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家に帰ってもなにもする気になれなくて、入浴した後、ソファに座ってぼんやりしていた。玄関のノッカーが叩かれる。
「こんな夜分にごめんね。少しだけ、出て来られる?」
リオンだった。
ひさしぶりに顔を見ることができ、ルシールは足が縫い止められたように棒立ちになった。
差し伸べられた腕に手を出せば、しっかりとつかまれる。その感触に、ああ、リオンだと思った。
出会ったころからこうやっていつも手を繋いでいた。
「疲れている?」
「ううん。どうしたの?」
「夜の散歩に誘いに来た」
夜の散歩。
なんだか、わくわくする響きに、ルシールは笑顔で頷いた。
さすがに日が落ちたら寒いので、上着を羽織るように言われ、ルシールはいったん部屋に戻った。その際、気が付いて、慌てて鏡を見て身なりを整える。化粧は落としていた。迷ったが、待たせるのも悪い気がするので、そのまま出かけることにした。
観光客が大勢やってくる七つ島の中でも大きい都市であるカーディフの街のあちこちには街灯が煌々と灯されている。いつもは賑やかな街路が今はしんと静まり返っているのが不思議に思えた。どこか別の場所に来たかのようだ。
でも、恐怖は覚えなかった。温かい手をしっかり握っているからだ。
リオンに導かれてゆっくり歩きながら、夏の魔道具大売り出しの話や【グオオの冷蔵庫】を作ったこと、パエリアを失敗してしまったことなどを話した。
「そうか。魔道具も今が売れ時なんだな」
「落ち着いたら、自分用の【グオオの冷蔵庫】を作ったら? なんの素材がいるのか分かれば採取してくるよ」
「煮込み料理は失敗しなさそうだけれど、米って案外難しいのかもな」
料理を失敗したとき、欲しかった言葉をもらって、ルシールはなんだか嬉しかった。
リオンが向かう先は徐々に街灯が少なくなってきた。ざあざあという潮騒が近づいて来る。
「寒くない?」
「うん。大丈夫」
階段を降りると、足の裏に砂を踏む感触が伝わって来た。
意識が吸い込まれそうな暗黒の中にいた。努めて息をしなければ呼吸を忘れそうになる夜だ。
見上げれば、さあ、と彼方に光の粒子が広がっていた。光は瞬き、金銀の粒がこぼれおちんばかりだ。
あまりにうつくしい光景。それは手が届かない虚空にあるからこそ、よりいっそう綺麗に思えるのかもしれない。
「綺麗ね」
「うん、本当に」
この空を、リオンといっしょに見上げうつくしいと言い合うことができるのが、とても幸福に感じた。
「これから先も、ルシールとこうやって綺麗な景色をみていきたいな」
リオンがそう言う。リオンもまた、ルシールと同じように思っているのかもしれない。それがくすぐったく感じられた。
「うん。そうしていけたらいいな」
ルシールの握る大きな手に力が籠められる。そうしていく、という意志のように感じられた。
リオンが採取して来たものや取引先からもらったものを料理することもあるが、やはり買い物に行くことが多い。
リオンは手広くやっているようで、いっしょに買い物に行った先で知り合いに声を掛けられることはままある。
「リオン、彼女の手料理を食べるの? いいなあ」
三十前後の店員が食材を必要分だけとりわけながら、うちのかみさんは料理をしないから買ってくるものか外食かだと言う。
「いいだろう? 俺もいっしょに作るんだ」
「そうなんだ? でも、それもいいなあ。ああ、じゃあ、これを持って行きな」
ほかの店では、リオンの隣に立つルシールを頭のてっぺんからつま先まで眺められた。
「ずいぶん細い子だね。リオンは稼いでいるんだから、おいしいものをいっぱい食べさせてもらいな」
「なにがお勧め?」
「これなんか、活きがいいよ!」
「じゃあ、それをもらうよ」
「どう料理するの?」
ルシールも大分慣れてきて、自分から話しかけて調理法を教えてもらう。
次にルシールがひとりで買い物に行った時、顔を覚えていて「どうだった?」と聞かれて驚いた。
「そりゃあ、あんた、あのリオンがあんな風に大事にしているんだからね」
身体をゆするようにして笑い飛ばされる。
「教えてもらった通りに作ったら美味しかったわ」
次はこんな風にしてみたらとまた教わる。
「今日はリオンは?」
「採取に出かけているの」
「そりゃあ、寂しいね。よし、おまけしてあげるよ」
リオンのおかげで市場でも良くしてもらえる。
「リオンには世話になっているから」
「リオンが大切にしているから」
リオンが築いた人脈はルシールにも恩恵をもたらす。
「へえ、魔道具師見習いなの?」
少なからず、ルシールについても興味を持たれている。
「リオンに部品の素材採取してもらったら?」
「採取して来るから家で使う魔道具を作ったらって言われたわ」
「そりゃあ、いい」
テトス山ではそうやって難事を凌いだ。
「そういえば、うちで使っている魔道具の調子が悪くて」
医者などもそうだが、専門家だと分かると、不具合がでたときに頼られがちだ。
「工房では修理も受け付けていますよ」
「まだ使えるんだけれど」
わざわざ足を運ぶのに腰が引けるのはよくあることだ。だが、魔道具の修理をするルシールは思うところがある。
「なんだか変だと思ったまま放っておくと悪くなるのは体調も魔道具もいっしょですよ」
「それもそうだ。じゃあ、今度、持って行こうかね」
魔道具は高額だ。だから、魔道具工房も気軽に行きにくいものなのだという。おっかなびっくりやって来た市場の人に丁寧に対応する。
「いやあ、行ってみて良かったよ。修理も迅速ですぐに戻って来て、格段に使いやすくなった」
その話をあちこちでするものだから、修理依頼がたくさん舞い込む。
夏の大売り出しに備えて魔道具作成するのと同時に、修理にも励んだ。
「いっそ、買い替えた方が良いかしらね」
「ここまでだと、そうした方がいいんじゃないかしら」
シンシアの言葉に商品が品薄になる前に検討するという者もいた。
ルシールの家には食器のほか、リオンの着替え、歯ブラシなどの日用品が増えた。
泊まった日の翌日、洗濯をしようかと言ったら、断られた。
「そこまで甘えるのは悪いから」
リオンはしょっちゅうお邪魔しているのだからと言って、ルシールと買い物をした際、支払いはすべて持ってくれる。来るときにはほとんどなにかしら手土産を持っている。お菓子のときもあれば、果物や食材のこともある。どれも美味しい。物珍しいものもあれば、なにげなく話題に出たものだったりする。
そして、ルシールはそれをいっしょに楽しむのが好きだ。リオンも楽しんでいる様子だ。
ちょっとした家の修繕、たとえばドアのゆるんだ蝶番や棚から飛び出た釘などの補修をしてくれる。
「アーロンさんやドムさんのようにはいかないけれどな」
リオンは片眉を跳ね上げて言うけれど、十分だ。
そんなにしてくれるのに、ルシールの労力を大いに評価してくれる。
ジャネットたちはルシールの話を聞いて感心しきりだ。
「すごいわ。うちの父なんて、家では休憩しかしないわよ」
「そこまでしてくれたら、向こうも「やってくれて当たり前」になりそうなものなのにね」
「そうそう。どれだけ尽くしてくれるかで愛情を測って来る人もいるからねえ」
友人たちが言う通りだと思う。
「俺がルシールと過ごしたくてそうしているんだから」
必要な金銭や労力を費やすのは当然のことだという。
デートのときに目に留まったもの、服や小物までプレゼントしてくれる。
固辞するも、「これを身につけた姿を「俺が見たい」んだ」と言われる。そして、「次に会うときに身に着けて」と次回の約束を取り付ける。
実際、身に着けたら、目を細めて「似合っている」「予想以上だ」「可愛い」「きれいだ」とさまざまな語彙を駆使してほめる。
彼から伝わる熱がお世辞ではないと思わせてくれる。




