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「ルディルもコリジバも乾燥すると香りがすっかり失われてしまいますよ」
そう声を掛けてきたのは学者然とした細身の年配の男性だ。
「わたしはテレンスという学者の端くれです」
ルシールの予想は当たったようで、そう名乗った。
「摘んだ葉を重ね合わせて、ほかの葉で包んで持って帰れば二、三日は生で食べられます」
「教えて下さってありがとうございます」
リオンが手早く指示通りに包み、鞄の中に納める。ルシールはこれでなにか料理を作ろうと浮き浮きした。初めて採取したもので料理をして食べる。なんだかとても素晴らしく生産的なことをしている気になった。こんなことを仕事にしているのだから、リオンはすごい。
「【ブヒヒンの荷車】ですか。素晴らしい魔道具をお持ちですね」
行きがかり上、テレンスといっしょに歩くことになった。
道はどんどん狭くなるが、【ブヒヒンの荷車】は足場が悪かろうと、道なき斜面だろうと進むことができる。なんなら、そういう場所では荷車に乗っておくようにリオンに言われていた。
ハーブのほか、きれいな花や木の実を見つけて、大きな葉に包んで鞄に入れる。花は栞に、木の実はストラップにすれば土産の代わりになるのではないかと考えた。
「この七つ島は植生豊かで固有種も多いので観察し甲斐があります」
北の大陸からやって来たテレンスは鳥の研究をしているのだという。
「種の存続というのは本当にわずかな事柄が左右することもあるのです」
たとえば、本来食べていた種子の数が減っても、嘴が大きい固体はほかの大きめの種子を食べることで生き延びることができるのだという。
「辺縁種のうち、嘴がほんのわずかに大きかったことこそが、生存を可能にしたのです」
それが連綿と伝えられ、その種は嘴が大きいことを身体の特徴として残した。子孫はそれを受け継いでいった。
「そんなことがあるんですね」
人の暮らしもそうだ。ちょっとした違いによって大きく道が分かたれることがある。
そんな風に話していると、すれ違う者や通り越していく者たちの中でちらちらこちらを見ては囁き合ったり、声を掛けて来る者がいた。
「あれ、リオンじゃない?」
「え、まさか。こんな近場なんて来ないでしょう?」
「指名採取じゃないの?」
「リオン、久しぶり!」
「また飲みに行こう」
「なんでこんなところに? ああ、素人を連れているのか」
驚いたのはテレンスだ。
「リオンさんというのは、もしかして、採取屋リオンですか?」
「はい。テレンスさんはもしかして、ネイサンさんとお知り合いでは?」
「そうです。よくご存じですね」
なんと、リオンはテレンスの名前を知っていたのだ。
テレンスだけでなく、ルシールも内心その情報網に舌を巻く。そして、懐かしい名前に過去のことを思い出す。ネイサンは【ウッキウキの手袋】を開発する上で重要な役割を担った。リオンの祖父が紹介してくれた人でもある。
「以前、おふたりを採取に案内したとほかの採取屋から聞いたことがあります」
「そうなんですね。実は、そのネイサンさんからもリオンさんのことは少し伺っています。素晴らしい採取屋だと。珍しいものを得て来るだけではない、その先を進む方なのだと」
ネイサンもまた、リオンのことをよく覚えていたようだ。
「ネイサンさんは一度北の大陸に戻られたんですよね?」
「はい。最近、また七つ島にやって来ていると聞きました。ここは興味深い土地ですし、なにより暖かく、食事が美味しい」
一度やって来たらまた来たくなると言われ、島民として嬉しく思う。
テレンスはフィールドワークをするだけあって慣れている風で、ルシールは聞く一方となった。リオンはと言えば、素晴らしい身体能力で体幹を崩すことなく身軽に動く。ときにルシールに手を貸し、ときに足元に注意喚起をし、ときに邪魔な枝を切り払った。
「やはり、採取屋の同行があるとフィールドワークはやりやすいですね」
鳥の研究をしているという学者は、植物にも詳しかった。
「これはビルーチャに似ていますが、ドクゼリですね」
オムレツやスープ、サラダなどに用いられるハーブのビルーチャかと思いきや、毒草だとテレンスが指摘する。
ハーブだけでなく、珍しい風景もあった。
リオンが連れてきたのは滝だ。見上げる先、木々の下から水のカーテンが垂れ下がっている。さあさあと涼やかな音がする。
「あれは川がない滝なんだ」
「どこから水が出てきているの?」
ルシールが目を丸くする。
「地下水が流れ出ているんですね」
「正解」
テレンスが答え、リオンがにやりと笑う。
崖に出口が開き、そこから水が流れ落ちて滝となる。
「地下水が岩盤を侵食してできた洞窟やトンネルを通って流れているんでしょう」
その上は木々で覆われているから見えないが、岩盤に口が開いている。
その近くで休憩し、食事をとる。ルシールは歩きながらでも食べやすいようにと思ってサンドイッチを作ったが、ちゃんと座って食べた方が消化に良いと言われてそんな風な昼休憩となった。
テレンスが食べられるという木の実や果実を見つけ、リオンが取ってくれた。
テレンスが保存食を食べようとしたのでサンドイッチを勧める。
「パンデピスもあるので、遠慮しないで食べて下さい」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
梢を渡る風が休む人間の傍をも吹き抜け、額の髪をさらい、汗ばんだ肌が涼しさを感じる。
念願の採取で【ブヒヒンの荷車】に座っていることをしみじみ思い、ルシールは満足した。料理に用いるハーブも採取できたし、上出来だ。
それはリオンも同じだったようで、ふと視線が合うとどちらからともなくほほ笑み合った。
リオンが身を置く環境を少しでも知ることができて嬉しかった。リオンはふだん、こういった場所にいるのだ。こんなに紛らわしく互いが互いを隠し合っているような場所で、必要なものを見つけて得て来る。
先ほど、テレンスが指摘したように紛らわしい別物があるというのに。
今回はルシールを連れているため、歩きやすい場所にやってきたが、本来はもっと足場が悪いところへ行くのだろう。
心配ではあるが、きっと、リオンなら大丈夫だろう。
もう少し上に登ったら見晴らしが良いと聞き、そこを目指すことにした。
ところが、ルシールのウェストポーチから「クゥーン」という鳴き声が聞こえてきた。それは【クゥーンの採取セット】のポーチから発された。鳴き声は警告だった。




