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アーロンの加工屋の工房に、ほかにやって来る者がいた。マーカスの工房にもやって来たことがある人の好さそうなおじさん、デレクである。
ルシールは手を繋いだマーカスが静観するのに合わせて成り行きを見守る。
アーロンに帰れと言われたジャケットを着た男性は悪態をついた。食い下がりながらも、初老でも筋骨隆々の工房主にどこか怯む様子だ。
そんな男性に、ルシールたちとは逆方向からやって来たデレクが近寄る。
「やあ、こんなところで会うなんて、奇遇ですね」
「なんだ———ひっ、デレク!」
ルシールたちとは別の方向からやって来たデレクが声を掛け、振り向いた男性は飛びあがらんばかりだ。
「怯え方が違う」
「デレクさんはなあ」
ルシールが思わずつぶやくと、マーカスは苦笑する。
「うちにも来たことがあるんだよ」
にこにこと笑いながら言うデレクに、ルシールはなにはともあれ挨拶をする。
「こんにちは、デレクさん」
言いながら、きょろきょろと見渡すと、男性があたふたと行ってしまうのが見えた。デレクは特になにもしていないし、言っていなかった。なのにデレクを見たとたん、逃げるように去って行った。
「はい、こんにちは。ルシール嬢ちゃんは行儀が良いねえ」
それなりに名が知れた素材屋であるデレクは、自分の足で素材を探しに行くことから自尊心が高じて不調法になりがちな採取屋に対して、厳しい態度を取ることもある。穏やかに笑いながら辛辣なデレクに、鼻っ柱をへし折られた者はたくさんいる。
マーカスは先ほどの男性も同じようなものなのだろうと察した。
「今日はマーカスさんといっしょにアーロンさんの工房の見学なのかい?」
「うん。マーカスさんがアーロンさんに相談があるんですって」
「そうか。じゃあ、マーカスさんが相談中はわたしといっしょに工房を見て回ろうか」
「止せ。うちの連中を怯えさせるつもりか。仕事になりゃしねえよ」
デレクの提案に待ったをかけたのはアーロンで、門のところで仁王立ちしながら手招きしている。
「勝手知ったる他人の工房です。わたしは詳しいですよ?」
「手順もな。少しでも粗を見つけられたら、ってひやひやして手許が狂っちまう」
「そんなの、見られていてもちゃんとしないと。手許が狂う方がどうかしていますよ」
アーロンの後ろで腕組みしながら先ほどの男性を一歩も敷地内に入れまいとしていた工房の職人たちは、デレクの笑顔に戦々恐々と青ざめる。アーロンの背に隠れながら、頼もしい工房主が、笑顔で毒舌を振るうデレクの提案を退けてくれることを期待していた。
「じゃあ、ルシール、わたしはアーロンさんと話して来るから、デレクさんといっしょに見回っておいで」
「うん」
場を取りなすためにそう言ったマーカスに、あちこちから落胆のため息が上がる。
ルシールはデレクと工房の職人たちを見比べ、頭を下げた。
「ルシールです。今日はよろしくお願いします」
「嬢ちゃんが噂のマーカスさんとこの?」
「新しいお弟子さん?」
職人のおじさんたちがわらわらと寄って来る。
「まだ弟子というのではないよ。ただ、ルシール嬢ちゃんのお陰でマーカスさんの工房は見違えるほど整頓されるようになった」
職人たちはみんな大柄で、デレクが笑顔でルシールに近づきすぎないように牽制する。
「そりゃあ、すごい」
「魔道具師も部品の強度や素材の本質を知る必要があるってマーカスさんが言っていたの。魔力への影響やコストのことをよく考えないといけないんですって」
「そうかあ」
「ルシール嬢ちゃんはそれを勉強しに来たんだな」
「よしきた。おじさんたちに任せておきな」
職人たちはデレクにならってルシールを嬢ちゃんと呼んだ。
今度はデレクに手を引かれながら、加工屋の門をくぐる。広い敷地内にいくつか建物がある。大きな器材もある。
「あれは溶鉱炉だよ。熱で金属を溶かすんだ」
デレクが指さしたのはレンガの塔だ。傾斜した鉄のはしごのようなものがてっぺんにかかっている。
金属は一定の加熱温度を越えたら液体になるという。そしてその温度は金属によって違うと説明した。
「大きいね」
「ここのはまだ小さい方かな。大きな工房だと広場の塔くらい大きなものを持っているよ」
「そうなんだ」
この街の広場には先日、リオンに連れて行ってもらった。広大な広場の奥に高い塔があり、それが市庁舎というものだと教えてくれた。広場にはいろんな店が並び、お腹がはちきれるくらいあれこれ食べた。ルシールがあまり食べられないのを見越して、リオンはひとつ買って、ふたりで分けた。最後のデザートはもちろん、ハチミツのお菓子だ。
「ちなみに、さっきいた人が大きな工房の人間だね」
「え?」
「アーロン工房と業務提携しようと前からうるさく言ってきているらしいんだよ。中身はほとんど技術だけ吸い上げようとする契約でね。それで、アーロンさんたちは追い返したんだ」
デレクの言葉に、職人たちがうんうん頷いている。
「あまりのんびりしていたら、アーロンさんの言う通り、仕事を中断させたままになるな。じゃあ、彼らの仕事ぶりを拝見しようか」
一番近い建物へ向かう。
素材がどんな風に使われるかによって加工の仕方が変わってくるのだとデレクは話す。
「一定規格というものさ」
道具、家具、魔道具といった様々なものによってそれらの規格は異なって来る。
「一定規格製品はいわば基礎であり、それを造れてようやくオーダーメイド品が造れるようになる」
なるほど、一足飛びになにかすごいものを作れるというものではないのだ。ルシールは大きく頷いて見せる。
「金属加工ひとつとっても、精錬、合金、鋳造、切削、成形、接合などさまざまな事柄があるんだよ」
必要器材も異なって来るので、総合的に行う加工屋はほとんどないと言って良い。となれば、複数の加工屋と取引することとなる。
「だから、腕と経営状態の良い加工屋を見つける必要があるんだ」
加工費は前払いが原則となるからだ。逆に言えば、客に出来栄えを納得させられない加工屋は継続して仕事が入ってこなくなる。
技術力のほか、合金の割合比率といった情報は加工屋にとって差別化を図るための重要な要素である。
「デレクさんは加工についても詳しいのね」
「素材屋はね、素材のことについてはもちろん、それがなんの原料となるのか、用いられる際、どんな加工が必要かを知っておく必要があるんだよ」
それによって価格をつけるのだという。
そして、採取屋は植物に詳しい者、動物に詳しい者、鉱物に詳しい者、どれか複数詳しい者、さまざまだ。植物でも樹木に詳しい者、草花に詳しい者という風に細分化されていく。網羅するには膨大すぎるからだ。
「だから、先人に敬意を払うんだよ。無数の過去の探究者たちが集めた情報を簡単に取り込み、さらに探究を進めていくんだ」
それは長い長い年月をかけた人間の取り組みだ。
「学者みたいね」
「ある意味そうだよ。学者もフィールドワークに出かけるとき、採取屋に案内を頼むしね」
学者が採取屋に教わることもあれば逆もある。双方にとって教え教わることがあるのだという。そうやって、職業の垣根を越えて連綿と知識を伝えてきた。それらが巡り巡っていろんな人間に恩恵をもたらすのだ。
魔道具はそれら魔道具師だけでなく、採取屋、素材屋、そして加工屋という者たちの手を経てようやく材料がそろう。だから、高額となる。
魔道具師はあまり採取屋とかかわりがなさそうに思えるが、特定の素材を手に入れるために依頼することはままある。素材屋を通すときもあれば採取屋と直接やりとりすることもある。そして加工屋がそれを加工する。この三者のいずれも腕がよく信頼できる者と取引することが重要である。
「リオンは良い採取屋になりそうだね」
デレクの言葉に、ルシールは嬉しくなった。
「リオンのおじいさんはね、とても素晴らしい素材屋なんだ。名の知れた人でね。いろんな採取屋だけでなく、素材屋や加工屋からも尊敬されているんだよ」
そういう人は珍しいのだという。
「どれほど素晴らしいところがあっても、誰かしらなにかしら悪く言うものだからね」
デレクや加工屋の職人たちはみな、自分たちが誇りを持っている仕事に対し、小さい女の子がきらきらした目で興味津々に見聞きする姿が心に刻みついた。