あれから
2020年3月、山深い田舎道を1台の型落ちの黒いミニバンが走っていた。
乗っているのは3人。
このバンに積んであるのは、撮影機材や照明・音響機材、どうやらロケに向かう制作会社の車のようだ。運転しているのはディレクターでかつこの小さい制作会社の代表である松木という男で、五〇代前後の無精ひげでチリチリ頭と、まるで既視感のあるテレビ業界の人という雰囲気の男だ。
後部座席に座っているのはカメラマンの柴田という20代後半の若者で、金髪のイケメン風の男だ。一見してもチャラいが、実は制作会社の人間でなくフリーで映像と音響を請け負っている。だが、主な仕事は松木の会社からもらっているので、半ば社員と言ってもいい。その証拠に、松木の事務所に自分の編集機材等も持ち込んでいて、他社からの仕事もそこでしている。
その隣に座るのが、伊藤若葉、このクルーのADである。
年齢は柴田とさほど変わらない。
彼女だけが松木の会社の正社員だった。
彼女については、生まれ持った〝ある特徴〟のせいで、相当苦労した末に、松木に拾われ、この会社にADとして働いている。
その〝ある特徴〟とは何かは、また後々話すとして、柴田がスマホでSNSをしている。
「・・・じゃ、ハチ公前で・・・、と」
「柴田君、あれ? デート? 」
若葉は柴田のスマホを覗き込んで、
「ああ、出会い系ってやつ。いいのかな、こんなご時世に会って」
もはや世間は徐々に蔓延の兆しが見えつつある例の感染症で連日報道があり、話題になっていた時期だ。
「風邪のちょっとこじれたやつでしょ?前の新型インフルとどうせ同じですぐ収まりますって」
「そうかな? そうでもないように思うよ、今回は」
「まじっ? ・・・どうしようかな」
「どんな娘? 顔あんの? 見てあげるよ」
「でも、これわかんないっすよ」
顔写真が映し出されるが、加工され過ぎてて、目が異常にでかく、鼻と口が小さく、輪郭も逆三角形になってる。
「・・・これ、さすがに加工し過ぎよね。原型止めてない」
そんな後部座席の二人の会話が、仲良さげに見えて、長時間休まずに運転してる松木は、少しイラつきながら声を掛けた。
「おいこらっ、若葉、もう着くぞ。くっちゃべってねえで用意しろ。柴田もカメラ出しとけ、すぐに撮んぞ」
「でも松木さん、これ酷くないですか? 」
若葉が松木に柴田のスマホ見せる。
「ああ、こりゃもうグレイだな。宇宙人だわ」
「あ・・・確かに」
松木の率直な感想に柴田も同意した。
「でも、そんなので待ち合せしてわかんの?ああ、でも向こうは柴田君の顔は分かるから大丈夫か」
「いや、俺も写真加工してるし、顔半分マスクしてっからわかんねえと思いますよ」
「ダメじゃん。・・・あたしなら別の方法でわかるけど」
「いやいや、今なら、これ(スマホ)ですぐわかりますから」
なんか仲間に入れてもらえて、少し機嫌が良くなった松木が、ニタニタしながら、
「いやいや、どうする柴田、相手の顔、本当にそんな顔だったら」
「だったら、未知との遭遇っすね。カメラ回して取材しますわ」
そうこうしているうちに、取材する現場に付いた。
何もない草深い鬱蒼とした森を抜けた山間の寒村、いや、人の気配のない廃村のようだ。
松木が車を止めて、サイドブレーキを引き、ドアを開け外に出る。
「おら、お前ら仕事だ。どんな心霊現象が起きるのか楽しみだな、タタリ、バッチ(罰)来―いっ! 」
一人、テンションの上がる松木とは対照的に、黙々と二人とも降りる。若葉は背伸びをして、柴田はカメラなど機材を下ろした。
〝あれ〟からもう5年が経った。
東京は、〝あれ〟以前の活気をすっかり取り戻していた。
但し、ただ一点を除けば、である。
例のクルーたちは、今、都内の幹線道路で、同じ型落ちの黒いバンの中にいた。
5年前と違って、もう一人加わって四人となっていた。
ロケを終えて、テレビ局に向かおうとしている道中であったが、渋滞に捕まっていた。
「ああー、思い出したくもない事、思い出しちゃった」
若葉が、どうやら5年前の取材の事を思い出していたようだった。
「本当だよ。ありゃ散々だった。死にかけたし」
柴田も言った。どうやら雑談してる中で話題がそっちに向かってしまったらしい。
「死にかけたんじゃねえ。死んだんだよ、一度。お前ら感謝しろよ、俺が祠をぶっ壊したおかげだからな」
松木が実際何をしたのかわからないが、自慢気に言った。
「あれだけの思いしたのに、コロナ禍で全部パー。お蔵入りって、本当に最悪」
「ボヤくなよ。世紀の大発見が全部パーになって悲しいのはこっちだ」
どんな苦労をしたのか、取材対象が何だったのか知る由もないが時期的にも緊急事態宣言が出た頃だから、それどころではなかったのだろう。
突然、その流れで若葉が思い出した。
「そういえば、あれどうなったの? 」
柴田に向けて尋ねた。
「あれって? 」
「宇宙人とのデート」
「あの一件とコロナの緊急事態宣言で全部パーですよ」
「パーのパー、全部コロナのせいだ。くそっ! 」
本当にあれについては、痛手だったようで松木は愚痴しか言ってない。
「いつまで続くのかと思ってたら、もうあれから5年ですよ」
若葉がこう言った。
つまり、5年も経過したのに、コロナ禍はまだ収まっていないという。だが、実際は2023年に2類から5類に格下げられ、一応の収束を得たはずだったが、この世界線においては、まだ収束を見ることなく、ひたすらダラダラと規制などが続いているようだ。
苦々しい顔して松木がさらにボヤいた。
「収まってんだよ、本当はもう。政府の奴らがいつまでも医師会の奴らの金儲けの為の妄言を聞いてっから、こんなことになっちまってんだ。で、国民も国民だ。ここまで日本人がバカとは思わなかった」
松木に言わせると、そういうことらしい。
「松木さん、あんまそう言うこと言わない方がいいっすよ。また警察の御厄介になっても知りませんよ」
柴田が大げさに釘を刺した。
おそらく、柴田の言う〝警察〟とは、自粛警察と呼ばれたコロナに恐れる一部の世論や活動者のことを言うのだろう。
「そらそうと、柴田。編集できてるか? 」
柴田の言葉で、嫌な事を思い出したのか、松木が話題を変えた。
「楽勝っすよ。おかげでガヤの顔一個一個ぼかさずに済むんだから。マスク様様。ポリコレだろうと、コンプラだろうと問題無し、これだけならありがたい限りっすよ」
松木の隣、助手席で、レポーターの多田という女が一生懸命化粧直ししていた。
不思議に思った若葉が多田に声を掛けた。
「あのぉ・・タダさん? 」
「オオタよ。何度間違えんのよ、あんた」
「すみません。どうにもこの名前に慣れなくて」
「慣れる慣れないの話じゃないわよ。覚えの問題じゃない」
「はぁ、すみません。・・で、タダさん」
「オオタよっ。何、あたしと児島のネタしてM―1でも出る気なの? 」
「そんな気は全くないですけど、何してんですか? 」
「見りゃわかるでしょ。化粧直しよ」
「なんでそんな念入りにしてるんですか? マスクしたら無駄ですよね? 」
「無駄でもやるのよ。あんたもこの歳になったらわかるわよ」
「そうですか。義務化されてこの方、もう四六時中マスクですよ。下手したら家でもマスクって時代に化粧なんかしても無駄じゃないですか? 」
「・・・そうね」
多田はそう言うとコンパクト閉じて、
「取材してると、気がおかしくなるわね。どいつもこいつもマスクして」
「いや、あなたもね」
「相手の顔見ないと、わかんないのよ。どこまで聞いていいもんか、失礼にならないか」
「そうですか? 随分とズケズケ聞いてたと思いますよ。声だけでも大分と怒ってたみたいに感じましたもん。特に守護霊が・・・」
「は? 」
「あ、いえ、なんでもないです」
「あなた時々、ちょっと怖い事言うのよね。それなんとかならない?」
「いや、多田さんこそ、時々どころかいっつもこっちが引く程、取材相手に怖いこと言いますから、何とかしてください。怒られて謝んのこっちなんで」
そんな不毛なやり取りが続く中、車はテレビ局の駐車場に着いた。
「若葉っ、もういいだろ。着いたぞ。柴田、編集できたやつ届けといてくれや。俺、プロデューサーに会って来るから」
「はい」
「若葉、多田、行くぞ」
松木がそのまま車から降りようとするから、若葉が慌てて制止した。
「松木さん。マスクっ! 本当は車の中でもしなきゃダメなんですからね」
「わかってるよ。ったく、いやなんだよ。暑苦しくて。若い奴らも、ジジババもよく文句も言わずにやってんな」
「今なんか、どこ行っても、もっと通気性のいい奴も売ってるじゃないですか。替えたらいいんですよ」
「バカ野郎、この前から登録制になっただろ。機種変更みたいでめんどくせんだよ」
編集を終えたデータを取り出し、ケースに入れながら、柴田がさらに松木に言った。
「あれ、スマホで簡単にできますよ。マスク認証で」
「アナログのおじさんにそんなこと言うな」
そう言って、全員、マスクどころか仮面をつけてから車を降りた。
この「マスク」というもの、不織布マスクとか、まして「アベノマスク」と揶揄された布マスクとか、いわゆる俗にいう「マスク」ではなく、どちらかと言うと「仮面」と言った方がいい、顔全体を覆う物だった。正式な名称は「フェイスガード」というらしい。
これが着用義務化されたというから驚きだが、規定によれば、不織布マスクでもいいらしい。
では、なぜ顔を全部覆う俗に「マスク」と呼ばれる物が、ここまで浸透してしまったのか。
事の発端は、「マスク義務化」である。
我々の世界線においても義務化が為され、2023年に緩和され、後に全面解除となったが、ここではそれもされなかった。
アベノマスクから不織布となり、その内、様々なデザインが施されたマスクが市場に溢れたが、ネタ不足に陥っていた中、とある大手メーカーが花粉症に目を付けて、感染症も花粉症もガードするという画期的でもない商品「フェイスガード」を世に出した。
が、普通のマスクを顔全体に拡げただけのデザインは単に不気味でしかなく、全く受けなかった。ところが、それでめげないのが日本のメーカーである。デザイン性をより高めて、若者受けするように新商品を出し、著名なインフルエンサーやタレントを使って、SNSで一大キャンペーンをしたところ、大バズりした。
若者を中心に一気に売れ始め、その他のメーカー、小売業者もこれに追随していった。
気が付くとあっという間に日本国中、マスクマンだらけになった。
海外にも人気が広がり、一大ムーブメントになった。
しかし、分かり切った話だが、顔が全く見えないので犯罪が急増し、一部では規制するべきと言う声も当然上がった。
なんなら、これを機に義務化も撤廃すべきという意見もあったが、ここで全く反対のベクトルに政府は突き進んでしまうから、日本の政治と言うのは不思議だ。
なんと、容認してしまった。
おそらく、マスク関連企業に泣きつかれたのか、義務化解除でコロナの規制を緩和するなと医療業界から詰められたのかは知らないが、マスク規制を訴える方には、個人とマスクを特定するマスク登録制という形で強引に納得させた。
こうして、国民総仮面状態となった。
それからもう2年も経っている。
ニュースでは今日もおかしな事件が伝えられている。
「まずは、コンビニ強盗の事件から、今日、朝、8時50分ごろ。東京都武蔵山市、ドーソン武蔵山店に刃物を持った男が店員を脅し、現金20万円を奪い逃走中です。男は身長170㎝くらい中肉中背で年齢は不詳との事です。なお、男はマスクをしていなかった為、警察も捜査が難航している模様です」
若い女性店員にインタビュー映像が流れるが、この取材に行っていたのが松木達だったようだ。
映像では、多田が事件に遭遇した若い女性店員にインタビューしていたが、マスクで当然顔は見えない。どうも、片言の日本語なので日本人ではないようだ。
「アノ・・・、本当ニ怖カッタデス。トニカク店ニ入ッタ時カラマスクシテナクッテ、ソンナ人初メテダカラ、顔モ怖クテ見レナクテ」
「顔見れなかったの? なんで? 見れたんじゃないの? 」
多田が目撃者に対してかなり厳しめにツッコんだ。
「ソンナ、人ノ顔ナンテ見レマセンヨ。怖イジャナイデスカ。マスクノ特徴ナラ言エマスケド、人ノ顔ナンカドウ言ッタライイノカワカリマセン。モウイイデスカ」
「何言ってんの? この子? 顔見なかったら男なんてどこ見んのよ。どうせ下の方ばっか見てたんでしょ」
というか何言ってんの? は、多田の方だろう。
インタビューを受けていた店員は、はじめ何を言われたのかわからないって感じで茫然としていた。すかさず、若葉が割って入った。
「ああーっ! ありがとうございましたぁーっ! 」
店員を多田から離して連れて行くが、ようやく言われたことを理解し出した店員が、憮然とした表情で、
「ナンカヒドクナイデスカ? アノ人? 訴エテイイデスカ? 訴エマスネ」
とかなり立腹している。当たり前だろう。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
とにかく若葉は平謝りに謝る。
「アノ、マスク撮ッテマセンヨネ。マスク映ッテタラ、モザイクカケテクダサイネ」
と素顔で映っている時のような注文を出して来た。
まあ、マスクが登録されたことで、マスクのデザインや特徴で個人を特定できてしまうので、この反応は頷けるのかもしれないが、これまでの常識で生きて来た中年層以上の世代や、現行世界で生きている我々からすると、この感覚が今一つ理解できない。
「うん。大丈夫だよ。ちゃんとやっとくから」
さすが、若い柴田は、この要請を理解して即答した。
しかし、年齢層が上の多田にしてみると、
「顔出しNGどころかマスクNGって、もう付いて行けないわよ」
とボヤく。
「タダ―っ! 」
「オオタだよっ! 」
しかし、理解できない世界であっても、インタビューに協力してくれた人に、あの言い方はない。
若葉がマジギレするのも分かるし、この後の社内で多田にブチブチ文句を言っていたのも納得できる。
多田は、タレント事務所から派遣されたレポーターであるが、インタビューにあんな返しをするレポーターなど、普通に考えたら使えないはずだが、何故か需要があり、一部からは支持されているようだ。
それを多田も分かっているから、スタンスを改めないし、使う松木も若葉ほど怒ったりしない。
なぜかと言うと、最近テレビ業界の切実な事情によるものだった。
ワイドショー番組を放送するスタジオで、松木は自分たちの撮って来た映像を確認する為、見学をしていたが、スタッフも全員種類の違うマスクを付けている。そして驚くべきことに、なんとテレビに映っているキャスター、アナウンサー、コメンテイターまでマスクを付けている。
今となっては当たり前の光景になってきているが、松木はこれを見るたびに、
(世も末だねえ・・・)とおっさんくさいことを心の中でボヤいてしまう。
そこへテレビ局の番組プロデューサーが声を掛けて来た。
「よ、松木ちゃん」
「いや、これは田中さん。どうも」
松木は、揉み手ではないものの、腰を低くしてプロデューサーに寄って行った。
「あははは、いいね。あいかわらず多田ちゃん走ってるねぇ」
と開口一番、多田の対応についての皮肉なのか、本心なのかわからないようなことをプロデューサーは言ったのだが、如何せん、マスク越しで声がこもって、松木はうまく聞き取れなかった。
「すみません。ちょっと声がこもって。」
「あ、やっぱり聞き取りづらい? じゃ、口んとこ取るね」
「あ、じゃ、私も」
二人して、マスクの口の所が脱着可能になっていて外した。
おそらくこれは、飲食の際に便利だからと言う事で付いている機能なのだろう。
「これほんと、意味無いよね」
「まったくです。感染防止じゃなかったんですかね」
「ま、マスク付けたままじゃ飲み食いもできないからね」
「それで義務化ですよ。バカなんですか? 」
「仕方ないよ。定着しちゃったんだもん。子供なんて、今更マスク外して人前に出れなくなっちゃってるし。もうファッションになってるからね」
「ファッションって、もうマスクじゃなくて、ここまで行ったらほぼコスプレじゃないですか」
「だよね。マスクも進化して完全ファッション。普段からハロウィン気分だからね。今や自分の個性とアンデンティティを象徴する顔だもんね。恐れ入っちゃうよ、本当」
「でも、四六時中つけろってのは・・。一応今でも感染防止が大義名分なんですよねぇ。規制の内容からして本末転倒もいいとこじゃないですか」
「怒らない怒らない。世界と違って日本人の良い所はね、いつでも『お上御尤も』なんだから。ま、悪い所でもあるけどね。ペルソナだかなんだか知らないけど、こちとら完全オワコンだよ。テレビでも顔だしNGなんだから、女子アナもアイドルもタレントも全員お払い箱。喜んでんのは、フェミニスト連中と声優業界かな?確かに大した番組も作ってねえし、ドラマだって韓流で数字稼ぐしか能がなかったし、報道なんかガセと捏造と切取りばっかだし。この業界も長年やってきたつけっていうか膿が全部出たっていうか。やっと、電波オークションにもなるらしいしね」
「いやいや、こらどうも」
プロデューサーの愚痴に松木ももはや返す言葉も見つからない。
タレントの顔が出せないとなると、コンテンツが限られてしまう。
ドラマ制作も思うままにならず、バラエティだって作れない。やれるのは情報番組かワイドショーとニュースくらいだ。
これでも何とかなるのは、日本の持つキラーコンテンツのアニメのおかげだ。プロデューサーの言う通り、テレビは今やアニメで何とかなっているし、他の制作番組でも顔出しができない以上、ナレーション主体の番組構成にならざる得ない。そうなってくると、声優の仕事は俄然増えることになる。
規制の対象外なのは、映画とかにはなるが、主にネット配信については全く規制が掛かっていない。国内で流れる公共の電波を利用するテレビ局各社は、マスクの義務化が登録制になったことでより強化され、テレビに映る人間ですらマスク着用をしなければならないのに対して、世界的につながっているネットについては規制が無い。つまり、ここに至ってマスクの義務化をしている国は日本しかないからだった。
ネットの普及によって、徐々に視聴者を奪われていたテレビ業界は皮肉にも自らが煽ったコロナ禍によって、その終焉をより早めてしまったということになった。
「みんな、ネットで動画配信始めちまって、松木ちゃんとこぐらいだよ。こんなに仕事してくれんの? 行かないの、あっち? 」
「いいや、聞いてるとあっちもあっちで大変みたいで」
「だよね。みんな行ったら、そらそれでネタ被るから、みんな過激になるし、収集付かなくなってるもんね。それと比べりゃ、かわいいもんだよ、多田ちゃんの暴走なんて、ある意味、こっちも炎上商法でなんとか視聴者を繋ぎ止めてるってことだもんね」
「すみません。本当」
「・・・ところで、松木ちゃん。仕事なんだけど」
「はい」
「この腹立たしい法案の最後の止めって知ってる? 」
「ああ、スマホとマイナンバーもマスクと一体化させるっていう奴ですか? 」
「そ、もはや個性とアイデンティティーに、さらに個人情報まで全部突っ込んじまえってこと。これじゃ、人がマスクつけてんのか、マスクが人くっつけてんのかわかんないね。そんで今、モデル都市で実験的にやってるでしょ? 」
「ああ、武蔵山市」
「そ。そこ取材して来てくんない? それで、取材先も押さえてあるから。市役所行ったらさ、ペルソナプロジェクトのモデル都市推進室の佐藤さんって人尋ねてって。話通してあるし」
「え? その人って? 」
「うん。本丸中の本丸。内閣官房から直接まわされた責任者の人」
「いいんですか? こっちの主旨だと、多分反目にまわるネタですけど? 」
「ま、詳しくは本人から聞いて。頼んだよ。オワコン最後にでっかい花火で有終の美を飾りたいじゃん。んじゃ、よろしくぅ~」
プロデューサーは用件だけ伝えてスタジオを後にした。
ニュースは次の話題に移った。
「次のニュースです。ペルソナ関連法案の最後の3つ目、個人情報保護法改正案について、モデル都市となった東京都武蔵山市で、この度、プロジェクトの成果について中間報告が発表されました」
第二章 ペルソナプロジェクト
東京都武蔵山市の市役所庁舎の会議室で、その放送をリアルタイムで見ていた。
リモコンスイッチを手に取ったスーツ姿の男がテレビの電源を切った。
この会議室には、市長、助役、市役所の幹部職、市議会議長や議員数名が列席していたが、皆下座に座っていた。
上座には、首相、総務大臣がおり、他首相補佐官、秘書官、そこに首相のSPまでもいる。
そう、このモデル都市となった武蔵野市の中間報告に合わせ、首相が視察に訪問していたのだった。
この面々を前にして、リモコン片手に立つスーツの男はというと、肩書は内閣官房特別補佐官、名前を加藤という。
「改めて、ペルソナプロジェクトのモデル都市における成果の中間報告を手短に、この佐藤君か・・・、では佐藤君」
そう言って加藤は、会議室の扉近くで控えていた女性を招いた。
加藤の招きに応じて、女性は緊張の面持ちでお歴々が注目する中、前に立った。
言うまでもないが、当然、全員がマスクを着用している。
冷静なって考えれば、かなり異様な光景にも感じる。正直、素顔でいても相当緊張する場であるが、さらに全員、顔を隠したマスク姿なのだから、佐藤と言う女性は緊張どころか恐怖すら感じていたかもしれない。
「プロジェクト推進室広報主任の佐藤と申します。では報告書の内容につき手短にご説明致します。実施前に比べて、各項目に飛躍的成果が見られます。特筆すべきは、犯罪率の低下、SNSによる誹謗中傷の被害件数は激減、また迷惑行為の動画配信も無くなりました。行政サービスにおいてもより効率化が図り、各種手続きが土日関係なく24時間フルサービスで行え、デイサービスなどのケアサービス、介護サービスも向上しました。また、税収も増え、年金、健康保険料の回収率も格段に増えております・・・」
これを聞いていた総務大臣は、佐藤の説明を遮ぎるように言った。
「もういい。成果はわかった。で、これをどう分析しているのかね?」
佐藤が話そうとするところを、加藤が抑えて、
「偏にマスクの個人登録制が第一の成果です」
そう言い切った。さらに息継ぎも無く続けた。
「そして、今や個人の情報が詰まったスマホとマスクの一体化で、市民一人に一台の通信機器が可能になり、個人に行政が直接アクセスし、必要なアプリを入れることによって、サービスが行き届き、さらにマイナンバーとの紐づけによってより便利に早い対応が可能になりました。最も優位性があるのが、やはり税収です。より正確でごまかしがきかない収入が導き出せ、国税、地方税とも、とりっぱぐれていた税収が得られ、無用な増税をせずとも国の財政を賄え、借金も減らせて、様々な問題に迅速に把握し、対処し、予算を投入できる。この成果はまさに政府も国民も互いにウィンウィンとなること間違いありません」
「いや、しかしな・・・」
聞いていた総務大臣は反論しようと口を挟んだ。
おそらく懸念しているのは、マイナンバー導入時にさんざツッコまれたこと、つまり国による管理の信頼性と監視社会に対する心配といったところだろう。今回は、それ以上にかなり突っ込んだ制度になる。
慎重に慎重を重ねて、できれば突っ込まれずにできる方法を模索したいのが本音だ。
ただ、本質的に懸念していることが何かずれていると感じる。
加藤は総務大臣の言う懸念などは当然分かっているから、いちいち聞くことも無く、被せるように言った。
「いいですか、総理。外野からの野次などこの成果でもって十分に打ち消せます。重要なのはこれからなのです。今後は国が主導して全国にまで広げ、成果を出せば、これは大きなビジネスチャンスとなります。世界に先駆けて、画期的な管理統治システムが確立し、差別のない自由な上での理想的な社会が実現できます」
「日本が主導して世界に・・・か」
この一連のマスク制度は、先述のように日本だけがしている。
欧米などの諸国からは正直奇異の目で見られているのは首相も知っている。しかし、これによる明確な成果が得られれば、逆に世界の潮流とも言えるリベラリズムの象徴的政策として堂々とアピールできる、と加藤は言っている。これに首相も少し心を動かされていた。加藤はさらに押してくる。
「このシステムがあれば、選挙制度も変えられる、投票所に行かなくても不正ができない、投票率はほぼ100%も実現可能です」
(選挙もかっ)
政治家にとって、一番のキラーワードだろう。
投票率が上がるということは、決してプラスに働くわけではないと思うが、世論を味方に付ければ政権与党が圧勝できる確率は飛躍的に伸びるのは言うまでもない。
「う~む。引き続きモデル都市のモニタリングの上、最終報告をまとめてくれ、この成果を維持できるのであれば、国でも実施を前向きに検討する」
お得意の検討でもって、なんとかこの場を切り抜けた。
「ありがとうございます」
加藤は素直に礼を言うと、首相と秘書官等は逃げるように退出して行った。それから順に、総務大臣や総務省の担当官僚たち、市役所の人間が次々に部屋を出て行った。
全員退出するまで、加藤はずっと頭を下げていた。
佐藤も、その加藤に倣って頭を下げている。
ようやく、全員出た後、加藤は頭を上げて、佐藤に声を掛けた。
「聞いての通りだよ、佐藤くん。・・・佐藤くん? 」
ずっと頭を下げたままになっている佐藤は、そのままで話し出した。
「あの・・・やはり、時期尚早な感じがするんです。これは、そのもう少し時間をかけて・・・」
「そうか、緊張してたんだね。大役ご苦労様。ただ、私からすると逆に遅いくらいだと思うがね」
佐藤は顔を上げた。何かかなり勇気を出して、思い切って言います、というような顔つきをしている。
「あの、加藤補佐官。・・・なんで私なんですか? 」
「・・・? 前にも十分言ったはずだが、理解してもらえなかったかな? 」
「いえ、それは十分に。私がずっと武蔵山市民だったからだと理解してます。でも、私みたいな国家二種のノンキャリじゃなくて、省庁なら優秀なキャリア官僚の人だっていくらでも・・・」
「そこも言ったよね。優秀な人間は逆に使いづらいって。それに一番肝心な理由を君はわかっていない。大事なのは、君が、このプロジェクトに極めて懐疑的で反対していることだ」
かなり直接的に言われ、佐藤はかなり動揺した。
「・・・あ、あの、その」
次の言葉が出て来ない。加藤の指摘通りだからだ。
「いいんだよ、それで。そんな君が、このプロジェクトの成果を見る以上、忖度も無し、極めて冷静な目線で見てもらえる。その上で結果を出せば、誰も文句も言わんだろう。・・・ま、現評価では、まだ君を納得させるに至っていないという事か」
「お・・恐れ入ります」
そう言う以外ない。佐藤の心の内などお見通しだと言う事だろう。
「午後にテレビ局の取材が入っている、聞いてるね」
「はい、承ってます」
「対応は宜しく頼むよ。・・・ああ、それと」
「はい」
「少し疲れが見えるね。休んでるか? 」
「はい・・・」
「あまり気張らなくって良い。業務は市役所に任せて、君は見てるだけで良いのだから。取材が終わったら、帰って少し休みたまえ」
「あ・・・ありがとうございます」
加藤はそう言って部屋を出た。
佐藤は一人残って、はぁ、と改めて大きくため息をついた。
佐藤詩織は、武蔵山市出身の27歳。彼女が言った通り、今回の大役を受ける前は、総務省で主に事務をしていたしがない国家二種の公務員であった。
特に仕事ができるわけでも無い。どちらかと言えば、人見知りの陰キャで、組織でも目立たない存在のはずだった。
ところが、何故かある日突然、上司に呼び出されて、今般のプロジェクトチームに配属された。
しかも、ただの事務作業要員と思っていたら、なんと広報チームのチーフにさせられてしまった。
身に余る大出世と周囲から言われたが、本人からすれば、意味も分からず責任重大な地位に据えられた挙句、キャリア官僚たちからの執拗なやっかみや嫌がらせに晒され、挙句、プロジェクトのリーダーである加藤と特別の関係じゃないかとすら疑われる始末で、正直、迷惑していた。
自分は、普通のしがないノンキャリ公務員として過ごせればそれで良かったのだ。
周囲の圧と国家プロジェクトを担う重圧に圧し潰されそうな日々に彼女は、もう限界が近かった。
このことが原因かどうかわからないが、省内で初めてこのプロジェクトの話が出たときに、彼女は、
「そんなプロジェクト、うまく行くはずがない」と、公然と否定するような発言をした覚えがある。
加藤が、言った彼女の起用理由が本当ならば、その話が加藤の耳にまで届いてしまっていたということになる。
そう考えると、妙に薄気味悪くなって来る。
これまでだって、省内の企画した政策などについて、否定的な事を言うのは何度もある。正直、省内でも下の階級なので、何を言おうが上にまで届くことも無く、キャリアと呼ばれる人たちが下々の言うことにいちいち聞き耳を立てることも無い。
ところが、今回は、それがトップにまで届いていた。
偶然かもしれないが、マスクが登録義務化されてからである。
誰が上に漏らしたのかもわからないが、自分を取り巻く周囲の人は特に変わっていないはずなのに、マスクを付けてから、急に目の前の人が自分の知っている人じゃないように思えて来た。
(疲れているのか・・・)
身に余る大役と周囲の圧によって、精神的に参ってしまっているのかわからないが、それ以降も、彼女にとっては信じられないようなことが次々に起こって行く。
例えば、このモデル都市での試験運用についてもである。
この武蔵山市が選ばれた過程もよく分からないが、募集を掛けるとすぐさま市長が手を上げた。
議会承認の手続きも、始めこそ反対票が大多数を占めていたのに、あっという間に賛成多数で承認された。
市民についても、モニターアンケートを取ったが、初めは反対が大多数だったのに、いつしか、賛成が大きく上回り出した。
最もおかしいのは市の職員だ。
それこそ、ここにプロジェクト推進室を作る時には、相当、冷たい対応をされた。国と市長が勝手に決めて、強引に進めたプロジェクトで、職員たちはその対応で大わらわになり残業だらけで準備や反対派住民の対応に追われ、チーフとして入った佐藤に対しては、親の仇が如く遇された。
ところが、ある日を境に、急に態度が変わった。
全員が、指示通りに前向きに取り組み、処遇も極めて良くなった。
そのある日と言うのが、プロジェクトリーダ―の加藤が初めて来庁した日だった。
(何これ? 何かおかしい・・・)
何か、自分の知らない何かが変わっている。
佐藤は何度も辞めたい、辞退したいと直属の上司に願い出たが、
「あまりの大役に気負いし過ぎて疲れてるじゃないか? 」
と言うだけで、特に何もしてくれなかった。
次に、近しい同僚にも相談したが、
「みんなが受け入れ過ぎて不安?いや別にいい制度だと思うからじゃないの? 君の頑張りの成果だと思うよ。考えすぎだよ。疲れてるんじゃないか? 」
次にいつも通勤時に声を掛けてくれる商店街のおばちゃんにも、
「反対意見? ないないっ! 何もかもよくなってんのに、何を反対することがあんのっ! どうしたの? 疲れてんじゃない? 」
幼馴染にも、
「人じゃないように見える? やばいじゃん。ちょっと本当に疲れてない? カウンセリング受けたらどう? 」
と言われる始末だ。
本当に自分が疲れているだけなのかもしれない。精神的におかしな妄想に取り付かれているのかもしれないと本気で心配になり、勧められた通りカウンセリングまで受けた。
まともに社会に出ている人間と言うのは、多かれ少なかれ何かの精神疾患は患っているもので、案の定、よく分からない病名を付けられて、カウンセリングといくつかの薬を処方してもらったが、一向に彼女の心は改善されることも無かった。
いよいよ心配になり、実家を出てからコロナ禍ということもあって、ほとんど帰ってなかった実家を久しぶりに訪ねて、母親にも相談したのだが、
「始めはそりゃ、何もわかってないから、みんな反対するわよ。その内、いい制度だってわかって来たから、皆、賛成してるんじゃない。あんただけよ、未だにそんなこと言ってんのは、あんた、旗振り役なんでしょ。しっかりしなさいよ」
と誰からも同じ、判で付いたような言葉を母親からも言われた。
彼女は、何か、この広い世界でたった一人になってしまったような感覚を覚えていた。
そこへ、松木以下クルーたちの取材が始まったのだが、
「あのぉ・・、佐藤さん? 」
呆っとしている佐藤に、松木が心配そうに顔を覗き込んで声を掛けた。
「あ・・・あっ、はい」
「すみません。聞いておられました? 」
「あ、すみません。聞いてます」
取材を受けているのは、市庁舎内の小会議室。
佐藤と松木達クルー4人で、テーブルとイスはいっぱいになる広さだ。
佐藤が入室して、一通りの普通の挨拶をして、早速取材として、多田を中心に質問を投げたが、答える佐藤に何か気力が感じられなかった。
「・・・あの大丈夫ですか? 先程から、ぼーっとされてますけど、休んでます?」
いよいよ心配になって、若葉が声を掛けた。
「すみません。気を遣わせちゃって。本当。大丈夫ですから。・・・で、どこまでお話ししました? 」
「中間報告の概要までは。しかし、すごいですね、本当。ここまで結果出しちゃうと意見を差し挿むのも難しいですわ」
「そうですか・・・」
松木は、佐藤のリアクションが妙に気になっていた。
「とりあえず、それを踏まえて、町の声も拾ってみたんですけど。おおよそ、市民はこの制度に対して好意的、ていうより大歓迎でしたね」
「反対の意見は無いんですか? 」
「いや、無いわけではないですよ。こっちも全部賛成じゃ、さすがに放送に乗っからないんで。ちょうど、反対派のデモっていうか集会みたいのあったんで聞いてみたんですけど・・・」
すると、多田が割って入って来るかのように口を開くと、
「ああダメダメ、全然ピント外れ。私たちの個人情報を守れーっ! マイナンバーとの紐づけ反対―っ! とか言ってたけど、そのうち戦争はんたーぃっとか! ワクチン打つなとか憲法守れ―っとか、あげくに米軍出てけーっ! ってなって、最後はやっぱりアベガー、アベガーで絞める。もうアベさんいないし、いつまで言ってんのだか」
「ああ、そういえば、一人いましたよ。賛成じゃない人」
若葉は、ロケの際に出会った印象的な人物について語った。
市役所前の広場で、デモをする団体が足並み揃わないシュプレヒコールを上げて騒いでいる。プラカードを掲げているが、主張が重い思い過ぎて一体何の抗議活動か全くわからない。一部、日本語になっていない文章もちらほら。
柴田は、固定したカメラを手持ちに変えて、隣でデモをかなり引いた眼で見ていた若葉に声を掛けた。
「伊藤ちゃん、あれ見て」
「え、なに? 」
柴田が目線を促した先に、デモの様子を見ているスーツ姿の女性が立っている。別にそれだけなら普通だが、その女性は今どき誰もしなくなった不織布マスクをつけていたから、かなり目立った。
「いまどき不織布マスク・・・っ? 」
「あれは、絵になるよ。取材取ろう」
「タダさんっ? 」
多田を呼んだが、その多田は、デモの後方で、某テレビ局や某新聞社数社の記者たちとデモの主催者らしい人物の輪の中にそれとなく入っていた。
若葉に声を掛けられた多田は、逆に柴田ら二人を手招きしている。
何事かと思って、とりあえず二人は招きに応じて、一団に近づいた。主催者が、デモの参加人数について何か注文を付けていた。
「とりあえず参加者は2000人と言うことにしといて下さい」
そこにいるデモの人数は、実際どう見積もっても50人くらいしかいない。
ところが、これを受けてそこにいるマスコミ連中は、
「わかりました。そう報道します。」
「これもっと、集められなかったんですか?」
「うちの方で編集して、CG使って数水増ししますし、それ写真にして送りますから」
「ありがとうございます。助かります」
なんてことを言っているから、たまらず多田がツッコんだ。
「いや、50人くらいしかおらんぞっ! 1950人CGで水増しするって、盛りすぎやろっ! ていうか、取材やのうて打ち合わせしとったっ! こいつらグルやっ! 」
多田のツッコミは完全にスルーされて、
「バイト集まらなかったな」
「これだったら辺野古で座り込みしとけばよかったんですって」
「やっぱり、Cさん呼んどいた方が良かったすか? 」
「いや、ここはRさんでしょ」
逐一、多田がツッコむが、彼らの耳には入っていないようだ。
若葉が大きくため息をついて、
「行きましょ。これネタにならないですよ」
というと、柴田も、
「別のネタにはなりそうっすけどね」
「とりあえず、オオタだよっ! 」
「え?・・・リアクション、遅っ! とにかく取材交渉ですよ。そんな奴ら放っといて、こっちこっち」
若葉たちクルーが、その不織布マスクの女性に近づいて行った。
女性は当然それに気が付いていながら、特に逃げるわけでも目を反らすわけでも無かった。
「あのすみません。ちょっといいですか? テレビなんですけど、取材よろしいですか? 」
若葉が先に声を掛けた。すると、
「え? テレビ? 取材? ・・・ダメダメ、悪いけど今仕事中だし、顔出しできないから」
(しらじらしい・・・、カメラ抱えた人間が近づいて来てるのに)
そう若葉は思ったが、ツッコみたいのはそこだけじゃない。
「・・・顔出しできないんですか? ほぼ顔出してますよね? 」
「ほぼじゃないでしょ。規制より顔隠してるでしょ」
「いや、そりゃそうですけど。逆に目立ちすぎてますよ。なんの仕事か知りませんけど」
「ま、いいわ。とりあえず何の仕事か言えないし、顔出しもNGだけど、何聞いてんの? 」
「ありがとうございます。・・・えっと、ちょっと、もうタダーっ! 」
ちなみに多田は例の一団と何やら揉めている。しつこいツッコミがようやく功を奏したみたいだ。何かもみくちゃにされている。
「オオタだよっ! ・・・それよか、柴田君っ! 撮ってっ! 今、私は不当な暴力を受けてるわっ! 」
「うるせえっ! 吹っ掛けて来たのそっちだろっ!誰だと思ってんだ、俺は天下の・・・だぞっ! 」
「きゃーいやー、殺されるぅーっ! 」
記者が偉そうににしながら、膝を多田の足を執拗に当てて来る。
肝心の社名を言った所が、多田の悲鳴でかき消されてしまった。
「殺されるのは殺される奴が悪いんだよっ! 正義は何しても許されるんだ、覚えとけっ! 村神様ならぬ山神様、まさに正義の三冠王だ」
「おう、そうだっそうだぁっ」
多田を取り囲んで、何かとんでもない内容で彼らは盛り上がっているようだ。
「おもろ。・・・あっち撮るわ。顔出し無しなら取材だけしといて、伊藤ちゃん」
柴田がカメラ片手にその一団の元に走って行った。
「ちょっと、柴田君。・・・あの止めないんですか? 」
若葉は、不織布マスクの女性に言った。
「なんで? 」
当然、女性は問い返した。
「警察の方ですよね? 」
「あら、私言った? 」
「いえ、何となくなんでけど、私わかるんです」
「へぇ~。ま、そこで傍観してる主催者っぽい奴が手を出したら、即、しょっ引くけど」
「・・・あの人、なんですか? 」
「市民団体装ってる過激派」
「・・・あなたっ・・・」
少し気を使って、小声で言った。
「公安ですか? 」
「あらよくわかったわね? 」
「でも、あれは立派な集団暴行ですよ。所属関係なく警察なら止めないとダメなんじゃないですか? 」
「あら? じゃ、なんであなたは助けに行かないの? 仲間でしょ? 」
「いや、理由は二つあります。助けに行く程仲良くないのと、絡んでいる連中が面倒くさいってだけです」
「全く同じ理由よ。こっちだって関わりたくないもの、あんな大手メディア記者と装った活動家たちと。こっちは立場上、特にね」
「あ・・・、なるほど」
「・・・で、何? 何が訊きたい? 」
「ああ、こっちはここでやってるペルソナプロジェクトのモデル都市のことで街頭インタビュー中なんです。これについて、何か言いたいことあります? 」
「あー・・・。山ほど、と言いたいけど言えないわ。ただ、すごく興味はある。だから、何かネタでも掴んだら、こっちにも情報回して、悪いようにはしないから。はい、これあたしの名刺」
女性は、名刺を出して若葉に差し出した。
若葉は、名刺を貰って目を通すと、そこには、
「フリージャーナリスト 山本美香」と書いてあった。
「フリージャーナリストって? 」
「ごめんなさいね。仕事柄、ちゃんとした名刺無いのよ。連絡先はあってるから」
山本という公安の刑事はそう言うと立ち去って行った。
(あれ? 公安って、あまり大っぴらに言っちゃ駄目なんじゃなかったっけ、知らんけど)
確かに本人からは一切自分の事は言っていないが、若葉の指摘に対して否定もしなかった。ほぼ、素直に話している。
確かに、若葉に対して、あまり嘘は通用しない。
それは、彼女の持つ〝ある特徴〟にも関わって来る話なのだが、公安の彼女がその特徴を知ってるはずがない。何とも気持ちの悪い対応をされたと若葉は思った。
多田はというと、未だに揉めていた。
結果、何か連れて行かれそうになっていたが、柴田が入って何やら交渉し始めた。どうやら、撮っていた画像データを渡す代わりに多田を解放してもらったらしい。
「本当、散々だったわ」
「大変だったんですよ」
佐藤を前にして、その時の話を楽し気に語っていた。
「そんなことないよ。俺が撮ってたことですぐに話ついたでしょ」
「脅したんだろ? 」
「人聞き悪いっすよ。交渉ですって」
佐藤は、そこでふと思い出した。
その動画を今ここで見せてもらっていた。
なのに、柴田はその場で録画データを相手に渡したと言う。
「あれ、でもデータって、今見せてもらいましたよね? 」
「こんなおもしろいの、素直に消せますか」
どういう手段か分からないが、おそらく別にも撮っていたのだろう。カメラ構えていたら、他に別で隠し撮りしているとは思わないだろう。
「人が悪いんですね。本当」
佐藤がそう言うと、松木がいかにも済まなさそうに、
「すみませんね。こいつら本当にバカで」
と言うと、佐藤の顔が少し綻んだように見えた。
「どうです? 少し気分変わりました? 」
若葉がそう言ったので、ようやく自分が気を使ってもらっていたことに気が付いた。
「・・・あ、なんだ。すみません。気を使わせてしまったみたいですね、また」
松木は、にっこり笑いながら、
「気にせんで下さい。本題に入る前の気晴らしの掴みってとこですから」
「本題? 」
「ここまで取材した感想を率直に言ってしまうと、どうにも気持ち悪いんですわ」
「気持ち悪い・・・? 」
松木は、それとなく多田に振った。その振りに答えるように、多田がいつになく真面目に、
「大方100人近く聞いたこっちが、すごい気持ち悪いって思ってんのに、あんたがそう感じてないのは担当としておかしくない? 」
つまり、多田が言いたいのは、まともな反対意見を言う人間が一人もいないというのが気持ち悪いと言っているのだろう。
佐藤は、その主旨をすぐに理解できた。
「・・・。そう、ですよね」
佐藤の理解の速さに、
「やっぱり変に思ってたんですね」
松木はじめクルー全員が感じていた違和感に対して、佐藤が感じていないわけがないと思っていたが、それは間違いないようだった。
「中間報告の内容だけなら、さすがにすごいと思ってただけなんですがね。無作為に尋ねた住民全員が全般的に賛成っていうと、さすがに出来すぎって思いますよね」
ここに来て、佐藤ももはや隠し切れないと思った。
いや、自分の感じている妙な不安を理解してもらえるとは思っていないが、もう何食わぬ顔してアピールするほど割り切れるものでもなかった。不安に対して誰に聞いても納得できる回答が得られていないのがより不安を膨らませる結果になってしまっている。とにかく否定的な意見が訊ければ、自分でも納得がいって気持ちを切り替えることができれば、改めて仕事に向き合えるかもしれないという期待感があったのかもしれない。
「・・・正直言いますと。そもそも、推進するべき立場の私が一番、この制度に懐疑的なんです。だから、皆さんがすんなり受け入れてることが信じられないんです」
多田が佐藤の気持ちなぞわからないくせにわかったような事を言う。
「ああ、そりゃダメよ。旗振り役が一番疑ってたりなんかしたら、そりゃ誰も付いて来ない・・・わ? あれ? 付いて来ちゃってるわね」
「そもそも、なんで反対なんですか? 」
若葉が改めて佐藤に尋ねた。
「話す相手の顔が見れないんですよ。目の動き、鼻の動き、口の動き、眉一つとっても人間の持つ感情って現れるって言います。つまり全体の表情で読み取っていくもんじゃないですか」
「ま、わかるよ。俺なんか特にカメラのファインダー越しに見るから猶更ね。このご時世だと特にどう撮っていいのかわからなくなる時がある」
柴田もそれに同意するように言った。
「気持ち悪くなってくるんです。なんか・・・何考えてるのかわからなくなって。本当に今私が話してるこの人は人間なのかなって、思うようにもなっちゃって‥。どんどん、そういう自分がおかしくなって行ってる気もして」
「尤もだな。そういやまともな反対意見って初めて聞くな」
松木も、そう思ってたと言わんばかりに激しく頷いた。
「それで、誰かに相談したの? 家族とか、彼氏とか? 」
多田もさすがに茶化すことなく、親身になって尋ねた。
「彼氏とかそういう人は・・・。母にも一応聞きましたけど、疲れてるって。市役所の方にも、上司にも相談したんですけど、みんな一様に疲れてるって、カウンセリングも勧められたんですけど」
「実際疲れてんじゃないの? 」
「確かに〝つかれてる〟かもしません、いや、〝つかれてます〟ね」
多田の言うことに乗っかてる様に若葉は言った。
「いや、本当にそうかもしれないです」
しみじみと佐藤は同意して顔を手で覆った。
「いや、そっちじゃなくて」
若葉は、佐藤をじっと見据えながら言った。
「は? 」
(そっちって、どういうこと? )
佐藤は若葉の言った事がすぐに理解できなかった。顔を上げて、若葉を見た。
(疲れてるって言ったじゃん。しかも二度も)
それを即、違うと否定した。
佐藤は若葉の言った意味も理解できなかったが、それに加えて、この佐藤の抱いている不安感が疲れのせいではないと言われたのも初めてだったから、そこにも驚いた。
「若葉っ」
「伊藤ちゃんっ」
若葉の言葉の意味を松木と柴田の二人は直ぐに理解できたようだ。
だが、松木はすぐに話題を変えた。
おそらく初対面の佐藤には若葉の言った意味は、まだ理解してもらえないと思ったのだろう。
「いやいや、そうですか。いや、話してくれてありがとうございます。反対意見の一つとして採用はさせてもらいます。当然、あなたの事は出しません」
「ところで、あんたをこんな大役に据えたのは誰? 」
意図的ではないが、都合よく多田がさらに別の話を振ってくれた。
「・・・加藤内閣官房特別補佐官です」
そう言われたものの多田がピンと来ず、松木を見たが、その松木も、
「ああ、・・・誰? 」
と柴田に振った。
「何言ってんすか、ペルソナ計画の立案者でこのプロジェクトの統括責任者ですよ。マスク義務化の時も、登録制の発表の時も記者会見場にいたでしょ」
「ああ、そういやいたな、あいつか。ま、顔はわからんけど、地味なマスクだったな」
「もう一回、その加藤と話した方がいいんじゃない? あんた、もうちょっと見てられないわよ」
「いや、そんな」
さっき話したところで、実際、無駄だった。
本人からしたら、これ以上話したところでむしろ逆効果だと思っている。
佐藤の雰囲気から、松木が何かしら察したのか、
「じゃ、佐藤さん。我々に加藤さんを取材させてもらえませんかね? 今回の取材の趣旨から考えたら、おかしくはないでしょ。こちらとしても、もう少し突っ込んだところをお聞きするなら、加藤補佐官しかいないでしょ。あんたは、そのアタリをつけてくれるだけでいいです」
松木は気を使って、話すきっかけを作ってあげたのだろう。
「え・・・でも、対応は私に任されていますので・・・」
佐藤にとっては、有難迷惑なのかもしれない。マスコミ対応を任されているのに、わざわざトップに話を聞かせろと言われまして、なんて加藤に泣きつこうものなら、使えない奴と思われそうで、怖くなる。
「この際、病気療養を取るって形で、加藤さんに取材対応を引き継いでもらうってことでいいんじゃないですか? 」
一応そこまで気を使っての提案だった。
それなら言いやすい。休んでもいいと言われたので、それに乗っかろうということだ。
「ああ、はい。・・・わかりました」
佐藤は快く了解した。
「あっと、それで、これ、念のため」
松木はそう言うと、ボイスレコーダーを佐藤に渡す。
「あ、いや、これって? 」
「使う、使わないはお任せします。とりあえず、我々を信用頂くために、おい、みんな、マスク取れ」
「え? いいんすか? 」
柴田はそう言いつつも、マスクを取った。
これに続くように、若葉も多田も素顔を出した。
最後に松木もマスクを脱ぐ。
「よろしければ・・・」
「・・・わかりました」
佐藤もマスクを取った。ふと、佐藤はマスクを取った柴田の顔にだけ少し反応する。
佐藤の素顔は、ノーメイクながら肌の色も白く、目も大きく、鼻筋も通っている。口も小さくしかも全体的に小顔だ。明るく笑っていさえすれば、誰からも好かれるような女性だろう。
ただ、今は肌も少し荒れて、何より顔色が悪い。
「とりあえず、これでお互い信頼関係を築けたってことにしましょう」
松木は、これが一番佐藤にとって安心できる関係構築だとわかったのだろう。互いに素顔を出さない人間関係に疲れている佐藤にとってみれば、これは望んでいたことであったろう。
「ありがとうございます」
佐藤は、ようやく笑って見せてからマスクを被り直して部屋を後にした。佐藤が部屋を出て離れたのを確認してから、
「若葉、なんか見えたのか? 」
松木が若葉に確認した。
さっきの〝つかれている〟の発言のことだ。
「いや、多すぎて・・・」
「はぁ? 多すぎてってどういうこと? 」
柴田が問い直した。
「彼女が相談したって下りから、どんどん増えて行って。・・・ちょっと心配になっちゃって。それで・・・」
「なんだよ? 」
「いや、なんか加藤補佐官と会うって話になった時、その、みんな止めてたような」
若葉の意味深な発言と、なんだかそれを松木と柴田が分かっているようなリアクションだが多田だけは意味が分からない。
いや、意味が分からなくもないが、理解したくないと言った方が正しいのかもしれない。
「え、何? 何言ってんの? 」
「おいおいおい、ちょっと今回、やばいんじゃねえの? 」
「今さら、言わんでくださいよ」
理解している二人は逆に、これに関わる何か重大で、且つかなりやばいことを心配している。
「あとさ、柴田君。・・・彼女ね」
「な・・・、なんすか? 」
「・・・宇宙人かもしんない」
「はぁーっ? ・・・なんすかいきなり? 」
この若葉の一言で、ついに多田の思考がパニックに陥った。
「いやぁーっ! なにっ、なんなの今の会話っ? キッショーッ! マジキッショーッ! 何見えんの? あんた? ヤバッ! ヤバいわぁーっマジヤバイわぁーっ! え、何、霊が見えんの? あんた、嘘でしょっ? キッショーッ! ヤッバァー! こっわぁーっ! あげく宇宙人って、どんだけぇーっ! マジ、どんだけぇーっ! もう背負い投げぇーっ! 」
半狂乱になる多田を見て、松木が柴田に冷静に言う。
「おい、そこのイッコー黙らせろ」
「いや、無理っすね。俺も同じっすから。いや、伊藤ちゃん、言うに事欠いて宇宙人はないよ。松木さんじゃないんだから、ムー過ぎだって」
「いやそうじゃなくて。例のコロナ前の宇宙人。グレイよ、グレイ」
(コロナ前の宇宙人? グレイ? )
言われてすぐには思い出せなかったが、
「・・・え・・・? えっえっ、マジっ・・・すか? 」
そう5年前に柴田と会う約束をした顔の画像修正が半端な過ぎて、原型を止めておらず、松木から宇宙人呼ばわりされた彼女だ。
「私、ほら、〝見える〟からさ。どんだけ盛っても、補正しちゃうのよ。で、マスク取った時さ。彼女、柴田君の顔だけまじまじ見てたの。多分、彼女も気付いてたと思う。・・・彼女、コロナ前は、たぶんちゃんと人の顔を見て話してた人だと思う。だから、ああなったと思うのよ」
「人の目を見て話すのは基本だな。できてる人じゃないか」
松木がそう言うと、若葉はう~んと考え込んだようにして、
「いや、それちょっと違うと思いますよ。人の顔見て話す人って、基本目を見ない人です」
「あん? 」
「正確に言うと、人の顔色を見て話す人ってことです」
「ああ・・・。そういうこと」
そう言う事なら、納得が行く。
非常に明るく社交的な人間なら、おそらくここまで深刻な状況にはなっていないだろう。
「彼女、多分、基本的に人が苦手なんだと思います。だから、顔が見えないと一層不安になるんです」
「そういうコミュ障の人って、逆に人の顔見て喋れないって言うけど、違うの? 」
どちらかというと社交的な方の柴田には何となくわからない。
「目を見て話さないだけ。視線が合ってない時は、逆にかなり観察してるのよ。人と話すのがある意味恐怖だから、必要以上に情報を得ようとする。話し方、声質、声量、くせとか、表情も細かく観察するの」
受け答えに手間取る人とか、挙動不審みたいになる人というのは、実はその傾向にある人だと言う。
逆に目を見ることなく、只管早口でブツブツ話す人は、相手の情報の取得すら拒絶している人らしい。
ちなみに、これはあくまで若葉の経験上の私見らしい。
彼女もまた、生まれつきの能力のせいで、ずっと長い間、そう言う思いをしてきたから、こういう人たちの事はよく分かるのだそうだ。逆に彼女の場合は、生きてる人間だけでなく人外の存在に対しても、そういう対応をしてきたから猶更なのだそうだ。
「若葉、何が言いたいんだよ、結局」
話は、コミュ障の人たちの生態研究ではない。
事態は、このペルソナプロジェクトに潜む闇の部分に関することだ。松木は話を戻した。
「いや、その、すみません。自分でもよくわかんないんですけど。そんな彼女が感じてるということは、めっちゃやばいことのような気がするんです」
若葉も、現段階ではそうとしか言いようが無い。
きちんと霊視したわけでも無いから、彼女に群がった人には見えない存在の人々が、何を目的とし、何を伝えようとしているか分からないからだった。
松木も柴田も、それが分かっているから、それ以上若葉を追及することもしなかった。
ただ、このプロジェクトの取材で感じた違和感と担当者の佐藤の精神状態、さらに若葉の霊視による不穏な影が、何となくこのプロジェクトの裏に潜むヤバいものを感じさせた。
「いや、ヤバいのはあんたよっ! あんた、本当、めっちゃヤバいわよっ! 」
ただ一人、未だパニック状態の多田を除いて、佐藤がこれからもたらすであろう情報がただ事ではない事態を、この日本にもたらすことになろうとは思ってもいなかった。
第三章 伊藤若葉
ここで改めて、伊藤若葉は霊能者である。
かと言って、霊を祓うとか、そう言う特殊な技能を有してるわけではない。
霊が見える以外は、特段取柄という物もこれと言ってない、ごく普通の女性だ。
しかし、生まれついてからずっと、この能力によって、ごく普通の人生を阻害され続けて来た極めて不幸な女性でもあった。
迷惑なことに、ただ見えるだけではない。
なんだったら会話も可能だ。
霊の方の立場で考えてもらいたい。死んでから何かしらの強い思いがあってこの世に留まっているものの、誰からも存在を認められず、言いたいことも聞いてもらえず、ごくたまに画像や動画に映り込むだけという、生きていても死んでいても何故だかストレスしか溜まらない毎日において、もし、自分の存在が見え、さらに聞いてもらえる存在に出会えたらどうだろうか。
彼らの次に行う行動は想像に難くない。
生きている人間相手でもまともに付き合えばしんどいのに、死んでる人間まで相手にしなければならないとなると、それはもう大変だった。
さらに、その相手は所構わずやってくる。
しかも、そいつらの相手をしても、他の生きている人間にはそれが見えないし聞こえないのだ。
当然、異端視される。
そうして、自分が他と全く違う人間なのだと思い知らされる辛い幼少期を経て、それなりに奴らのいなし方も心得て来て、容量も得て来たとしても、また違った問題が出て来た。
極めて高度な霊視能力を有してしまっているが故に、生きてる人間を相手にしていても、その人の吉凶が見えてしまったり、先に起こる不孝が分かってしまったりするのだ。
始めは、それに従って、つい忠告してしまったりするから、気持ち悪がられたり、忠告に従ったから避けれた不孝なのに、起こらなかったことで逆に嘘つき呼ばわりされたりと、これもまた散々な思いをしたことで、すっかり人間嫌いになり、引きこもってしまった。
この引きこもり生活、普通の人なら、ただのニートで良い、いや、良くは無いのかもしれないが、彼女の場合は違った。
引きこもって家にいると、今度は暇だと思って奴らが構って欲しくて列をなしてやって来るのである。
どう見ても暇してるのは分かるから、忙しいと言う理由で断れない。
悲しいことに、彼女は引きこもる事すら許されなかった。
仕方なく仕事をすることにしたが、件の能力のせいで碌に学校にも行けなかったせいで、就職先も困る始末。
いよいよと思い、ついに夜の仕事に入るが、来る客来る客、霊と同伴で来る奴が多く、水子に、複数の女の悪霊やら、殺されたとか、破産させられたとかの恨みの霊が憑いてる奴とかで、客を相手にしてるんだか、霊を相手にしてるんだかわからなくなり、精神が病みそうになったので、早々に辞めてしまった。
そうこうしてるうちに、どこで噂を嗅ぎつけたかは知らないが、怪しい奴らが大金を稼げると言っては、
「一緒に宗教しよう」
とか、
「一緒に宗教やろう」
とか、
「一緒にアイドルしよう」
とか。
(え? アイドル? )
と調子に乗ってやってみたら、すでに死語となり絶滅種となったコギャルにあやかり、「イタコギャルアイドル」と銘打って売り出された。「イタコ」と「コギャル」を掛け合わせたのだろうが、もはや単に「痛いコギャル」としか見れない。結果売れず、危うくAVに出さされそうになり、逆にその事務所が、彼女の危機に立ち上った数多の被害者の霊の集団によって口にするのも恐ろしい現象が起こって壊滅させられたりと、とにかく散々な人生を歩んできた。
霊媒師、占い師、宗教家と怪しい業界で偽者たちに紛れつつ、流浪の日々を送った。
そこで、彼女は自分一人で何とかしようと、思いついたのが何と動画配信者だった。
始めは普通の配信をしていたが一切バズらず。
次はガチで〝見える〟巫女のコスプレイヤーなど、あれこれ試すが伸びず、結局、その延長線上で仕方なく始めたのが得意分野の心霊動画だったが、これも、徐々に過激になり、シャレにならない動画になり、運営にBANされるに至った。
いよいよもって困った時に、その動画を見ていた松木に拾われたのだ。
松木はと言うと、彼は自他ともに認める「ムー」の愛読者で、事務所にも創刊号から全巻揃って置いてある程のいわゆる都市伝説や超常現象・オカルト、UFOにUMAなどが大好きな「ムーおたく」だった。
趣味が高じて、映像制作会社から独立し、それ専門の映像制作会社を立ち上げた。
一時期は、心霊動画のDVDの制作も手掛けたりとそれなりに活躍したが、ブームも下火となり、テレビとかでもそれらの特集番組が無くなりだし、その後登場した動画配信サイトに投稿したりして何とか続けていた。
柴田は、その頃からの仲間で、そこへ期待の新人、窮地を救う救世主として連れて来たのが若葉だった。
ところが、例の感染症のせいで、すっかり様変わりしてしまい、
ロケにも思うように行けなくなり、趣味一本ではさすがに食っていけないということで、没落の一途を辿るテレビの下請けの仕事を受けることにした。
なぜかと言うと、まず、ほとんどの制作会社が、テレビの仕事にうま味が無くなり、日々切り詰めれる製作費に悲鳴を上げて、逆に動画配信サイトに逃げて行ってしまった為に、テレビ局が極度の人手不足に陥ってしまったことに目を付けた。
しかも、ギャラは大して高くないが取材経費が下り、テレビ取材ならロケも出れる。ついでに趣味の取材もできると言うことで一石二鳥だった。
しかも、事件取材となると、案外、若葉の能力が重宝した。
殺人事件の犯人特定やら、行方不明者を発見したりと、特ダネを連発できたおかげで、結構、テレビ局の覚えもめでたく、ギャラも上がった。レポーターの多田は、そんな時期に参加するようになった。
しかし、斜陽産業となったテレビ局もいよいよ最後の時も近づきつつある。プロデューサーの言っている通り、所管する総務省がついに電波オークションを採用するという通達が来たようだ。
ここで一発でかい花火を上げて、華々しく散って行こうとプロデューサーは言っていたが、松木は、今回のプロジェクトの闇が見えて来たことで、もしかしたら形勢逆転を狙っているのかと踏んだ。
というのも、いくつかの省庁を跨いだ一大プロジェクトではあるが、一応、企画の出所は総務省らしいから、ここで闇を暴くネタを掴めば、もしかしたら電波オークションを止めることもできるし、マスク解除の道筋も立つかもしれない。
「こりゃもしかたら、まさに社運、いや業界の命運を左右するほど特大ネタを託してもらったのかもしれねえな。だとしたら、何も無しでしたと報告できねえぞ」
松木は、いつになく、いや、これまで一欠けらも無かったジャーナリスト魂に火が付いた。
佐藤は、休暇願いと一応取材についての報告を兼ねて、総務省を訪れ、省内にあるプロジェクト推進室にいた加藤に報告と休暇の挨拶として逢った。
そこで、松木の言った追加取材として加藤にその引継ぎを頼んだ。
「取材? ・・・たしかに休暇を勧めたね。でも、そんな取材程度なら君だけで十分対応できたんじゃないのかな? 」
思った通りの返答が来た。
「すみません。私が至らないばかりで、お手を取らせてしまって」
加藤はしばらく間を置いてから、
「佐藤君。おそらくそうじゃないだろう。君自身がまだプロジェクトに対して疑念があるということだろう。だから、テレビの連中も、私に聞こうということになったんじゃないのかな? 」
読まれていた。しかし、ここまで来たら、引っ込める訳にも行かない。
「あの・・・。それは、」
「いや責めてるわけでも叱責してる訳でもない。だから、君を選んだんだし、そういう姿勢を持っておいてくれと言ったのはこっちなんだから」
「・・・はい」
「そろそろ、君にも理解してもらおうか、と思ってね? ・・・未だに反対なんだろう? 理由は何かね? 」
「いや・・・、その・・・」
「大丈夫。腹を割って話そうじゃないか。わかった、じゃ言い難いだろうから、当てて上げよう・・・。気持ち悪いのだろう? まるで妖怪ののっぺらぼうと話してるみたいで。本当に相手が人間かも疑ってしまう。違うかい? 」
ドンピシャズバリだった。まるで心の内を完全に読まれているかのようだった。
しかし、佐藤はすぐに冷静を保とうと考えた。
始めから分かっていたのだ。自分を指名することでこういうことになることを、私がこう思うようになると。
「・・・そうです。・・・ええ、そうですっ! やっぱり、人は互いの顔を見てコミュニケーションを取るべきなんです。この社会は異常です。感染がこわいとか言っても、誰も気になんかしてませんっ! 」
加藤は、佐藤のこの回答すら想定通りであったかのように、すぐさま返した。
「そうだよ。君の言う通り、この社会は異常だ。本質はいつしか忘れられ、異常が日常と受け入れられるとそこに疑問を抱かなくなる。そして本質とは大きくずれたどうでもいい事に人々は食いつく。仮にだ、マスクが義務化されなくとも、外を歩く人はマスクを外さないだろう、感染学上、外でマスクするのはほとんど意味をなさない。いや、マスクそのものも感染予防の観点から考えたらほとんど役に立たないことは公表されてる事実だ。ところがどうだ、どいつもこいつも意味のないマスクを外さない。いいかい、コロナ以上に日本人が恐れているのは、体面と世間体だよ。良く言えば協調性、悪く言えば同調圧力。これに逆らう者には容赦がない。良い方に捉えれば、ワールドカップとかで見るゴミ拾いのように世界に称賛される日本人の美徳だ。悪く言えば、村八分に代表されるような排斥主義者の集まりだ。気付かないかね?これって、何かに似てないか? 」
「・・・SNS」
「そう。君はこのモデル都市でのSNSの成果をどう分析するかね?」
「・・・わかりません。確証が持てる要因が思いつきません」
「君は、顔を見て話をしないと、本当のコミュニケーションが取れないと言ったね? 本当にそう思ってるのかな? 顔を出してるその人は本当にその人か? その人の本当の顔なのかね? 」
「・・・いえ。わかりません」
「例えば「内弁慶」とか、「仮面夫婦」とか、「裏の顔」とか、「面従腹背」なんてのもある。一番わかりやすい所で「本音と建前」だよ。人は常に誰でも二面性を持っている。仕事の顔、家庭の顔、そう、
マスクをつける前から仮面をつけている。本当の顔なんか、ほとんど見せない。特に古来から化粧をするだろ。上達した者ならほぼ別人になれる。最近じゃ、アプリも発達して、素顔でなく補正した写真しかSNSには載せない。ひどい話だと、履歴書の写真までそうらしい。ま、とにかく、悲しいかな、どれだけの仮面を持っていても顔は一つしかない。SNS上で制裁を加える相手が分からなければ、徹底して調べて「顔を晒す」だろう?たった一つしかない顔とはまさに個人情報そのものなのだよ。やたらめったら人に晒すものじゃない。人は顔を見て話さないとコミュニケーションが取れない? コロナ前からすでにそれは失われていた単なる理想論だ」
佐藤は加藤の言うことに、異論を差し挿むことができなかった。
機械のように一切の淀みなく早口で話すからもあるが、明確に違うと言い切れるものが無かった。
彼女の主張することは正論だが、現実は加藤の言う通りだろう。
正論は正論でしかなく理想論なのだ。そこに、根拠なんか無い。
「では、その顔が無くなればどうなる? 最大の個人情報である顔とあらゆる個人情報データがすべてまとめられ秘匿されたらどうなる? 顔と共に個人情報が晒される恐怖も、ただ承認欲求を満たしたいだけで過激を求めて暴走するリスクも、それだけじゃない。人を顔だけで判断されることもない。これをして、どう表現したらいい? 」
もはや、答えに窮するだけでなく、佐藤自身、この問いに対する答えを加藤に求めてさえいた。
加藤は高らかに、その正解を言った。
「自由だ」
(自由? )
「そう、まさに自由という表現こそふさわしい。何者にも縛られず、何者にも侵されず、何者にもなれて、何者にもさせられない真の自由を手に入れたのだ。国家による管理など、得る自由に比べれば安い代償だ。いや、自由に対して国がお墨付きを出したとも考えられる。何が不満というのだ? 君も慎ましく控えめな日本人の一人だったのだろう、自分を主張せず、自分を押し殺し、人の顔色を見て、人に阿り、人を恐れ、人の悪意に晒されないよう顔を隠し、身を潜めて生きて来たのだろう? もうそんな必要はないっ! 君はもう解放されたんだっ! ・・・そうだっ! 君は、自由だっ! 」
「・・・自由」
全身の力が抜けたように倒れ込む佐藤を、取り囲むように仮面の一団が出て来て支えた。
「そうだよ、佐藤君。君は自由を手に入れたんだ。ありがとう、佐藤君。やはり人の思考と言うのは実に興味深い。内側にある自己矛盾と向き合いつつも社会性を保とうと必死に抑制する。モニタリングの成果はあった。後の事は我々に任せて、じっくりと休んでくれていいよ。さあ、我々と同じように、新たな自分に生まれ変わろうじゃないか・・・」
佐藤はそのまま仮面の者たちに取り囲まれて行く。
数日後、朝の8時から松木達は武蔵山市役所まえの広場にいた。
松木は電話をかけている。柴田は多田と話していた。
どうやら話題は、若葉の能力の事だ。
「本当にマジで霊が視えるの? 」
「なんなら会話までできるよ。うちも昔はホラー系のドキュメントとかやってた頃は、重宝したんですよ。うちくらいですもん幽霊に出演交渉とか演出できたの」
「なんか、そう聞いたらすごい便利そうね」
「いやいや、最近でも、こういうニュース取材とかの仕事でも、結構役に立つんすよ。殺人事件とか、特に未解決とかだと特ダネ掴めたり」
「やばいと思ったけど、それ、別な意味でやばいわね。・・・ねえ、ねえ、若葉ちゃん? あたしと宗教やらない? 」
若葉にとっては、耳にタコができるくらいで、もはや挨拶くらいの勧誘文句だ。
「やりませんよ。他人事だと思って好き放題言わないで下さいよ。結構こっちはこっちで大変なんですよ。ああいう手合いはもめごとしか持って来ないんですから」
「そうかぁ、多田さんだけでも大変だからなぁ。一緒には無理だな」
柴田はそれとなく皮肉った。
「悪霊の依り代になってくれたらいいですよ、タダさん」
「オオタだよっ! いらんわっ! 」
そんな会話の中、松木は電話を切った。
「くそっ! 」
「やっぱり佐藤さん捕まりませんか? 」
「ああ、全くだ。市役所に連絡しても、休養中の一辺倒だ。所管の総務省も全く同じ。ったく、どこ行きやがったんだ」
「やっぱり俺のことかな? 」
柴田がボソッと言った。
自分を避けているのではと気にしている。
「自意識過剰か、あんたは。んなわけないでしょ」
さっきの皮肉のお返しとばかりに、多田が言った。
松木は彼女の家とか実家とか、調べようとしたが、他ならともかく武蔵山市は個人情報がデータベースで個人のスマホと直結しており、彼女の了解がないと開示できないシステムになっているので、正直お手上げの状態だ。
折角、プロジェクトの闇に迫る内部協力者が現れたのに、いきなり出足をくじかれてしまった。
「てことで役所に張り込んではみたものの、顔が隠れてるから、誰か特定できねえしな。マスク変えられたら手も足も出ねえ」
そういうことで、朝の8時から役所に出勤するところを押さえようと張り込んで入るのだが、当然と言えば当然だが、全員、顔面をマスクで覆っているから、おおよその背格好とそのマスクの柄やデザインで特定する以外ない。マスクを変えられれば、松木の言う通り手も足も出ない。
「おかげでストーカー被害も激減だって・・・、本当に理想的よね」
多田の言う通り確かにそうなるだろう。
「ただ、消息不明者も激増じゃね? こわいねぇ」
柴田の指摘の通りでもある。
「てことで、残る手段は、若葉だけだ。頼むぞ、霊能力者」
若葉は、霊視によってその人間に憑いている守護霊や背後霊、悪霊に水子の霊などが見える。当然、霊はマスクもしていないから、あの時、佐藤に憑いていた霊たちの顏さえ覚えていれば、佐藤と特定できるという訳だ。
ちなみに、マスクをしていてもその人間の顏も集中すれば見ることもできたりする。
佐藤の補正顔を本人の顏と照合できたのも、その能力のおかげだ。
若葉曰く、人間には個人個人それぞれ独特なオーラが発せられていて、オーラにより、その人間の精神体、いわば魂みたいなものが形づけられ見えると言うのだ。
だから、彼女には嘘が通用しないし、人の善悪、倫理観などの情報も見るだけである程度得られる。
ただ、常日頃からそんなことやっていたら、疲れて仕方がないし、精神的にももたないので、長年の鍛錬により、見たい時に見て、見たくないときは見えない、オンとオフを使い分けができるようになった。
今、彼女は不特定多数を見ることから、単純に霊を見えるだけの霊視モードを使って確認していた。
仮面の役人たちが何人か横切って行く。
「う~ん、いないんですよねぇ」
とそこへ、以前と同じマスクの佐藤が足早に横切って行った。
「あ、いた。・・おい、若葉っ? 」
「え? 通りました? 」
「今、目の前通ったよ、伊藤ちゃん」
「本当? 」
「ま、いいや登庁してんのなら話は早い、正式に面会の申し入れをしたらいい」
松木達は、時間をおいて役所に問い合わせ、正式に取材の申し入れをして佐藤との面談のアポを取り付けたが、あれほど合えなかった割に、何故か何の苦労も無くすんなりと取材に応じてくれた。
庁舎に入り、受付の職員らしき女性が、
「すぐに佐藤が参りますので、しばらくお待ちください」
とホールで待たされた。
ほどなく、佐藤が出て来て、
「お待たせしてすみません」
と言った佐藤の声が、すごく明るかった。
若葉だけが、なぜかその佐藤を見て口を押えて絶句していた。
まず松木が佐藤に声を掛けた。
「佐藤さん、どうして連絡くれなかったんですか。何度も連絡したんですよ」
「ごめんなさい。あれからずっと入院してたもんですから」
「入院? ・・・あ、それで。やっぱり大分悪かったんだ」
松木が何か言おうとした所、多田が割って入って来た。
「本当にご心配おかけしました。でも今はお陰様でもう大丈夫になりました」
「あ、そう。それなら良かったじゃない」
多田を引っ張って下がらせて、ようやく松木が本題に入った。
「で、加藤補佐官への取材の件は? 」
「そのことですが、申し訳ありません。やはり私だけで対応するようにということですので、追加の取材も私が承ります」
「あら、じゃ、結局、加藤と話できなかったんだ」
また多田が出しゃ張った。
「いいえ、お話しさせて頂きました。本当、霧が晴れたような気分です。ペルソナプロジェクトが本当に今の時代にあった理想的な制度だということが、よおくわかりました」
「あ、あら、そうなんだ。ま・・・、そりゃ、良かったじゃない」
この間、若葉はずっと口を押さえて、なにかを我慢している様にも見えたが、いよいよ我慢しきれなくなったのか。
「うっ・・・、すみません。失礼しますっ」
そう言って、走り出した。
「何? どうしたの? 伊藤ちゃん? トイレ行きたかったらそう言ったらいいのに」
と柴田がデリカシーの欠片も無い事を言ったが、もっとデリカシーに欠けると思っていた多田は少し違った。
「こらっ、柴田っ! そんなこと言わないのっ! あれは、まさか、松木さん、あたしちょっと若葉ちゃん見て来ます」
「おう、おう、そうしろ」
正直、若葉が心配というより、多田がいると話が進まないから行かせたと言った方がいい。多田が若葉を追いかけて、その場からいなくなると、松木は改めて佐藤に、
「・・・佐藤さん、それ本気で言ってます? 」
と言った。これに対して佐藤は、何の迷いもなくハキハキと答えた。
「この前は、やっぱりどうかしてたんですよ。入院してちゃんと見てもらったら過労によるノイローゼだって。ああ、それと、これ、お返しします」
そう言って、あの時渡したボイスレコーダーを出して、松木に手渡した。
「結局、録ってません」
「・・・そうですか、いや別に構いませんよ。あんたの判断にお任せしてたんですから。・・・柴田」
「はい」
そう柴田が答えると、突然二人してマスクを取った。
佐藤が驚いて、
「えっ! 何ですかっ? 何してるんですかっ? 」
と今まで落ち着いていたのに、いきなり動揺し始めた。
「あれ、なに驚いてるんですか。この前も取ってお見せしたでしょ」
「何言ってるんですかっ! やめて下さいっ! こんなところでマスクを取るなんてっ! 庁舎の中ですよっ! 他の市民の皆さんだっているんですっ! 」
「あなたも取らないんですか? 」
「私が取るわけないでしょっ! 警察呼びますよっ! 何考えてるんですかっ! 早くマスクを付けて下さいっ! 」
「佐藤さん、そらそうと、こいつの顔覚えてますよね? ほら、コロナ前に出会い系サイトで引っ掛けて来て、会う約束してたのに会えなかった」
「はぁっ? 知りませんっ! 何のことですかっ? ・・・ちょっと、もう私、失礼しますねっ! さっさとお引き取り下さいっ! このことは、局にも抗議しますからねっ! 」
佐藤、あわててその場を後にした。
周囲にいた者たちも一様に、この騒ぎに足を止めて見ていた。
マスクをしているから、目線は気にならないが、それでも場の空気が引いているのは、何となく感じた。松木と柴田は、バツが悪そうに愛想笑いをしつつ「すみません」を連呼して、マスクを被り直した。
「松木さん・・・、これってどういうことすかね」
「わからん。ただ、間違いなく彼女、なんかされたな・・・。それか、別人かだ」
「声は間違いなく彼女っすよ。音響もやってる俺が保証しますよ」
「じゃ、催眠術か、暗示か、洗脳か何かってところか・・・」
「これ、なんか、めっちゃヤバくないすか? 」
「とりあえず、若葉に聞かないとわかんねえな」
二人は、冷たい視線を感じつつ、市役所庁舎を出た。
さて、庁舎内の女子トイレでは、若葉が駆け込んで、便器に向かって激しく嘔吐していた。
程なく、吐き気も収まって、手洗いで口を濯ぎ、顔を洗っているところで、追いかけて来た多田がなんか訳知り顔でやって来た。
「ふふん・・・。ボンクラ野郎どもは誤魔化せても、女の私には誤魔化せないわよ。それだと、2、3か月ってところね。・・・で、父親はどっち? 柴田? ・・・まさか、松木さんじゃないわよね? 」
どうやら多田は、若葉が妊娠して、つわりが襲って来たと思っているようだ。
「タダァ~ッ」
「オオタだよっ!」
「ざけんじゃねえぞ。なんで、あんなムーオタクの汚いおっさんの子を腹まにゃならんのじゃっ! 」
「あ、んじゃやっぱ柴田? 」
「違うわっ! あんな少し頭よさげなチョイイケメンのチャラ男となんかとするかっ! 」
「じゃ、誰よ? 」
「誰でもないわっ! ガチで気持ち悪くて吐き気をもよおしただけじゃーっ! 」
「え? あ、じゃ、朝食った朝マック? 」
「そりゃ、おのれも食ったじゃろ、おぅっ? 」
「いやあたしさ、胃腸丈夫過ぎんのよ。だから、いつも便秘で困ってんのよ」
「じゃ、構わんから、そこで気張って来い。あたしに構うなっ! 」
「あんた、何怒ってんの?」
「あんたにゃ、わかんないわよっ! 」
「え? 何見たの? 」
さすがに感の鈍い多田でも、若葉の口ぶりから、彼女しか見えない何かを見て気分を悪くしたと気付いた。
そこへ、佐藤が飛び込んで来るようにトイレに入って来た。
マスク取っている二人に佐藤がまた驚くが、同時に若葉も同じくらいに驚く、というより怯えるように驚いた。多田だけが平然としている。
「あっ! あなたたちっ! な‥何してんのっ? 」
「なにって、用足してたのよ。どうしたのよ? あんた、血相変えて」
「どうしたもこうしたもないですっ! マスクを戻しなさいっ! なんてことっ! 」
「トイレでもマスク外しちゃダメなの? そこは聞いてないんだけど? メイクも直せないじゃない」
「マスクしてれば直すどころか化粧も必要ないでしょ! 特にあなたなんか絶対必要ないでしょっ! 」
「ああ、頭来た。聞いた? 若葉ちゃん。これ、ハラスメントよね? 絶対。てか、何? 若葉ちゃんも・・・え、何? あたしの顔でそのリアクション? 」
若葉が尋常じゃなく怯えていた。そして怯えながら呟いた。
「・・・ば・・・バケモノ」
「やかましいわっ! まったく、もう少し、年長者は労わるもんよ。なってないわね、どいつもこいつもっ! 」
違う。多田に対してではない。目線は佐藤を向いている。
「黙れっ! タダババアっ! 」
「オオタよっ、オオタババアっ! ・・・て、誰がただのババアだ、この野郎っ! 」
多田がやかましく感が鈍いおかげで、若葉はなんとか冷静を取り戻せた。
「・・・すみません。・・・ちょっと気分が優れなくて、もう少ししたら出ますから」
若葉が冷静に受け答えしたので、佐藤も落ち着いたようで、
「・・・わかりました。お早くお願いしますよ」
そう言ってトイレを出て行った。
「何よ、あいつ。トイレしに来たんじゃないの? ・・・あんた、どうしたのよ。そんなに取り乱すなんて珍しいじゃない。幽霊常に見えてる人が、そんな怯えるほど怖がることってあんの? 」
一体、何を見てこんなに怯えることがあるのか、多田は素直に聞いてみた。
「・・・違う、・・・違うのよ。あれ・・・、佐藤さんじゃないのよ」
「は? ・・・え? 何? ・・・何言ってんのよ? ・・・佐藤じゃないのよ、どう見ても」
マスクをしているからここまで断言できるものでもない。
「違う・・・。佐藤さんじゃない・・・。それに・・・」
「それに? ・・・なによ? 」
「・・・人間じゃない」
「はぁっ? えっ? ちょっと何? 何言ってんの、ねえっ? 」
若葉は、そう言うと急いでトイレを出て行き、多田はそれを追いかけるが、庁舎内に出た所で、若葉は改めて庁舎内にいる人たちを見た。市民課の職員、住民票やら書類を申請する市民、小さい子供を抱えて児童福祉課へ足早に歩く母親、さっきの受付の女性、彼女の高感度の霊視によって見える彼らの姿は、佐藤と同様に映っているのだろう。若葉は、余りの光景に恐怖を通り越して、まるで逃げるように走って庁舎を出て行った。
多田には何が何やらわからず、とにかく若葉の後を追う以外なかった。
第四章 奴ら
とりあえず、4人は松木の事務所に帰って来た。
事務所は、都内の中でも下町情緒が残る幹線道路からも、駅からも大分離れた寂れた築年数も50年以上経った雑居ビルの4階にある。
当然、エレベーターも無く、階段も急でかつ狭い。正直、重くてでかい機材の搬出入はいつも大変だった。そんな所でも、都内であれから家賃もそこそこする。
さらに室内だって、15㎡くらいで、トイレと給湯スペース除けば8畳分くらいのスペースしかない。
結構嵩張る機材などがあるのに、必要があるのかわからない大量の「ムー」と各種DVDとビデオの山に加え、松木が寝泊まりする為の雑魚寝スペースもある。
さらにただでさえ狭いのに、何故か社員でもない柴田の様々な音響と編集用機材が置かれた柴田スペースまであるので、ほとんど、若葉の使うスペースはない。だから、彼女のパーソナルスペースは狭いながらも給湯スペースとなる。
とにかく、荷物担いだ柴田と松木、続いて若葉と多田が帰って来た。
毎度一苦労の荷物の搬出入を終え、とりあえず椅子に座って、各々が一息つくと、ようやく話の続きとばかりに松木が、コーヒーを淹れようと給湯スペースでお湯を沸かしている若葉に声を掛けた。
「佐藤じゃない上に、人間じゃないってどういうことだよ」
「松木さんが言うならまだしも、伊藤ちゃんがそれ言いだす? 」
インスタントコーヒーを淹れて、3人に配りつつ、若葉は、
「間違いないです。あれ、人間じゃない何かです」
と断言した。
「あのなぁ、若葉。ちょっと話が飛び過ぎじゃねえか? 」
「伊藤ちゃん。音に関しちゃ絶対に自信がある俺が佐藤さんの声を間違えねえよ。声だけなら、ありゃ間違いなく佐藤さんだった」
「柴田君、あたしだって、伊達や酔狂でこんなこと言ってんじゃないよ。生まれたときからずっとこの能力と付き合って来てんのよ。人にはそれぞれオーラってもんがあんのよ。形はそれぞれ独特で、それで、私は個人が特定できてるの。わかんないだろうけど」
「で、それが佐藤の場合だとどうだって言うんだよ」
松木は、味の薄いコーヒーをすすりながら尋ねた。
「無いんですよ、オーラが一つも。人とは思えない黒い靄みたいなもんが顔のあたりにあって、あんな感情的になってても一つも色が変わらないし、揺らぐこともない。あんなの人とは言えません。バケモノです」
若葉しか分からない世界だし、若葉にしか見えないものだから、そうだと言われてしまうと反論のしようも無い。
長い付き合いで、若葉の能力が本物であることは嫌というほど理解している松木と柴田は、納得できないまでも認めざるを得ない。
柴田は、佐藤が返したボイスレコーダーを出す。
「松木さん、これ。明らかに録音したデータを消してますね」
「やっぱそうか」
「でも、幸い、細工には気付いてなかったみたいっすね」
「よし、さすが。出せるか? 」
柴田は、自身のパソコンに接続する。
多田は椅子に座って、不味そうに薄いコーヒーを啜っていた。
「ボイスレコーダーに別のマイク仕込んでたの? 」
「カメラとマイクね。小型だから、ま、質は悪いけど」
見た目からしてボイスレコーダーで、録音もされていたら、まさか、そこに被せて超小型カメラと超小型マイクが別に仕込まれているとは思わない。
多田がマスコミ連中に取り囲まれた時に、柴田が録画データを渡していたのに、別に残していたのと同じ要領だと多田も気付いた。
「はぁ、大したもんね。あんたいつでもストーカーになれるわよ」
「なんでストーカーなんすか。・・・出しますよ」
ポケットに入れていたのだろう、画像は真っ暗だったが、音声はちゃんと拾えていた。ちょうど加藤が演説してる頃だ。
「自由だ。そう、まさに自由という表現こそふさわしい。何者にも縛られず、何者にも侵されず、何者にもなれて、何者にもさせられない真の自由を手に入れたのだ。国家による管理など・・・」
いちいち聞いてられないから、柴田は、
「飛ばします」
と言って、先に進めて再生し直した。
「さあ、我々と同じように、新たな自分に生まれ変わろう・・・」
と加藤が言った後、「ガサゴソガサガサガサ・・シュッ・・ガササッ」という衣擦れの音が激しく聞こえる。
その後に、佐藤の声だろう、
「きゃあああっ・・・んんっ、んーっ! 」
悲鳴の後に、口を押さえられているような声がした。
「音はこれで終わりです。多分、衣擦れの音からすると、何人かに押さえつけられて、猿轡されたみたいな感じかな。で、そん時にボイレコが見つかったんだと思う」
「拉致された後で彼女になんか細工したってことか・・・」
若葉が手を上げた。
「あの・・・、嫌な事言っていいですか? 」
「できれば嫌なことは言って欲しくねえな」
「それでも言いますけど」
「じゃ、断んなよ」
「これ私的に見えて来たもので情報整理して言いますと」
「もうこの段階で嫌なんだけど」
多田が言うが、若葉は無視して続ける。
「この際、何者かはさておいてですが、私が佐藤さんの周囲で見た霊たちは、今回の佐藤さんと同じように乗っ取られた、もしくは入れ替わられた人たちの霊だと思います」
「ヤバいヤバいヤバいっ」
柴田も少し引いて来た。
「で、市役所から帰るとき、正直、本っ当に嫌だったんですけど・・・」
「あ、なんか先聞きたくない」
突然、多田がバックを抱えて席を立つ。
「あたし、帰りますね」
「こら、逃げんなっ! 」
「逃げるって、私、この制作会社の人間じゃないのよ。事務所から派遣されたただのレポーターだから」
「それ言ったら、俺も一応そうなんですけど」
「お前はほぼ社員だろうが、フリーつっても、うちの仕事しか受けてねえだろうが、だいたい、うちの事務所に機材まで持ち込んでんだから」
「だから俺、まだいるでしょう」
「あたしは明らかに違うんだから、帰るわよ」
多田の決意は固いようだ。松木は、溜息をつき、
「ま、役に立つわけでもねえから、帰ってもらっても全然構いやしねえけど、お前もお前で面が割れてっからな、それこそお面も面も。別に良いけど、大丈夫かな? 一人で行動して? 」
しばらく沈黙が続いたのち、多田は席に改めて座り直した。
「・・・残るわよ。残ってあげるわよ。もう、厄介事は御免だからね」
「つまり、若葉。お前の見えてることから、最悪の推測で言うと、要するに、武蔵山市がその訳の分からんバケモノにほぼ乗っ取られてるってことか? 」
「多分。そう思いたくはないですけど。だから反対者がいないんだと思います。訳は分かりませんけど、マスクで人間に成りすましてるんですよ」
「伊藤ちゃん、そこはせめて「他人」って言っとこ」
「で、その親玉が加藤ってことか」
松木は、考え込んでしまった。
こうなって来ると、もはや総務省のスキャンダルとか不祥事とかというレベルではない。とんでもない犯罪、いや国家レベルの陰謀や策略、それどころか侵略行為という可能性まで出て来た。
話がでかすぎる上に、若葉の言う事を信用すると、もうネタとして扱えないレベルだ。
「どうします? 証拠って言ったって、伊藤ちゃんのは使えないっすよ」
柴田もどうやら同じことを考えていたようだ。
「いきなりバケモンってわけにはいかねえだろ。まずは、この音声を使って、疑惑から始めるってところか。とりあえず、柴田。局に行って、報告がてらプロデューサーと打合せだ。それはそれでめっちゃ食いつきそうだけどな」
とにかく抱え込んでいい問題じゃない。
どこか信用できる筋に情報を提供してから手離れさせないといけない。
「私たちは? 」
若葉と多田が訊いて来た。
「若葉は嫌だと思うが、多田ともう一度武蔵山市に行って、しっかり見て来い」
「ええ~。見るのも嫌だけどタダと一緒が嫌」
「オオタだよっ! あたしも嫌! だってバケモノの真っただ中に行くんでしょ? 」
「白昼堂々と天下の往来で襲って来んだろ。まだ、普通の人間もいるだろうし、これまでもわからないようにやって来たんだから」
「松木さん。信じてくれるんですか? 」
改めて若葉は松木に問いかけた。
「いや、正直まだ半信半疑だ。悪いな、やっぱり俺には見えないんでな。だから、とりあえずお前が行って、お前なりに証明してくれ」
「わかりました」
一同は、翌日、それぞれ行動を起こすことにして、その日は解散した。
翌日、松木と柴田は、予定通りテレビ局を訪れた。
名目は、取材についての経過報告ということでプロデューサーと会ったが、社内においては当たり障りのない内容をただ報告してから、いつものように二人して屋外の喫煙スペースに行く。
松木はその時を見計らって、二人っきりになった時にこの件を話そうと思っていた。
しかし、話を切り出した途端にプロデューサーから突如、撤退が言い出された。
「どういうことですか? 取材規制が入ったって」
「とにかく上の方で、そういう方針が決まったんだよ」
「こんな特ダネ、むざむざ捨てろってんですか? 独占ですよ」
「まっちゃん、役所で揉めたそうじゃない。こっちにクレーム入ってるよ」
「そりゃ、向こうに都合が悪いからでしょうが。田中さん、あんた、圧力でこんなおいしいネタ潰すような人じゃないでしょ」
「あのさぁ、俺も悲しいかなサラリーマンなんだよ。電波オークションの話、いよいよ本格的になってる所でさ、お上に睨まれるわけにも行かないのよ。わかってよ、まっちゃん」
松木の思っていたプロデューサーの狙いとは全く真逆の反応だ。
「あ、そうなんすか・・・。わかりました。・・・ああ、田中さん。最後にもう一つ聞いていいすか? 」
「ん? 何? まっちゃん」
松木は、いきなりプロデューサーの胸倉を掴み、顔を近づけると、
「・・・お前誰だ? 」
と凄んだ。
いきなりのことにプロデューサーも驚いて、と思ったら、驚くどころか、動揺しているようだ。
「ん? 何? ・・・何言ってんの? 」
明らかにおかしい。松木は決定的な確証を得られた理由を言った。
「田中さんはな。お前らが考えてるようなプロデューサーじゃねえんだよ。もっと適当で、思想信条なんてからきしない、まして、上の言うことなんかも聞かねえし、判断基準は常に面白いか面白くないかの二択なんだよ。・・・それにな。あの人、俺には松木ちゃんなんだよ。まっちゃんじゃねえんだわ」
「ああ、そうだったんだ。・・・仕方ないな。悪いね、体もらうよ」
そう言うといきなり松木のマスクを掴み掛かって来た。
それになんとか松木は抵抗する。
「この、なんだ? ・・・やめろっ! ああ、もう欲しけりゃくれてやるよ、こんなもんっ! 」
奪い取ろうとしているわけではなく、頭ごとマスクをつかんで、必死に頭突きみたいな体勢に持ち込もうとするのに、松木はさっさとマスクを外してしまう。
「くそっ! 」
「その代わり、てめえの貰うぞっ! 」
松木のマスクを外されて体勢が崩れた隙をついて、プロデューサーのマスクを手にかけて力づくで取ろうとする松木だが、プロデューサーは必死に抵抗する。
「やめろっ! よせっ! 取るなっ! やーめーろぉーっ! 」
そこへ柴田がカメラ持ってやって来た。
「松木さぁーんっ! 」
「柴田ぁーっ! 回せーっ! 」
柴田がカメラを回す。
と同時に、プロデューサーのマスクが取れる。プロデューサーは咄嗟に顔を覆う。
「ひっ! ・・・うう、おおおう、ああっ」
なんだか、もがき苦しみ出し、手が下がって顔が露わになった。
「うげっ? ・・・なんだ、この顔? 」
仮面で出していた片目と口しかない。他はまったくののっぺらぼうなのだ。
「これ顔って言うより顔じゃないっすよ」
「ていうか、若葉の言う通りバケモンだな」
もがいていたプロデューサーは、あっけなく息絶えてしまった。
「おい。おいおいおい。もう死んだぞ」
「つまり、マスク取ったら死ぬんすね」
「柴田? ・・・ひとついいか」
「はい? 」
「・・・よぉっわっ! 弱くね? 弱すぎじゃね? 」
「確かに、伊藤ちゃんがバケモノとか言うから、結構、期待したんすけど、案外・・・、いや、てか想像以上に弱かったっすね」
「これ意外と簡単に勝てるな」
「でも、これパッと見、ヤバいっすよ。プロデューサー殺したってことになりません? 」
「ああ・・・、それなるなぁ。・・・どうしよ? 」
「なんか、すごく後ろめたくて、罪悪感が半端ないっすけど。とりあえず運ぶしかないすね」
「しゃあねえな。よし、柴田」
「はい」
二人でプロデューサーの両わきから支えて起こそうとするが、
「せえのっ」
と掛け声までして力を込めて持ち上げようとしたら簡単に立たせられた。なんなら力が入り過ぎて、二人でプロデューサーを胴上げしてるように体が浮かびあがってしまった。
「・・・! かっるっ! 」
もう二人、完全にハモッた。
「え? これ、まじ軽すぎっしょ? なんすか? こいつ」
「こりゃ、若葉の言う通り、人ではない何かってのは大当たりだな」
「不幸中の幸いっすね。これだけ軽かったら、ある程度、誤魔化せそうっす」
「そうだな。とりあえず、柴田、マスク戻せ。これじゃ怪しまれる」
一旦、プロデューサーの遺体を下ろして、松木もマスクを戻す。
柴田がプロデューサーのマスクを戻すと、突然、プロデューサーが復活して、柴田のマスクを掴もうとした。
「うわぁっ! なんだよ、こいつっ? 」
「柴田っ! 」
二人がかりでプロデューサーをなんとか抑え込み、マスクを再び取ると、しばらく藻掻いてまた動きを止めた。
「なんすか、こいつ? ゾンビみてえ」
「・・・なるほど、要するにこいつらの本体は、こっちってことか」
松木はプロデューサーから剝ぎ取ったマスクを見た。
単なるマスクじゃないのは、手にしてすぐに分かった。何か通信端末みたいなものが仕込まれていて、マスクの内側に針みたいなものが数本出ている。要するに、これでこの体を操っていたのだろう。
「どうすんすか? これじゃ、怪しまれずにこっから動かせないっすよ? 」
「なに。簡単だよ。お前、スペアのマスクない? 」
「え? 登録制になってからはもう持ってないっすよ。松木さんは? 」
「ばかやろ。こんな通気性のないガラケーならぬガラマスクの俺がんなもん持ってるわけねえだろ」
「じゃ、どうすんすか? 」
「柴田、お前、マスク買って来い」
「いやっすよ。これまだ気に入ってるんですから」
「いや、変えろとは言ってねえだろ」
「これだから、ガラマスクは・・・。登録制になってからは、買う時に登録しなきゃダメなんすよ。買いに行くなら、いい機会ですから松木さん行って来て下さいよ。その間、軽いから俺だけでもどっかに隠せますから」
「仕方ねえな。どこで売ってる? 」
「ドラッグストアで、あ、レジじゃダメっすよ。調剤してる所じゃないとダメっす。ああ、スマホありゃ、コンビニでもできますよ」
「そうなのかよ。すげえな、コンビニ。何でもやりすぎだろ」
松木はマスクを持ったままコンビニに走った。
柴田はプロデューサーを軽々と起こして、局の屋外喫煙コーナーからさらに人目の付かない場所に移動して行った。
第五章 山本美香
警視庁公安部外事二課―。
外事課とは、日本の公安警察の中で、外国諜報機関の諜報活動・国際テロリズム・戦略物資の不正輸出・外国人の不法滞在などを捜査する課である。
外事第一課は、ロシア、東欧のスパイ、さらに戦略物資の不正輸出に関する捜査・情報収集を行う。
外事第二課は、 東アジア、特に中国、北朝鮮のスパイに関する捜査・情報収集、不法滞在やアジア人犯罪に関する捜査を行う。外事第三課は 国際テロ捜査、中東、特にイランのスパイに関する捜査・情報収集を行う。
山本美香はこの外事二課に所属している。
階級は警部補。一応、いわゆるキャリアにあたる。
公安外事二課では、最近、活発化しつつある某国による「サイレントインベージョン」に対する警戒をしていた。
「サイレントインベージョン」とは、かつてオーストラリアにおいて中国の影響力が強まり政権内部にまで及んだことで、結果、軍港近くの港を租借されるに至ったことで、この危機的状況を記した豪州でベストセラーとなった本のタイトルである。
これにより、中国の「超限戦」と言われる兵器を一切使わない静かなる侵略行為が明らかになったことで世界的にも注目され、その後の中国に対する警戒感が強まったきっかけにもなった。
この日本においても、現在、この脅威に常に晒されている。代表的なところで言えば、メディアは統制され、政財界においても親中派と呼ばれた当局に懐柔された人間はかなり中枢にまで及んでいる。
直接的な影響はなくとも、間接的には有利になるような働きかけができる状況にあると思っていい。
すでにかなり「サイレンロインベージョン」はその奥深くまで浸透していると思って良い。
さて、改めて公安外事二課の仕事とは、こういう外国勢力による明らかな浸透工作を抑制かつ防御する役割を担うはずのものだが、CIAなどと違い、あくまで犯罪行為に対することへの捜査権しか有していない以上、それ以前の行為に対しては、わかっていても監視するのみで見て見ぬふりをする以外ない。
昨今、テレビドラマで再び注目されつつある自衛隊の秘密組織で〝別班〟の存在の有無について語られることもあるが、ぶっちゃけたところ、そんな組織があるなら、こんな状態にはなっていないし、技術や人材の流出が公然と行われ、〝スパイ天国〟などと揶揄されることも無いだろう。これが、そもそも、そんな組織の存在を否定しうるに足る根拠とも言える。
向こう側の秘密警察らしき組織は我が国内でも自由に動き回れているというのに、こちらは存在が分かっていて、明らかに国際法に反する犯罪行為なのに手も出せない。
山本美香は、自身の仕事に対して、無力さを痛感している。
日本の警察は優秀だ、と言われている。
確かにそうかもしれない。
しかし、警察が優秀と言うより、治安面や倫理観など様々な面において、国民性の高さが優秀であるだけかもしれない。
とにかく、なんだかんだ文句は言っても、一応、こうしろああしろと言われたことに対しては素直に従ってしまう。たとえ、それが常識はずれで理不尽な事であってもだ。
例えるなら、江戸時代における天下の悪法と言われた「生類憐みの令」だ。さんざ文句言っても、皆それに従う。理不尽な理由で罪に問われても、それを受け入れてしまう。明治期に入ろうと同じ、戦時期においてはそういう国民性が如実に表れた結果とも言える。
要するに江戸時代からずっと、この国の国民性は全くと言っていいほど変わっていないのかもしれない。
世界中見てとっても、これほど言うことを聞く国民は日本以外いないのではないだろうか。
規律と社会性を重視するが故に、例え間違っていても、右に倣えで安心する。まさに、「赤信号みんなで渡れば怖くない」という驚異の団結力を持った民族だろう。
(こういう国民性が故に、今、それが裏目に出ているんだろうな)
感染症対策が様々な事情が絡んで迷走した挙句、もう当初の目的すらわからなくなって、マスク義務化に、さらに登録制となった。
(顔が分からなかったら、何でもし放題になるじゃない)
こっちは怪しげな他国の工作員をマークしなければならないのに、国籍どころか人物の特定すらできなくなった。
某国からすれば、まさにやりたい放題だろう。
「ぺルソナプロジェクト? 何ですか、それ? 」
課長から話が出た時は、さすがに耳を疑った。
「個人情報とスマホ、マイナンバーとマスクを紐づけする? お偉いさんはバカなんですか? 」
「そう言うな。バカは今に始まった話じゃない」
もはや、課長ですらバカを否定しない。
「ただでさえ酷い状況を、さらになりすましを増やそうって訳ですか? 」
「ま、そういうことになるな」
「・・・辞めていいですか? もう面倒見切れません」
「言いたい気持ちはわかるが、まだ、幸い決まっちゃいない」
「で、とりあえず、特区ですか? 武蔵山市? まあ、あそこの市長なら手を上げそうですね。で、私たちは、何を? 」
「モニター期間中、監視だ」
「・・・悠長ですね。誰が考えたって、これ、奴らの工作ですよね」
「まだ、そうとは決まっていない。逆に奴ら自身も困ってたからな」
「そうですね。得意の顔認証システムが使えないんですから。どこのどいつです? これを進めているバカは? 」
「こいつだな」
そう言って課長が、顔写真のついた調査報告書を出した。
加藤の身辺調査書で、マスクを付けていない素顔の写真だ。
「総務省から内閣官房に出向してきた男だ。こいつ官邸で旗振っている」
「総務省、ですか? 財務省でもなくて」
「珍しいっちゃ、珍しいよな。こんな奴の言う事を官邸が聞くなんて」
「で、あっちとの関係は? 」
「うちでも相当洗ってみたが何も出なかった。優秀と言えば優秀らしいが、官邸まで出張って仕事をするような男には見えないのだがな」
「家族は? 」
「これもこれと言って無いな。独身で婚姻歴なし。地方から東大に行ってキャリアっていう普通のコースで、女性関係も目立ってないし、交友関係も、資産についても特に怪しいところはない。住居も長年官舎住い」
「面白くもなんともない普通の官僚ですね」
「とにかく、こいつ中心で進められてるのは間違いない。背景を探れ。どうやら官邸は、本心じゃ採用したくないようだ。どこからの意向かは知らんがな」
「意向とかより、まずこんなの進めちゃダメでしょ。・・・わかりました。要は潰せるネタを作れってことですね。無ければ無理やりでも作って、どいつか引っ張って来ます? 」
「それはうちの仕事じゃない。あっちの国の連中が絡んでいれば別だがな」
山本たち外事二課のチームは、モニター都市となってからずっと、武蔵山市と総務省、特に加藤の動きを監視したが、特に怪しい動きは見られなかったが、モニター市となった武蔵山市民は日に日にこの制度に対する賛成者が激増し明らかに世論誘導がなされていると思えるほどだったが、いかなる方法をもって誘導しているのか皆目わからなかった。
その最中で、たまたまデモ会場で若葉と出会った。
山本から見て、若葉たちクルーは少し変わって見えた。
制度に対して反対的立場を見せているなら、あの主催者と集まっている一団のような勢力に入っている。ところが、それには加わっていないし、第一、こういう政治団体の活動には、組織的に目を光らせていたので、ある程度、マスコミ、メディアの人間も把握している。マスクのせいでそれも大分とやりづらくなったが、彼女らは、そのリストには入っていなかった。
(外注? 最近、報道すら下請けに回すんだ。オワコンね)
そう思いつつ、いわゆるそっち系に影響されていないのは都合がいい。
すると、なんと向こうから寄って来た。
会話の内容で、なんとなく使えそうな気がして来た。
というのも、若葉の声に訊き馴染みがあった。
(この声、もしかして)
顔を見れば一発だが、マスク越しで声もクリアではないから確証はないが、
(やはりそうじゃない? わかばちゃんねるのわかばちゃんじゃないの?)
なんと、ここに若葉の動画配信時代の数少ないチャンネル登録者がいた。
しかも、この山本、当時大分ドハマりしていたようで、旧ツイッターなどSNSでも若葉をフォローしていた。
(こんなところで、わかばちゃんに会えるなんて・・・)
実は山本は素っ気なく平静を保ってるように見せて、実は内心かなり舞い上がっていた。
食い気味に名刺を渡したが、仕事と言うより個人的都合で渡したのかもしれない。
いや、そもそも山本は若葉の持つ能力についても本物だと信じている。でなければ、運営に速攻BANされるほどのヤバい動画が取れるはずがない。若葉の配信動画をそれこそ穴が開く程見まくっていた山本からすれば、信じる以外にない程だ。
だからこそ、この案件には、もしかしたら彼女の協力が必要と感じたのかもしれない。嘘か誠かさておいて、FBIでも心霊捜査官などがあるそうではないか。秘匿性の高い我ら公安部にとっては、もしかしたら必要なスキルと言えるかもしれない。
能力については、そこらの胡散臭い霊媒師より遥に保証できる。
ここでお近づきになれたのも、きっと何かの運命に違いない。
組織の為にも、この案件の為にも、これは重要なことなんだ。
(ああ~っ! 生わかばちゃんっ、可愛かったぁ~っ )
その日一日、余韻に浸り過ぎて、その後の仕事の事はあまり覚えていなかった。
その余韻に浸っている中、異変が徐々に起こっていた。
世情に逆らうように不織布マスクを使っていた課員の連中が、コロナに感染したと言って一週間ほど休んで、復帰したら「不織布では感染対策としては不完全」とか「逆に目立つ」と言う理由で全面マスクに変え始めた。理由としては納得できたが、気が付くと、不織布マスクを頑固に続けるのも山本一人になっていた。
さらに、課長から正式に武蔵山市のモニター都市の監視から撤退する旨の通達が下された。
理由としては、管轄外、つまり某国の関連性は皆無と判断されたからだ。
これも別に、理由としては尤もだったから普通なら従っていただろう。しかし、山本にしてみれば、何か気持ちが悪いのだ。
この閉鎖性の高い組織だからこそ、正直、このコロナ規制の中においても、部内でまともにマスクすらしていなかったのだが、今となっては皆全面マスクを付けて一切外さない。そりゃ、部内で休職者が大量に出れば、そうならざる得ないだろうが、その中で、自分だけが罹っていないのも不自然だ。ワクチンもしてるが、それは自分だけに限った話じゃない。
一番、気持ち悪いのは、全員が他人に感じるところだ。声は多少こもっているものの自分の知っている同僚の声である事は間違いないし、話内容についても特に違和感は覚えない。
それでも、何かそんな気がするのだ。
(疲れているのか? )
と思っていたが、ハードな仕事も度々こなして来たが、現状で疲れが出るほど仕事をしている実感が無い。
(おかしい・・・何かとんでもないことが起こっている気がする)
もはや勘としか言いようが無いが、山本はこの違和感の出所がどうしてもペルソナプロジェクトからと思えてならなかった。
撤退を言い渡されたが、個人的に動こうと思っていたが、それすら読まれたか、課長に呼び出された。
個室に呼ばれると、まるで取り調べのように詰められた。
「俺は撤退と言っただろ。なぜ、まだ調べている? 」
「・・・おかしいと思いませんか? この段階で撤退なんて、何か隠したいことがあるとしか思えないです。それとも、天下の公安が、まさか上からの圧力に屈したりして無いですよね? 」
「うちはあくまで東アジア各国の間諜機関への監視とテロへの警戒が主だ。奴らがこれに関与していない以上、我々の仕事ではない」
「それはわかりますが、じゃ、うち以外どこがこれを追ってるんです? これまで競合していた機関は確認してませんよ」
「・・・管轄外のことだ。君が指摘することじゃない」
「なるほど・・・」
そう言うと山本は、マスクを取った。
「おいっ! こらっ! マスクを取るなっ」
課長が慌てだす。
「あ、すみません。どうにも顔が蒸れちゃって、痒くなっちゃうんですよ。そういえば、よくそんなのずっとしてられますよね。吉田君なんか不織布でも蒸れて仕方ないってボヤいてたのにね。ここじゃ、私しかいないですから、課長も遠慮なく取ったらどうですか」
「いやっ・・・、私はいいっ! とにかく、感染するから早く君もマスクを戻せっ! 」
「あれから5年ですよ。流行りたての頃じゃないんだから、そんなリアクションは逆に不自然でしかないですよ。なんでしたら、中国語で言いましょうか? 」
「なっ? 何を言ってるっ? 」
山本は徐に立つと、いきなり課長のマスクを掴みにかかった。
「やめろっ! おいっ! 入って来いっ! 山本を取り押さえろっ! 」
そう課長が叫ぶと、課員が一斉に入って来て、山本を抑え込んだ。
「落ち着けっ! 山本っ! じっとして・・・」
そう言うと、課長が両の掌を広げて、山本の顔を押さえようと手を伸ばして来た。
(ヤバいっ! )
直感でそう感じた。触れられると二度と戻って来れない気がした。
まだ自由だった足で思いっきり、課長の股間を蹴り上げた。
本来なら悶絶して床を転げまわる程のクリーンヒットのはずだったが、課長は全く効いていない。それどころか、蹴り上げたときの、あの独特の感触が無かった。
こんな時代だ。人の生きざまは様々だ。
それについてどうこう言うつもりは山本だってない。
しかし、無いなら無いにしても、それはそれなりの感触という物はあるはずだが、それすら無かったように感じたのだ。
いや、今そんなことを言ってる場合ではなかった。
もはや、課長の手はそこまで迫っている。
山本は、逆に抑え込んでいる同僚の手を引き込んで、手首を極めて回したが、本来投げ飛ばせるはずが、手首が明後日の方向に曲がっても力緩まることが無い。
「何これっ? 気持ち悪っ! 」
余りのことに今度は力任せに投げ飛ばしたら、面白いように同僚は飛び、課長にぶつかって両方とも部屋の端まで吹っ飛んだ。
「かっるっ?! 」
この調子で、群がる同僚たちを力任せに全員投げ飛ばし、最後の一人は首をホールドして、マスクをはぎ取った。
口はあるが鼻が無い。眼も片目だけ、ちょっとつぶら過ぎるものがちょこっとあるだけ、およそ人間の顏とは思えない素顔だった。
当然、同僚の顏とは全く違う。
はがされた同僚は、もがき苦しみすぐに動きを止めた。
「山本ぉーっ! 」
驚きに声も出なかったが、相手は、容赦なく襲ってくる。
しかし、これでもう理解した。力は人並だが、いかんせん、体重が異常に軽い。並みの女性ならこれでも数的には不利かもしれない
が、彼女はこの部署で体術において男でも勝てない程の腕前である。
相手にならなかった。
次々に、マスクをはぎ取り、全員を制圧した。
「な・・・っ・・・、なんじゃぁっ、こりゃーっ! 」
うっかり絶叫してしまったが、騒ぎを聞きつけて庁内の人間が一斉に駆けつけて来る。
が、ここにある光景があまりにも尋常ではない。
この庁内にどれだけこのようなバケモノが紛れ込んでいるか分からない。これまでの対応から考えてみても、上層部にまで相当数食い込んでいるに違いない。
ここはここに留まっても、危ない。
この状況を見れば、まだ大丈夫な連中が動いてくれるだろう。
山本は、剥ぎ取ったマスクを取れるだけ取って、一目散に走り出した。
捕まえようとする同僚たちを次々に振り切って、警視庁の庁舎から脱した。
山本が脱走した後、部屋に駆け込んだ警官たちはその異常な光景に絶句していた。
「一体・・・、何が・・・、何だ? こいつら? 」
山本も、一体何が起こっているのか、分からない。しかし、これは全く予想もつかない状況になっているのは間違いない。
今わかっていることは、人ではない者が警察に多く紛れ込んでいることだ。おそらく、この分では警察だけじゃない。国の機関においても同じように紛れ込んでいるだろう。
(ヤバいヤバいヤバいヤバいっ! )
当てもなくとにかく山本は走った。
マスクもせずに素顔で走る山本は、とにかく目立つ、道行く人々も皆、山本の方に顔を向けていた。
これが当の山本からすれば、さらに恐怖だったろう。もう全員があのバケモノにしか見えないのだ。
そこに山本のスマホが鳴った。
取る気にもなれない、が一応表示を見ると、見覚えのない番号からだった。
(追っ手? )
とも思ったが、直感的に「出ろ」と言っている気がした。
立ち止まり、周囲を警戒しつつ息を整えて、電話に出た。
「もしもし・・・」
「あ・・・、すみません。山本さんですか? 」
その声は、まさしく若葉だった。
第六章 侵略者
テレビでは夕方のニュースが流れた。
マスクを付けたアナウンサーが読み上げる。
「それでは夕方のニュースです。はじめに、ペルソナプロジェクトに伴う武蔵山市での試験運用についての中間発表を受け、国会においても激しい議論が続いておりますが、政府でも本日の緊急閣僚会議におきまして、本格的な導入に向け前向きに進めるとのことで一致したとの発表がありました」
松木の事務所では、松木と柴田が、プロデューサーの遺体?と荷物を運んで置いたりしながら、テレビ画面を見ていた。
そこに、多田と若葉も入って来た。
当然ながら全員マスクは外してる。
テレビのニュースは次の話題に移る。
「続いて、これに関係するかわかりませんが、本日、武蔵山市武蔵山ニ丁目、JR武蔵山駅近くの路地で男女あわせて3人の遺体が通行人からの通報で発見されました。遺体には特に目立った外傷はなく、警察が現在、詳しい死因を調べるとともに事件事故両面で捜査しているとの事です」
「あ~あ、こっちの苦労が台無しだよ。伊藤ちゃん、3人もなんて大暴れだね」
柴田が呆れがちに言いながらも、自分のスペースで何か作業をしながら言った。
「あたしがそんなことするはずないじゃないの。タダに決まってるでしょ」
「オオタだよっ! ・・・だって、いきなり襲い掛かって来るんだもん。びっくりしちゃって」
「あんたがいきなりバケモンかって話しかけるからでしょっ! 」
「ごめんなさい。疑惑に対してどストレートに聞く癖がついちゃってんのよ。レポーターの悲しい性よねぇ」
「不倫ネタ扱ってる芸能レポーターじゃねえんだよ」
松木が、テレビを切って、プロデューサーの遺体?を調べている。
「しかし、よく奴らの弱点が分かったもんだな? 」
「当り前じゃない。私をなめてもらっちゃ困るわよ」
「言いがかりみたいに責められたことで向こうがキレて、化粧臭いババアが無駄なことすんなっ! って言われて、キィ~ってなってマスク剝いだら、運よく相手が死んだってだけですけどね」
「・・・そうとも言う」
「あとは、あの人が・・・」
トイレの水を流す音がして、やはり素顔の山本が出て来た。
あの電話の後、山本と若葉たちは武蔵山市で合流したのだろう。
それ以降は一緒に行動し、この事務所で松木達とも合流した。
「山本です。連絡するの遅過ぎよ。ネタ掴んだら連絡してって言ったじゃない」
もっと早く連絡してくれれば、あんな怖い思いをせずに済んでたかもしれない。
「信じてもらえるなんて思ってないですもん。こんな話」
それもそうだ。普通に聞いてたら、当然信じてもいなかっただろう。
「ま、確かに。で、どう? なんか反応ないの? 〝元〟プロデューサーさん? 」
「あれから、ピクリとも。どっからどう見てもただのマスクだ。生きてる様には見えねえな」
「あらそう・・・」
「しかし、公安が動いてたとはね。にしちゃ、結構やりたい放題やられちゃってるんじゃないの? おたくら、仕事してたの? 」
「それ言われると返す言葉がないけど、でも、誰もこんなこと想像つかないじゃない。おかしいのは何となくわかってたから、当初は某国スパイによるサイレントインベージョンの可能性として、そっち側をマークしてたのよ。でも、すっかり当てが外れて、結果、後手に回っちゃってね」
「なるほど。遺体の顔とか異常に体が軽い事とか特徴はいくらでもあんのに、あんたの大立ち回りの件も警察が発表しないとこ見ると、報道規制をかけてるのか、それとも・・・」
「いずれにしても警察内部、特に上層部にも入り込んでるのは間違いないみたいね」
「あの、ちょっといいすか? 」
ずっと何やら作業していた柴田が声を掛けた。
「なに? 」
「やつらの狙いを整理したんですけど、結論からすると、体が欲しいんじゃないすか? 」
「からだ? ・・・肉体ってことか? 」
「どういう構造で動いてるかわかんないすけど、あんなに軽いってことは、中身があんま入ってないってことでしょ。動く筋肉と骨格とマスクからの指令で動く神経だけで」
「内臓がほぼ無いってことか・・・。だから、マスクが無いと死んじまうのか」
松木の言うことに山本がすかさず訂正を入れる。
「正確には機能が停止するってことか」
「ある程度、技術的にはかなり高度で進んだものなんですけど、なんか中途半端っつうか、どれも完成しきってないというか。いい加減なんすよね、どれも」
「人に似せたロボット、いやアンドロイド、でもないな。肉人形は作れても、顔が作れなかったってことか」
「人の顔って、千差万別でしょ。さらに表情もあるから複雑すぎるんでしょ。大量に作るには不向きなんすよ」
「だから、マスクってことか・・・。ああ、わかった。なんで、マスクとスマホを一体化させようとしてんのか、それだけ目的がわかんなかったけど。そういうことかっ」
山本は、納得できた。
ただ、松木、山本、柴田の三人だけで話が進み過ぎて、若葉と多田は置いてけぼりになっている。
「何よ? 自分だけ納得しないでよ。さっきから頭いいもん同士で話進めて、全然付いて行けないのよ。ねえ、若葉ちゃん? 」
「一緒にすんな、タダ」
「オオタだよっ! 」
山本は大方分かったみたいで、柴田に言った。
「柴田くんだっけ。マスクはスマホと一体型のはずだから、パソコンに繋いで、チャットでもSNSでも何でもいいからこいつのアカにアクセスして」
「え? あ、はい」
柴田は、よく分からないものの言われた通りにする。
「繋いだら、何でもいいから質問して、そうね、お前は誰だ、とか」
柴田がその通り打ち込むと、するとすぐに(ピコン)という通知音と共に返信されて来た。
「返事来たっ! 」
早いレスポンスに若葉も驚いた。
相手の返事が、パソコンのモニターに表示されている。
『よくわかったな』
「こっちの話はマスク通じて聞こえてたみたいね。会話できるんでしょ。話したらどう? 」
すると、すぐにまた(ピコン)と鳴って、表示される。
『お前らが我々の存在を知ったところで、もはや手遅れだ。この国はすでに我々が貰ったも同然だ』
「あ、んじゃ、ちょっと待って」
柴田が、設定を変えると、
「お前らが我々の存在を知ったところで、もはや手遅れだ。この国はすでに我々が貰ったも同然だ」
と音声が出た。
「しゃべったっ! 」
多田が驚いたが、
「声は合成アプリで作られたもんっすよ」
と柴田が説明した。確かにかなり機械的な声だ。
「つまり、あんたたちは実体を持たないデータ上の生命体ってことね」
「その通りだ。肉体から離れてもう二万年以上が経つ」
「二万年以上っ? 」
柴田の声も裏返ってしまった。
もうここまで来ると、出せる答えは一つしかない。それを松木はゆっくりと息を吞んで尋ねた。
「まさかとは思うが、お前ら宇宙人か? 」
「その表現は好まないが、そうだ。宇宙移民、正確には避難民と言った方が正しい」
「避難民? 」
「我々の住んでいた星は、文明の発達により荒廃し、さらに星の寿命で消滅するのがわかり、我々は宇宙船に乗り星を捨てた。定住するに適した星などそう簡単にあるはずもなく、あてもなく宇宙をさまようこととなった。当然、天文学的距離と時間を耐えきる肉体などあるはずもない。我々は、自我と共に個人の記憶、人格、全てをデータ化し、記録保存した」
松木が急に目の色変えて、乗り出して来た。
「この星にはいつから来た? 」
「一万年ほど前と記憶している。この星は、非常に定住に適していた。我々は、なんとか数体、仮の体を作り人間に接触を図ったが、未だ進化の過程であった彼らには我々を元の体に戻すのは無理だった。これを可能にするために、できる限り与え進化を促し文明を発達させた」
「もしかして、それはシュメール人か?おまえら「アヌンナキ」と呼ばれてた?そうだろ? 」
いよいよ松木が興奮を隠しきれなくなってきた。
「出たぁ~「ムー」大好き、都市伝説オタクが喜んでるよ」
柴田がツッコんだが、松木には聞こえていない。
「そうだ。しかし、彼らとて我々の文明技術に到底及ばない。我々はあきらめ、人間の文明の発展に陰ながら協力しつつ長きに渡って、ただひたすら待つしかなかった」
「その間、宇宙船含めてあんたたちはどこにいたの? 」
話が反れて行きそうなので山本が有益な情報を聞き出そうとした。
「地球上の至る所に潜んだ。巨大な母船に至っては隠しようもないので、月の裏側にいた」
「月の裏で発見されたかぐや姫。ああ、こりゃたまらん。興奮が止まらん。じゃ、本題に入ろう」
「本題って? 」
どうせ、自分たちの知りたい情報の事ではないのは分かっている。
「アメリカ、1947年、ロズウェルのUFO墜落事件、あれもお前らか? 」
「そうだ」
「いやっほーっ! すげぇーっ! すっっげぇぇーっ! 世紀の大スクープ来たぁっ」
「うるさい。何? こいつ? 」
松木のはしゃぎっぷりにかなりうざくなってきたのだろう。山本もイラついて来た。
「ほっといてあげてください」
「長い間メンテナンスもできなかった機体は老朽化が激しく、もうこの頃になるとマシントラブルが続出していた。ただ、この事故が幸いし、我々は世界で一番の国家との交渉が可能となった。技術提供を条件に必要な資材とメンテを行う場所を提供してもらえた」
「エリア51っ! うっひょーっ! 」
「そして、我々の協力のもとにアメリカが軍事用に開発したシステムによって、我々の活動領域は飛躍的に拡大することができた」
柴田が口ずさんだ。
「インターネットか・・・」
「そうだ。これにより、我々は船を使わずに世界中、どこへでも行けるようになり、あらゆる情報にアクセス可能になった。そうなることで、我々が望む文明への歩みは猛スピードで加速していくことになる」
松木の口を塞いで、山本が問いかける。
「そして時は今ってことか。・・・え? じゃ待って。この侵略計画にもしかして、アメリカが一枚嚙んでるってこと? 」
「いや。近年、彼らは我々を警戒し、密かに排除することを企んでいるふしがあった。それをいち早く察知した我々は、別の協力者たちを頼った」
山本は、すぐに察しがついた。
「あっ・・・もういいや、わかったから。それ以上はいい、言わないで」
「それにしても、なんで日本なのよ? 」
一向に進まないので、若葉が核心を突く質問をした。
「我々の計画に極めて都合が良かった。国民性、民度、条件がびっくりするほど合っていた。それだけだ」
「でしょうね」
これ以上に無い返答に、全員が納得した。
「なんとなくわかったけど、インターネットでどこへでも行けるならそっちの方が便利じゃないの。なんでわざわざ体を欲しがるのよ」
多田もたまにはいい質問をした。
が、答えてもらう前に若葉が答えてしまった。
「それは、わかりますよ。あなたたち、データ上の生命体? そういう表現してるけど、言い方替えたら幽霊みたいなものでしょ」
若葉のフィールドに持ち込もうとしたのかわからないが、これにはあっさりと、
「我々を、あんな微弱電磁波の集合体と一緒にしないでもらいたい」
ときっぱり否定された。ただ、幽霊の存在を科学的に理解しているような言い方だったから、それだけでも若葉は満足してしまった。
「使う体が無かったら、文明や科学技術を進歩させようもない。あんたらの技術が中途半端なのはそのせいか」
柴田が言った。
これに対して、その声は、少し間を置いた。
「お前たちもいずれ我々の境地に到達するであろう。便利さを求めた最も究極の合理的帰結として、人は肉体を失うことになる。そして失った時、その代償の大きさに初めて気づくのだ」
「ま、先輩の意見は肝に銘じとくわ。ただし、あんたらの願望の為に結局私たちも同じ道に歩ませてるんだから、偉そうに言われても困るんだけど」
山本は冷静に返した。
「ていうか、体欲しいなら、そのまま人間乗っ取っちゃったらいいんじゃないの。映画とかでもあんじゃん。ああ、あとコピー人間とか、知らんけど」
多田がどうでもいいことだが割と気になることをいきなりツッコんで来た。
「現実はSFのようなご都合主義にはならない。生物には脳と言う極めて複雑な機関があり、完全に掌握するなど不可能だ。この脳を中心に各機関が動く以上、他人の体を乗っ取ることは不可能だ。まして、コピー人間など作っても脳はその人間のコピーであって我々ではないから、同じ理屈だ。さらにもう一つの問題がある。元居た星とは環境が全く違う為、ここで肉体を戻しても3日とて持たない」
「え? なんで? 」
多田が言うと、山本が代わりに答えた。
「微生物やウイルスの存在ね」
「その通りだ。これに耐えうるにはこの星の環境に適した体がいる」
つまり、この星で生まれながらも脳に一切情報の無い肉体でないと入れないと言うわけだが、当然、そんな便利な物は作れない。
「ジレンマだね。乗っ取れないけど体は必要」
柴田も理屈が分かって同情するような事を言った。
「グレイは? おまえらの作った仮の体は使えねえのか? 」
松木は常にその方向からの問いかけに徹している。
「あんなのが町中うろうろしてみろ、おかしいだろ。だいたいあれも活動持続時間はせいぜい3日程度だ」
「あ、それもそうか。いや三日しか動けないんだ。へ~」
「今回の計画で体だけならなんとか量産できた。おおまかに男と女、サイズもおおむね大・中・小、太い・普通・細い、で分類して、81のバリエーションで対応はできた」
「意外と体は言い訳きくもんね、痩せたとか太ったとか、伸びたとか縮んだとか」
そう多田が納得するも、若葉がすかさずツッコんだ。
「縮んだはないでしょ」
「ただ、顔だけはそうはいかん。こればかりはごまかしが効かない上に、二つと同じものがない」
顔だけは体と違って、誤魔化しが効かない上に似せることはできても完全に再現はできない。その上、同じ顔というのは厳密には存在しない。
「そこでマスクというわけか・・・。大方わかったわ。ありがとう。最後にもう一ついい? ・・・入れ替えられた人たちは今どこにいるの? 」
山本が尋ねたが、それを聞いて、全員が驚いた。
「え? いるのか? 」
松木が訊いたが、正直、取って代わられた人間は当然生きていないものだと思っていた。若葉が、霊視した佐藤に取り巻いていた霊たちがいると聞かされていたからだろう。
「知ってたとして、言うと思うか? 」
声は冷静に返して来た。
「数人くらいは残念だけど死んでいても大半はまだ生きてるでしょう。しかも健康状態を保つためにも、相当良い待遇で監禁してるはず」
その山本の答えに対して、声は、
「なぜ、そう思う? 」
と聞き返して来た。
「なぜって、普通に生活できる肉体を手に入れるまで、研究や実験したくたって碌にできないでしょ。それに、環境に適合しないって知ったのもつい最近になってからわかったことでしょ? ムーみたいな都市伝説が本当なら、キャトルミュートレーションとか言う牛の尻くりぬいたり、血を抜いたり、人をさらって何か変なの埋め込んだりしてたのもあんたらよね? 」
意外と山本も詳しかった。松木もすかさずそれに同調した。
「おー、そうだそうだ」
「山本さん、もしかして隠れムーおたく? 」
若葉が山本の意外な側面を見てしまったように言ったが、よく考えてみれば、若葉の動画配信のフォロワーってことは、やはりあっち系が好きに決まっている。別に意外でも何でもないのだ。
「体のないあんたらが医療技術を研究するには限界があるってこと、人型の肉人形だって量産化まで相当時間かけたに違いない。適合させる移植手術が成功するまでも相当時間が必要よ。実験に使われて命を奪われた人たちもいるにしても数万人は一気に無理でしょ」
「そうか、私が見たのは、その被害者の方だったんだ」
「何も言わねえとこ見ると、図星ってことか。しかし、奴らの目的と何者かわかって、ほとんどの人たちが無事ってわかっただけでもよしとしなきゃな。で、どうするよ? 」
声は一向にそれ以降言葉を発しなくなった。
「とりあえず、聞かれちゃまずいわね」
山本はマスクの接続を外し、キレイに畳んで銀色のポシェットのようなものをポケットから出して、そこにマスクを突っ込んだ。
「なんだ? そりゃ? 」
「電波を遮断すんのよ。発信機とかをこいつに放り込むと役に立たなくなんの」
「へ~」
松木は感心してるが、柴田は呆れ気味に、
「こんなの百円ショップでも売ってますよ」
と言ったから、松木は驚いた。
「よし、今後の為に買いだめしておこう」
「いや、なんなら、でかいもんをポチッときますよ」
柴田が言うと、
「辞めといた方がいいわよ。ネット使うと逆にバレバレだから、こいつら相手にするなら、何事もアナログに徹した方がいいわ」
と言って、松木の肩をポンと叩いた。
「まずは、今そこにある危機をなんとかしないとね」
ただ、柴田はため息をつき。
「止めようにも、この事実を知ってるのがこのメンツだけじゃあね。メディアも押さえられ、警察も押さえられ、官庁や政府も深く入り込まれてるんじゃ、もうお手上げっすよ」
「ネットは? SNSとか、このご時世、やっぱり頼るべきはそっちじゃない。バンバン上げちゃって、拡散してさ」
多田がそう言うと、若葉がまたすかさずツッコんだ。
「話聞いてたぁ? タダちゃんよぉっ」
「オオタだよって、何? なんか言ってた? 」
「ネットの世界なんて、それこそ奴らの庭、いや庭どころか家ね。こいつらネットの中で生きてんのよ」
「ああ、そうだった? 」
「ちくしょう・・・。弱点わかってるし、大量にいたところで対処方法はものすごく簡単なのに、その方法を取れるところまでが遠い」
松木がそう言うと、多田が意外そうに言った。
「え、簡単なの? 」
「むっちゃ」
柴田もどうやら分かっていた。
「ええ。一言で済むくらい簡単」
山本も当然、わかっていた。
「え? 一言ってそんな、こんな事態よ? 」
「そう、放っといたらこれも一言で日本が滅ぶわね」
「どっちも一言ってことですか? 」
多田も若葉もまだ、その一言の意味が分からなかった。
「そ。要するに、その一言を言う人間が重要ってわけ」
「誰よ? それ? 」
多田の質問に対して、山本、松木、柴田が声をそろえて答えた。
「総理大臣」
「そっ・・・総理大臣って? あの・・・」
若葉もあまり口にすることも無い役職名なので、一瞬誰の事か分からなくなってしまった。
「ダメじゃん。むっちゃ遠いじゃん。無理ゲーよ」
多田は早くも諦めモードになった。
「さすがに、そこへ直接は無理なんじゃないですか? 」
多田のリアクションに影響されるまでも無く、若葉も松木含めこのメンツでそんなところに届く伝手が全くないことくらいはわかる。
「だよねぇ。俺もそう思う」
柴田も同調した。
「物事を悲観的に考えるのは日本人の悪い癖よ。最悪な状況だからこそ、打ち勝つ術は見つかるものよ」
そう言って山本はスマホ出して、ポチポチやりだす。
「誰に連絡取ってるんですか? 」
若葉が尋ねた。それもそうだろう、さっきあれだけアナログが良いだの言ってたのに、舌の根も乾かぬうちからSNS使ってポチポチやり出すのだから。
「自衛隊にいる筋肉バカ」
ポチポチしながら山本は答えた。
「自衛隊って大丈夫か? 多分そっちも食いこまれてるんじゃないか? しかも総理に当たりつけられる程なら、かなり上だろ? 」
「大丈夫。自信もって言える。たぶん、マスクすらしてないと思う」
そう言って打ち終えて送信すると、すぐさま山本のスマホが鳴った。
「ほら、来たぁ。・・・はい、山本です。ご無沙汰してますっ! 」
首相官邸では首相以下数人の内閣官房室の官僚と共に、官房長官や総務大臣など関係各省庁の大臣と事務次官がそろっている。
その中に加藤とニセ佐藤以下プロジェクト室の官僚たちもいた。
「総理、何をお悩みですか? 成果は十分に出ているのです。東京都の大池知事は早々に導入の意志を明らかにされてますよ」
「彼女は、ほら勝ち馬に乗りたいだけだから」
「紛れもない勝ち馬ですよ。また、あの女性においしい所持ってかれてしまいますよ」
「総理は、野党の反対を懸念されておられる」
詰め寄る加藤に、官房長官が水を差した。
「野党? 意味もなく訳も分かってもない連中が犬がワンワンと言うように反対と吠えてるだけです。耳を貸すだけでも時間の無駄ですよ」
「う~ん」
と首相はずっと唸るだけで、何も言わない。
「あの、やっぱり米国から何か? 」
官房長官が、総理のはっきりしない態度を見て尋ねた。
「うん。大統領からホットラインでね。やや、脅されてね」
案の定と言うべきか、やはり何か言って来たようだ。
加藤たちは、米国が首相に何を言って来たのか、もしや、自分たちの正体を明かすようなことは言っていないだろう。国内にも機密にしてきた関係をわざわざ漏らすことは無い。さらに関連性すら米国はまだ気づいてもいないと踏んでいるのだろうか。
加藤はさらに押し込もうとする。
「総理、これは、国の今後に関わる重大な話なのです。この機を逃せば、これほどまでに上がった機運を逃してしまいます。ぜひ、ご決断を」
隣にいた財務大臣が総理に耳打ちして来た。
「総理、財務省としても、すでに新たなマスク税の導入を検討しております。今更、後には引けません」
その言葉を聞いて、首相もほとほと困った顔をして、
「う~ん、そう? 」
となんかやや折れて来たようなあやふやな返事をし出した。
そこへ、ノックをしつつ防衛大臣が入って来る。
「お話し中失礼します。よろしいですか、総理」
そう言って、ずいずいと部屋の奥、首相のすぐ横にまで来ると、首相に何やら耳打ちをし出した。
「閣下、今は最重要案件について総理へのレクの最中です。重要な要件でなければ、ご遠慮願いたいのですが」
大事な所で中断されてしまい佐藤が防衛大臣に向かって言うと、大臣が、
「国家の安全保障に関する極めて重大な要件だ。・・・総理」
「うん、わかった。入ってもらって」
「よしっ、入って下さい」
防衛大事がそう言うと、防衛省の制服組が統合幕僚長以下ぞろぞろと入って来た。
「え? 総理? 」
財務大臣たち閣僚含め、部屋の中にいる官僚たちも一様に動揺し始めた。
「なんですかっ? これは? 一体何事ですか? 私たちも聞いてませんよ。おいっ、官房長官っ、君は知っているのか? 」
財務大臣以下閣僚たちが慌てだす。聞かれた官房長官は、確かに落ち着いていた。
事務次官など官僚たちは、
「総理、我々は一旦外した方がいいですよね? 」
と結構怯えながら言って来たが、
「いえ。君たちもここにいてもらう。逆にこれより許可なく退室を禁じます」
防衛大臣が強めに言ったもんだから、
「何ぃっ! それは俺もかっ? 安岡っ! こりゃどういうつもりだっ! 偉そうにっ! 」
財務大臣が、勢いよく防衛大臣にキレだすと、それに続けとばかり、閣僚たちがごねだした。どうやら、防衛大臣を務める安岡氏は、まだ若い、と言っても50歳は過ぎているのだが、ここにいるお歴々
からすれば当選回数も浅いヒヨッコなのだろう。
いよいよ、カオスとなりつつあるので、首相がらしからぬ一喝をした。
「静まれっ! 事情は説明するっ! とにかく、全員落ち着いて席に付けっ! 」
首相の一喝でようやく空気が変わった。皆、仕方なく席につき出したが、財務大臣は渋い顔で、席に付くが、隣の総理に、
「あんた、いつから俺にそんな態度に出れるようになったんだ? こいつは話し次第じゃ、後に大きく響くことになるぞ」
と小声ながらも低い声で言った。それを聞いた首相の顏は未だ引き締まったままだが、汗が一筋流れていた。
「・・・で、説明してもらおうか。こりゃ一体、どういうことかね? 安村防衛大臣、納得のいく説明をしてもらおうか? 」
財務大臣は、低い声で唸る様に言った。場の空気は、凍り付いている。
安村防衛大臣は立ったまま、
「わかりました。では、これより説明します。陸自幕僚長」
指名を受け、陸自の幕僚長が一歩前に出た。
「はっ、では。小野田一尉っ! 入り給えっ! 」
と幕僚長が声を掛けると、
「失礼いたしますっ! 」
と小野田が入って来て敬礼をする。
「陸上自衛隊東部方面隊習志野駐屯地、特殊作戦群第2本部付小野田一隆一等陸尉であります! テロ対策特別措置法に基づいて緊急事態につき報告があります! 」
首相が起立し、ちょっとピシっとして、
「よろしい。聞こう話したまえ」
と小野田に返すと、
「ありがとうございます。その前に、今回の事態の説明に必要な証人を部屋の前に控えさせてます。この場に呼んでよろしいですか?」
「いいよ」
「ありがとうございます。よし、入れ」
そう言って、小野田に促され、松木、柴田、山本が入って来る。
山本は入って来ると、すぐに前に出てピシッと敬礼すると、
「総理、入室許可を頂き、ありがとうございます。自分は警視庁公安部公安2課所属山本由香警部補であります」
すると、閣僚のメンツの内、何名かだけが妙に色めき立った。
「んん~、あれ? 小野田君と山本君って例の・・・? 」
首相も何となくわかったような雰囲気で、
「覚えておいでですか、総理。光栄であります」
どうやら、山本と小野田の二人は過去にも何かの事件で首相含め幾人かの閣僚と接触があったようだ。しかも、そういうことならそこそこ国家機密と言える大事件であったのだろう。
「なるほど、君ら二人と言うことは、確かにこりゃただ事ではないのは何となくわかるよ」
首相もそう言ったってことは、やはりそうなのだろう。
お付きの首相秘書官は、山本を見て何となく怪訝そうに、
「ところで、君、今どき、不織布マスクって・・・」
と一人頑固に不織布マスク姿の山本にツッコんだ。
「お気に召さないようでしたら、外しますよ」
と、山本は何の躊躇も無くマスクを外した。
「ちょっとっ! あなたねっ、総理の前よっ! 」
さすがに今まで大人しく黙っていた佐藤が、山本に向かって注意したが、すぐさま小野田がこれを制した。
「いえ、大丈夫です。総理、これからお話しする緊急事態につき、極めて重要な確認をする為、今からこの部屋の人間全員、マスクを外して戴きたい」
「構わんよ。全然」
そう首相は即答すると、まず初めにマスクを外した。
松木、柴田も外す。
「総理が外してるんです。我々も外しましょう」
そう言って、防衛大臣がこれに続き、官房長官もあっさり従った。
「じゃ、私も」
数人の閣僚、官僚たちもマスクを取ったが、まだ大多数の人間がマスクを取らない。
「財前さん・・・」
小野田は財務大臣の方を見た。
マスクを外すことなくずっと黙っていた財前財務大臣が、
「小野田」と声を掛けた。
「はい」と小野田が答えると、
「こいつは、マジなんだな? 」
と聞いた。
「ええ。ガチです」
「・・・そうか、この分じゃ前の時とは比べ物にならねえぐらいの事か? 」
「はい、もはや内々で済まされない程の国家存亡の危機と心得て下さい」
「・・・わかった。遊んでる場合じゃねえってことだな」
そう言って、財務大臣はマスクを取った。
すると、財務省の事務次官もこれに倣ってマスクを取った。
この様子に室内の中から、「チッ、違うのかよ」という声が小さく漏れた。さらに小声で、
「なんなら財務省の連中、全員ふん縛っても良かったのに」
という声まで漏れた。
やはり、大臣がと言うより、財務省が各省庁から嫌われていたようだ。
そんなことはさておいて、これ以上、マスクを外す人間はいない。
「こんなにか? 」
首相がやや驚きつつ呟いたが、小野田はこの呟きをかき消すように大声で再度促した。
「どうされました? ここは密室です。外していいんですよ? 話が前に進みません。早くお外しください」
一同、躊躇しつつも外さない。
「加藤官房特別補佐官。早く外して下さい」
「・・・・」
名指しで言われても、加藤は微動だにせず立ったままだった。
いや、加藤だけでなく佐藤もマスクを付けた全員がそうだった。
「もう一度、言います。マスクを直ちにお外し下さい」
誰も外さない。
「そうですか。わかりました。・・・忠告しましたよ」
小野田、いきなり銃を抜いて、至近距離にいたマスクを付けた総務大臣に向けて数発撃ちこんだ。
いきなりの発砲にその場の全員が驚いた、いや、驚いたと言うより、一瞬、何が起こったのかわからず、思考停止に陥ったと言ってもいい。
「あ、撃った。・・・撃ちましたね、小野田さん」
その中で、全く平静を保っていたのは山本だけだ。
「おお、そうだろ。撃ったよ。撃てるようになったんだよ。俺だけの特権で」
「すごいですね。警察と併せても、威嚇もなしで丸腰の相手に撃てるなんて、すごい特権じゃないですか? やりますね、小野田さん」
「いやあ、あん時のおかげだな」
と、そんな二人の呑気な会話の中で、室内は改めて事態を理解したのかパニックになった。
マスクを付けた首相秘書官は腰を抜かし、マスクを外さない閣僚、官僚たちは慌てふためくようになって、ドアに押しかけたが必死に開けようとしても鍵が外からかけられて開かない。
官房長官もかなりパニックになってる。
防衛大臣は落ち着いていて、首相も驚いてはいるものの比較的落ち着いていた。
「ひいやあああっ! 」
悲鳴と怒号が室内に響き渡るが、ドアが開く様子はない。
「お・・小野田君っ! こりゃ一体、どういうっ? 」
さすがに官房長官も小野田が「確認」もせぬまま撃つとは思ってなかったようで、かなり動揺していた。ただ、首相と防衛大臣が落ち着いているのに気づいて。
「安村くん、君、何か知ってるんだろ? こりゃ、何事だ? 」
「さて、じゃ、私も」
山本も銃を抜いて、
「もう一度言います。マスクを外して下さい。外さない場合、容赦なく撃ちます。3、2、いち」
山本が今度は秘書官に向けて発砲した。
しかし、今度は打たれた秘書官も倒れない。
「あら、やっぱりね。・・・総務大臣閣下? 狸寝入りしても無駄ですよ」
撃たれて倒れていた総務大臣がすっくり立ちあがった。
「ありゃ? 死んでない? おい、山本? どういうことだ? 」
小野田が、わざとらしく山本に振った。
「あれ? 言ってませんでした? あいつら内臓ないんです。中身は空っぽだから、当然撃っても死にません」
「ええーっ? そうなの? ・・・あ、わかった。じゃ、これなら死ぬだろ」
小野田は、首相付きのSPのマスク目掛け撃った。ちょうど所持していた拳銃を抜きかけていた所だった。
「小野田さん、ナイス。結構うまいんですね」
「当り前だ。俺は〝S〟だぞ。鍛え方が違う」
しかし、頭をのけぞらせて、しばらく動かなかっただけで、また動き出した。
「えーっ! おい、マスクが本体じゃないのか? なんでまだ、動くんだよ」
「内蔵されてるスマホの心臓部を破壊しないとダメですよ。ま、そんなことしなくても、柴田君」
「待ってましたぁ! 」
再び、銃を構えだすSPに柴田が後ろ回し蹴りで銃を弾き飛ばし、マスクを奪おうとするが抵抗するSP。見た目の年齢に似合わず結構俊敏に柴田と相対するが、マスクを掴んで、SPを蹴り飛ばすと、
思いの外、その立派なガタイの割に軽々と壁にまで吹っ飛んで行く。
「本当、かっるっ! 」
柴田も改めてその軽さに驚いたが、一番驚きなのが、映像と音響おたくだと思っていた柴田が意外と強い事だった。
「おおっやるなっ! 若いのっ! 山本っ! こっちもだ」
マスクの連中が一斉に襲い掛かるが、小野田と山本が対応し、その全員のマスクをはぎ取る。
するとSP含めマスクをはぎ取られた全員が直後苦しみだし、最終的には倒れて動きを止めた。
その剥ぎ取られたマスクの下の顏、いや、顔と言えるものでもない素顔に、その場にいた人間たちは一様に戦慄した。
「か・・・顔が・・・っ? ・・・なんだ? これは? 」
官房長官は、何が起こっていて、敵が何なのかわからない。分からないが故に恐怖しかない。
しかし、この正体不明の敵でも対処法はわかった。
要するに首相周辺の敵を一斉排除するついでに、回りくどい説明をせずとも理解できるように、あえてこの方法を取ったのだろう。
事態は急を要する以上、決断するのにいちいち長い時間かけて会議する日本独特のお家芸などやっている暇はない。一手でも二手でも先に進めつつ事態を収めなければならない。
「・・・死んだのか? 」
首相が恐る恐る訊いた。
「死んだというか活動停止したというのが正解ですね」
松木が答えた。
「さてと・・・、加藤さん。できれば、貴方の口から総理に直接話して欲しいけど」
残っているのは、加藤と佐藤以下若干名だけだ。
「必要ない。私を捕まえたところで何も変わることはない。計画が少し変更になるだけだ」
安村防衛大臣の携帯が鳴る。
「安村だ。・・・そうか、わかった。ご苦労だった」
防衛大臣は、電話を切ると、首相に耳打ちした。
「総理、自衛隊内の侵略者は全員拘束できたと報告が今ありました」
「そうか・・・。警察は? 」
聞いていた山本がすかさず言った。
「警視総監と警察庁長官が幸い無事でしたので、今総出で拘束中です。じき完了すると思います」
「聞いてたより深刻だったようだ。まさか、ここにまで食い込んでたとは・・・。で、どれくらいまだいるのかね? 君の同胞は? 」
首相は、加藤に直接尋ねたが、
「言えませんね」
そう言って、加藤は自らマスクを外した。体は苦しんで、すぐ動かなくなった。加藤に続けて、佐藤はじめその場にいたマスクの者たち全員も同じくマスクを自ら外してその場に倒れて行った。
すると、この部屋にいた者たちのマスクを回収していた柴田が指で「シーッ」というジェスチャーをして、加藤のマスクを取ると、銀色の金属製の箱の中にしまった。
「どう思う? 」
松木が山本に尋ねた。
「抵抗しなさすぎよ。多分、スペアがあると思う。それかダミーか? 」
「聞き出す方法もないし、ネットに逃げられたら追いようもない」
首相も粗方、彼らの正体は説明を受けたが、肉体を持たない高度な知識と科学力を有し、ネットを通じ存在する敵というのは、厄介極まりない。
ネットがここまで人間世界の全てに浸透してきている現代において、一番怖い攻撃方法と言われているのが、「サイバー攻撃」と言われている。この攻撃範囲はかなり広い。全てにおいて情報操作や攪乱が主になるが、ネットに繋がっている各システムすべてに影響を及ぼす。株式や為替の操作・攪乱により経済・金融システムを狂わされたり、送金システムでやられても大打撃となる。他にも道路・鉄道・航空機などの交通インフラ、気象や災害においては、偽情報による混乱もある。ニセ情報と言えば、情報を扱うメディアへの攻撃によって機能マヒを起こすことも可能だ。
いずれにしても、経済的損害だけでなく、医療システムの崩壊に繋がったり、社会的な混乱によるパニックとなれば、大量の人的被害を引き起こす可能性もある。
敵は、今の所、自分たちの得意分野ではなく、不利となる物理的な所を補うべく「なりすまし作戦」でもって侵略して来ている。
奴らの目的が、本当に肉体の獲得であるなら、その目的を阻止するのは比較的容易だ。だが、容易であるが故に、ここに至れば、目的達成は不可能と判断して撤退するものと期待できよう。
しかし、加藤の残した言葉は、それを示唆するものでなく、計画の一部変更を余儀なくされただけと思える。
真の目的が分からない以上、如何なる攻撃が次に来るかは予測しようも無い。あらゆる可能性について対処する必要がある。
だが、ここに来て「なりすまし」によって失った人員が如何程なのかが大きく係わって来る。特に、重要な指揮系統に影響するポストに奴らが「なりすまし」されると、かなり痛手になる。
「省庁、警察、自衛隊、NHK以下主要メディアには相当数は入っているものかと思われます。そちらは早急に対処します」
報告を受けつつ、首相はぼやくように言った。
「議員や大臣は全く無事っていうのが皮肉だね。この国の本質を見透かされてる気がして、腹立たしいし、情けない」
と泣き言を言っても始まらない。
「総理、では」
小野田が首相に決断を促した。
「わかった。すぐに発表しよう」
首相は、顔を引き締めて即答した。
「発表次第、習志野より特戦郡第4中隊を動員します。あと警視庁にも協力を仰ぎ、SATにも出動してもらい二面でもって武蔵山市を中心に掃討作戦を決行します。発表後には各地でパニックが予想されますから治安維持の為、警察庁、警視庁に消防庁にも応援要請して事態に当たります」
「頼む」
「我々は別動隊として、拉致被害者救出作戦を実施します」
小野田、山本、松木以下クルーたちは、その別動隊として行動することになった。
「よろしく頼む。くれぐれも救出者全員の安全を最優先に」
「了解しましたっ! 」
「では、首相」
官房長官が首相を引率し閣僚たちと部屋を出て行った。
遺体?も片づけられて行く。
「さて、あっちの対応は国のお偉いさんに任せて、最後の問題は被害者の監禁場所か? 」
山本が肝心の点を挙げた。
元よりこのメンバー内でも幾度も話されて来たが、一番怪しいのはやはり武蔵山市役所という結論までは出ていた。
しかし、それでも疑問点は解決できていない。松木は、
「本当に武蔵山市役所なのか? 人口から見ても最低見積もっても数万人単位だぞ。そんな数の人間を押し込めるところなんてどこにある? 」
と言ったのを受けて、柴田も、
「武蔵山市に1万人以上収容出来る施設なんかないっすよ」
と市役所説にはどちらかというと懐疑的だ。
「大丈夫よ。ねぇ、聞いてたでしょ? 大江君」
山本が、特殊な端末を取り出すと、そこから声が聞こえて来た。
「本当だよ。佐藤さん? 彼女のスマホを追跡したら、市役所から全く動いてないね。最低でも1週間以上」
一同は、その端末から聞こえている声の主を、既に山本から紹介されているようだ。
その大江という男の言うことに、松木は、
「1週間以上も? 市役所に缶詰って事か・・・。あれ? なんだそりゃ? さっきまでここにいただろ? ニセ佐藤」
「本物の佐藤さんは未だに市役所の中か、それとも、彼女のスマホだけが市役所にあるのか・・・」
「いや、それならどう考えても後者っしょ」
「ああ・・・ちょっと待った。そりゃ違うよ」
端末から大江が説を否定した。
彼の言う事だと、もう一つの説があるらしい。
「何? 何が違うの? 」
「被害者たちの居場所でヒットした所がもう一つある。・・・だけど、これ冗談だよね」
大江のもったいぶった言い方に、せっかちな小野田が、
「だから、どこだ? 」
と答えを急かした。
「北緯37度14分、西経115度48分30秒」
緯度で言われても、ピンと来ないが、そこはさすが自衛隊の特殊作戦群〝S〟の隊員である。小野田だけはそれで場所がわかったようで、異常に驚いていた。
「はぁ? ・・・お前、それ」
「え、どこっ? 」
その他の全員は、小野田のリアクションの意味が分からない。




