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北の大陸でも有数の富豪であるトルスティは、自身が経営するカフェにやってきた総督夫人とその連れが支払いをしたと報告を受けた。
自分の店にやって来た賓客、その連れに支払わせてしまった。しかも、自分はその場に居合わせたのだ。なにもしないでいるという選択肢はない。
独自のリサーチで総督邸でお茶会をしていると聞き、四客のティーセットを贈った。カフェで使われているものだ。
エスメラルダとエリーズがさっそくルシールとジャネットを呼んでお茶会をしたのは、言うまでもない。
「ねえ、ルシールさん、今度本当にわたくしといっしょにトルスティさまのお家に行ってもらうことになるかもしれないわ」
「構いませんが、どういった方なのでしょうか」
「あの方はね、鳴き声シリーズの魔道具をたくさんお持ちなの」
聞けば、トニを見に毎年やってくる例の富豪だと言う。もしかして、トニ好きが高じて七つ島で店を持つにまで至ったのだろうか。
【ナウ~ンのマッサージ機】が見れるかも!と、ルシールは浮き浮きするのだった。
エスメラルダはそんなルシールをにこやかに眺めた。
エスメラルダはヒューバートに、友人たちとの買い物はとても楽しかったと話した。
若い友人が身につけるものを選びプレゼントする楽しさ。お礼にカフェでごちそうされる嬉しさ。
「娘がいたらあんな感じかしら。娘とその友人といっしょに出かけたら」
ヒューバートは笑顔のままなにも言わず、そっとエスメラルダの腰に回した手に力を入れた。
「わたくし、夢がひとつ叶いましたわ」
友人たちと連れ立って買い物に行くことだ。
「ひとつ? ほかには?」
「あら、わたくし、欲張りなので夢はたくさん持っていますの」
砂浜の波打ち際をヒューバートと手を繋いで歩きたいと言った。
「やってみようか」
総督は忙しく、そしてそれ以上に妻は身体が弱く、強い風と日光を浴びては体調を崩すから無理だ。それは双方ともよくよく分かっていた。
「ルシールがしっかりしているのは存じているのですけれど、なぜだかとても心配になりますわ」
「それは君が彼女を娘のように思っているからだろう」
「そうなのかしら」
エスメラルダはお茶会のときに、ルシール本人に夫とした話をし、「勝手なことを言ってごめんなさいね」と小首をかしげてほほ笑んだ。
「いいえ。嬉しいです。その、こんなにおうつくしくて自由な心をお持ちの方がわたしの母なんて、ありえないのですけれど。でも、嬉しいです」
エリーズはおや、と思った。どれほどうつくしくても、エスメラルダは総督夫人という面をまず取り沙汰される。だが、ルシールはエスメラルダ自身を見ているのだ。
そんなのはヒューバートだけだ。エスメラルダを総督の娘や妻ではなく、自分の妻として見ている。
ああ、では、もうすでに近しい存在なのかしら。
エリーズの報告に、ヒューバートは満足げにほほ笑むばかりだった。
ひとり暮らしを始めたルシールの料理は簡単なものばかりだ。
リオンは野外料理ならよくやっているという。
「採取のときに?」
「そう」
リオンがルシールの耳に唇で触れる。
「隙を見たらキスしたくなる」
きっと、リオンからしてみれば、ルシールは隙だらけだろう。
「ナイフを使っているときはやめてね」
「うん。それと【コンロ】を使っているときも我慢する」
なお、その後、ルシールは洗い物が楽しくなった。
魔道具工房が休みのその日はリオンが知り合いからもらったというソースで骨付きスペアリブを調理することになった。
スペアリブは豚の骨付き肉のことだ。
「豚肉は色が濃いめで脂肪が全体に入っているものがいいんだって」
「そうなのね」
肉の内部温度を低く保って調理すればより柔らかくジューシーになるという。
ルシールが感心していると、採取屋としての知識ではなく、市場で教わったのだという。
専門家に聞くのが一番だからね、と笑う。なんでも知った顔をする必要もないくらい、採取について知識を持っているのだ。
「まずはソースづくりだ」
フライパンに油でニンニクを炒める。
「ジャネットがニンニクは焦げると苦くなるって言っていたわ」
「要注意だな」
言って、リオンはフライパンにもらってきたソースを入れた。
「それで、とろみがつくくらいに煮るんだ」
島外の国のいろんな調味料を混ぜ合わせたソースで、トマトペーストにミックススパイスと赤ワインビネガーをブレンドしたものだという。
「へえ、どんな味かしら」
「楽しみだね」
七つ島では様々な物品が入ってくる。食べたことがないものはたくさんある。
さて、このソースを【モウモウのオーブン】に入るサイズの鍋に入れる。
この魔道具はルシールが作ったもので、今日初めて使う。リオンは以前言った通り、必要な部品の素材を手に入れてくれた。加工はアーロンに頼み、足りない部品はデレクの素材工房で買った。
「鍋にソースを入れて、スペアリブを入れる。その上からソースをかける」
リオンの言葉に従ってルシールも動く。
鍋ごと【冷蔵庫】に入れて漬け込む。
「【冷蔵庫】は鳴き声シリーズの魔道具じゃないんだ?」
「シンシアさんの知り合いの魔道具師から中古品を安く譲ってもらったのよ」
「必要な部品を教えてくれたら採取して来るよ」
リオンがそんな風に言うものだから、【グオオの冷蔵庫】を作るのも良いかもしれないとルシールは思った。
肉を漬け込む間、簡単な昼食を摂ってふたりで博物館へ出かけた。春になって本格的に採取を始めたリオンの貴重な休みである。
「もうウォータースポーツが始まっているよ」
暖かい七つ島では春が訪れるのが早い。
カヤックやシュノーケリング、パラセーリングなどが人気だ。特にパラセーリングは観光客が好む。青い空に浮かぶ鮮やかなパラシュートは遠目にもすぐにわかる。
「もうじき五月祭りね」
「工房でもなにかするの?」
「うん。せっかく従業員が増えたのだから、観光客用に手軽なものを作ろうかって話しているの」
答えながら、リオンはその時期は採取に出かけているだろうかと考える。
「祭りの日は工房は忙しい?」
「そうね。でも、シンシアさんが交替で見物しましょうって言ってくれていて」
「じゃあ、俺と見て回ろう」
ルシールは思わず嬉しくなって笑顔で頷く。
「俺と採取に行こうって話していたの、覚えている?」
「うん。【ブヒヒンの荷車】を連れて行くのよね」
「そう。夏に行こう」
ルシールはぱっと顔を輝かせた。翡翠色の瞳が輝く。
「嬉しい!」
リオンはつい、こちらを見上げて来る恋人の無邪気な笑顔に、唇を重ね合わせた。
さて、博物館は広場の近くにあり、そちらへ向かうふたりは大通りを歩いていた。人目はたくさんあり、口笛を吹くものまでいた。
真っ赤になって早足になるルシールに手を引っ張られながら歩くリオンは、後で採取屋仲間や取引先に「見ていたぞ」「聞いたよ」などとからかわれるのだった。そのため、リオンはしばらくデレクの素材工房に近づかないようにしようと思った。
博物館の展示を見回って、買い物してルシールの家へ帰ったふたりは、スペアリブの入った鍋を【冷蔵庫】から取り出し常温に戻す。
「【モウモウのオーブン】の初仕事だな」
「うん。試運転は大丈夫だったのだけれど」
「じゃあ、予熱を始めるか」
常温に戻した鍋を【モウモウのオーブン】に入れる。
その間、スープやサラダを用意する。
【オーブン】はつきっきりでいなくても良い調理器具だが、ルシールはたまに様子を見るために覗き込んだ。焼く時間が長い場合には、様子を見つつ、その他の用事をすることができる。火を使っているとそばを離れられないから、これはありがたい。
「火の番をしていると、良い匂いがしてくるのに、ずっとお預けを食わされるんだよ。弟がつまみ食いをしようとして火傷した」
リオンの口から家族の話が出てくるのは珍しい。ルシールはそれが家族とうまくいっていない自分に気を遣ってのことだと察していた。
「後は蓋を外してソースの水気を飛ばしながら焼く、と。スペアリブがパサつかないように、焼き時間が長くなりすぎないようにするんだって言っていた」
さて、出来上がった料理は骨付きのスペアリブだ。
「手で持ってかぶりつく?」
「リオンはそうする?」
言いながら、ルシールはカトラリーをひとり分だけ用意する。リオンは少し考えてから、もうひとり分出してきた。ルシールの家に初めて泊まったときからそう日を置くことなくそろえた物のひとつで、ふたり分の物はどんどん増えていっている。
「美味しい! 甘酸っぱくてスモーキーな味ね」
肉もジューシーに仕上がって噛めば肉汁があふれ出て来る。
「明るく華やかなのに渋いな」
「初めて食べる味だわ。リオンのお陰ね」
採取屋として様々な伝手を持つリオンが得てきたものだ。ルシールが笑顔で礼を言うと、きらきらしいほほ笑みが返って来た。
「どういたしまして」
マーカス魔道具工房に通っていたころは、いつもハチミツのおやつを買って食べていた。たくさん制限された中で、とろりと甘い記憶だ。
それが今、ふたりで料理を作って食べる。不思議な気分になる。
ああ、大人になったのだなと思う。
あのときはできることは少なかった。行ける場所も少なかった。そして、自由にどこにでも行けるリオンが遠くへ行ってしまっても追いかけられないとあきらめていた。
今は違う。追いかけるのではなく、手を繋いでいっしょに歩いていく。自分たちで好きなように料理を作ることができる。レシピ通りでなくても良い。ふたりの好みに合わせて作る。 少しばかり失敗しても、それはそのときにしか味わえないふたりで作った料理だ。
とても幸福だった。




