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「そろそろ、作業部屋が圧迫されてきたわね」
「貸倉庫を借りますか?」
「うーん、もう少し考えましょう」
大車輪で魔道具をつくったはいいものの、【冷蔵庫】や【洗濯機】といった大物魔道具が場所を取る。だが、【コンロ】、【掃除機】と合わせたこの四種がもっとも売れ行きが良い。特に新生活を始めるなら揃えたいものなのだ。
そして、シンシアの見立てでは貸し倉庫を借りるまでもなく売れる。
「卒業したばかりの学生には買えませんよね?」
「それがね、親御さんが買ってあげるのよ」
すごいわね、わたしたちのときなんてそこまでする親なんていなかったわよ、とシンシアが肩をすくめる。
そんなものなのかと頷きながら、時代の変遷によって魔道具の買い方も変わってくるのだなと考える。
「これだけつくったんだから、手順はばっちりでしょう。あとは手のかかる魔道具回路を用意しておいて、買い手が現れたらその後の工程に取り掛かるのでも良いかもしれないわね」
「そうですね」
そろそろ工房を閉める時間が近づいて来て掃除に取り掛かっていたとき、ドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
箒と塵取りをカウンターに立てかけて振り向いた。そこにはタルモが立っていた。
「よう、久しぶりだな」
「はい。こんばんは。今日はヘンリクさんはいっしょじゃないんですか?」
言いながら、そのヘンリクがひとりでやって来て、タルモの様子がおかしいと話していたことを思い出す。テトス山へ行く前のことだ。
そうだ。五月祭りでタルモを見かけたと伝えた。
芋づる式に記憶がよみがえって来た。だから、それを見たとき、すぐに思い出すことができた。
「これを預かっておいてくれ」
「これは?」
「必ず受け取りに来る」
ルシールに包みを押し付けると、タルモはすぐに工房を出て行った。あっという間のことで、ルシールは呆気にとられた。
それは、五月祭りでタルモが誰かから、金銭とともに受け取っていた包みのように思われた。
「ルシール、お客さんだったの?」
「あ、いえ、違うんです」
シンシアに聞かれても、ルシールもなにが起きたのか説明することができなかった。
タルモから強制的に預からされた包みはひと抱えもあるもので、油紙に包まれた長方形だ。きれいな折り目がついているから、いったん開いて包みなおしたらすぐにそれと分かりそうだ。
中身が気にならないでもないが、勝手に見るのは気が引けた。
ルシールは少し考えて、事情をシンシアに話したところ、真顔になった。
「いけないわ、ルシール。何度か工房に来たと言っても、素性を知らない相手から物品を受け取るなんて」
「申し訳ありません」
これは工房主から従業員への指導だ。ルシールは居ずまいを正して謝罪した。
「そうね。しばらくは工房の棚に置いておきましょう。【警報機】があるから、無理矢理取ろうとすることはできないわ」
そして、数日経っても引き取りに来なければ、警邏へ相談しようと言うシンシアに、ルシールは頷いた。
工房の掃除を終えたルシールは、シンシアに食事に誘われたものの、そうそう頻繁にご馳走になるのも気が引けて断った。それに、昨日の夕食の残りが【冷蔵庫】に眠っている。
工房を出て家まで向かう最中、リオンに教えてもらった早道のやや狭い路地に入ったところで呼び止められた。
「ねえ、ちょっと」
「あんたがルシールっての?」
見れば、路地を塞ぐように女性が数人横並びになっている。道行く人は邪魔だと眉をひそめるも、若い女性たちが複数集まって不穏な様子を見せることにそそくさと立ち去る。
ルシールもまた、思わず足を止めてしまったが、これはすぐに立ち去るべきだと察して踵を返そうとした。
「待ちなさいよ!」
「分かっている? あなた、リオンの足を引っ張っているのよ?」
「え?」
思わず立ち止まった。
「例えば、そうね、五月祭り。そのころは採取屋にとってはかきいれ時よ」
覚えがある。ルシールといっしょに祭りへ行った。ルシールの仕事が終わるのに合わせて来た。
リオンがしたいからそうしている。だが、リオンのファンを自認する女性たちからすれば、そうは見えなかった。そうは思いたくなかった。彼女たちはルシールの存在がリオンの仕事の邪魔となっていると信じ切っていた。
そして、ルシールもリオンの邪魔をしたくはないという点では女性たちの意見と一致していた。だから、強く出ることはできないでいた。
「リオンはね、すごい採取屋なの」
「そうよ。新素材を発見しただけじゃないわ」
訳知り顔で口々に言うも、そんなのはルシールだって知っている。十一歳のころから、見習いをしていたリオンを見ていたのだ。
「あんたみたいな地味なのと付き合える相手じゃないのよ!」
釣り合わないという思いはいつもルシールの心の根底に横たわっていた。
ルシールはいつの間にか周囲を険悪な様子の女性たちに囲まれていた。囲みを抜けようにも相手の身体で阻まれる。
なんとか突破口を開いて抜け出せないかと視線をさまよわせる。揉め事を遠巻きにする人々に助けを求めるべきか迷う。いつもは活気のある街並みがくすんで見えた。その中にきらりと黄金色を見た気がしたが、すぐに「どこ見てるのよ!」「よそ見している余裕があるのね」と自分たちの話に傾注しないことを咎められた。
「身の程を知りなさい? こんなさ、これみよがしなアクセサリーを身に着けるなんて。浅ましいにもほどがあるわ」
言って、ルシールの胸元につけたブローチに手を伸ばした。他者から見ても、それはリオンの瞳の色と酷似していると分かるのだろう。
リオンがくれた<海青石>の色のブローチを取り上げられそうになり、ルシールは我を忘れた。
持ち物は妹に散々壊されてきた。でも、これだけは。
頭がかっと熱くなり、喉になにかの塊が詰まったかのようになる。
ふだん通り筋道のある話ができない。ちゃんと振る舞うことができない。唐突にこうやって突き付けて来る。
「お姉ちゃんなんだから」「譲ってあげなさい」「がまんしなさい」
それは呪いのようにルシールを縛り付け、動けなくする。
「いやっ。やめて!」
両手でブローチを覆い、辛うじてそう声を出す。
「いやァ。やめてェ」
ひとりがわざとなよなよした言い方で復唱してみせる。ほかの女性たちがげらげらと甲高い声で笑う。
「やだぁ、可愛いこぶりっこ? 気持ち悪い」
「被害者ぶらないでよ」
「こっちが迷惑しているんだからね!」
「さっさと渡しなさいよ」
かわるがわる言い募るうちに、自分たちが煽られた。ヒートアップする。
「あんたみたいな被害者面したやつ、大嫌い!」
「悲劇のヒロインぶってリオンに取り入ったんでしょう?」
「リオンのやさしさにつけこんで! 嫌らしい人ね!」
矢継ぎ早に繰り出される暴言に、ルシールはなすすべもなかった。いつの間にか取り囲まれて逃げ場を失っていた。
心臓が耳元で早鐘のように鳴っている。
でも、あの熱量でとろけそうなほどの甘いまなざし。あれは確かに自分に向けられているものだ。
ルシールは両手に一層力を込めた。
「なにをしている!」
鋭い声が届いた。
「なによ、関係ないのは引っ込んでいて!」
すかさず言い返した女性は駆けてくる者を見てはっと息を呑んだ。
「えー、ちょっと、アクセサリーを見せてもらおうと思ってぇ」
現れた長身の見目良い男性に、先ほどまでの険のある様子はどこへやら、とたんにしなを作る。
七つ島は温暖でのどかで豊かな場所だ。解放的な雰囲気は男女の仲に積極的なものへと作用した。
「よってたかって、暴行か物盗りか?」
そう言いながら、息を弾ませたオスカーが女性たちの輪の中に割って入る。ルシールを庇うように立つ。
「そんな物騒なことじゃないですぅ」
「そうよ。ちょっと話していただけじゃない」
「一体、なんなの? いきなり来て、人を犯罪者みたいに決めつけて!」
男前の登場に目を輝かせたものの、冷然とした態度とルシールを庇う仕草に徐々に語気が荒くなる。
「わたしは市庁舎の者だ。もめ事が起きたという連絡を受けてやって来た」
公的な立場にある者だと知ったとたんに、女性たちの勢いは衰える。顔を見合わせ、誰からともなくそそくさとその場を立ち去る。
「大丈夫か?」
オスカーの静かな声に、ルシールはようやく身体の力を抜くことができた。
「あ———」
握りしめていた両手を開くと、怪我をしていた。ぎゅっと握りしめていたから、細工で傷ついたのだ。
「手当てしよう」
オスカーはそう言って逆の手をそっと手に取った。
華奢な肩が震えている。
オスカーは思わずルシールを抱きしめていた。
「怖かっただろう。でも、もう大丈夫だ」
ほっそりしていて、温かくやわらかい。そして、どこかほんのり甘い香りがした。オスカーはたまらない気持ちになる。




