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「まさかキャラハンで会うなんて、思いもしませんでした」

 呆然と立ち尽くすルシールに、エルは穏やかにほほ笑みかけた。神秘的な紫色の瞳が夕日を受けて赤味を増す。

 そして、おもむろにルシールの手を取って引く。

「ちょっと今、取り込み中でね」

 まったくそんなことを感じさせない泰然とした様子で、エルはルシールの手を引いて歩き出す。ルシールは自然と足を動かすことになる。体勢を崩さない絶妙な力具合で手を引かれる。

「ルシールはこの後、予定は?」

「夕食を摂って宿へ戻ろうと思っていました」

「良かったら、僕といっしょにどう? せっかくこうして会えたんだし」

 つい先ほど、アイリーンを食事に誘えば良かったと思ったルシールは思わず頷いていた。

 エルはふわりとほどけるようにほほ笑んだ。目が細められ、紫色が凝縮される。もっと凝れば宝石になりそうだ。


 キャラハンの大通りは広々として開放的だが、そこから離れるにつれ、街路は複雑に折れ曲がり、袋小路も多くなっていく。

「そろそろ良いかな」

 どういう意味だと思ってエルの顔を見上げれば、すぐ傍の看板を指し示す。

「ここはどう?」

 大通りから少し離れているせいか、観光客の姿はほとんどなく、静かなたたずまいのレストランだ。

「はい」


 案内されたのは奥まった席で衝立がさり気なく配され、人の目を気にしないで済む場所だった。

「ルシールはキャラハンは初めて? じゃあ、この料理は食べたことはないんじゃないかな」

 島外からやって来たエルの方がよほど詳しく、メニューのいくつかを指示した。

 ふたりが頼んだ料理はゲミスタとメカジキのキャラハン風である。


 ゲミスタはトマトやピーマン、パプリカといった野菜にひき肉や米、みじん切りしたタマネギを詰めて焼いた料理だ。細く切った焼きジャガイモが添えてある。

 そして、メカジキのキャラハン風はメカジキをトマトやハーブとともに焼いたものだ。


「メカジキは脂がのっているから、塩コショウだけでも十分に美味しいんだ」

 そう言って、エルはオーダー時にオリーブオイルは少なめにしてほしいと頼んでいた。

 そのほか、サラダやパン、デザートを注文した。

「なにか飲む?」

「水を」

 エルも酒を頼まなかった。気を遣わせたかと思ったが、気を揉む間もなく、料理がやってくる。


「米が野菜の甘味を吸って美味しい」

「メカジキの脂はトマトの酸味と合う」

 ルシールは試験が終わった安心感からたくさん食べた。味わいながら、これはどんな風に作るのか、作ったらリオンにも食べてみてほしいと考えていた。


「そう、今日が免許取得試験だったんだ。お疲れさま」

 食事をしながら問われるままにエルにあれこれ話していると、そう労われた。

「緊張しました」

「大丈夫だよ。だって、君は僕にあんなに素晴らしい魔道具をつくってくれたんだから」

 目を細めると、【ランプ】の明かりの下、神秘的な瞳の紫色が濃くなったように感じられる。

 見ていると精神が吸い込まれそうになり、ルシールは慌てて視線を皿に落とす。


 デザートのタルムーズは卵と牛乳で作ったカスタードクリームを用いた小さなタルトだ。

「エルはキャラハンへはなにかの用事で?」

「うん。キャラハンの素材工房は七つ島でも有名だからね」

 頷きながら、ルシールもまた、魔道具師を目指すのなら、一度は訪れた方が良いかもしれないと考えた。


「この群島諸国は温暖で食料がふんだんにあるだけでなく、一般家庭への魔道具の浸透率も高いね」

「北の大陸に比べて、ですか?」

「うん。北の大陸では魔道具はまだまだ贅沢品だよ」

 魔道具を所有する者は集中して複数持ち、ひとつも持たない者も多くいるのだという。

「だから、北の大陸でも魔道具はたくさんあるけれど、普及率は低いんだ」

 そして、それは南の大陸でも似たり寄ったりだという。


 そう言うエルこそ、歌を奏でる無銘の魔道具を持っていたにもかかわらず、シンシアの魔道具工房で【コケコッコの時計】を買い、ルシールに【ピーチュルルの録音機】の作成依頼をした。どれも生活に必要だとされている主要四種の魔道具ではない。


「グランディディエリ群島諸国の豊かさが分かろうものだな。この豊かさは各島を統括する総督の手腕によるものが大きいんだろうね」

「そうですね。どの島でも総督は尊敬されています」


 総督は国王のようなものだ。七つ島は各総督のものであり、島で得られるものもまた、総督のものである。島民は間借り人であり、小作人でもある。

 ルシールは最近、そんな雲の上の存在である総督と知り合う機会があった。しかもふたりもだ。

 ふたりともずば抜けた容姿と素晴らしい知性、威風堂々とした振る舞いをする。それでいて、なぜかルシールに好意的に接する。戸惑うばかりだ。


 レアンドリィ総督ヒューバートはどこまで本気なのか、ルシールの手を取って「お父さまと呼んでほしいな」などと言う。穏やかな物腰だが、決して軽んじることを許さない侵しがたい雰囲気の持ち主だから、笑顔を返すので精いっぱいだった。


 レプトカルパ総督クリフォードは泰然と足を組んで座り、傲然と顎を上げて「姉上」と呼ぶ。そんな態度がまた怜悧な容貌に似合うのだが、ルシールは初めに猫に例えたせいで、毛並みの良い猫がふんぞり返っているようにも思えてしまう。総督に対してそんな風に考えるのは不遜であるのだが、うっかり餌付け、もとい食事を提供してしまった。どれほどにも美味なものを食べることができるのだから、口に合ったとは思えないのだが、皿の上のものを綺麗に平らげていた。


 クリフォードは最初、「僕」と言っていた。二度目に会ったときは一人称は「わたし」に代わっていた。もしかすると、一応、身分を隠そうとしたのかもしれない。あんなにうつくしい容姿をさらしているのだから、隠すもなにもないが。


「やはり、為政者が敬われるのは、その国民の暮らしが保証されているからというのは大きいだろうね」

 エルはすい、と視線を別のところへやる。どこかまったく違うものを思い出しているかのようだった。


 ルシールに目線を戻してほほ笑んだ。

「以前、白い砂漠のことを話してくれただろう?」

「はい」


 デレクから教わった事柄をエルに語ったことがある。エルは知っていて、それが川から運ばれてきた石英が砕けて作った砂丘だと逆に説明してくれた。

 その砂漠には魚やカエルが住む。乾季を、砂に潜って夏眠することでやり過ごす。


「白い砂丘と同じような砂漠があるんだそうだよ」

 海に近いその砂漠に雨が降らないのは、寒流が原因だ。だが、海水温が高くなった際、風が上昇気流を生み、砂漠に雨を降らせる。

「ごく稀に雨が降ることがある。その砂漠の花も、ふだんは咲かずに種子で休眠しているんだけれど、降雨のときいっせいに開花するんだ。砂漠が花畑に一変する。それは素晴らしい光景だよ」

「奇跡のようですね」

 ルシールは砂漠が花畑に変わるなどということを想像しようとしてうまくいかず、ため息交じりにそう答えた。


「うん。でも、白い砂漠にしろ、この世界には奇跡が起き得るんだ」

 だから、「その時」を待つ。


「実はね、最近、ちょっと疲れていたんだ。必ず見つけると思っても、「もしかしたら」という考えが生まれる」

 振り払っても振り払っても湧いて出る。でも、途方もない話だというのに協力してくれる者たちに、気弱な姿を見せるわけにはいかなかった。エルだけは、確固たる態度で臨まなければならない。それが国外で長く活動を強いることへのせめてもの責任というものだろう。


「そんなときに、君と出会ったんだ」

 エルのうつくしい紫色の瞳が真っすぐにルシールを射抜く。


「そして、僕は奇跡を見た」

 探している魔道具師が作った魔道具を、魔力を用いることなく動かしてみせた。

「そんな君が「その時」が来ると言ってくれた」

 それがどれほど嬉しいことだったか。どれほどの力をくれたことか。


「わ、わたしは、なにも。そんなすごいことを考えながら言ったのではないんです」

「うん、そうだね。君はただ、僕のことを思って知っていることを話してくれただけだ。そして、励まそうとした」

 なんにでもタイミングがある。エルは膝をつくことができない状況でなお、(くずお)れそうになったとき、ルシールが引き上げてくれた。それも一度だけではない。


「妹が好きだと言った花を彫ってくれた」

 家族の声を残す魔道具にだ。それはなにかの象徴のようにも思えた。

「妹の声を残すことはできなくても、彼女が好きな花がいっしょにあるんだ」

 家族の声を聞きながら、妹を偲ぶことができる。なんて素晴らしい魔道具だろう。見習いの時分に作ったというのに、予想を遥かに超える出来栄えだ。


「余計なことをしたのでなければ、良かったです」

「余計なことなんて。君はずいぶん遠慮がちなんだね」

 エルはもどかしかった。どうして伝わらないのだろうか。こんなに感謝しているのに。こんなに惹かれているのに。


 エルは自国でも外見を好まれることが多い。なのに、目の前の年下の女性は歯牙にもかけない。よほど美形に囲まれていて慣れているのか。そう言えば、ルシールの恋人は見目良かった。だが、エルは決して彼に劣っているというのではない。


 出会ったのが遅かったなど、浮気の常套句ではないか。エルの立場上、命じずともイルがルシールのことを調べていた。ルシールは決して浮気をしないだろう。

 ならば、正攻法で心変わりさせるほかない。幸い、この温暖な島では自由恋愛は盛んだ。恋人が変わるなど茶飯事だ。


 どこか品がありしっかりしているから、エルの家族も彼女を歓迎するだろう。

 そんな風に考えて一足飛びになっていることに内心苦笑する。

 食事を終えて、せっかく出会ったのだから夜の散歩をしようとルシールを誘う。

「試験は終わったんでしょう?」

 少し羽目を外しても良いのではないかとエルは誘った。


 ルシールは戸惑った。

 いつもと違う場所、見知らぬ人ばかりの中で見つけた知り合い。

【ランプ】の明かりが白壁や石畳を煌々と照らし、街の佇まいは昼間とは様変わりしている。

 不思議な心地がする。

 路地を抜けると人通りが増えてきた。大都市だから、日が落ちてもあちこちに街灯が灯されているからか、人の姿がちらほらある。聞こえて来る言語も様々だ。


 と、エルの大きな手がルシールの肩に触れたかと思うとやんわりと引き寄せられた。すぐ傍を人が通って行く。気を抜きすぎていたと、反省するルシールに、エルが顔を傾け近づけてくる。

 キスの予感に、慌てて腕の中から抜け出る。

「逃げられてしまった。手ごわいな」

「わたしには恋人がいるので」

 なんとかそう言ったものの、それは恋人がいなければキスしていたというのも同然ではないか。

「いつかきっとしてみたいな」

 エルはそんな風に言ってルシールを赤面させるのだった。




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