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採取のシーズンとなり、少しでもルシールの顔を見たいリオンが仕事に出かける前に行っていいかと聞いたことがある。
「工房までいっしょに歩こう」
ルシールの家から工房までのわずかな距離をいっしょに歩くためにわざわざ来るのなら泊まれば良いと返せば、「あまり頻繁に泊まったら、ずっと居つきそうだから」とばつの悪そうな顔つきで妙な遠慮をした。
あんな高額な金銭をぽんと渡して来るのにどうして遠慮するのかと、ルシールは不思議に思う。
「ルシールの仕事に支障が出てはいけないから」
と言っていた。
「俺は体力には自信があるけれど」
と真顔で付け加えていた。確かに、リオンと比較すれば、ルシールなど子供のころとそう変わらないかもしれない。
ふと思いついて、「お弁当を作ったらもっていく?」と聞いたら嬉しそうに破顔した。
後にアランに「リオンのやつ、ずっと機嫌が良くて、昼にその理由が判明した」と言っていた。いっしょに採取に行ったようだ。
さて、ルシールはリオンに採取に連れて行ってもらう日の朝、お弁当づくりをした。
「歩きながらでも食べられるようにサンドイッチにしたの」
リオンはリオンで、パンデピスを持ってきたという。
「古来から作られている保存食だよ」
ハチミツと小麦粉と香草などの香辛料で作る。主食とも菓子ともなるという。
「菓子パンの一種?」
「そんな感じかな。使うハチミツに合わせて香辛料を変えるんだって」
シナモン、ナツメグ、クローヴ、アニスシード、レモン、ライムなど香りが強いものを使う。塩味がするものもある。
「昔はもっとスパイスをガンガン入れたこともあったんだって」
「どうして?」
「材料が古くなっていてもごまかせるから」
「えぇ?!」
ルシールは冗談かと思いながら見上げると、リオンが小首を傾げる。
「本当だよ?」
さらりと金茶の髪が流れを作り、秀でた額を少し露わにする。明るくやわらかい色味の瞳が角度を変え、思わずルシールは見とれそうになって慌てて言う。
「パンデピスって、保存食品としても使われているのに?」
「いろいろあるんだよ」
リオンはそのうち蜂蜜酒を飲もうか、と話す。
「お弁当があるにしても、荷物が多いね」
「そうなの」
リオンが面白そうな顔つきになるも、ルシールはしんなりと眉尻を下げた。
先だって五月祭りで聞いたデレクの注意喚起によって、ルシールは【ウッキウキの手袋】を持っていくことにした。そのほか、ペンチやねじ回しなど、魔道具を扱うための器具の簡易セットも入れている。
「これでも、減らしたんだけれど」
「大丈夫だよ。【ブヒヒンの荷車】を連れて行くんだから」
そう言ってリオンは袋からなにかを取り出した。
「だから、これも持って行って」
「これって、」
マーカス魔道具工房で見たことがある。【クゥーンの採取セット】だ。
「せっかく採取に行くから、プレゼント」
ルシールは思わずリオンに抱き着いた。そのままの体勢で笑顔で見上げて礼を言う。
これ、手を出しちゃだめなのか。うん、今はだめだな。
リオンはルシールを抱き返しながら理性をかき集めた。
可愛い恋人は、人の気も知らないで平然と「泊まって行ったら」というのだ。そうなったら手を出さずにいられないリオンとしては、翌日の活動に支障をきたす心配から、魅力的な誘いなのに断るほかない。もちろん、リオンは平気だが、ルシールはそうではないだろう。
初めのころは胸が小さいことを気にしていたのに、と豊かな膨らみの感触を覚えながら冷静さを装う。華奢でどこもかしこも柔らかくて繊細なのだから、無理はさせられない。
リオンの葛藤は、残念なことにすぐに解消された。
ルシールはすぐに離れて採集の魔道具に夢中になったからだ。魔道具にまで嫉妬したなんてアランやデレクに知られた日にはどんなに馬鹿にされるか分かったものではない。
【クゥーンの採取セット】はハンマーやルーペ、スコップ、つるはし、ランタンなど、採取の際に使う魔道具だ。ウェストポーチに収まるようにつるはしは折り畳み式でランタンは外にぶら下げる。
「有毒なガスが発生する気配を察知すると警告音を発するのよね」
スコップの柄のダルメシアン模様を撫でながらルシールが言う。リオンはランタンについた犬の垂れ耳をつつきながらそうだと頷く。
そして、思い出し、別の魔道具を鞄から取り出す。
「俺はこれを持って行く」
リオンが見せた【ホウホウのランプ】に、ルシールは目を見開いた。
「まだ持っていたの?」
「そりゃあ、そうさ」
ルシールが最初に作った魔道具で、リオンが買い取りたいと言ったからプレゼントしたものだ。
十四歳のころに作ったから、粗が目立つ。
「作り直したいな」
「だめだよ。俺の宝物なんだから」
笑って【ホウホウのランプ】をしまう手つきは丁重で、あながちお世辞ではなさそうだ。
ふたりはそんな風にして、早朝から採取に出かけた。
向かう先、テトス山はカーディフのすぐ傍にあり、日帰りで行けるのだという。
「魔道具師は座りっぱなしで作業をするでしょう? だから日ごろから身体を動かした方が良いってシンシアさんが言っていたわ」
肩こりや腰痛は職業病だという。
「じゃあ、今日はたくさん歩くからちょうど良い機会だな」
カーディフを出て北西へ向かう。
のどかな田園風景を歩く。ルシールには早めの歩調で、疲れたら荷車に座るように言われて素直に受け入れる。採取屋には日帰りでも、ルシールの歩みに合せていたらそうではなくなってしまうかもしれない。
ルシールは髪を編み込み、ズボンをはいている。ブーツはリオンに選んでもらった。数日前から実際に使って脚に馴染ませている。
いつもは下ろしている髪やスカートとは異なる装いが、リオンの目に新鮮に映る。
「七つ島は本当に実り多い土壌ね」
「ああ。北の大陸はこうはいかないよ」
自然を相手にするのだから、作物は簡単には育たない。暴風、豪雨、季節外れの寒波、日照不足といったことから、虫害や病気といった様々な障害によって凶作はいつ起こるとも分からない。
食料確保はどの国でも頭を悩ませる難題だ。どれほどの高い文明を築いても、労働力である人を養うのは食料だ。産業が発展すれば都市に人口が集中し、周辺の農地は疲弊する。増えた人数分の食料を生み出せないからだ。
七つ島は群島諸国であっても、自給自足が可能であるから、海は諸外国の防壁となる。これが自領土で賄えないとなると、とたんに兵糧攻めに加担することとなる。
七つ島は田畑の土壌が豊かだから、無理な開墾をしなくてもいいほどだ。
「島民だけでなく、観光客の食料以上の農産物ができるから、輸出することができるほどなんだ」
各総督府の方針で、農産物の輸出に力を入れていない。どちらかと言えば消極的なくらいで、それは諸外国に目を付けられないための用心ではないかとリオンは睨んでいた。
そんな風に話しているうちに森の中に入り、斜面は徐々に角度を上げていく。
ふと横を歩くルシールを見ると、木漏れ日が白い肌に点々と影を落としている。影は歩くたびに形を変える。首筋、その奥にまで伝わっていく影にうっかり視線が吸い寄せられた。
付き合う前から、なんてことない仕草にどきりとさせられることはあった。身体を重ねるようになって、そこに欲が加わった。
「大丈夫? そろそろ休憩しようか?」
「ううん、わたしは大丈夫なんだけれど、このペースでは遅い?」
「いや、十分だよ。頂上を目指すのでもないし」
さて、ふたりの採取はふだんの生活に役立つものが対象となった。
「あ、ルディルだ」
「これってコリジバ?」
ちょっと視線をやれば、自生するハーブが見つかった。料理をするようになったふたりの目に食材が飛び込んできた。
採取に慣れたリオンは断定できたが、市場でしか見たことがないルシールは疑問形となる。実際に自生する姿は森の中に馴染みすぎて、見過ごしそうになる。
ルディルは魚やチーズ、ヨーグルトの香りづけに用いる。コリジバはサラダやパスタ、トマトと相性が良いが、加熱すると味が損なわれるので注意が必要だ。
「乾燥させて持って帰った方が良いのかしら」
ルシールが摘めばしおれないかと心配していると、後ろから声がかかった。
「ルディルもコリジバも乾燥すると香りがすっかり失われてしまいますよ」
本文中に
「魔道具にまで嫉妬したなんてアランやデレクに知られた日にはどんなに馬鹿にされるか分かったものではない。」
とありますが、あながち間違っていないような気がします。
ルシールの関心を掻っ攫っていく魔道具はリオンからすれば、永遠のライバルです。




