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25

 

 ルシールは仕事が終わった後、市場に向かった。

 せっかくジャネットが教えてくれたのだから、料理をしようと思ったのだ。

「最初から手の込んだものを作らなくても良いのよ。ささっと作れて美味しいなんて最高じゃない。下ごしらえが必要な料理は、慣れて来たら休みの日にゆっくりのんびり作れば良いのよ」

 ジャネットは基本的な調理法はローストやグリルなどの加熱法、茹でたり煮たりする加熱法、そして、油脂で揚げたり炒めたりする方法だと言っていた。


 さまざまなオリーブが山積みにされている店で目移りしながら酢漬けを買う。

 オリーブはオリーブオイルとして用いられるだけでなく、塩漬けやオリーブオイルに漬けた、いわゆる「漬物」としてよく食べられる。そのほか、加工品としてオードブルやサラダにも使われる。

 品種も多種多様にあり、黄緑色や小豆色、黒っぽい色などさまざまだ。粒の大きさもいろいろあり、形も楕円形、球形とがある。


 市場を歩いていると、ふと、「びっくりトウガラシ」が目に入る。七つ島特有の香辛料だ。目ざとく見て取った店員がすかさず説明する。

「お姉さん、これは激辛のトウガラシだよ。死者も目覚めると言われている」

 辛すぎて跳び起きるのだろうかと思っていると、呼びかけられた。


「ルシール、仕事、終わったの?」

 振り向けば、リオンがこちらにやって来るのが見えた。

「そうなの。リオンはこれから仕事?」

 予想外にリオンに会え、ルシールの心は自然と弾む。


「うん。でも、すぐに終わると思うから、どこか食事にでも行かない?」

 自炊するつもりだったルシールは頷きかけてふと考えた。ジャネットはルシールの手際を褒めてくれた。それに、簡単なものなら失敗しないだろう。


「あの、ジャネット―――友だちに料理を習ったんだけれど、もしよかったら、」

 家で作って待っていると言えば、リオンは破顔した。

「急いで終わらせて行くよ」

「大したものは作れないんだけれど、」

 期待させてがっかりさせては、と慌てて断りを入れる。


「それに、これから買い物をして作るから、急がなくても大丈夫よ」

「分かった。じゃあ、後で。———やっぱり暗くなるから送ろうか?」

 冬でもそこそこ暖かい七つ島でも、仕事帰りの時分は暗くなる。

「ううん、大丈夫」

「気を付けてね」


 リオンと別れたルシールは殻付きの小ぶりの貝や野菜、チーズを買いこむ。そうしながら、ジャネットの言う通りだと感心する。カトラリーや食器類を余分に買っておいて正解だった。


 家に戻ったら、まず取り掛かるのは貝を冷水につけることだ。

「大陸の内陸の方では貝は食べないと聞いたけれど」

 七つ島では冬でもなにかしらの魚介類がとれるので、そうと聞いてとても不思議に思った。そうなのだとしたら、エビチップスという食べ物は存在しないのだろうか。七つ島ではエビチップスの味わいの違いで、獲れるエビの違いを感じ、季節の移り変わりを知るというのに。


 鍋でオリーブオイルと細切りにした玉ねぎを中熱で炒める。柔らかくなったらニンニクを加える。いったん【コンロ】からおろした後、フレーバードワインを入れてふたたび加熱する。

「これはね、フレーバードワインが熱い鍋のなかではねるからよ。だから入れるのは少し熱をさましてからね」

 ジャネットに教わったことを忠実に守る。


 フレーバードワインが蒸発したら、スープストックを入れる。これは魚介類の旨みが凝縮されたもので、レストランで販売している。

「各家庭で作るのも良いんだけれど、そんな時間がない場合は買うこともできるわ。だって、美味しいレストランのなら味は保証付きよ」

 確かにその通りだ。

 こうしてルシールはジャネットに裏技を教わって調理時間短縮をすることができた。この液体が三分の一になるまで煮詰める。

 それを待っていたら、リオンがやって来た。


「良い匂いだな。俺も手伝うよ」

「ありがとう。じゃあ、そっちでパスタを茹でるから湯を沸かしてくれる?」

 実は、ルシールは引っ越し祝いとしてシンシアから中古の【コンロ】を贈られていた。だが、借りた物件に【コンロ】は備え付けられていた。結果、二口もあることとなった。単身者用の賃貸物件では【コンロ】自体、まだ備え付けられていないところも多い。だからこそ、料理をしないのがもったいないような気がしていたのだ。


「この鍋? これ、新しいね」

「うん。ジャネットが鍋が少なすぎるって言っていたから買ったの。鍋で炒めることもできるからって」

 ルシールは玉ねぎとニンニクの入った鍋に水を切った殻付きの貝とパセリを入れながら答える。


 リオンは沸いた湯に、ルシールの指示で塩を入れ、パスタを茹でる。

「パスタはこのくらいの柔らかさ?」

「ほんのちょっと硬いくらいだって言っていたわ」

 湯から引き上げた後、ソースを吸って柔らかくなるのだそうだ。

「あ、ゆで汁は少し残しておいてね」

「了解」


 ルシールはソースにコショウを加え、【コンロ】からおろした。

 湯切りしたパスタにソースとレモン汁を加えて混ぜる。

「ソースが濃すぎたら、ゆで汁で調節するんですって」

「へえ、いいね、それ。そのときの食べたい味にできる」

「そうでしょう? いろんなコツを教えてもらったの」

 ふたりでちょっとずつ食べながら味を調節する。最後に削ったチーズを振りかけたら完成だ。チーズを削るのはリオンがやってくれた。

 サラダとパンを添えたら立派な食卓になった。


 七つ島の主食はパンとパスタ、穀類だ。ルシールはパスタだけで十分なのだが、リオンはそれだけでは足りないかと思ってパンも出した。小麦を使った料理からふんわり立ち上る湯気はやさしい香りがする。


「美味しい!」

 パスタといっしょに口に入れた貝の身は意外と大きく、噛み応えがある。

「うん。味の調節ができるところが良いね」

「あとね、実はスープストックをレストランから買ったの」

「ああ、だからこんなに早く作れたんだ」


 リオンは仕事を手早く片付けてきたのだという。

「お湯を沸かすくらいしか手伝えなかったけれど」

 そう言いながら、リオンはちぎったパンをパスタのソースをつけて口に放り込んだ。


「チーズを削ってくれたわ」

「役に立てたんなら良かった。でも、ちょっとパスタ、柔らかすぎたかな?」

「このくらいは誤差じゃない?」

 そんな風に言い合いながらする食事は美味しく、楽しかった。

 完璧な調理ができなくても、自分たちで作った今の自分たちの技量に見合う料理だ。




 窓から差し込む陽光が彼女の産毛を優しく照らす。

 すうすうと規則正しく健やかな寝息が聞こえて来る。リオンはそれを聞くのがとても好きだ。

 ルシールは下唇がややぽってりしている。穏やかでやさしげな雰囲気の持ち主だ。

 身じろぎしたルシールの髪がひと筋ほほにかかった。白い肌とのやさしいコントラストにどきりとする。


 いつもこんな風にふとした拍子に好きになる。

 どんどん感情が積み重なっていって厚みが出る。少し削れたくらいではびくともしない。

 初めて肌を重ねる際、ルシールは胸が小さいことを気にしている風だった。

 彼女の胸は、いつの間にか綺麗になっていたように、いつの間にか豊かになっていた。


 ふと、アランが言っていたことを思い出す。

「胸に顔をうずめて————」

 朝から刺激が強い。

 リオンは深呼吸しながら気持ちが落ち着くのを待つのだった。




 リオンは信じられないくらいきれいな顔をしている。

 鼻は高く、影ができるくらいだ。

 目が覚めたとき、隣で眠る伏せられた瞼から続くまつ毛の長さに驚いた。


 リオンはルシールの小鼻にかけてのカーブ具合が好きだという。ちょっとよくわからない趣味をしていると思う。

「やわらかくてかわいい感じが噛みつきたくなる」

 やはり、ちょっとよくわからない感性だ。

「やめて」

「うん」


 リオンはキスをするのが好きみたいだ。

 室内でふたりきりでいるときはこめかみや頬、指や甲によく唇で触れる。


 以前、シンシアがいるときにもした。シンシアが後ろを向いた隙にこめかみにキスされた。

 ルシールは不意をつかれたのとシンシアがいるのに、という気持ちでいっぱいになり、硬直した。そんなルシールに、シンシアはとても不思議そうにした。

「ルシール? どうしたの?」

「え、あ、うん。――――な、なんですか?」

 我を忘れてあたふたするルシールに、さすがにもう二度としなくなった。

 そんな風に間合いを取るのが上手い。

 決定的に拙いことはしないし、一度でやらない方が良いことを覚える。


 リオンはルシールにやさしい。そして、丁寧に接する。でも、いっしょに過ごす時間が増えると、たまにぞんざいな仕草をするときがある。

 たとえば、指についたソースを嘗めとること。あるいは、なにか気にかかったのか、ぐいと頬を拭う仕草。

 そういうとき、荒っぽいわけではないのに、どこか男っぽさを感じる。


「ルシール、どうかした?」

「ううん、なんでもない」

 見とれていたとは言えずにそう答えるルシールを、リオンが抱き寄せこめかみにキスする。


「今日はなにを食べようか」

「わたしね、うちで使う【モウモウのオーブン】を作ろうと思うの」

「すごいね。さすがは魔道具師。自分で使うものを作っちゃうのか」

「見習いだけれどね」

「来年はなるんだろう?」

「うん」

 ようやく、ここまで来た。いろんな人の協力を得て、魔道具師を目指してきた。あと一歩だ。

 そして、魔道具師になっても、リオンの手を握っていたい。


「行こうか」

「うん」

 ふたりでこうして、同じ方向を向いて歩いて行きたい。





いいね、ブクマ、評価、ありがとうございます。


前話の

「ふとリオンがルシールから視線を逸らした。なんだか気まずげな感じだった」 は、

一章の27でアランが言っていた

「イケメンなんだから、うっかりするんだよ。色男だったら許されるよ。うっかりで抱きしめたり、うっかりで胸に顔をうずめてみたり———」

を思い出したんだと思います。

 想像したんですね。




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