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家を出る。そして、魔道具師になる。
そのふたつは、ルシールにとって希望であり、輝かしい未来だ。そのためにはどんな努力も惜しまない。
女性でありながら魔道具工房の主であるシンシアから教わることはたくさんあった。
「魔道具に込める魔力はむらがない方が良いわ」
客対応をするカウンターの奥にある作業部屋で持ち込まれた魔道具の修理をしながらシンシアが言う。
「マーカスさんもそう言っていました」
「ルシールの魔力は安定しているわ」
「そうですか?」
ルシールは机に置いた魔道具から目を離さないまま聞く。横に座ったシンシアがこの部分が、と指さすのに、顔の角度を変えて覗き込む。
「ええ。魔力量が多い人は密度が濃いの。でも、それだけでは安定しているとは言えないわ」
「むらがある場合ですね」
「そう。多少薄くてもむらがない方がまだ良いのよ。ルシールの魔力はバランスが取れているのね」
そんな風に話す傍ら、シンシアから教わったことをメモに書きつける。
「【ンメェェのノート】を使っているの?」
ルシールのノートを見て、シンシアが気づく。
「はい。マーカスさんにいただいたんです」
マーカスがくれたノートの表紙は白く、ほかに黒い表紙のノートもあるのだそうだ。いつか手に入れてみたいものだ。
「使い込んでいるわねえ。ねえ、付け足しはあった?」
シンシアがわくわくと聞く。鳴き声シリーズが好きなのだろうか、と嬉しく思いながらルシールが頷く。
「はい。それに、白紙が千切り取られていました」
「あら!」
聞かれたこと以上のことを話すと、シンシアは思わずといった風に声を上げ、ふたりで目を見あわせて吹きだした。
「ルシールは鳴き声シリーズが好きなのね」
「はい。シンシアさんも?」
「わたし? わたしはそうねえ、」
てっきり好きなのだと思っていたら、逡巡する。
「鳴き声シリーズの魔道具を持っているのだけれど、ずっと使えずにいるものがあるの」
「そうなんですか」
どう答えれば良いか分からず、ルシールはそう答えた。そんなルシールをシンシアがじっと見つめる。なんだろうと戸惑っていると、シンシアが意を決したように口を開いた。
「あのね、ルシール。わたし、マーカスさんから少し聞いたの。あなたが思い入れのある魔道具に魔力を注いだとき、過去の映像が浮かんだって」
ルシールははっと目を見開いた。
「勝手に聞いてごめんなさいね。でも、マーカスさんは悪気があったのではないの。彼はとても喜んでいたわ。そして、わたしがずっと背負っている重荷のことを心配してくれたの」
「シンシアさんの背負う重荷?」
「そう。聞いてくれる?」
自分が聞いても良いものなのかとためらいつつルシールが頷くと、シンシアは今日はもう客も来ないだろうから、と工房を閉めた。ルシールも片づけを手伝う。
入ってすぐのカウンターの奥の部屋は、マーカスの工房と同じく作業場だ。さらにその奥に案内される。居心地よく整えられたリビングで、シンシアは茶を淹れてくれた。
「わたし、赤ん坊を抱えて夫と別れたって以前、話したでしょう?」
「はい」
「元夫はね、ろくでもない男だったの」
簡単に大変でしたね、などとは言えない雰囲気があった。いつもはつらつとしているシンシアが今はどこか重苦しい停滞した雰囲気を醸していた。
「子供ができたっていうのに、仕事を辞めてきて、すぐに次を見つけようとしないの。だらだらしているのね。当然、パンを買うにも野菜を買うにも、お金がいるわ。お金は自然と湧いて出てくるものではない。だから、わたしが働くほかなかった。子供が生まれたら変わるかなという期待も少しあったのだけれど、そんなのは裏切られたわ」
「そんな、」
身重の身体の妻を働かせて、自分はのんべんだらりとするなんて。
その年頃の少女特有の潔癖さでルシールは憤る。シンシアは苦笑する。
「わたしもね、動けなーいって匙を投げれば良かったの。でも、頑張ってしまったのね。そうしたら、元夫はできるじゃないか、って言うのよ。だったら、自分が少し休んでもいいだろうって。どうして今なの?!って思ったし、元夫にも何度も言ったわ」
でも、暖簾に腕押し、糠に釘だったのだという。
シンシアは特大のため息をついて茶を飲んだ。ルシールも言葉なく、ティーカップを傾ける。
「結婚するときは、この人だ!って思いこんでいたわ。今からしてみれば、目が曇っていたのね」
ふふ、とため息交じりに苦い苦い笑いを漏らす。
「そして、両親はわたしよりもずっと冷静に見ていた。だから、結婚を反対されたわ」
当然よね、娘が苦労するのが目に見えていたんですもの、とシンシアは続ける。
「でも、そのときはどうして分かってくれないのと思っていたの」
シンシアが手を温めるように両手でティーカップを持ちながら自嘲する。その手は震えていた。まるで、その温かさから力を得ようとしてでもいるかのようだった。シンシアはきっと、この話をするのに相当の胆力を要しているのだ。ルシールは腹に力を入れて居ずまいを正した。
「ずいぶん喧嘩もしたわ。喚いて泣いて。酷いこともたくさん言った。とても傷つけたわ。母の、」
シンシアの言葉が途切れる。わななく唇で何度か呼吸を繰り返して続ける。
「今もはっきりと覚えているの。わたしが投げつけた言葉で、母が傷つく顔を、」
そこまで言って、こらえきれずに嗚咽が漏れる。俯いたシンシアに、ルシールはそっと立ち上がって、丸めた背中を撫でる。
「やってみましょう」
「え?」
「マーカスさんのときと同じようにいくかどうか、分かりませんが、シンシアさんの心のしこりになっているものを、もう一度、」
ルシールはそこで口ごもった。果たしてシンシアはそれを望んでいるのだろうか。辛い過去を目の当たりにするかもしれない。
「そうね」
ろくでもない夫と別れて子供を育ててきた女性は強かった。
丸めていた背中を伸ばし、真っすぐにルシールを見つめる。そのまなざしの強さに、ルシールは一種の感動を覚えた。
「ぜひ、お願いするわ。実現しなくても構わない。でも、もし、母が遺した魔道具が「抱えて」いるものを見られるのなら、見てみたいわ」
シンシアは母が「遺した魔道具」と言った。ということは、母親はすでにこの世を去っているのだろう。もう会って話をすることもできない。けれど、ルシールならば、もう一度シンシアに母の姿を見せてやれるかもしれない。
「はい」
静かにほほ笑むシンシアにつられて、ルシールもかすかに笑った。
けれど、ルシールの予想とは別の事態が起きた。
「これよ。【ピーチュルルの録音機】」
大事にしまっていたのか、持ってくるのに少々時間をかけ、シンシアはテーブルの上に置いた。
優れた音質を誇る録音機で、高音の再生は得意だが、低音は苦手だという。
四角い箱の前面にひばりの紋様が彫られ、両側面にスピーカーがついている。
実際に魔道具を前にして、ルシールはまごついた。
「マーカスさんのときはどうだったの?」
「魔道具を開けて、中に直接魔力を注ぎました」
「ルシールは鳴き声シリーズの魔道具に好かれているみたいですものね。それとも、魔力が安定しているのが良いのかしら。ともかく、やってみましょう」
さすがは魔道具師、ねじ回しやピンセットなど道具を揃え、あっという間に魔道具を開ける。
ルシールは【ウッキウキの手袋】を填めたものの起動はせず、慎重に魔力溜器に指を近づけながら、逆の手でそっと外箱に彫られた羽をなぞった。
魔力回路に魔力が流れゆく。くしゃくしゃになった銀紙がこすり合うような涼やかな音がかすかにする。回路に銀を帯びた青い光が走る。
「ピーチュルル」
ひばりの鳴き声を聞いたような気がした。
ふいに、前面に浮き彫りされたひばりの嘴が開閉する。
「え?!」
シンシアは思わず声を上げた。
魔道具は開いた状態で作動することはない。魔道具師なら常識であるが、それを覆すことが起きた。ひばりの嘴の動きに合わせて、両側面についたスピーカーから人間の声が飛び出てきたのだ。
「まったくあの子は強情できかん気なんだから。誰に似たんだか」
「———お母さん」
シンシアが目を見開いた。うす茶色の瞳がこぼれ落ちんばかりとなる。
二度と聞くことはないはずの懐かしい声が、ふだんは閉じ込めていた過去の記憶を呼び覚ます。シンシアがずっと抱えていた重い鬱屈が噴き出る。
「お母さん、あのとき、大嫌いなんて言ってごめんなさい。わからず屋だなんて。本当に分かっていないのはわたしだった」
言って、テーブルに突っ伏した。
「後悔なんて数え切れないほどしたわ。でも、もう謝ることもできないの」
嗚咽が聞こえてくる。
ルシールはどうすれば良いのかわからず、ただただ眺めているほかなかった。
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人物紹介を載せておきます。
よろしければ、ご参照ください。
●人物紹介
・ルシール・ステルリフェラ:翡翠色の瞳。茶色の髪。鳴き声シリーズの魔道具が好き。
・マーカス:魔道具師。ペルタータ島のカーディフで魔道具師工房を営む。
・リオン:採取屋。ルシールの六歳上。<海青石>のような色の瞳。金茶色の髪。
・シンシア:魔道具師。ペルタータ島のカーディフで魔道具師工房を営む。
・デレク:素材屋。にこやかで物知りだが、周囲には恐れられている。
・アーロン:加工屋。腕がいい。無口。がっしりしている。
・ローマン:加工屋。アーロンの息子。がっしりしている。
・ドム:加工屋。大柄。太い指で繊細なものを生み出す。
・グレン:加工屋。ゴム素材の扱いに長けている。
・アラン:採取屋。デレクの息子。リオンと仲が良い。リオンの二歳上。
・ジャネット:ルシールの友人。麦わら色の髪をショートカットにしている。実家が飲食店を三店舗経営。
・ライラ:ルシールの友人。赤毛をポニーテイルに結っている。気が強い。実家が家具工房を営んでいる。
・ネリー:間延びしたしゃべりかたをする。おっとりしているがしっかりしている。




