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 甘いおやつ、特にハチミツのお菓子は、ルシールにとってコンフォートフードである。まろやかな甘さは安心感を思い出させる食べ物だ。

 そしてそれはほとんどリオンといっしょに食べた。彼が話す話をわくわくと聞きながら、楽しんだ。

 ルシールにとって家庭は冷たくとげとげしかったから、より一層とろけるような記憶だ。


「だからね、ハチミツのお菓子を食べたらとても懐かしくて幸せな気持ちになれるの。でも、」

 リオンがいっしょでなければ、たぶん、その懐かしさ、幸せは完成しない。

「だから、わたしは採取屋であるリオンが好き」


 まったくの他人で、手がかかる小さな女の子に温かく接してくれた、採取に夢中であるリオンが好きなのだ。リオンが語る採取は、未知の広い世界だ。ひとつの家庭が上手くいかなくても、もっと別の場所はたくさんあると示してくれた。


 ルシールはそう言うけれど、彼女の方こそリオンに教えてくれた。考えを変えてくれたのだ。

 そして、祖父はその心意気こそを、認めてくれたのだ。

 技量は誰でも持つことができる。運が良い者もいるだろう。

 でも、文明の発展のためのひと欠片になれるものはそういない。大きな循環の一部分としての役割を果たすことができる。


 祖父のリオンへの見方も変わっていた。目つきが変わっていた。同じ「そうか」という短い言葉に籠る熱量が違っていた。

 なのに、祖父が生きているうちには、リオンは気づくことができなかった。けれど、ルシールのお陰で祖父の本意を知ることができた。


 リオンにとってもルシールは恩人だ。

 そして今は愛する人でもある。

 そんなかけがえのない人を悪く言われて腹が立たないわけがない。




 リオンは少し前から押しの強い女性に好かれ、言い寄られていた。当たり障りなくやり過ごしていたものの、街中でばったり会って、長い一方的な会話をされた。

 よりにもよって、ルシールのことを調べたと勝手なことを言われる。

 人通りの多い場所で耳目が多いというのに、そういった気遣いもできない。リオンは街路のところどころに設けられている小広場に移動して事実無根だと否定した。


 もはや適当にいなしていては、どんな醜聞をまかれるかわかったものではない。

「いいの、あたし、分かっているの」

 けれど、リオンがどんなに言葉を費やしても聞く耳を持たなかった。


「そんなにむきになるなんて。あなたも本当はそうじゃないんだってわかっているのね? でも、リオンはやさしいから。彼女を突き離せないのね」

 うんうん分かっている、という。その「理解」は「自分が思いたいように考える」理解である。


「でも、彼女、婚約破棄されたんでしょう? なのにすぐまた付き合うって、ちょっと身持ちが悪くない?」

「向こうが悪くて破棄するほかなかったんだよ。それに俺の方から告白したんだ」

「あら、そうなの? わたしはてっきり彼女の方から猛アプローチして仕方なく付き合ったんだと思っていたわ。でも、そうね。リオンはやさしいから可哀想な彼女を放っておけなかったのね」

 なにを言っているのだ。誰のことを言っているのだ。まったく事実とは違う。勝手な憶測で、どうしてもルシールを悪者にしたい様子だ。

「そのやさしさは彼女のためにならないわ」


 どういっても、自分の都合の良いように結びつける。

 これはもう、馬鹿になるほかない。

 リオンは素早く考えをまとめた。方針を決める。


「そうなんだ。俺の方がルシールのことが好きで好きでたまらないんだよ」

 唐突な熱烈な愛の告白に面食らう。お陰で少しばかり勢いが弱まる。


「で、でも、女だてらに魔道具師なんてやっているんでしょう?」

「そうだよ。すごいんだ。腕もいいし熱意もあるし、顧客から信頼も得ている。だから、心配なんだよ」

「そうよね、女性なのに仕事ばかりって心配に―――」

「そうなんだよ。あまりにも仕事熱心過ぎて心配になるくらいなんだ。だから、休日には連れ出して息抜きするんだ。俺もいっしょに楽しめる、というか、俺が楽しんでいるんだよな」


 彼女の言葉を否定せず、肯定しつつ自分の言いたいことを言う。言うなれば、彼女と同じような手法を使っている。そして同時にのろけまくった。話しているうちにあれもこれもと言いたくなってつい熱が入った。


「優しげな雰囲気によく似合うと思って俺の瞳と同じ色の石がついたブローチをプレゼントしたんだ。これが予想以上に似合って嬉しくて、」


 さて。

 この場面をレアンドリィ夫人エリーズが目撃していた。

 他人の会話を盗み聞くなどはしたないことをしたのではない。先日持ってくるのを忘れた手土産を届けに来た道すがら、リオンの姿を見つけたのだ。気付いたときにはリオンたちの会話が聞こえて来る位置にいた。そして、勝手に聞こえてきた内容についつい聞き入ってしまった。


 人目がある手前、平静を装いながらもエリーズは内心ではじたばたしていた。

 リオンの否定せずにのろけまくる姿勢に、エリーズはある種の感動を覚えていた。大体の事情は分かった。相手は必死でルシールをけなそうとするが、リオンはそれ以上の勢いでのろけまくっていたからだ。


 いけいけ、リオン! そこだ! ボディが効いている! とどめだ!

 などと声を出さずに、貴婦人の微笑みを浮かべながら応援していた。


 のろけによるボディブローによって相手はもう虫の息である。

 最後の方ではリオンも言い切った感があり、すがすがしい気分にすらなっていた。


 ところが、最後で盛り返してきた。ほとんどやぶれかぶれで喚いた。

「なによ! せっかく可愛い女を演じてあげていたのにっ」

「なんだ、それ?」

 リオンは本当に訳が分からなくて思わずぽろりと言葉が出る。


「男って自分のプライドをほんのわずかでも傷つけられるのが嫌じゃない? だからうまくたててあげていたのよ」

 両手を腰に当て、胸を突き出して豊かさを殊更示して見せる。


「そんな必要はないな。それより、隣をいっしょに歩いて行ってくれる人がいい」

 ちょっと歩きづらそうにしていたら手助けする。大丈夫。彼女なら気難しい魔道具にも気に入られるから、快く乗せてくれる。それどころか、その魔道具との付き合い方をいっしょに模索してくれた人だ。

「自分がいっしょに歩きたいと思える人がいい。そんな人を大事にしたいな」

 自分が大切なものを丁重に扱ってくれる人だ。


「なによ、意味わからない! もういいわ」

 特大の鼻息を漏らして、行ってしまった。


 やれやれとばかりにため息をついたリオンは、ふと視線を移動させ———ばっちりとエリーズと目が合った。

 リオンはばつの悪そうな顔で言う。

「こんにちは、エリーズさん。妙なところをお見せして」

「いいえ、こちらこそ、ごめんなさいね。すぐに立ち去るべきだったんでしょうけれど」

 あまりののろけぶりに感動して応援していました、とは言わず、エリーズは申し訳なさそうにほほ笑んで見せた。総督夫人補佐としてこの程度に装うくらいは朝飯前である。


「その、ルシールには黙っていてほしいんです」

「あら、どうして?」

 思わず尋ね返した。

 リオンは異性から人気があると、ルシールが身を引きそうなのだと事情を話した。

「格好良すぎるから、と困ったように言われたことがあります」

「あら、」

 褒め言葉なのにリオンを不安にさせるのだ。


「なんとなく分かるわ。ルシールさんってそういうところがあるわよね」

 どこか一歩引いたところがあるというか、遠慮がちなのだ。失うのが怖くて大切なものを作りにくい、あるいは手元に置いておけない、そんな風情だ。

「あなたの本心を話してみたら?」

「……格好悪いですよ」

 たっぷり間を置いて答えるリオンに、さらにエリーズは追及する。

「格好悪いところを見せられない?」

 リオンは少し考えて、いいえと答えた。


 その日もまた、三人で昼食を摂った。エリーズが運んできた手土産はルシールの分だけでなく、工房主やリオンへのものまであった。

「ハチミツのお菓子と、それにリネン類ね。ひとり暮らしをしているんでしょう? リネン類はいくつあっても良いでしょうから。それと———」

 そう言いながら、使用人が工房のカウンターにどんどん「手土産」を積み上げるのを、ルシールはぽかんと眺めていた。


 さて、リオンは日を改めて、エリーズにアドバイスされたように本心を話すことにした。

 たまに女性から声を掛けられることがあっても、自分はルシールのことが好きなのだと。

「俺、格好つけようとして空回りして、かえって格好悪いよね?」

「え、そう? そんなことあった? いつでも格好良いわよ」

 きょとんとしてそう返され、勇気を出して言ってみて良かったと思う。


「格好良いときはどきどきする。気が抜けてくつろいでいるときは、なんだか可愛い。———好き」

 リオンは思わずルシールを抱き締めた。

 きゅんとする同時に、これ、手を出しちゃだめなのか、と真剣に吟味する。


 いや、性急すぎてはいけない。

 それでなくても、ルシールは恋愛に臆病になっているのだ。彼女の歩調に合せなくては。

 こうして、リオンの忍耐は続く。それとともに、きれいになったルシールは異性から秋波を送られる機会が増え、より一層リオンをやきもきさせるのだった。




 いいね、ブクマ、評価、ありがとうございます。


 エリーズの夫パトリスは、

妻は猫を被っているときもそうでないときも可愛いと思っています。



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