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キャラハンへ向かう日、ルシールは港で待つように言われたが、家の前まで馬車が迎えに来た。
いつもの御者が荷物を運び入れるのを手伝ってくれる。
「雪が降らなくてよかったですね」
「本当に。今日もお世話になります」
馬車はエイベル橋を渡り、コールドウェルの波止場に向かう。
朝もやの中から倉庫群が姿を現す。軒を連ねるそれらは三角に波打っているかのようだ。オレンジや黄色、ピンク色に塗られたカラフルなファザードは靄をまとって眠たげだ。きっと昼日中の陽光の中ではまぶしい活気を見せるのだろう。
ここでヒューバートは密輸を阻止し、港で働く者たちといっしょに酒を酌み交わしたのだろうか。
ルシールが馬車を降りると、総督家の執事が迎えてくれた。
「エリーズさまやご子息さま方がお見送りしたいとのことでしたが、」
「そんなことをしていただくわけにはいきません」
ルシールはただ魔道具師免許試験を受けに行くだけで、船に乗せてもらう身だ。
「夫人もいらっしゃりたいとおっしゃるものですから、御一同は遠慮されました」
エスメラルダは決してこんな吹きさらしの場所に来ることを許可されないだろう。そして、彼女が来たくても来ることができないのだから、エリーズたちも来ないことになったのだと聞いて、ルシールは安堵した。
「お気持ちはとても嬉しいとお伝えしていただけますか?」
「承りました」
執事がやって来たことすらも異例のことである。朝早くから、館の仕事もあるだろうにとルシールが言うと、「わたくしはルシールさまのご様子をご報告するように申しつかっておりますゆえ」と答える。
メルヴィルたちが「どうだった?」「緊張していた?」「ご飯はちゃんと食べていた?」「顔色は悪くなかった?」と口々に執事に質問する姿を想像して、ルシールは心が温かくなる。
「しっかりやってきます」
「そのようにお伝えしておきます」
ルシールの言葉に執事は口元を緩ませた。
さて、執事が荷物を船まで運び入れてくれ、出航まで見送ってくれた。その際、キャラハンで宿を取っているのでそこへ泊まるように言われる。
「そこまでしていただくわけには」
困惑するルシールに執事は静かに返す。
「しかし、キャラハンは初めて赴く土地でございましょう。それに、免許取得受験者がペルタータ島各地から多数集まって来るのでしたら、宿を取るのも大変です」
確かにその通りで、ルシールはヒューバートたちの厚意に甘えることにした。
船はルシールの予想を遥かにに越えて大きく、速かった。
船長が副操縦士に運転を任せ、じきじきに船内を案内してくれる。
「お嬢さまは魔道具師見習いだとか。総督より船内の魔道具をお見せし、ご説明するように承っております」
「よろしくお願いします!」
ルシールは鞄から【ンメェェのノート】と緑の石がついたペンを取り出す。
客室よりも設備に興味を示して質問を繰り返し、ルシールはすっかり船員たちと打ち解けた。昼食もせっかくなのでキッチンを使わせてもらう。
「いやあ、総督よりも先にお嬢さまの手料理をいただくなんて」
「メルヴィルさまたちに自慢しなくては」
「みなさまはメルヴィルたちとも仲が良いんですね」
「そりゃあ、総督家の男子であれば船に興味を持たれるものですよ」
「お嬢さまは魔道具に興味がおありとかで、総督よりじきじきにすべてお見せしろとのことでしたからね」
そんな風にしてルシールはほとんど客室にいることなく、それでいてあっという間にキャラハンに到着した。
「帰りもお送りするように申しつかっています。停泊許可は得ていますので、ごゆっくり。せっかくですから、キャラハンの街をあちこち見て回るように総督もおっしゃっていました」
言いながら、船長は停泊手続きをする自分の代わりにと副操縦士を荷物持ちにつけるという。
ここでもまた固辞するも、「でも、宿までの道順が分からないでしょう? 荷物を抱えて冬のこんな寒い日にさ迷ったら、明日の試験に響きますよ」と納得させられてしまった。
エリーズが言ったことを思い出す。ヒューバートの周囲には能力が高い者が多く、弁も立つ。ルシールには断ることなどできない理由を並べられる。
七つ島は南北の大陸に挟まれた群島諸国で、様々な文化の影響を受けてきた。そのため、都市骨格や建築も多様な様式が採り入れられている。
キャラハンは歴史あるからこそ、建て増しが繰り返され、新旧の建物が入り混じっていた。さらには港町らしく他文化混淆の様相を呈している。
大通りには整然と瀟洒なファザードが並ぶが、路地の奥へ進めば徐々に入り組んでくる。
「七つ島は独立を保ちながらも大らかに他文化を取り入れて来たんです。建物からも分かりますね」
「冬でも賑やかでしょう? 温暖で穏やかな内海ならではです」
「とはいっても、主要都市だからこそなんですけれどね。もっと小さい港なら新年祭が終わったばかりのこの時期は静かなものですよ」
みんな二日酔いでね、とニシシと笑う。
気さくな副操縦士は他島のことにも詳しい。ルシールはすっかり観光気分でふんふんと聞き入った。
「さあ、ここです」
大通りから少し離れた場所で、観光客を大勢集める華やかさはないものの、気品のある老舗宿泊施設だ。
副操縦士は宿の中に入ってフロントに声をかける。
ルシールは手回り品を持ってついて歩くだけだ。
カウンターの奥の部屋から白髪の男性が出てきてフロントと交替する。
「ようこそいらっしゃいました」
「くれぐれもよろしくお願いします。ああ、荷物はわたしが部屋まで運びましょう」
副操縦士はポーターに任せることなく案内係とともにルシールの客室まで荷物を運び入れてくれた。
「帰る時にはご一報ください。フロントが船の【通信機】に連絡を取ってくれます」
「なにからなにまでありがとうございます」
「いえいえ。ああ、そうだ。せっかくだからもうちょっと街を歩きませんか?」
お疲れでしたら部屋で休まれるのもいいでしょう、と言う副操縦士に少し考えて、彼の提案に乗ることにした。
副操縦士は宿を出て、大通りを歩きながらあちこち指を指して教えてくれた。
「まず、あちらの道を真っすぐに行ったら、魔道具師協会です」
ルシールはそのときになって、明日の試験でまごつくことのないように教えてくれているのだと知る。
「それと、そちらの道の先の先の奥には行かない方が良いですね」
「はい」
歓楽街やそういった類の場所かもしれない。船長は試験が終わったらキャラハンを見て回ると良いと言ったが、そういった場所には近づかないでおこうと思う。
ルシールが即答したのに、副操縦士は満足そうにうなずく。
「お嬢さまは苦手な食べ物などはありますか?」
「酸っぱすぎるものや辛すぎるものでなければ」
「でしたら、大通りの料理店も美味しいですが、大体観光客向けです。一本入った店でキャラハンならではの美味い料理をそこそこの値段で食べることができますよ」
言って、あれこれと店名を挙げた。
「お詳しいんですね」
「キャラハンには何度も来ているんです」
もちろん、宿でも食事をすることができる。
ルシールはその日は宿に帰って食事をすることにした。そう言うと、副操縦士は明日の試験に備えて、それがいいかもしれないと答えて波止場へ戻って行った。




