34
「いらっしゃいませ」
久しぶりに船長ヘンリクが工房へやって来た。いつもいっしょのタルモはおらず、ひとりだ。
「よう、嬢ちゃん、元気か?」
ヘンリクらは冬の間は七つ島を船でぐるりと回ったそうだ。
「この島は暖かくて良い。冬でも美味いものがたんまりあるしな」
温暖で豊かな七つ島を気に入ったというヘンリクは、最近、タルモの様子がおかしいという。
「そういえば、先だってあった五月祭りでタルモさんを見かけました」
「なんだろうなあ」
しきりに不思議がるものの、そう長くは考え込む性質ではないらしく、話題はすぐにあちこちに移る。
「へえ、年明けに魔道具師免許の試験があるのか。じゃあ、俺たちの船で送ってやるよ。どこでやるんだ?」
「キャラハンという都市ですが、」
各島を繋ぐ橋のたもとに形成された都市は、魔力で動く列車が走っている。だから、ルシールは列車でキャラハンに行くつもりだ。実は、ルシールはまだ列車に乗ったことがなかったので、楽しみにしていたのだ。
送るという申し出を断ろうとしたものの、「ああ、キャラハンなら行ったことがある。すぐだ」と遮られる。
「うちの船は速いぞ。魔道具の艤装もたっぷりある」
「魔道具の艤装!」
ルシールはついついカウンターから身を乗り出す。以前、工房に修理に持ち込んだ【ニャーニャの害虫捕獲機】の元の持ち主であるヘンリクの姉がふんだんに金銭をかけたという艤装とはどんなものか。難海流をも突き進むと言っていた。
「はっはっはあ、嬢ちゃん、試験のこと、忘れんなよ!」
ヘンリクは分厚い手を振って工房を出て行った。
「あれ、もしかして、わたし、送ってもらうことになった?」
うっかり魔道具の艤装につられてしまったことに、後になってから気づくのだった。
手紙や小包を配達する有料サービスのメッセンジャーでリオンからの伝言を受け取ったルシールは仕事が終わった後、市場で買い物をして帰った。
【モウモウのオーブン】でチキンとタマネギやナス、ズッキーニをマスタードと塩、ハーブを加えて焼く。
そろそろ取りだそうというころに、リオンがやって来た。
肉の脂を吸って野菜がとろける。
「野菜が肉の脂で甘い。【モウモウのオーブン】、使い勝手が良いみたいだね」
「そうなの。作って良かったわ。調味料、もっと少なくてもいいかも」
「うん。ビールが飲みたくなる」
リオンの口からぽろりと出た言葉を拾い、ルシールが言う。
「今度買っておくね」
「でも、ルシールはあまりアルコールは好きじゃないよね」
自分ためだけのためにわざわざ用意させるのは、とリオンが眉尻を下げる。
「この前アルコール度数が低めのサングリアを飲んだのだけれど、美味しかったわ」
サングリアはフレーバードワインの一種でスライスした果物を入れて口当たりよくしている。また、オレンジジュースなどの果物ジュースを用いることもある。
「どこの店?」
つい、そう聞いてしまっていた。いちいち詮索されるのは嫌だろう。そう思うのだが、魅力的な恋人を持つとやきもきするのだ。一応、「誰と行ったのか」と聞かなかったのは、理性のブレーキがかかったからだ。
「コールドウェルのお店よ。ジャネットたちといっしょに行ったの」
とても楽しそうにどんな店だったかを話すルシールに、頬を緩めながら、やはり追及する口調にならないで良かったとこっそり安堵しながらリオンは言う。
「今度家でも作ろうか」
「サングリアを?」
「うん。その方がアルコール度数を調整できるだろう? ワインを少なめにして炭酸水で割ろう」
「いいわね。入れる果物をいろいろ試してみたい」
作る前から分かる。ほとんどジュースのようなもので、リオンの酒の好みとはかけ離れている。だが、ジュースだと思えば良い。
浮き浮きとフルーツの候補を挙げるルシールを見ていると自然とそう思った。
「サングリアってフルーツジュースなんかを甘味料として入れるんだけれど、ほかにハチミツや砂糖も入れることがあるそうだよ」
「ハチミツ!」
学校帰りにマーカス工房に通ったころは、リオンと会えばハチミツのお菓子を食べていたルシールだ。
リオンはそう甘いものが好きなわけではないけれど、ルシールといっしょに味わうのなら、楽しめる。
とろりと甘い思い出ばかりとなる。
リオンは祖父に似ているとよく言われる。祖父は人目を惹く二枚目だったと聞く。
はっきり言ってしまえば、リオンは自分も良い顔立ちをしていると思っているし、周囲から向けられる視線がそれを裏付けている。
なにより重要なのは、ルシールが「格好良い」と言ってくれることだ。彼女が気に入っているのなら、この容姿で良かったと思える。
仕事も順調だ。取引先も指名採取も増えている。行った先々でいろんな人と出逢い、伝手を作っている。
だが。
ルシールの周囲に最近姿を現す男性たちに焦燥を覚えずにはいられない。
そのひとりがオスカーだ。
見目が良く、冷静な物腰で、いかにも大人の男という風情だ。どこか少しデレクと似ているところがある。ルシールはデレクが好きだ。無意識で頼りにしている節がある。そして、採取屋という明日の保障のない職業よりも、市庁舎勤めの男性の方が良いという女性は一定数いる。安定を求めるのだ。しかも、オスカーはその若さですでに役職付きだという。
もうひとりはエルだ。リオンは偽名だろうと踏んでいる。立ち居振る舞いから身分があるのではないかと思わせる人物だ。ずば抜けた美貌の持ち主でもある。
ルシールから聞くところによると、いくつも気軽に魔道具を買っているという。それだけの財力を持っているのだ。島外の人のようだが、ミステリアスな魅力がある。
リオンでは太刀打ちできない相手がふたりも、ルシールに気があるそぶりを見せる。
わかっている。ルシールは浮気された経験から、自分はしないだろう。だからこれはリオンの心の持ちようの問題だ。焦る。やきもきする。
異性だけではない。
友達付き合いのほか、総督夫人やその弟嫁とまで仲良く交流し、カーディフでも名だたる素材屋、加工屋に可愛がられており、仕事と相まって忙しいことこの上ない。
嬉しそうに話す様子を可愛いと思うし、良かったとも感じる。でも。
採取屋は出かけっぱなしになるから、依存心が強い恋人とはうまくいかない。自分たちは逆だ。依存の欠片もなく、こちらが放っておかれるのではないかと心配になる。自分がいなくてもまったく平気なのではないかとすら思ってしまうこともある。
だが、そんな不安は決して態度に出してはいけない。
ルシールが悪いのではないのだから。
こんなことで喧嘩でもしたら、それこそデレクに「小さい男だな」とか「自分の至らなさを恋人に押し付けるな」などとその辛辣さを発揮されるだろう。
解っていても、リオンはこれ以上ルシールがその翡翠色の目を向ける先が増えないことを祈るばかりだった。
さて、六つも年下のまだ見習いで、ひとり暮らしをしている女性の家にしょっちゅうやって来て世話になったまま、というわけにはいかない。
出かけた際の支払いは当然のようにリオンが持つが、ルシールはそれすら恐縮する。食料の買い物も今日のようにいっしょに行けないこともあれば、滞在するだけでそれなりの費用は発生する。
それで、滞在費として金銭を差し出したのだが、予想通りルシールは固辞した。
「リオンにはもうたくさんもらっているもの」
時折小物などのプレゼントをしていることを言っているようだが、あれは別だ。
「それは俺がルシールに身に着けてほしくて買っているんだから、ノーカウントだよ」
言いつつ、ふと、費用は出すから全身自分好みのもので取り揃えて身に着けてくれないかな、という考えが過るが、今は別のことだ。
「俺はそれなりに稼いでいるんだし、受け取ってほしい。女性はなにかとお金がかかるだろう?」
ルシールはリオンが<虹色蝶の翅>や<緑蜘蛛の糸>などというベテラン採取屋でも得られないものを採取していることを知っている。当然、希少なものは報酬が高い。
なにより、ルシールを大人の女性扱いしてくれることが嬉しい。
「ありがとう。じゃあ、これでビールを買って冷やしておくわね」
リオンは訪問を歓迎するルシールの言葉に、破顔した。
封筒に入れられた紙幣は一か月のひとり分の生活費———家賃、食費、雑費など———には少々足りないかな、という金額分だったことに、ルシールは仰天した。
なお、七つ島では総督府管轄により水道設備が整えられており、無料で使用できる。
そして、魔道具は魔力を注げば動く。
そこで、各家庭でよく妻が「もう、いっつもちょっとだけ魔力量を残して使って知らん顔してそのままにするんだから!」「うちもそうよ。絶対に魔力を充填しないの。あれってなんなのかしらね?」と言われる事象が発生するのである。
人によっては魔力充填すると疲労したり脱力感に襲われることがある。
「家に帰って来てからまで疲れたくない!」というのが夫側の意見だ。そして、論争は共働きか否かへ繋がっていく―――。




