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大きな襟のブラウス、ハイウエストのスカートはミモレ丈で裾からブーツが覗く。ブラウスはきれいなすみれ色で、リオンがプレゼントしてくれたものだ。青い糸で襟の縁にぐるりと刺繍がしてある。刺繍は袖にもあり、とても上品な印象だ。
ルシールは最近、おしゃれすることを心掛けていた。襟に刺繍があるブラウスを着たり、ブローチやリボンをあしらったりする。長い髪をハーフアップにする後頭部にもリボンや花の飾りをつけるようにしている。
そして、ベルベットの暖かいコートを着て家を出る。
ひとり暮らしを始めたころは、鍵の開け閉めをするのにもどきどきした。
待ち合わせをしたカフェに入ると、すでにリオンが先に座っていて、片手を軽く上げて合図を送ってきた。
「似合うね、その服の色」
コートを脱ぐのを手伝ってくれながらそう言う。
「———ありがとう」
リオンは折に触れてルシールを褒める。なんだか、自分が素晴らしい人間に思えて来るから不思議だ。
メニューを見ながらあれこれ話し合うのはリオンと飲食店に入ったときの楽しみのひとつだ。友だちともよくそうする。大体、ジャネットはルシールと同じくらい悩み、ライラは即座に決め、ネリーは熟考する。
ルシールは紅茶とチーズの橙花水がけを頼んだ。
橙花水はオレンジの花びらを水蒸気蒸留したものに砂糖を加えた、爽やかで甘いシロップだ。
「美味しそうだね」
「ひと口食べる?」
「うん」
ルシールは皿をリオンの方へ押しやろうとしたが、リオンはにっこり笑って口を開いた。
食べさせろというのを読み取って、一瞬躊躇した。
<海青石>のような瞳がまっすぐにルシールを見る。意識が吸い込まれそうになりながら、チーズを載せたフォークを差し出した。前のめりになってフォークを口に含むリオンとずっと視線が絡まったままで、思わずルシールは赤面する。指先から伝わって来るリオンの唇や口腔の感触にどぎまぎする。
「美味しい。濃厚なチーズがすいすい入りそうだ」
「そ、そうね」
ルシールは俯いてチーズをつついた。
「そう言えば、北の大陸で「モッツァレラチーズ」というのを食べたよ」
水牛の乳から作られるのが「モッツァレラ」で、これがなければピザはただのトマトパイでしかないと言われているという。七つ島のピザは、ハムスターに似た姿の牛の一種トニの乳でつくられるので、その地方の人からしたらトマトパイなのだろう。
「最近、七つ島にも入って来ているらしいから、今度食べに行こう」
「うん。楽しみにしているね」
ルシールが唇をほころばせると、リオンも笑った。
リオンはこうやってなにかとルシールと約束を取り付ける。どれも楽しみでならない。
店を出てふたりで歩いているとリオンが注目されることがよく分かる。たまに声を掛けられることもあった。
「やあ、リオン、先日話したことは考えてくれた?」
「あれは断ったはずだ」
親し気に話しかけてくる年配の男性に、リオンはすげなく言い、ルシールの手を取ってさっさと立ち去る。
ルシールは採取屋の腕を見込んでの勧誘に、ただただすごいと思う。リオンは新発見をした採取屋であるのだ。しかも、その新発見した素材は新発明された魔道具に用いられている。その有用性は短期間で証明されてもいる。
「北の大陸では食糧不足があちこちで起きている反面、裕福な者たちは豊かな暮らしをしている。そんな者たちから依頼されることもあってね。妙なものを探すように言われることもあるって聞いたよ。素材だけじゃないんだ」
そして、リオンは先ほどの男性は鳥を探していて、協力を求められたのだという。
リオンの話す北の大陸は未知の世界だ。
「七つ島にも来たのもそのせいかもな。ここには固有の動物がいて総督たちが守っているから」
七つ島にしか生息しない動植物もあり、総督府が島外への持ち出しを規制している。もともと、七つ島は各総督の所有物である。
「トニが好きで北の大陸の富豪が毎年のようにバカンスに来ているのと同じ感じ?」
「そうそう」
「その富豪は【ナウ~ンのマッサージ機】を持っているんですって」
一度使えば骨抜きになると言われている、人を駄目にするとまでささやかれている魔道具だ。
「それも鳴き声シリーズの魔道具?」
そんな風に話しながら街を歩いていると店先に売られていた両側に白いレースがあしらわれた焦げ茶色のリボンが目に留まる。リオンはすぐに気づき、買ってくれた。
「見ていたの、分かったの?」
「うん」
頷いたリオンは懐から小さな小箱を取り出した。
「そうだ、これに合うんじゃないかな」
開いた小箱にはベルベットの布の上にうつくしい<海青石>の色の石でできたブローチが納められていた。
「わあ、きれいね」
思わずあげたルシールの歓声が子供のころのものと同じで、気が抜けているというのがリオンにも伝わる。自分といっしょにいてリラックスしているのだと思えば嬉しい。
「気に入った?」
「うん。とてもうつくしてやさしい明るい海の色だわ」
「良かった。じゃあ、受け取ってくれる?」
「え?」
プレゼントしたリボンに似合うと言って差し出したのだから、当然、ルシールに贈るつもりだったのだ。遅まきながら、それに気づいた。
「今度のデートにつけてきて欲しいな」
そう言われれば遠慮することもできない。
「う、うん。ありがとう」
格好良い人は行動もスマートなのだなとルシールは妙に感心するのだった。
リオンは採取のために山へも川へも海へも行くから、しっかり筋肉がついているが、身長が高いせいかあまりそうは見えない。
そうと知ったのは、突然の雨に降られて工房に飛び込んできたリオンにタオルを差し出した際のことだ。
「あっという間にものすごく濡れた」と言いながら引っ張ったシャツの裾から見えた腹が見事に割れていた。
「今日は温かいからシャツだけで来たのは失敗だったな」
長袖のシャツは生地が厚く、それ一枚で十分だと思ったのだという。温暖な七つ島ならではだ。
「ちょっと待って、息子のシャツを貸してあげるわ」
言って、シンシアはリオンの返事を待たずに奥へ引っ込んだ。
タオルで髪を拭くリオンの首筋につうと伝うのに色気を感じてしまい、どきりとする。よくよく見れば、首にも筋肉がついている。どういうことだ。ルシールの首とは全く違う。
「ルシール、具合でも悪い?」
「え、ううん、どうして?」
覗き込まれて一歩後退する。
「いや、なんだか黙っているから」
濡れた前髪をかきあげ、額が露わになり、いつもとは違う雰囲気のリオンに、ルシールは口ごもる。濡れそぼった姿に色気を感じたとは言えなかった。恋人になったとたん、こんな風に思うなんて、自分は実は色事好きだったのかもしれない。
婚約していたときにはアドルフに感じたことがないことばかりで、どぎまぎする。
「ええと、そんなことはないんだけれど、その、」
上手い言い訳が見つからずに戸惑っているうち、シンシアが戻って来てほっとする。
「ズボンはあまり濡れていないわね。肩幅があるせいね。このシャツ、着られるかしら」
大きいものを持ってきたのだけれど、と差し出すシンシアに礼を言って、なんとリオンはその場でシャツを脱いで着替えだした。
腹がちらりと見えるどころではない。盛り上がった胸筋や僧帽筋、三角筋の見事な隆起を間近にしてルシールは固まった。
「いやあね、男の子はこれだから。こんなところで脱がないでちょうだい。ルシールが困っているでしょう」
「一瞬で済むから、ほかのお客さんがいないうちにと思ったんです」
さすがは息子を持つシンシアはクラークにするのと同じような口調で小言を言い、リオンは笑って流す。
ものすごくごつごつしていた。ルシールは細めであり、正確に言えば、凹凸がない。そのことを最近悩んでいた。友人であるネリーもシンシアも豊かな胸、張りだした腰つきをしている。男性であるリオンにすら感じる色気を、自分はまったく持っていないように思うのだ。
なお、リオンは次に昼食に誘いに工房に来たとき、きちんとシャツを洗濯してシンシアに返却した。
着替えたリオンを見て、シンシアがふたりを送り出すために工房のドアを開ける。
「あら、もう止んでいるわ。どこかで雨宿りをしていたら良かったわね」
「少しでも早くルシールに会いたかったから」
「はいはい、ごちそうさま。ルシール、ゆっくりしてきていいわよ」
この間、ルシールはほとんどしゃべることもなく、リオンに手を取られてすっかり明るくなった通りへ出た。
「あ、ルシール、虹だよ」
リオンがつないだ手とは逆側のそれで指し示す。
「本当。通り雨だったのね」
そう言いながら、あれ、自分はいつの間にリオンと昼食に出かけることになったのだろう、と今さらながらに思うのだった。
「ブーツは濡れていないの?」
「みんな同じさ。でも、座るときは良家の子女のようにハンカチを敷こうかな」
店の椅子を濡らさないためにそう言うリオンに、ルシールはちょっと笑いながら、いい人だなと思う。そんなルシールに優しい目を向けてくるリオンに尋ねる。
「一旦、着替えに帰る?」
「うちはちょっと離れているから」
市場で仕事の打ち合わせをしたので工房に寄ったのだという。
「というか、昼ごはんをルシールといっしょに食べたくて時間を合わせた」
「その市場にシンシアさんの息子さんのクラークさんが働いているの」
わざわざ時間を調整したというリオンに、嬉しいのに照れくさくて別のことを話す。
リオンは高い身長にしっかりした身体つきだけでなく、顔も整っている。人好きのする性格で明るい笑顔ときたら、目立たないわけがない。
後に、大いに思い知らされることとなった。




