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 休日はたいていどの家でも菓子を焼く。

 小麦粉、バター、卵、牛乳といったものから作られる焼き菓子(クラックラン)だ。

 その日のクラックランはフィナンシェで、ルシールも兄も妹も、みんな好きだ。美味しい焼き菓子はすべて兄と妹が食べられてしまった。兄は自分は男で一番大きいからと言い、妹はもっと食べたいと泣いた。


「オレリーはもっと食べなきゃならないから」

 母がそう言うから、ルシールは自分の分を差し出すことになり、ひと口も食べることができなかったのだ。


 残念に思うものの、どうしようもなく腹が立つなどといったことはなかった。最近はリオンとよくお菓子を食べていたからかもしれない。リオンといっしょに食べるおやつは本当に本当に美味しい。お菓子を食べながら聞く話も物珍しく、どれも楽しい。


 学校では日曜のお菓子はどんなものを食べたかということが話題に上がる。だが、不思議と、マーカスの工房で知り合った人たちはルシールに日曜の菓子はどんなものを食べたのかとは聞かなかった。聞かれたら、学校の友だちに対するのと同じく、なんといえばいいかわからなかっただろう。


 マーカスの工房にはリオンのような採取屋のほか、デレクという人の好さそうなおじさんや、アーロンという気難しそうなおじさんがやって来た。アーロンを初め見たとき、見上げすぎて、後ろに倒れそうになってリオンが笑って支えてくれた。

 リオンはいつもそんな感じだ。たとえば、扉を開けて先に通してくれる。家族にだってそんな扱いを受けたことはない。

 リオンは兄のような大人のような人だ。酔っ払いにからかわれるのをかばってくれたこともある。兄というものはそういうことができる人間ではないので、リオンはやはり兄というよりも大人に近いような気がする。


 そんなリオンが荷車に魔道具を載せてマーカスの工房へやって来た。

「【ミシン】を持ってきたんだ。ちなみに、この荷車も魔道具だ。ルシールの好きな鳴き声シリーズのやつだよ」

「これも? なんて言うの?」

「【ブヒヒンの荷車】だよ。中型の【ミシン】は重いだろうってじいさんが貸してくれたんだ」

「そりゃあ豪儀だ」

 マーカスが目を丸くする。


 鳴き声シリーズの魔道具は性能よりも別の要素を求められることが多いが、【ブヒヒンの荷車】の場合、こちらの方が一般の魔道具よりも優れている。

「【ブヒヒンの荷車】と親しくなれば自動で障害物を避けてくれたりするんだよ」

 中には操作することなく自動で動くものもあるという。


「問題は「親しくなれば」という点だな」

「どういうこと?」

「気難しいんだ」

 魔道具が気難しい。

 ルシールはぽかんとした後、なんだかくすぐったい気持ちになった。


「鳴き声シリーズの魔道具にはままあることだね」

 魔道具を扱うマーカスはそんな事柄に遭遇することがあるのだろう。

「本物の馬のように慣れたらこちらの言うことを読み取ってくれるということね?」

「そうだ」

 リオンは【ミシン】をマーカスに託して帰って行った。


 ルシールはマーカスが【ミシン】を修理するのをわくわくと眺めた。

 小型、中型【ミシン】の形は大体同じだ。四角いドーナツ。四角の枠だ。

 左の縦は途中から針が突き出ている。その傍に糸調節ダイヤルや押さえ上げレバーがある。右側上部にはずみ車があり、その下に送りダイヤルがある。下部、針を受ける付近にボビンが内蔵されている。

 歯車、天びん、プランジャー・ロッド、プーリ、大がま、そして魔力回路とその力を伝えるベルト。


「うーん、どうも手持ちの部品ではうまくいかなさそうだ」

 魔道具師も部品の強度や素材の本質を知る必要がある。魔力への影響やコストの兼ね合いがある。

「アーロンさんに相談しに行ってくるよ」

「じゃあ、わたし、店番しているね」

 魔道具は高価なものだ。だから、出かける時は必ず施錠する。マーカスもそうしようと思っていたが、そんな工房にルシールをひとり残していくのは忍びない。かといって、追い出すのはもっと可哀想である。

「いっしょに来るかい?」

「いいの?」

 ふわっと顔をほころばせるのに、自分の提案が良いもののように思われた。




 加工屋に向かう道すがら、マーカスが話す。

「高価な素材を狙う採取屋が多いから、リオンみたいにあれこれ詳しいのは珍しいよ」

 大体、採取物は固定されていく。

「特に地域によってね」

「あ、そっか。どこで採取できるか決まって来るんだね」

「そう。だから、知識が豊富で情報の早い採取屋は重宝される」


 採取物をただ売るのではなく、指定採取の声がかかるようになる。その場合、品質、納期、必要数を守らなければならない。

「最低数のほかに買い取り上限ってのがあってね。たくさん持って来ても買い取ってもらえないのさ」

「そんなにいらないってことなのね」

 頷くルシールに、マーカスは取引のある素材屋がこぼす愚痴を思い出す。値下げを欲するのはどの客もそうだが、欲しいのに値切る者もいて、あまりにひどいと買えず仕舞いになることもあるのだという。


 染料やボタンなどに用いられる木の実を拾ったり殻を剥いたりするのに子供が駆り出されることがある。子供にとってもよい小遣い稼ぎになる。

 そうやって小さいころから「採取」を覚えていく。だから、採取屋というのは身近な存在なのだ。


「殻や皮をむいたりつぶしたりという簡単な工程を手伝ったら加工屋に興味を持つんだよ」

「じゃあ、その素材が何に使われるかということに関心を持ったら素材屋?」

「そうそう」

 ルシールはやったことがないから、こうやってマーカスやリオンから聞くことで知識を補完していく。


 工房には観光客が訪れることもあり、マーカスは外国語を操って対応をすることもある。その様子を見たルシールは学校で身を入れて学ぶようになった。


「鳴き声シリーズの魔道具は魔力を通す必要がないものもあるんだよ」

「【ンメェェのノート】みたいな?」

「そう。あれなんて、特にそうだね。でも、魔道具とされているんだ。嗜好品に近いね」

 また、改良魔道具であっても新発明と見なされることが多いのだという。

「鳴き声シリーズの魔道具は、根強い愛好者が世界各国にいるんだよ」

「世界中にいるのかあ」

 きっと、ルシールと話が合うに違いない。となると、より一層学校の勉強に身を入れて、南北の大陸でよく使われる外国語を学んでおいた方が良いかもしれない。じゃないと、相手がどんな風に鳴き声シリーズの魔道具を好きか今ひとつ理解できないし、ルシールのこだわりだって伝わらない。

「わたし、頑張るね!」

 ルシールがマーカスを見上げると、にこにこと笑顔を向けてくる。


 そんな風に話していると、いつの間にか大分歩いていた。エイベル橋から離れている。

「大きな音がするし、なにより火事が怖いからね」

 だから、加工屋の工房は海沿いに建てられていることが多いという。

「加工屋はいろんなものを扱うからね。火事になったとき、ふつうに水をかけても消せないこともあるんだ」

「水で消えないの?」

「そうだよ。だから、そういったときは砂をかけたりするんだ」

 水をかければ燃えている油が周囲に飛び散り、火災が拡大する危険性がある。

「どんな物質が水が駄目で砂をかけるのかは学者が調べてくれているんだ」

 総督の方針で広く学者を集め、そういった素材の性質を研究しているのだという。七つ島は海の真ん中に孤立しているように見えて、なかなか文明度は高い。


「ああ、見えてきた。あそこだよ」

「大きいね!」

 レンガの塀の向こうにもくもくと煙を吐き出す煙突がいくつも見える。なにか金属がこすれ合うような甲高い、あるいは重い音が聞こえてくる。

 なんだろう、とどきどきしていると、門のところで騒ぎ声が聞こえてきた。


「帰れ帰れ」

「ちっ。頑固者めが。いくら腕が良いって言ってもそれじゃあやっていけないぞ」

 ルシールはつないだマーカスの手をぎゅっと握った。

 開いた門のところにいつもの厳めしい顔をさらに険しくし、腕組みするアーロンが仁王立ちしている。帽子をかぶってジャケットを着た、いかにもお金持ちに見える男の人が、アーロンに向かって悪態をついている。

 なにか悪いことが起きているのだろうか。ルシールは泣きそうになるのを堪えた。

「大丈夫だよ、ほら」

 マーカスが身をかがめて小声でささやく。指さす方を見て、ルシールはあれ、と思った。





【ブヒヒンの荷車】は自動運転機能搭載です。

ハイテクですね。

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