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最初はあまりにいろんなものに目移りして時間がかかっていた市場での買い物も、大分慣れて来た。今はどこにどんなものが売られているのか大体分かるようになってきた。それでいて、思わぬものが手に入る。それがいろんな物品が並ぶ市場での買い物の醍醐味なのかもしれない。
オリーブはオイルとしてパンにつけたりサラダのドレッシングになるが、実自体を加工して売られてもいる。ルシールは種を抜いたあとにアンチョビやアーモンド、パプリカなどをつめたスタッフドオリーブを買った。
「あ、これ、」
ルシールはコリジバを見つけて立ち止まる。
「緑が鮮やかだろう? お、お姉さんの瞳は同じ緑色でもやさしい色味だね。買って行くならお安くしておくよ」
店の人間は客商売に長けていてちょっとしたことに気づいてさり気なく言う。
「新鮮なバジルだよ!」
店員の言葉にルシールは驚く。
「コリジバじゃないんですか?」
「地方によって違う風に言うけれど、同じものだよ」
後でリオンに聞いたところ、多少の違いがあってコリジバは薬効があるのだという。ただ、どちらも食用されるという。料理をするようになって、リオンの素材に関する知識の深さをより実感する。
ルシールは先だって行ったテトス山で結局採取物を持ち帰ることができなかったので、買ってみることにした。今日、リオンが家に来ると言っていたことも加味されている。
店員が相性の良い食材を教えてくれる。
そのトマトとフレッシュチーズを買って帰ったルシールはさっそく料理に取り掛かる。
同じ幅、食べやすい大きさに切る。
トマトとやわらかいフレッシュチーズ、バジルを交互に盛り、オリーブオイルをかけて塩コショウを振る。
赤、緑、白が目に色鮮やかだ。
ごく簡単にできたことに気をよくして、主菜に取り掛かる。
豚肉とトマトのパスタだ。トマト料理ばかりだが、七つ島ではポピュラーな野菜で、どの料理の皿にも登場することはままある。
豚肉に塩コショウをし、薄力粉をまぶす。鍋で豚肉の両面に焼き色を付けている間に、タマネギを薄切りに、トマトを角切りにし、ニンニクをみじん切りにする。鍋にタマネギとニンニクを加え炒める。タマネギが透き通ったらトマト、ローリエ、塩コショウ、水を入れる。アクを取り、肉が柔らかくなるまで煮る。
アクは野菜や肉、魚を茹でたり煮たりするときに浮いてくる泡だとジャネットから教わった。
「アクをそのままにすると、料理に臭みが残って味が悪くなるのよ」
たいてい、女の子は家の手伝いをするのにアクを取る役割を任されるものだが、ルシールはやったことがなかった。
その間、パスタを茹でようとしたらリオンがやって来た。
「手伝うよ」
と言ってルシールが手に掛けた鍋を受け取る。
「すっかりパスタの茹で係りだね」
「じゃあ、パスタを食べるときは呼ぶわね」
「うん、そうして」
リオンが仕事で不在にすることもあるから、そんなわけにはいかないことは承知で冗談を言い合う。
テーブルに料理を並べる。
「カプレーゼ? 美味しそう」
「トマトが安かったの。味付けはシンプルだけれど、おつまみに良いって聞いたのよ」
言いながら、ルシールは【冷蔵庫】からビールを取り出す。
スタッフドオリーブもおつまみに加わってちょうど良い。
以前、ビールが欲しくなるとリオンが言ったのを覚えていたのだ。リオンにもそれが分かり、相好を崩す。
カプレーゼはワインと相性が良いが、それほど頻繁に飲酒しないルシールにはぴんとこないのだろう。それに、ビールを冷やしたのはリオンのためにだ。現に、ルシールは飲まなかった。
「先日のテトス山で会ったルイスを覚えている?」
食事の最中にリオンがそんな風に切り出した。まだあの一件からそう時間は経っていないけれど、ずいぶん前の出来事のように思える。日常に戻ったからだろうか。
「もちろんよ」
「アランがさ、ルイスを交えて食事に行こうって言っているんだけれど、どうかな?」
「ええと、四人で?」
リオンを含めた採取屋三人とルシールということだろうか。
「うん、そう。断ってくれても全く構わないから。遠慮しなくても良いからね?」
なんだかリオンは断ってほしそうな雰囲気だった。
「行かない方が良い?」
「ううん。そんなことはないんだけれど、」
珍しく歯切れが悪いリオンに、ルシールは不思議そうにする。ビールのグラスをぐいっと煽った後、リオンは唇をひん曲げた。
「あのふたりは絶対面白がって俺の格好悪いところをルシールに暴露するつもりだよ」
「じゃあ、行こうかな」
「えっ、ちょっと待って、どうして「じゃあ」なの?」
これもまた珍しくリオンが慌てた。ルシールの前ではいつも泰然としているリオンだ。
「だって、わたし、リオンの格好悪いところなんて知らないもの」
ルシールは本心からそう言ったのだが、リオンはそれで陥落した。
ルシールが迎えに来たリオンと共にレストランに入ると、目ざとく見つけたアランが軽く手を挙げた。ルイスが振り向いて笑顔を浮かべる。
ルシールは会釈をしながら、ふたりがいる奥の方の席に向かう。アランはいそいそと立ち上がってルイスの隣に座り直す。
「ルシールちゃん、久しぶりだね。元気だった?」
「はい。アランさんもお元気そうで」
アランと挨拶を交わした後、ルイスともやり取りする。
「俺のこと、覚えている?」
「もちろんです」
ルシールがルイスと話すごく短い間に、リオンとアランがやり合う。
「初夏の祭りのときに会っただろう?」
「何か月前だよ。もう三カ月近いじゃないか」
「アランがルシールに会うのなんて、新年祭の一回で十分だ」
「ほらな? リオンのやつ、ルシールちゃんのことになると狭量になるんだよ」
ルシールとリオンが来るまでにすでにいろいろ話していたのか、アランはそんな風に言って肩をすくめる。ふたりの前にはグラスしかなかったが、空だった。
「大切だから、アランに毒されたくないんだろうねえ」
「おまえ、なんてこと言うの? ねえ、ルシールちゃんひどいと思わない?」
「ルシール、ふたりの事は放っておいて良いから、メニューを決めよう」
生ぬるい目つきになるルイスに、アランがひどいひどいと言い募り、リオンはそんなふたりを無視してルシールの前にメニューを開いた。
「三人は仲が良いのね」
ルシールは笑み交じりで言う。
「ふたりは俺をいじってばかりなんだよ」
「いえいえ、そんな、そんな。カーディフの採取屋ツートップの片割れに恐れ多いことなんてしないよ」
思わずため息交じりに笑うルシールに、アランが訴えかけ、ルイスが殊更凪いだ表情を作ってみせる。
ルシールは思わず目を見開いた。アランはまだ二十代の若さでカーディフでも有数の採取屋なのだ。
リオンはわれ関せずでメニューを指さす。
「ルシール、お腹が減っているだろう? 鶏肉のトマト煮込みなんてどう?」
「あ、ここ、ムール貝が美味しいよ」
ルイスとやり合っていたアランが聞きつけて口を出す。
「ルシールさん、ムール貝の香草パン粉焼きはどう?」
「美味しそうですね」
「じゃあ、それで」
ルイスに水を向けられ、ルシールが返事をすると、リオンがすかさず言う。
現状把握というか、会話しつつも周囲の様子に気を配る辺りは採取屋ならではなのかもしれない。
そのほか、ナスと豚肉のミートソースグラタンやサラダなど、どんどんオーダーする。リオンもそうだが、採取屋は身体を動かす機会が多いので食事量が多いのだろう。
「俺、次はワインにしようかな。ルイスは?」
「じゃあ、そうする。リオンは?」
「俺はいいよ」
「そうなの? ルシールちゃんは?」
ぽんぽんと小気味よく飲み物のオーダーも決まっていく。ルシールはその速さについていけずに片言になる。
「あ、わたしも、」
「そっか、ルシールちゃん、飲まないんだ?」
新年祭でもそうだったな、とアランが頷く。
「少しなら飲めるんだけれど」
「俺たちボトルで頼むから、味見してみたら?」
アランに誘われてそうすることにした。アランはルシールには聞いたものの、リオンには問答無用でワインを注いだグラスを前に置いた。
片眉を跳ね上げるリオンに、「だって、ルシールちゃんに付き合って飲まないって言ったんだろう?」と笑う。ルシールが口をつけるのなら、飲むのだろうと判断したのだ。
ワインのグラスが各自の前に置かれ、アランが音頭を取る。
「三人の無事の帰還を祝って。かんぱーい!」
「あ、そうなの? じゃあ、ここ、アラン持ち?」
「ルシール、色んなワインを味見するといいよ」
すかさずルイスとリオンが言うのに、アランが眉尻を下げて情けない顔をするのだった。




