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ルシールが通っていた学校の中でも格好良くて人気のある者が、毎年ひとりはいた。
比較してはならないのだろうが、どうしてもリオンと比べてしまう。そして、いつも「リオンの方が、」と思ってしまうのだ。
「リオンさんは憧れの人だから」
ルシールがそう言うと、リオンが唇を尖らせる。
「なに、それ」
そんなところは昔と同じだ。思わずルシールは笑いを漏らす。リオンもつられたように笑う。
なんでもできてなんでも知っていて、容姿も良く、手の届かない人だ。きっと、可哀想な子供だったルシールによくしてくれたのだ。ただそれだけだ。でも、それがどれだけルシールを救ったか。
なにより、魔道具師としての閉ざされかけた道を繋いでくれた。
恩人でもある。
リオンと恋人になって頻繁にいっしょに出かけるようになった。今日のようにルシールを工房に迎えに来ることもあれば、休みの日には待ち合わせをすることもある。
リオンは総督府が運営する制度を使って一年ほど北の大陸へ行っていたのだという。
「若手の採取屋を育てようというものなんだけれど、行ってみて良かったよ」
リオンは北の大陸に行ったことで、改めて七つ島の豊かさを実感したという。
食料をはじめとする物資の豊かさ、温暖で過ごしやすい環境。人々の穏やかさは余裕から生まれて来るものだ。
「余裕がないとぎすぎすしがちだからなあ」
同じ物でもほかの地域に行けばさま変わりする。この島特有の事柄もたくさんある。
「基本はいっしょなんだけれど、その基本を覆すことも出て来るんだ」
だから、似たり寄ったりのものばかり採取するようになる者も出て来る。そちらの方が効率が良いと思うのだ。
「南の大陸でも、これまでの知識や情報は通用しなくなるんだろうなあ」
そんな風に楽しそうに話す事柄に、ルシールは食事の手を止めて聞き入った。
それに気づいたリオンが自分の皿からひと匙掬って差し出して来る。
え、と戸惑いの声を出す唇の間近から、温かい料理が得も言われぬ香りを放つ。思わず、ぱくりと食べていた。
エビのぷりぷりした身には少し癖のある味わいがある。
「どう? エビも美味しいだろう?」
にっこり笑って言うリオンに、ルシールは咀嚼しながら頷く。
「そろそろオマールエビのシーズンだな。この店、甲殻類が美味しいから、そのころにまた食べに来よう」
リオンとは一年会わなかったブランクを埋めるようにたくさん話した。
「【ウッキウキの手袋】を受け取ったとき、ルシールが言っていたマーカスさんや俺に感謝していると言っていたことで考えを改めたんだ」
それまでみなに認められたい、特に祖父にそうされたいと思っていた。その根底には自分はすごい発見をした、素晴らしい人間なのだという思いがあった。でも、ルシールの言う通り、それは今まで無数の者たちが見つけそれがどういうものかと研究したことによって導き出された知識を後続が吸収してきたからこそ、できたものだ。
自分ひとりがすごいのではない。多くの者の努力がある。
「同時になんだか気分が楽になった」
自分ひとりがなんとかするものではない。みなの協力によって成り立つ世界なのだ。そこで自分ひとりがすごいことをする必要はない。
「そう思ったら肩の力が抜けた。たぶん自分が世界のひとかけらにすぎないってことにようやく気付いたんだと思う」
それは世界から切り離されているのではなく、自身も世界を構成する一要素に過ぎないということだ。
自然と感謝の念が湧いた。これまでの多くの者たちの研鑽に、そして、意識することなく世界を構成するあらゆる物すべてに。
「考え方が変わったから、振る舞いも変わったんだと思う」
祖父はきちんとそれを見抜いていた。なぜなら、祖父こそ動植物のことに詳しかったからだ。リオンがルシールやいろんな者たちから教えられ、ようやく到達した領域に、すでにいた。だからこそ、多くの者たちを尊重し、そして、祖父も尊敬されていた。
「だから、おじいさまはリオンに魔道具を残したのね」
素材採取にとても役立つ魔道具を。
ルシールがそう言うと、リオンは苦笑した。
「でも、俺は魔道具を相続したとき、前に商人に向いていると言われたことを思い出したんだ」
祖父はリオンが変わったことに気づいたが、リオンは祖父がリオンの見方を変えたことに気づかなかった。
「生きているうちに気づきたかった」
でも、もう遅い。
ルシールはテーブルに置かれたリオンの手にそっと自分のそれを重ねた。
「そうね。でも、リオンは生きている。この先もっとずっと生きている」
今このとき、祖父の想いを知ることができた。
「ああ、そうだな。俺はこの先も生きていくんだ」
そして、祖父への苦い思いは一変した。これからは柔らかい気持ちで向き合える。それがどんなに心やすらかなことか。
そうさせてくれたのは、ルシールだ。
食事の後、工房に送ってもらいながら周辺の店のことについてリオンからいろいろ教わった。
路地は十分に広いのに、両側の店々が連ねる色とりどりの布の庇のせいで狭く感じた。ただ、陽射しが強い季節にはこの庇は重要な役割をする。カンカン照りの道よりも日陰を歩きたくなるものだから、集客に繋がるのだ。
「ここのハーブはたまに珍しいものが仕入れられているよ。あと、お茶」
リオンが指し示した店は扉が開けっ放しで、中が丸見えだ。入ってすぐに大きな台が置かれ、所狭しと小さな包みが陳列されている。顔を向けると様々なハーブが入り混じった複雑でどこか粉っぽい香りが漂ってくる。
「ハーブのお茶?」
「うん、そう。身体を温めるものとか、リラックスさせるものとか」
そんな風に話していると、中から大柄な女性が姿を現した。
「リオン、これ、持っていきな。この間教えてくれたラッピング、観光客に人気だよ」
おかみさんが渡した包みはまさしくハーブのお茶で、ふたりの会話が聞こえていたらしい。
一年不在にしていたから、この冬は顔を思い出してもらうためにあちこち出向いて、あれこれ手伝っているのだと話しながらリオンは包みをルシールにくれる。
路地を進んだ先にまたハーブを取り扱う店があり、ここの塗り薬がよく効くとリオンが話す。
「できものとかちょっとした火傷とかにも」
「リオン、看板ができあがったんだ。見てくれよ!」
リオンの説明が終わるかどうかの頃合いで、店主が軒先にぶら下がった看板を指し示す。
「いい感じじゃないか」
「だろう?」
「ところで、【ランプ】が薄暗いのは直したの?」
満足げに頷いた店主は続けて発したリオンの言葉に頭を搔いた。
「それはまだ。そろそろ魔道具工房に持っていこうと思うんだけれど」
ついつい後回しになるのだという。
神殿でも時折あって、どこかの【ランプ】を直したら次にまた別のものが薄暗くなる。こういうのは連鎖反応を起こすものなのだなと思った記憶がある。
そんな風に考えたルシールは、つい漏らした。
「たぶん、接触不良じゃないかしら」
【ランプ】は顧客対応をする店ではどこででも使われているもので、それだけに古いものを長く使うケースが多く、メンテナンスを怠れば接触不良を起こしやすい。
ルシールがそう話すと、「お姉さん、若いけれど魔道具師? まだ見習い? でも、専門家って感じがした。リオンに言われたときよりも、やっぱり魔道具工房に行こうって気になった」などと妙な感心の仕方をした。
リオンはそこでハンドクリームを買って、ルシールにプレゼントした。店主はおまけとして擦り傷用の軟膏をくれた。
「魔道具を扱うんなら、きっと要り用さね」
そう言って片目をつぶって見せた。
「どこも【ランプ】はよく使うから消耗が激しいのね」
「こう店が並んでいたら隣の明かりでなんとかなる、でそのままになっちゃったんだろうなあ」
リオンはあちこち指さしながら話す。
そこの料理店は観光客向けで高い。
あそこの菓子屋は高いけれど美味しい。珍しい物もある。
そのほか、食器類、衣服を扱う店や、どこの医者が良いか、行くのはお勧めしないということまで知っていた。
「食料はやっぱり市場がいいかな」
ルシールは目を丸くする。
「どうしてそんなに詳しいの?」
最終学年の一年間の放課後とこの数カ月、シンシア魔道具工房で働いた。だが、お使いで素材屋や市場に行くことしかないため、この周辺についてあまり知らない。
「休みの日に探検したりしないの?」
リオンは不思議そうにするものの、仕事と魔道具の勉強、そして家事をするので精いっぱいだ。
「市場に取引先があって、たまに来るんだ」
取引先の周辺についても詳しくなるのは採取屋の性だという。
「ここのパン屋が美味しいよ」
リオンはルシールとシンシアの家の分も買ってくれる。
「じゃあ、わたしがリオンとそのご家族の分を買うわね。なにが好き?」
観光客向けなのか、昼間なのにパンの種類が豊富な店内を眺める。
買ってもらうばかりではなく、自然とお返しするルシールに、リオンは思わず見とれた。そんなリオンに、やはりここの店主も顔見知りで、「いい子じゃないか」とこっそり囁く。
「うん」
リオンの破顔を見て、「お、こりゃあ、本気だね」と店主は言ったもののすぐに口をつぐんだ。
ルシールが振り返ったからだ。
寄り道しすぎて工房に戻るのが遅くなったが、美味しそうなパンの匂いに、シンシアは笑って許してくれた。




