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オスカーが【バウワウの警告】を携えて工房へやって来た。
場所を移して話したそうなそぶりを見せたが、ルシールはシンシアが同席しなければ話を聞かないつもりだった。
恋人がいるのにほかの異性とふたりきりになることが、なんだか嫌だったのだ。結婚はおろか婚約しているわけでもないのに過剰な対応だという自覚はあったが、ルシールとしては譲れなかった。
「実は魔道具が動いたように見えて、その、」
「ああ、鳴き声シリーズの魔道具には稀にそういった現象が起きるんですよ」
シンシアが言って奥の棚から【コケコッコの時計】を取り上げ、カウンターに置く。
「———動かないな」
しばらく見つめていたオスカーは落胆した表情を見せる。目の前に差し出されたのだから、説明された通りになるものかと思ったのだろう。
「ルシール、触ってみてくれる?」
「はい」
【コケコッコの時計】はニワトリの腹部分に丸時計が埋め込まれている。写実的ではなく目はつぶらで、首も太く短く、全体的にぽってりしていて愛らしい雰囲気がある。
そっと嘴の付け根から先にかけて指先でなぞり、次いで、後頭部から背筋を辿っていく。
ふいに、とさかが動き、身体に添って畳まれている羽がふるふると震えた。
「ああ、動いた」
「ルシールが魔道具の手入れをしているときによく動きますよ」
オスカーが目を見開き思わず声を上げ、シンシアが満足げに言う。
「そうか。君が修理したからかな。【バウワウの警告】もたまに動くようになったんだ」
しかし、次に続く言葉にルシールは驚かされる。
「匂いがすることもあるのか?」
どこか思いつめた表情でカウンター越しにルシールを見つめる。
「匂いですか?」
「ああ。懐かしい匂いを嗅いだ気がしたんだが、気のせいだったかもしれない」
ルシールが聞き返したことから、そういった経験はないのだと察したオスカーは張りつめていた糸を緩める。頭の良い人だとルシールは内心考えていた。
「わざわざ時間を取ってくれて済まない。わたしが思い切れなかっただけということだったみたいだ」
断ち切ろうにもそうできない思いを抱えているのは、オスカーの方なのかもしれない。ルシールはそう考えたが、他人の事情に足を踏み入れても良いものかと躊躇した。
「もしかすると、それは本当に嗅いだかもしれませんよ」
シンシアもまた、思案を巡らせ、口を開いた。
「というと?」
「少し長くなるのですが、」
そう断りを入れて、シンシアはかいつまんで話した。自身が背負っていた後悔を、ルシールが魔道具の抱えているものを具現化させることによって、向き合わせてくれたのだと。
「そんなことが、」
「信じられないかもしれませんが、わたしはきっと、オスカーさんが嗅いだ匂いというのと同じのように思えるのです。もしかすると、単にオスカーさんが思い出しただけかもしれない。でも、そのきっかけは、魔道具ではないかと思います」
過去は変えられない。それでも、思い違いやすれ違いがあったことを知ることができれば、見方が変わる。それまでいた世界が変わって見える。
「わたしは心のしこりを消すことができました」
「心のしこりを、」
オスカーが小さな声で復唱して【バウワウの警告】を見つめる。
「この魔道具は曾祖父の形見なんだ。この魔道具を愛用していた。曾祖父はわたしたち兄弟をとても可愛がってくれて。だから、形見分けをするとき、わたしも弟もどうしてもこれがほしいと言い張った」
オスカーの茶色の目がやさしく細められる。
「撫でてあげてください」
ルシールがそっと言えば、拒否することなくおずおずと手を近づけ両掌に乗るくらいの小箱に触れた。
「あ、」
尾がふるると震える。
「ああ、やはり匂いがする」
魔道具がオスカーの記憶を呼び覚ます。
「いっしょに食べたおやつだ。あの頃は身体が大きいマイルズに大きい方をやっていたっけ。食べても食べてもすぐに腹が空いたなあ」
マイルズというのがオスカーの弟のことなのだろうか。
「決定的に決裂してしまって今はもう会うことすらないのだけれどね」
「不躾なことをうかがいますが、まだ生きていらっしゃる?」
シンシアがきらりと目を光らせる。
「ああ」
「だったら、会いに行くべきです」
シンシアは決裂したまま会うことなく母を失った。
「また喧嘩してもいいじゃないですか。会えるんだから。会わないと話なんてできやしませんよ」
物事には縁や時期がある。人の気持ちも、今この時、という時点がある。
「わたしはそれを逸したんです」
「行って、話をしてきてください」
ルシールも口添えした。
「バウワウ」
魔道具が鳴いたような気がした。そのやさしい鳴き声が、オスカーの背中を押す。
「そうだな。久しぶりに会いに行ってみよう」
リオンは近場ではない採取に出かけてしまえば数日から数か月出かけっぱなしになるという。
冬の季節はこの時期にしか採取できないもの以外は遠出しない。打合せをしたり顔つなぎをするのだという。
「だから、今のうちにルシールに会っておきたい」
工房主の息子のクラークと市場で仲睦まじい姿が噂されていたり、市庁舎の役職付きのオスカーに魔道具の相談を持ち掛けられるルシールだ。いずれも魅力的な男ばかりでリオンはやきもきしていた。
自分の時のように親身になって魔道具の相談に乗ってやったのだろう。【ブヒヒンの荷車】はリオンにとって特別な魔道具だ。同じようにほかの人間にも大切な魔道具があり、ルシールはその気持ちを汲む人間だ。素晴らしい人だ。だから面白くないと思うリオンが狭量なだけなのだ。
「あの人の魔道具でも「抱えて」いるものが現れたの?」
「ううん、そうはならなかったわ」
ルシールは魔道具の修理をしている際、「バウワウ」という鳴き声を聞いた気がしたが、リオンやシンシア、マーカスの所有魔道具のときのような現象は起きなかった。
「そっか」
どことなくリオンがほっと安堵する気配がする。だから、鳴き声を聞いたということは言わなくて良かったのだと思う。
「そんなにしょっちゅう起きないわよ。シンシアさんの魔道具は、マーカスさんのときから何年も空いていたし」
その後、リオンの魔道具の抱えるものが現れ出た。
「ルシールの特別親しい人だから起きたのかな」
「うん。わたしもそんな気がする」
「え」
何気なく同意したらリオンが驚きの短い声を発したから、ルシールは首を傾げる。
「え?」
見上げるリオンの顔、頬が赤い。
きょとんとするルシールにリオンが苦笑する。
「だって、ルシール、それって」
切れ切れに言って、リオンはそっとルシールの手を握る。
「俺のときのこと、覚えている?」
「ええ、もちろん」
「あのとき、俺は北の大陸から帰って来たばかりのことで、まだ君に思いを告げていなかった」
「———あ」
なのに、そのときからリオンはルシールの「特別」だったのだ。
今度はルシールが真っ赤になった。
「嬉しい」
言って、リオンは握った手をそっと引き寄せ、抱き締めた。華奢な身体だ。このほっそりした身体で、どれだけの仕打ちに耐えてきたのだろう。
ルシールは頑張ったのに報われなかったけれど、いっそ、彼女の実家から出られて良かったのではないかとすら思う。魔道具師を目指すことができているのだ。家族には恵まれなかったかもしれないけれど、その辺りのことは自分が尽力したいと思う。




