20
「お姉ちゃんの馬鹿! 短気! 無鉄砲! 無分別! ばーか、ばーか、ばーか!」
【クルッポの通信機】は箱型の筐体の上部からにゅっと長い首、丸い顔、嘴が突き出ている。
その嘴が開閉し、ずらずらと悪口が飛び出てきた。
初めは呆気に取られていたエリーズの眦がきりきりと上がる。
「なんですって?!」
がたんと音をたてて椅子から立ち上がる。
いつもの礼儀正しい振る舞いをかなぐり捨てたエリーズを見て、ルシールは目を丸くする。なにか言おうとして口を開く。と、そのとき、ルシールの手を温かいものが覆った。見れば、エスメラルダが手を重ねていた。そして、視線で制止される。
「あなたこそ、我がまま放題言って! 身体が弱いんだから仕方がないでしょう! 学校に行けなくたって家庭教師をつけてくれるというのだから、少しは感謝したらどうなの?」
「体力馬鹿! なんにでも突っかかっていって自分が悪者にされるんだから、馬鹿! 悪者にされてひとりで泣くんだもの! 馬鹿の極み!」
鳩の嘴から出てくるのは、馬鹿という単語が多い。
「なぁんですってぇぇっ?!」
いつもは冷静で煽られてもいなすことができるエリーズは子供のころに散々聞いた弟の小憎らしい言い方だけは瞬時に頭が沸いた。
魔道具から出て来る弟の悪口に、エリーズは童心に返って口喧嘩する。
いつの間にか、彼女の双眸からは涙が流れていた。
言いたいだけ言って、はあはあと肩で息を荒く繰り返す。
我を忘れて取り乱したものの、なんだかすっきりした気分になっていた。
そんな風に思っていると、トーンダウンした声が聞こえて来る。
「嘘だよ、お姉ちゃん、大好き。僕もいっしょに外を駆け回りたかった。口喧嘩だけじゃなくて、取っ組み合いの喧嘩もしたかった。お姉ちゃん遠慮ばかりして口喧嘩すらたまにしかできなかったんだもん」
ああ、そうだった。エリーズは遠慮していた。だから、その遠慮を乗り越えさせるために小憎らしい言い方をしていたのかもしれない。
「取っ組み合って、それで、いつの間にか僕の方が大きくなったのに気づいて、譲ってあげるんだ」
いつまで経っても姉よりも大きくなることができないことを分かっていてなお、そんな風に空想していたのだ。
そして、もう、彼は姉の背丈を越すことができない。
エリーズはしゃがみ込んで顔を両手で覆ってわあわあと声をあげて泣いた。
いつの間にか席を立っていたエスメラルダがそっと寄り添う。エリーズは彼女に抱き着いて「どうして死んじゃったの。ひどいじゃない。なんで死んじゃうの」と、どうともできないと自分でも分かっていることを繰り返した。
どうしようもないことはこの世にたくさんある。
それを抱えてなんとかやり過ごすほか、ないのだ。
そんなとき、エリーズのように誰かが寄り添ってくれれば、乗り越えられるかもしれない。
それは、エリーズこそがそうしてきたからだ。だから、彼女も寄り添われる。彼女がしてきたことが自身に返って来て、乗り越える力となる。
ひとしきり泣いて落ち着いた後、エリーズは顔を洗ってくると言って部屋を出て行った。
「突然のことで驚いたでしょう? エリーズもまた、弟を病で亡くしているの。だから、かよわい義理の兄嫁を放っておけないのね」
エスメラルダは座り直し、使用人に茶を頼んで語りだした。
「あの方はね、わたくしより年下だけれど、姉のような方なのよ。身体が弱いのならば、同じ境遇の人間の気持ちをよくわかるだろう。分からない人間に労われるよりも寄り添えるはずだって言ってわたくしをよく慰問に連れ出してくれるの」
総督の妻だから警護体制を整え、体調の良い時を選んで出かける。これが案外すんなりいかないもので、警護体制を整えている間に具合が悪くなっていることもあるのだ。
「面倒くさいでしょう? でも、あの方はそのくらいのことではへこたれないのよ。そうしてわたくしを連れ出してくれるの。行けばわたくしもいろいろお話を伺うのだけれど、心に響くような素晴らしいことを言えないのよ。ただただ心を痛めるばかりなの。でも、あの方はそれでいいとおっしゃるの。余計なことを言わずに「まあ」と言ったきり手を握っているだけで、労わられた気分になるのですって」
夫である総督にそう言えば、「君が心を痛めるだけなのなら」と行くことを止めようとしたという。
「あの方は総督にでもきちんと意見を述べられるの。ただ心を痛めるのではなく、いっしょに痛めているのであって、それが心に沿うということなのだと。そして、わたくし自身もひとりで苦しんでいるのではないのだと励まされているのだとおっしゃるの。わたくしの思いを代弁してくださるの」
そう言っておっとり笑った。
「わたしも————、わたしもエリーズさんのように兄弟喧嘩をしたかった」
あんな風に思いやって、でも気持ちがすれ違う。ルシールはそれすらできなかった。ルシールひとりが抑え込まれて譲ることを強いられたからだ。ルシールの個性はあの家で、不要だったのだ。
エリーズと彼女の弟とのやりとりに感化されて、ルシールは家族のことを思い出さずにはいられなかった。
家を出て魔道具師になると決め、ひとりで生きることは楽しかった。自分のものが壊されたりなくなったりしない。自分の手元に置いておける便利さ、ようやく安心して過ごすことができる場所を得たのだ。
誰に遠慮することなく振る舞える。
でも、振り切ったと思っていたのに、こうやって突き付けられると揺さぶられる。
ルシールという個人は認められず、必要とされていなかったのだと。
嗚咽を漏らすルシールを、エスメラルダはエリーズにしたようにそっと抱きしめた。
けれど、エリーズほどいろんなことを経験していないルシールは華奢で小さく思えた。エリーズのような頼もしさではなく、小刻みに震えている姿に、庇護欲が湧く。
ルシールがぽつりと漏らした。
「お母さん」
エスメラルダの背筋に甘いしびれが奔った。
それは、ヒューバートに対するのとは全くべつの感覚だった。
洗顔し、化粧を整えて戻って来たエリーズはエスメラルダとルシールに謝罪と礼を述べた。
「こんなこともあるのね」
魔道具を撫でながら懐かし気に目を細める。
「魔道具から出てきたのは弟の悪口よ。声も彼のものだったわ。それに言い方も。そんなこと言われて哀しかったというよりも、腹が立ったから真っ向から受けて立つ!という気になったの。わたくし、ちゃんとあの子と口喧嘩できたのよね」
互いに妙に遠慮していた。だから言いたいことも言えずにぎくしゃくした。それがたまりにたまって爆発することもあった。それでも、まだどこか遠慮し合っていた。
長い長い年月を経てようやく、ふたたび弟と喧嘩することができた。
「もう一度弟と口喧嘩することができたのね」
そう言うエリーズの眦は濡れていた。
「ルシールさん、わたくし、あなたにとても感謝しているの」
そう言って晴れ晴れと笑った。
「魔道具師見習いとして、その言葉と素晴らしい笑顔がなによりのものです」
ルシールはとても嬉しかった。
「良いわね。うん、とても良い。職人が仕事に誇りを持つこと。そういった仕事ができること。とても良いと思うわ」
直截な言葉に、素敵なひとだなとルシールは思う。この人の役に立てて良かった。まだ見習いだけれど、少しばかり誇らしい気持ちになった。
いいね、ブクマ、評価、ありがとうございます。
エリーズの弟はエリーズの声を聞いて答えたのではなく、
ふたりの言い合いがちょうどうまくかみ合ったがために、
口喧嘩のように聞こえました。
「馬鹿の極み!」




