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その日、ルシールは二十歳を迎えた。
少し前、料理が上手な友人ジャネットに相談した。
「パエリアをつくったとき、米の芯が残っていたの」
それでいて、水分が多くてべっとりしていたとルシールが眉尻を下げて言うと、ジャネットは頼もしく笑ってみせた。
「じゃあ、新年祭のときにわたしといっしょにパエリアをつくりましょう。それとアクアパッツァね。魚の下処理さえきちんとすれば、あとは煮込むだけよ。それに、サーモンのエスカベッシュなんてどうかしら」
「そんなにつくれるかしら」
ルシールがパエリアの作り方を教えてほしいと言うと、ジャネットは新年祭でいっしょにつくろうと提案した。それで、ルシールは朝早くからコールドウェルのジャネットの家が経営する飲食店にやって来ていた。
年越しを飲食店で賑やかに迎える客を帰した後、仮眠を取ったというジャネットは元気いっぱいの様子だ。
「第一、人に食べてもらえるようなものがつくれるかしら」
「美味しいと言われるものをつくるために頑張るのよ」
そう言ってジャネットはてきぱきと器具を用意する。
「サーモンのエスカベッシュは味をなじませるから、先につくりましょう」
ジャネットの指示でタマネギを薄切りにする。
その隣で包丁がまな板に当たる軽快な音をたてながら、ジャネットがニンジンを斜め薄切りにした後、千切りにする。ルシールがタマネギを切っているうちに、さらにジャネットはセロリも手にし、筋を取り、茎と葉に分ける。
「はい、セロリの茎を斜め薄切りにしてね」
ジャネットはセロリの葉をざくざくと切り、【冷蔵庫】からサーモンを取り出す。
ルシールが切り終えたときには、ジャネットはサーモンの水分を拭きとり切り分け、塩コショウを振って両面に薄力粉をまぶしていた。
手早い。
リオンといっしょに料理するのとはまた違う感じで、これはこれで新鮮だ。
「終わった? じゃあ、フライパンにオリーブオイルを入れて加熱してくれる?」
「分かった。フライパンはこれ?」
「うん、そう」
ジャネットはフライパンにサーモンを入れる。
「焼き色がついたら上下を返して熱が通るまで揚げ焼きにするの」
その間に、鍋にマリネ液を入れ、中熱にかけて混ぜる。
「これが煮立ったら切った野菜を入れてまた煮立せるの。あ、セロリの葉は一番最後に入れるから置いておいて」
そして、【コンロ】からおろし、サーモンと混ぜ合わせる。
「粗熱がとれたら【冷蔵庫】に入れて味をなじませるのよ」
出来上がったらセロリの葉を加えてさっと混ぜ、完成だという。
「早い。もう一品できたのね」
「まだまだ、これからよ。まずはパエリアね。はい、これに水を張って」
ボウルを渡され、言われた通りにする。
「そこにサフランを入れてしばらく漬け置くの」
その間にタマネギとニンニクをみじん切りする。ジャネットは赤パプリカを手早く切った。
ムール貝を洗って足糸を取り除く。これはアクアパッツァにも使うので多めに処理する。
「エビは頭と殻つきのままにして背ワタだけ取り除くの」
ジャネットがすればすーっと終わる作業もルシールがすると時間がかかる。そして、殻が少しばかりずれている。
「気にしないでいいわよ」
ジャネットは言いながらフライパンにオリーブオイルを入れ、ニンニクを加熱する。
「香りが立ったらタマネギを加えて、透き通るまで炒めるの」
そこに米を加える。
「しばらく炒めたらスープストックと塩を加えて平らにするのよ」
その上にムール貝とエビを並べる。
「沸騰したら蓋をして弱熱で煮るの。さあ。その間にアクアパッツァの魚の下ごしらえよ」
ウロコを包丁の背で削ぎ落し、エラを付け根から取る。
「包丁で切れ込みを入れて引っ張るの」
腹側に包丁で切れ目を入れ、内臓をすべて取り出す。
「魚の口から水を入れて残った内臓をきれいに流すの」
このとき、背骨に血が溜まっているから、指で下から上にこすって洗い流す。
「上から下にこすると指を怪我する可能性があるから注意してね」
内臓を取り除いたら、塩コショウして余分な水分を出す。
「魚はね、切り身よりも小さなものでいいから頭がついている方が骨から良い出汁が出るの」
そして、白身魚を用いるという。
「貝はムール貝やアサリね」
ジャネットの指示で鍋にオリーブオイルを入れ、ニンニクを加熱する。ジャネットが鍋にパセリやトウガラシを投入する。
「これも香りが立ったら水と同じ分量の白ワイン、それに魚とトマトを入れて煮込むの」
その間にパエリアの様子を見る。
「同時進行で手順がこんがらがらない?」
「そのうち慣れるわよ。なにもしないで待っている方が面倒になってくるの」
言いながら、パエリアのフライパンの【コンロ】を止めて赤パプリカを並べて蓋をする。
「これでしばらく蒸らすのよ。はい、次はアクアパッツァね。魚に熱が通っているかしら」
鍋の様子を見たジャネットがムール貝とアサリ、オリーブを入れる」
「これで煮込んで貝の口が開くのを待つの」
そして、オリーブオイルを回しかけ、パセリのみじん切りを散らしたら完成だ。
「パエリアもちょうど良い頃合いじゃないかしら」
蓋を開け、パセリを散らしてレモンを添える。
「早すぎて、なにがなんだか分からなかったわ」
リオンといっしょに鶏肉のトマト煮込み(カチャトーラ)とムール貝の香草パン粉焼き(グラティナータ)を作ったときはこんな風にはならなかった。ジャネットの手際の良さであれこれ指示されたことに終始したからだ。リオンとは役割分担をしたのと、煮込み料理を煮る間にもうひとつの料理にとりかかったというのも大きい。
「え、あら、そう?」
同時進行であれこれやったため、こんがらがってしまったルシールに、練習にならなかったかとジャネットは慌てた。
しかし、遅れてやって来たライラとネリーに「「美味しい!」」と言われたから、ルシールは気持ちを持ち直し、ジャネットは安堵するのだった。
「ジャネットの手際が良すぎて参考にならなかったの」
「そ、そういうときは何度か繰り返すうちにできるようになるわよ、たぶん」
「そうねえ。きっと無駄にはならないわあ」
ライラとネリーがルシールを慰める。そんな三人もジャネットも、エビの殻を外したりムール貝の殻を取り除いているため、視線は下に向かっている。
「サフランって美味しいんだけれど、口回りが黄色くなるのよね」
「米が旨みを吸っているんだけれど、唇が脂まみれになるのよね」
殻を取り除く間も、口はひっきりなしに動く。
「———リオンには出さない方が良いかしら?」
ルシールははっと顔を上げる。
「ルシール、たぶん、気にしなくて良いと思うわ」
「そうね。なんなら、リオンさんがルシールの食べる分も殻を取ってくれるんじゃないかしら」
「きっと汚れた口回りも拭いてくれるわよお」
ジャネットたちは真顔で言った。ルシールは確かにやってくれそうだと思ったものの、なんだか気恥ずかしい気になり、俯いて殻を取り除く作業を続けた。
ルシールの脳裏には<海青石>の色の瞳にやさしい光を宿して、せっせと世話してくれる光景が浮かんでいた。
友人たちが彼氏について深く理解に及んでいるというのは嬉しい反面、面はゆい。
新年祭の一年の抱負はルシールはやはり、魔道具師免許取得だ。
「今年こそ、彼氏をつくるわあ」
と宣言したのはネリーだ。
「じゃあ、ルシールの免許取得試験が終わったら、カルテットデートをしましょうよ」
ジャネットがすかさず提案する。
「ちょっと待って、それまでに作らないといけないのお?!」
「わたしだっていないわよ!」
ネリーとライラが悲鳴じみた声を上げる。
カルテットということは四人がそれぞれ相手を連れて行くということだ。
「ライラは家具工房の先輩を誘ったら?」
ふと思いついてルシールが提案する。エルに納品する【ピーチュルルの録音機】の筐体を引き取りに行った際、会ったことがある。
ライラはためらった後に言った。
「来るかしら?」
ルシールとジャネットは顔を見あわせる。なにもなければ、すぐに否定するだろう。だが、ライラはそうしなかった。
ライラと家具工房の先輩の間にはなにかしらの進展があったのかもしれない。
「来るわよ!」
ジャネットが喜々として答える。
「たぶん、なんだかんだ言って優しいから、わたしだけひとりだって言ったら来てくれると思う」
ライラは料理の皿に目線を落としながらそんな風に言う。
「いいわあ。わたし、夏までには恋人をつくる!」
ネリーは両手を握りこぶしにして、やる気を見せる。「ライラだけがひとり」という状況を作り出すためだろう。
「夏が楽しみね」
「うん。わたしも、免許取得試験、頑張るわ」
さて、ルシールは盗難品を預かってしまい、市当局に一時拘留された話をするべきかどうか悩んだ。しかし、なにができたというわけでもなく、自分が知らされなかったとなれば、気落ちするだろうと思った。
そこでかいつまんで話したところ、三人は揃ってエビチップスを摘んだまま固まった。皿に山積みされたエビチップスが一枚ころりと転がり落ちるが、拾っている場合ではない。今日のエビチップスは香辛料をふりかけてちょっぴりピリ辛である。
「どういうこと?!」
「大丈夫だったの?」
「どうやって解放されたの?」
口々に心配された。
「エリーズさんが口利きしてくださったの」
「ああ、そういえば、ジャネットとふたりでエリーズさんと総督夫人とお茶会に招待されたんですってね」
「総督夫人に代わってその役割を果たしている方よねえ」
ライラとネリーが納得する。
「買い物もごいっしょさせてもらったわ。わたしは日が合わなかったけれど、ルシールはあれからも何度も招待されているんでしょう?」
「ええ。魔道具の修理を見たいとおっしゃって」
そこで、実は、レアンドリィ夫人と親しくしていてルシール自身も母のように思えると話した。
「良かったわねえ」
「レアンドリィ夫人ってとんでもない美女なんでしょう?」
「そんな方が娘のように思うなんて、すごいわねえ」
「そうなの。本当に妖精のようなのよ」
自由でどこか浮世離れした人なのだと話すルシールの声にはいつの間にか熱が込もっており、友人たちはエピチップスをサクサク食べながらうんうんと頷くのだった。




