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 神殿の奉仕もより一層力を入れた。

「ルシールさんが頑張ってくれるお陰で、ペルタータ家の面目が保たれているわ。ありがとう」

 ペルタータ夫人は神殿奉仕の集団行動を苦手としているのだ。その気持ちは分かる。個々人としては気質の良い者たちも、集団となれば性質が変容する。

 未来のペルタータ家の者として、ルシールが奉仕に勤しむことで、ペルタータ夫人はその義務から解放されている。だから、ペルタータ夫人はルシールに大いに感謝した。事あるごとに息子である婚約者アドルフに「あなたは本当に良い婚約者がいて幸せね。感謝しなくてはね」と言った。隣で聞くペルタータ氏もときに口を挟む。アドルフが辟易としているのが見て取れた。


 神殿奉仕の催しのひとつ、バザーでは目玉商品を出すことがある。この地区の神殿では刺繍を目玉とすることが多い。だから、婦人たちはよく刺繍をすることになる。

 今日もまた次のバザーに出品する刺繍に勤しんだ。


「レアンドリィ夫人、先日は馬車をお借りしましてありがとうございました」

「良いのよ。それより、ルシールさん、あなた、大丈夫なの?」

 声音に込められた親しみ以上に同情と労わりを感じた。

「兄弟なんて喧嘩をするものだけれど、なくさないと分からないものなのかしらね」

 そうぽつりと言ったレアンドリィ夫人の声には深い悲しみがあった。


「大丈夫です。いろいろありますけれど、」

 事情を知っていて明言を避けつつ気遣ってくれる。その気持ちが嬉しくて微笑んでみせると、レアンドリィ夫人は思わずといった風にルシールの手を取った。

「なんでも言ってちょうだい。力になるわ」

「ありがとうございます。心強いです」


 面倒見の良いレアンドリィ夫人に、ルシールはそっと耳打ちした。

「あの、レアンドリィ夫人は次のバザーで目玉商品の刺繍をされますよね」

「エリーズと呼んでちょうだい。ええ、そうね。次はわたくしの番ですわ」

「エリーズさん、その順番を変えられませんでしょうか?」

「あら、どうして?」


 ルシールはエリーズに考えを話した。

 次々回のバザーは軽食を用意し、来賓を招いて大々的に行われる。

「その際、目玉となる刺繍をなさった方がスピーチをされますよね」

「そうね。その番を受け持つ夫人は素晴らしい刺繍の腕をお持ちなのよ」

 だが、順当にいってその目玉となる夫人は刺繍の腕はあるが、あがり症で大勢の前で話すことを苦手としている。


「エリーズさんも素晴らしい刺繍をなさいます。順番を取り換えられてはいかがでしょうか。もちろん、その夫人と相談した上でのことですが」

「あら、そうなのね。一度お話を聞いてみましょう」

 エリーズはさっそく声を掛けに行った。その夫人は有り難く申し出を受けた。


「なんでも、ずっと気に病んでおられたようよ。わたくしも早く気が付けば良かったわ」

 わざわざ結果をルシールに言いに来たエリーズはため息をついた。

「エリーズさんに順番を代わっていただけて、さぞ安心されていることでしょう」

 エリーズはにこやかにルシールを見つめる。

「ルシールさん、あなた、お若いのにとても気が利く方なのね。素晴らしいわ。あなたの頑張りはみなさん、よくよく知っていてよ」

 そう言って、ルシールの肩をやさしく撫でた。

「ありがとうございます」

 ルシールは思わず涙をこぼしそうになった。温かい言葉が胸に染み入った。


 今まではそんな風に周囲の方針に口出ししたりしなかった。

 神殿奉仕という集まりであっても閉じられた集団である。

 そこではネガティブな評価が幅を利かせる。いったん悪評を流されると、その評判から逃れることはできない。だから、みな、ネガティブな評価を避けるのだ。そうして当たり障りのない事なかれ主義となる。

 若い婦人はこの閉塞感を嫌って寄り付かなくなる。ルシールも常に人目を気にし、空気を読んで周囲に合せようとし、疲弊していた。

 だが、積極的に働くことにした。


 神殿の魔道具のちょっとした不具合も、今までは頼まれなければやらなかった。今は自ら点検し、率先して直した。

「若い女性がやることかしら」

「そうねえ。ペルタータ家の婚約者なのにねえ」

 そんな風に陰口をたたく者たちもいたが、エリーズが手放しで称賛したため、気にはならなかった。ほとんどの人間がエリーズ側に立ったからだ。


 そして、バザーを終えた後、エリーズの案でその次のバザーの目玉の刺繍を、みなの合作で作ることになった。エリーズは一番難しい部分を刺し、なおかつ、全体の監督を行う。

 図案からみなで考え、布地や糸を選び、わいわい言いながら刺繍をするのは、一体感を生み出した。

 ルシールは刺繍のほかの雑用も率先して手伝った。それでいて、都合の良い様に使われないように立ち回る。それでも、一部、雑用係のように扱われた。

 けれど、そのころにはエリーズの片腕のような立ち位置にいたので、なにかと目を配ってくれた。


「手伝ってくれてありがとう、ジャネット」

「お安い御用よ。あなたが元気になって良かったわ、ルシール」

 ルシールがなにかと雑用を受け持つようになって、ジャネットも引きずられるようにして神殿に残るようになった。お陰で、彼女の評判も高まっている。


「うちのお父さんがたまにルシールのことを話すわ」

 ジャネットの家は飲食店を三店舗経営している。

 その店の【冷蔵庫】の調子が悪くて困っていると数か月前にジャネットから聞いた。


 修理を任せていた魔道具師が代替わりし、息子である新担当者とジャネットの父が喧嘩したのだという。新しい魔道具師を探すも、なかなか見つからず、とうとう魔道具が不調となったのだそうだ。

「ねえ、ルシール、ちょっと見てくれない?」

「わたし、免許取得していないわよ」

「売るんじゃないもの。身内の魔道具の修繕くらいなら大丈夫って先代の魔道具師が言っていたわ」


 毎年新年祭りでご馳走になっているルシールはそれ以上断り切れずに引き受けた。ジャネットに魔道具師に関する物品を預かってもらっていたこともある。家に置いていては妹に壊されるか捨てられる可能性が高いのだ。そして、なにより、ルシールは免許取得をしていないが、魔道具の修理は経験済みだったのだ。


 ジャネットの父親とは元々面識があり、いたく感謝された。【冷蔵庫】から始まって次々に不調となった魔道具を修理や調整をしたからだ。

「こういうのって続くものなのね」

「【冷蔵庫】ももちろん重要なんだけれど、ほら、うち、飲食店じゃない? 【害虫捕獲機】が故障すると困るのよね」


 ジャネットの稼業の飲食店では【ニャーニャの害虫捕獲機】と【ゲコゲコの害虫捕獲機】を使っていた。動物の鳴き声を象った魔道具で鳴き声シリーズというものだ。

【ニャーニャの害虫捕獲機】はすばしっこいネズミや黒虫などを捕ってくれる。【ゲコゲコの害虫捕獲機】はハエや蚊を捕獲する。

 ルシールは【ニャーニャの害虫捕獲機】を見てなんとも言えない懐かしさを感じた。


「ルシール、どうかした?」

「ううん。アグレッシブな魔道具だとたまに【ニャーニャの害虫捕獲機】がハエを捕って、【ゲコゲコの害虫捕獲機】が黒虫を除虫してくれるそうよ」

「アグレッシブって! 魔道具なのに、面白いわねえ」


 ところで、ルシールが調整した【冷蔵庫】や【掃除機】はふつうの魔道具だった。

「【パオーンの掃除機】や【グオオの冷蔵庫】じゃないのね」

「お客さんの前に出すのは可愛い魔道具の方が良いじゃない?」


 こんなにたくさん修理させ部品も使ったのだからと結局対価を受け取ることになった。

「お父さん、本心ではルシールにうちの魔道具を扱ってもらいたいのよ」

「新しい魔道具師の人ともそのうち慣れるわよ」

 そんな風に話しながら作業を進めていると、声がかかる。


「あら、ルシールさん、ジャネットさん、まだ残っていたの?」

 そろそろ帰ろうかというとき、ふたりしかいない作業部屋にエリーズがひょっこり顔を出した。

「エリーズさんこそ、聖職者の方とのお打合せですか?」

「遅くまでお疲れ様です」

 新しい試みに張り切っているエリーズに、微笑ましい気持ちになる。


「ねえ、ふたりとも、もしよろしければ、我が家にいらしてくださいな。今日は良い肉がたくさん手に入ったとうちの料理人が言っていたの」

「わあ、嬉しい!」

 すかさずジャネットが喜色を表す。彼女の素晴らしい特性のひとつだ。こうやって素直に喜んで見せれば、年上の人間の面目も保たれるというものである。


「ありがとうございます。きっと、レアンドリィ氏が忙しくされているエリーズさんを元気づけようと思われたのですね」

 仲睦まじいと評判のレアンドリィ夫妻である。ルシールがそう言うと、まんざらでもなさそうだ。

「あら、そうなのかしら」

 レアンドリィ夫人はなんと使用人をルシールとジャネットの家にやって、「そちらのお嬢さまをお誘いしました」という連絡を入れてくれた。


 次にペルタータ家を訪れた際、ルシールが招かれたことを知っていたペルタータ氏が、総督の弟の妻であるレアンドリィ夫人と親しくするのは良いことだと上機嫌だった。

 けれど、その横で婚約者はつまらなさそうな顔をしていた。


 婚約者の様子がおかしいことには少し前から気づいていた。

 迷った挙句、人に依頼して調べてみると、婚約者はまた浮気をしていた。今度のお相手は結婚している人で、子供までいた。




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