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魔道具は魔力というエネルギーの一種を原動力にする。ときに、製作者が意図しない不思議な現象を引き起こす。一般的な道具と一線を画す。たとえば、魔道具についた犬の耳や尾が動いたりすることだ。
「思いを抱える魔道具に残された魔力とルシールの魔力が結合し、魔道具の不可思議な回路が開かれるのかもしれない」
マーカスは【クゥーンの採取セット】を手入れしながらそう言ったことがある。
魔力といういまだ解明されていない動力がもたらす作用であり、それを実現させ得るのが魔力回路である。
魔力は厄介なことに、ほかの動力と違って個性がある。魔力どうしもそうだし、魔道具の回路とも相性がある。そのため、魔道具の部品がその人間の魔力と反発することもある。
ルシールの魔力がそうで、魔力回路の魔力流れの堰である部品に用いられる<閃く透菫青石>が反発する。ほとんどの魔道具で使用されるため、ルシールが魔道具を扱うのであれば、個人的に代替品を用意しなくてはならず、魔道具師として活動するには現実的ではない。
それを解消する魔道具が【ウッキウキの手袋】だ。ベルト部に接合された【魔力変換装置】によって、反発が起きなくなる。
ルシールはその魔道具を装着して工房の奥の作業場で魔道具の修理をしていた。
「よし、結合した」
手ごたえを感じ、思わずつぶやく。
魔力溜器に魔力を注ぎ、スムーズに流れるのを確認すると、魔道具を閉じる。
その間際、「バウワウ」という鳴き声を聞いた気がした。
撫でて欲しそうな感じがして、「なにか言いたいことがあるの?」とスピーカー付きの小箱を指で辿る。上部についた三角耳がぴこぴこと動く。
ルシールが修理した【バウワウの警報装置】という魔道具は取り付けた扉や窓が破損した場合、警報音が鳴る。
数日後、持ち主が引き取りに来た。
褐色の髪、茶色の瞳の理知的でプライドが高そうな彼はオスカーと名乗った。
カーディフの市庁舎に勤めており、シンシアが用事で出向いた際、魔道具の修理は受け付けているかと聞かれたのだという。
「動かなくなってそのままにしていたから、もう直せないかもしれないが、」
「一度見てみますよ。ぜひ工房にお持ちください」
シンシアがそう言って市庁舎から戻って来た数日後、オスカーは【バウワウの警告】を携えてきた。
「わたしが子供のころにちょっとしたはずみで動かなくなってしまってね。だから、もうずいぶん前のことなんだ」
「お預かりして魔道具を開かないことには修理できるとは言いかねます。いかがいたしましょうか」
工房主のシンシアではなく、ルシールがためつすがめつして言うのに、オスカーは目を見開いたが、言及しなかった。
「分かった。やってくれ」
「修理できそうでしたらそのまましてしまってもよろしいでしょうか?」
オスカーは頷いてルシールに魔道具を託した。
オスカーを見送った後、シンシアはルシールに修理するように言った。
「前に言った通り、格好良い人だったでしょう? しかも二十代後半の若さで結構な役職に就いているらしいわよ」
「シンシアさんの好みなんですか?」
「わたしには若すぎるし、歳が近かったとしても、もう男はこりごりよ」
さっぱり笑って肩をすくめてみせた。
魔道具は無事修理することができ、受け渡しも済んだ。
ルシールの仕事ぶりにシンシアは満足げだ。
「ルシールなら、すぐに魔道具師の免許を取得できるわ。そうしたら、看板をいっしょに出してもいいと思うの」
そう言ってくれるシンシアに、ルシールは嬉しくなった。けれど、それは結局実現することなく終わる。
魔道具師は免許制で試験を受ける必要がある。受験資格として十八歳以上で魔道具師工房で一年働き、筆記と実技、面接試験に合格した者だ。
ルシールは十一歳のころからマーカスの工房で手伝いをしていたが、学生の本分は学業なので、放課後のわずかな労働はカウントされない。
いよいよ、魔道具師を目指すとなって、翡翠色の瞳は陽光を透かしたかのようにきらきらと輝いている。それは望んでいた道を歩めるという未来への希望の表れだった。
休みの日、リオンにデートに誘われた。
離れた場所で連絡を取り合うことができる【通信機】という魔道具があるが、個人で持つにはなかなかに高額だ。メッセンジャーという手紙や小包を配達する有料サービスもあるが、リオンはよくシンシアの工房に顔を出す。今日の約束を取り付けにやって来たとき、シンシアは用事があると言って奥へ引っ込んだ。気を遣わせてばかりで申し訳なく思うが、リオンが訪ねてくるのは正直に嬉しい。
ふたりで劇場へやって来た。
カーディフのランドマークである市庁舎からほど近い場所にある威厳のある佇まいの建物を、ルシールは顎を上げて見上げる。
「劇場なんて、初めて来た」
「実は俺もそんなに来たことがないんだ」
「そうだったの? 観劇じゃなくて、もっと別のことにすれば良かったね」
リオンが興味を持っているから提案したのだとばかり思っていたが、実は気を遣って女性が好きそうなものを挙げてくれたのかもしれない。そういう気遣いがくすぐったく感じた。
細密な彫刻がなされた建物は内装も素晴らしく、劇を観る前から感心する。
客席は多く、段が連なる先には二階席と三階席がある。広大な空間の隅々にまで届く音量と声量、身振り手振りに圧倒される。
台詞も音楽も十分に聞こえた。そうするための装置としてここにも魔道具が用いられているのかもしれないと内心考えていた。
「すごく面白かった!」
「本当に。音楽もとても良かったわ」
太陽のようなまぶしいリオンの笑顔に、ルシールも頷く。
「そうだよなあ。みんなが来たがるのが分かる」
「なんでも頭から決めてかからずにいろいろ経験するのって大事ね」
それがリオンといっしょに過ごすことならなおさら楽しいとルシールはこっそり考える。
そんな風に話しながら観劇の余韻に浸りつつ道を歩いていると、声を掛けられた。
「君、シンシア魔道具工房の、魔道具師見習いの、ええと、」
「ルシールです。オスカーさん、ですよね」
修理した魔道具【バウワウの警告】の持ち主だ。
「悪いが、先に戻っていてくれ」
書類を部下らしき男性に渡して、足早にルシールに近づく。
「先日はどうも。その魔道具のことで話したいことがあるんだが」
いかにも仕事ができそうな自分よりも年上の男性が、恋人に思案気に話を持ち掛けるのに、リオンは正直に面白くないと思った。
しかし、ルシールの魔道具への並々ならぬ思いを知っている。一旦は閉ざされた道が再び開かれた。しかも、もはやこれで生計を立てるほかないと思い込んでいる節がある。やりたいことと自立する手段とで二重に勢い込んでいる。
だから、魔道具工房の客だというのであれば、優先するだろうと思った。
「すみません、今はプライベートで、」
案に反して、ルシールは断りを入れた。
「ああ、すまない。急に声をかけて」
整った容姿に身なりも良いことから、断られることなどあまりないのだろう。戸惑う声音から伺えた。
工房に立ち寄る日程を告げてオスカーは去って行った。
「ごめんなさい、待たせてしまって」
「いや。ルシールはほかになにかしたいことはある?」
自分を優先したことが嬉しくて、ついリオンは尋ねていた。今度はルシールが望むことをしようと考えた。
「したいこと?」
「うん。観劇は意外と楽しかったね」
きょとんと小首を傾げる様も可愛く、リオンは助け舟を出した。
「ええ、そうね。したいこと……、うーん」
歩きながら考え込むルシールの手をそっと握る。たぶん、気付いていない。異性との接触に慣れない風だからきっと気づいたらあたふたするだろう。そうなったとしても、離さないけれど。
「あ、そうだ、採取について行ってみたいな。【ブヒヒンの荷車】といっしょに」
リオンは思わず破願した。自分が笑み崩れているのが分かる。
リオンを好きだという女性たちのほとんどは採取の話に興味を示さない。耳を傾ける者はいても、長々と説明されるのは嫌う。ましてやついて行きたいという者はいなかった。
ルシールは【ブヒヒンの荷車】の癖をいっしょに研究したからその魔道具が使われている場面を見たかったのだろうが、本望だ。言われてみて、気難しい魔道具の扱い方をともに模索したルシールと【ブヒヒンの荷車】を使ってみたいと思った。
「いいね。日帰りできるような近場へ行こう。足場が悪いところは、ルシールは荷台に乗れば良いし」
リオンは年が明けて暖かくなってから行こう、と言った。
「乗せてくれるかしら」
ルシールなら快く乗せるだろう。
「近所の悪戯小僧が勝手に乗って振り落とされていたよ」
「え、そうなの?」
大丈夫だったのか、子供の母親が大事な魔道具に乗るなんてと血相を変えて謝っていたなどと話は尽きることなく続いた。




