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複数の女性に囲まれているルシールを助けたオスカーは、震える姿に思わず抱き寄せた。
と、強い力でぐいと引っぱられ、オスカーはたたらを踏む。
「離れろ!」
緑がかった青色の瞳にギラギラとした強い光を宿して、オスカーの腕を掴んでいる。
「リ、リオン、」
小さい声にふっと瞳に籠った力を弱め、やさしい表情をルシールに向ける。
ようやくのお出ましか。オスカーは面白くない気持ちで口を開く。
「彼女は君のファンたちに暴言を吐かれていた」
ヒートアップし、もう少しで暴行を加えられそうになっていたのだ。遠目に見たときオスカーは肝が冷えた。運動は不得手だが、全速力で駆けた。間に合って良かった。
「君のせいじゃないのか。もっとちゃんとしろ」
リオンは返す言葉もなく、唇を噛んだ。オスカーがこんなことで嘘をつくとは思えなかった。
オスカーはルシールの胸元のブローチを見降ろす。
「これみよがしな独占欲のせいだ」
「そんな。リオンのせいじゃないです」
オスカーに言われっぱなしのリオンに代わってルシールが返す。
「俺のせいでごめん。でも、離れたくない。別れたくないんだ」
リオンはそっとルシールを引き寄せ、抱き締める。
ルシールはようやく自由に呼吸をすることができた。
「リオンのせいじゃないわ」
やわらかく抱き締める腕が震えていて、ルシールは繰り返し伝えた。
ふつうに過ごしていても、他人の思惑で害を被ることなどたくさんある。そういうものだ。でも、そういうとき、知らん顔をされるか、手を貸そうとするか、そしていっしょに戦おうとしてくれるか。人の資質、関わり方が問われる。
「では、わたしはこれで」
ため息交じりにそう聞こえて来た声に、ルシールは慌ててリオンの腕から抜け出る。リオンの面白くなさそうな顔を視界の端に映しつつ、オスカーに礼を言って深々と頭を下げる。
「いや。間に合って良かったよ」
オスカーは苦笑して、今度こそ立ち去った。
そっと振り向けば、リオンに背中を抱きかかえられるようにしてルシールは歩いていく。
オスカーはたまらない気持ちになった。
頑固な自分と弟の間がふたたびつながったのはルシールのお陰だ。事実を知ってしまえば、どうしてそこまで頑なだったのか不思議なくらいだ。でも、自分だけでは決して今の状況を迎えることはできなかっただろう。
感謝している。すごい人だと思う。成人したてなのに、もういっぱしの魔道具師と同じ仕事ぶりだ。いつの間にか大切に思ってもいる。
プライドが高いことを自覚しているオスカーは、尊敬できる人でなければ愛することができないと分かっていた。
そんなルシールがあんな目に遭った。
いっしょうけんめいなにかを守ろうとした。
そのかぼそい肩を抱きしめたかった。
なのに、元凶である恋人が後からのうのうとやってきた。そして、離れたくないと言った。
オスカーとて同じだ。でも、彼女はリオンをかばった。彼は悪くないのだと。
やりきれなかった。
それでも、思い切ることはできないのだと、オスカーは自覚せずにはいられなかった。
採取屋リオンは色男でスタイルもよく、様々な伝手を持つ腕の良い採取屋だ。だから、カーディフの若い女性たちは熱を上げてその動向に注視した。見習いのころから実績を挙げており、そのころから目をつけていた古参のファンは特に執心した。
ここ数年はどんな美女に言い寄られても靡かず、そんなところも良いと一層熱を上げた。自分こそはと躍起になった。
ところが、一年ほど北の大陸に行っていて姿を見なくなった。帰って来たかと思えば、いつの間にか恋人を作ったという。
女性たちは大いに嘆き、地団太を踏んだ。
どれほどのものかと思っていたが、さほど優れたところのない地味な子供だった。
だが、リオンは誰にも見せたことがないようなやさしい顔を向ける。ひと目で悟る。リオンの特別なのだと。
リオンにとってルシールは強くてやさしい人だ。リオンがすべてを投げ出しても助けたかった人だ。
そんなルシールに対し、大勢で暴言を吐いたと聞いたリオンは激怒した。すぐに事を起こした女性たちを特定し、彼女たちに自分やルシールに一切関わるなと言った。取り付く島もなく、彼女たちに泣きつかれた採取屋仲間も相手にしなかった。
アランもまた、仲立ちを乞われた採取屋のひとりだ。
「そうなんだよな。リオンってルシールちゃんにはなんでもしてやりたいと思うらしいんだ。ルシールちゃんがいじめられていたら、きっとどんな手を使ってでも守ろうとするだろうね」
アランは不思議だ。そんな人を大勢で悪く言って責めて、リオンに嫌われないと思わなかったのだろうか。
女性たちはひるんだ。
「卑怯よ!」
「リオンが? どうして? 大切なものを守ろうとするのが卑怯なの?」
「リオンじゃなくてその女よ! リオンに守られているだけなのね!」
興奮して説明不足になっているが、きっと、リオンという恋人がいるというのにもかかわらず、ほかの男が助けに入ったからそんな風な言い回しになったのだろう。
「だってリオン絡みでしょう? だったら、リオンはどちらを切り捨てるかな」
切り捨てる。
アランの言葉に女性たちは戦慄する。
「そんな、だって、わたしたちはリオンのことを思って」
「それで大勢でひとりを取り囲んで暴言を浴びせたの? それに身に着けているものを取り上げようとしたんだって? そんなことをされて誰が許すと思う? リオンのためを思ってなんて言葉が通用すると本当に思うの?」
アランの指摘に女性たちはとたんに勢いを失った。
「いや、わたしはやめようっていったのよ」
「わ、わたしだって、あのおじさんが言わなかったら、」
女性たちの中で内部分裂が起きた。それでなくても、リオンは彼女たちの言葉を無視するようになったのだ。声が聞こえず姿が見えないかのような徹底ぶりだった。リオンの態度に、ほかの採取屋たちも追随した。今までさんざん、若くて可愛い女の子扱いをしてきたというのに、冷淡になった。そんな者たちを長く相手にするより、ほかに乗り換えた方が良いと判断した女性たちはそれ以降集うことはなかった。
「ふうん。おじさん、ね」
アランはこれはなにかあるなと睨み、調べてみることにした。
ルシールは上品で優美、凛としている。しなやかにつよい。
リオンの恋人はやさしく華奢で毅然としている申し分がない人だ。ときおり見せる仕草に、目が離せなくなる。自分を見つけてぱっと輝かせるとびきりの笑顔に、息が止まりそうになる。
問題があるとすれば、彼女の良さは多くの者が知っているということで、翡翠の瞳はあちこちに向けられる。だからこそ、ひとつに特化しているのではなく、多方面への視点を持っている。
リオンはずっと祖父に認められたいと思っていた。
がむしゃらにやってきた。
新素材の発見をして大勢に驚かれ祝われても、心の底から喜べなかった。祖父がまだ認めていないと思っていたからだ。
ただひとり、憧れの人に認めてもらえなかった。そのことはしっかりと心に爪跡を残し、ときおりじくじくと痛んだ。
けれど、違った。
認められていた。リオンがした選択を祖父は素晴らしいものだと、なかなかできるものではないと褒めていた。
リオンが発見した新素材の扱い方こそを認めてくれた。「自分を超えた」とまで言った。あの素材屋トラヴィスが。
そのことは、祖父が亡くなってから知った。すれ違ったまま永遠に会えなくなって、きっと知らないままで終わっただろう。リオンはどんなものを採取しても、素材屋になったとしても、名声、富、地位を手に入れたとしても、気が済まなかっただろう。
それを知ることができたのは、ルシールのお陰だ。
思えば、祖父が亡くなったときも寄り添ってくれた。遺された魔道具の扱い方をいっしょに模索することで、喪失の痛みを一時忘れることができた。そして、その一時をやり過ごせば、痛みは徐々に和らいだ。
辛いときに側にいて、ずっと抱えていた心囚われていたことから解放してくれた。
リオンの特別であり、唯一だ。失えないひとだ。
今の採取屋リオンがあるのは、ルシールのお陰だ。
なのに、なんだ。出来上がった採取屋リオンの恩恵を受けようとするだけで、大いに助けてくれた恩人を傷つけようとは。
いきさつを知ったアランが、自分が言い聞かせると言った。リオンの剣幕ではなにが起きるか分からないと苦笑して乗り出した。
ルイスもまた、ほかの採取屋たちにそれとなく言い含めてくれるという。
リオンは優れた採取屋と持ち上げられても、こういうとき、上手く捌くことができないことを恥じた。
こんなことが二度と起きないようにしたい。自分が切り付けられるよりも、ルシールが傷つけられることの方がよほど怖ろしい。




