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レアンドリィ総督夫人の病の治療は思いもかけない余禄をもたらした。
夫人の治療のために発明した魔道具【魔力検査映像機】によってほかのレジティ家の人間の虚弱体質の原因が解明されたのである。
「小さな魔力瘤ができています」
ユージーンの体内にも小さ魔力瘤がいくつかできており、従来の【魔力検査機】ではわからなかった。それが原因で魔力の体内循環が滞り、さまざまな身体の不具合が起きていたのだ。
じきに魔力瘤は大きくなるだろうという医師の診たてにより、レプトカルパ前総督の治療も行われた。
二度目の手術も成功を収めた。
なお、この治療法は病原体治療に関するものではない。
体内に入り込んだ細菌や原生動物などに有効な治療薬を見出すために、様々な化合物を大量に作成して片端から、病原体に試みる。何百何千とその試験を繰り返しどの化合物で劇的に病原体を消滅させるかを見出す。そういった治験ではない。
病原体を根治する特効薬製作法は、ネイサンとタネリが行った二種の蜘蛛の分泌液の試験の方が性質が近しい。彼らがどれほど根気のいる作業を急ピッチで行ったかがよく分かる。
【パオパオの送入機】を用いた手術は予後を一日、一週間、一カ月、一年といった長期的スパンで観察することもない。
魔力瘤によって滞っていた消滅によって魔力の体内循環が劇的に改善されたからだ。
もちろん、魔力の体内循環の滞りは身体能力を低下させている。つまりは身体が弱っているのだが、これは徐々にリハビリテーションをするうちに改善していくだろうというのが医師団の診たてだ。
「姉上はわたしの最大の懸念を取り払ってくれた」
父が回復すると知ったレプトカルパ総督は大いに感謝した。
なにしろ、学生のころから執務に携わり、成人した直後に総督の座に就いたクリフォードだ。すべては、激務である総督位から父を遠ざけ、静養させるためだった。そうすることで、一年でも一日でも長く生きながらえて欲しかった。父について張り合う母も、この件に関しては非常に協力的だ。
その憂慮を、ルシールを始めとする大勢の者たちが生み出した魔道具と治療法が取り払った。
以前、ルシールとその恋人とともに料理をした際、タマネギをみじん切りする魔道具をつくってくれるように言った際、「魔道具師は魔法使いじゃないんですよ」と呆れられたことがある。そんな表情を向けられるのは新鮮でくすぐったく思ったものだ。
そして、そんな風に言った彼女は魔法使いのように父を救う魔道具をつくってくれた。
「姉らしいことがようやくできました」
自分ひとりでは決してできるものではなかったけれど、とルシールははにかんで笑う。クリフォードは思わず涙をこぼしながら抱き着いた。
ルシールは父母をも求めたが、兄妹とも関係性が悪かったため、総督とはいえ、姉のように慕われて、心の一部がほだされていた。
ふたりを見守るファレルの目にも涙が浮かんでいた。
白氷は水が超低温によって凍り付いたため白くなる。そんな白氷を融けさせるのだから、その冷ややかさを上回る情熱の持ち主なのだと噂されるようになる。一説によると、白氷自身がそう話したとも言われている。
「ヒューバートの娘なら、わたしの姪のような感じかな」
術後の経過も良く、見違えるように活力を発揮しはじめたユージーンもまたそんなことを言い出したものだから、リオンは思わずその場に膝をついた。
麗しい若き総督に涙ながらに抱き着かれるルシールの気持ちを察してはいても、自分の妻があちこちで人気がありすぎてやきもきする。
レプトカルパ総督はレジティではなく、傍流家ですらなく、まったく別の島外の血筋を迎え入れることに踏み切った。
当然、これはほかの六つ島の総督を説得した上でのことだ。
それだけ、レジティ家に生まれてくる子供の腺病質は、未来の暗雲を予想せずにはいられなかったのだ。
そして、レアンドリィ総督は以前から七つ島の総督一家に重くのしかかっていたレジティ家のいわゆる虚弱体質の問題を解決した。
レアンドリィ総督肝いりで生み出された魔道具と治療法は、レジティ家の憂いを払うこととなったのだ。
ルシールはようやく自身の魔道具工房に看板を掲げ、一般客を受け入れることにした。
「とうとう「ルシールの魔道具工房」もオープンかあ」
レプトカルパ総督から贈られた魔道具工房の掃除を済ませ、カウンターの奥に座ると、タイミングを見計らったようにアランが顔を出した。
「正しくは、「【ブモオオの湯沸かし器】のルシール魔道具工房」かな」
「あ、そうだ。総督府へ納品する「【ブモオオの湯沸かし器】をつくらなくちゃ」
アランの言葉で思い出したルシールは思わず椅子から腰を浮かす。
元々、工房は開店休業のようなもので、看板も出さず、一般客の対応もせずに奥で総督府に納品する魔道具をつくっていた。それが【パオパオの送入機】の開発の方に比重が傾き始め、【ブモオオの湯沸かし器】をつくることすらしなくなっていた。
「気にすることないよ。レアンドリィ総督府もレプトカルパ総督府も、最優先事項を処理してくれたって感謝しているだろうよ」
エスメラルダの病を治癒するために作成した魔道具は、レプトカルパ前総督の治療にも役立つこととなった。納品が滞ったとて、レプトカルパ総督府から苦情が出ることはない。
それどころか、両総督府からオープン祝いに花が届けられた。
「お届けものです」
なんと、大きな花の鉢をいくつも【ブヒヒンの荷車】に載せてやって来たのは採取屋リオンだ。
「複数の総督府から指名依頼があったんだ」
「ルシールちゃんの工房のオープンを花々しく飾るのに、夫の採取屋を指名するとはねえ」
アランが面白そうに唇の端を吊り上げる。
「お届けものです」
「あれ? また花の配達?」
今度はメッセンジャーがふたりがかりで大きな花の鉢を積んだ荷車を牽いてきた。レアンドリィ総督府やレプトカルパ総督府からの花に見劣りしない豪奢なものだ。
「アブレヴィアータ総督府からです」
「え?」
「ああ、」
「うわあ」
メッセンジャーの言葉にルシールは戸惑い、リオンはその場に膝をつきそうになり、アランが呆れる。
リオンとアランの心は一致した。ふたりの総督に愛されることすら相当なものであるのに、三人めの総督が加わった。
アブレヴィアータ総督府からの贈り物はそれだけではなかった。
「ほかにも荷物があるのですが、」
大きな包みがいくつも荷車から下ろされる。
困惑するルシールをよそに、アランとリオンがふたりがかりで荷車を押すメッセンジャーたちを見てのんびりコメントする。
「こうしてみると、やっぱり【ブヒヒンの荷車】って便利だなあ」
「ああ。ひとりでも運べるからな」
悪路でも多少の障害物を自動で回避してくれる。
それだけでは終わらなかった。
メッセンジャーが次々やって来て、ジャネットやライラ、ネリーの連名で、シンシアとクレアから、カーディフの加工屋や素材屋からも花が届いた。
彼らには後で礼の品を届けておくことにする。
花々で彩られた工房に、いち早く気づいた者がいる。
「あら、ルシールさん、とうとう魔道具工房をオープンするのね!」
「まあ、きれいなお花がたくさん! オープンのお祝いかしら」
新居の向こうから隣人のルシンダとシャノンがやって来た。向かいやはす向かいの家や工房からも、何事かと窓や戸口から顔を出す者がいる。
「アブレヴィアータ総督府からの祝いの品々は以上です」
メッセンジャーの言葉を、ルシンダとシャノンを始めとする近隣の者たちがしっかりと聞いていた。
「あらあら」
「まあまあ」
「こちらはレアンドリィ総督府からのオープン祝いです」
「そっちのはレプトカルパ総督府からですよ」
頬を紅潮させるルシンダとシャノン姉妹に、リオンとアランがさり気なく付け加える。もちろん、周囲の人間たちも聞き及んでいる。
こうして、「ルシールの魔道具工房」のオープンを、みっつの総督府が祝ったという事実は素早く広がる。
豊かな七つ島では総督の人気は高い。その総督から、しかも複数から寿がれるというのは非常に光栄なことである。また、そういったことにあやかろうとする。当然のことながら、ルシールの魔道具工房には大勢が詰めかけた。
噂を聞き付けたアイリーンが手伝いを申し出た。しかし、あっという間に陳列棚から魔道具が消えるものだから、なんと、ダニエルを引っ張って来た。
「俺、客対応が苦手なんだ」
「じゃあ、修理をお願いします」
「はいよ」
アイリーンはてきぱきと客対応、作成、修理、買い出しにおいても活躍した。おかげで、なんとか工房を回すことができた。工房を開店してもしばらくは繁盛することなどないだろうという考えとは真逆の次第となった。
後に、アブレヴィアータ総督府からも、落ち着いてからでいいので、自分の島にもぜひ【ブモオオの湯沸かし器】を納品してほしいと打診があった。
ありがたい依頼ではあるものの、自分のキャパシティを越えているとあって、ルシールはこの話を断ることも検討した。すでにペルタータ総督府からも依頼を受けているのだ。
ルシールの窮状を聞きつけ、いち早く動いたのはオスカーである。
「ペルタータ総督府への納品をシンシアさんにお願いするのですか?」
「そうだ。元々、君は「シンシア魔道具工房」で働いていて、その工房主といっしょにつくっていただろう。ならば、ペルタータの方は彼女がつくる魔道具で十分だ」
それに、自島の魔道具師がつくるのだから、総督府を納得させやすいとオスカーは言う。
「アブレヴィアータ総督府も落ち着いたらでいいという話だそうだし、レアンドリィ総督府もレプトカルパ総督府もすでに相当数を納品している。君を急かすことはないだろう」
だから、今はとにかく工房の扉を開いて訪れる一般客への対応に専念するといいというオスカーに、ルシールは飽和状態になっていた心が落ち着いて行くのを感じる。ひとつひとつの問題を見事に解消してくれたオスカーに感謝の念が生まれる。
「レアンドリィ、レプトカルパ、アブレヴィアータの総督府は君が発明した魔道具を君から買い取ることに重点を置く」
それは総督夫人を、前総督を、そして総督の娘を救ったルシールだからこそ、取引したいのだということだろう。
「わたしの方から話しておくが、礼儀上、君もペルタータ総督府に事情を伝えておく方がいい」
「はい、もちろん、そうさせていただきます」
三人の総督から依頼されたことを話せば、ペルタータ総督府もほかの魔道具師がつくるのは、などと難色を示すことはないだろうというオスカーにルシールは頷いた。
「わたしとしては、君といっしょに仕事をする機会を失って残念なことだがね」
そう言って去って行くオスカーに、ルシールは礼を述べて深々と頭を下げた。
ルシールはさっそくシンシアに相談しに行き、快諾された。
「もちろん、任せてちょうだい。それより、ルシール、あなた痩せたんじゃない?」
シンシアに引き留められて食事を振る舞われた。
出勤して来たクレアは話を聞いて、「ペルタータ総督府御用達の魔道具工房!」と顔を真っ赤にした。
オスカーのアドバイスに従ってペルタータ総督府に事情を話したところ、こちらも了承を得ることができた。
ひとまず、問題を解消することができた。ルシールは工房の棚に置くための魔道具の作成に取り掛かった。
工房の扉をくぐるのは一般客だけではなかった。コールドウェルの加工屋たちもまた、足を運んできた。
魔道具師が加工工房に行くのはよくあることだが、逆は珍しいことで、ルシールは戸惑った。だが、コールドウェルの加工屋たちはルシールに対して非常に好意的だ。
「コールドウェルの人間、いえ、レアンドリィ島民でルシールさんを尊敬しない人はいない」
ヒューバートの最愛の人を救ったことからだ。そんなルシールが頼りにするのがカーディフの加工屋だと言うのが悔しい。自分たちもルシールと仕事がしたい。
「ルシールさんは憧れの人なんです」
訪ねて来たコールドウェルの加工屋のひとりであるウォルトなどはそんな風に言った。アランからそう伝え聞いたリオンは苦虫を噛み潰したような顔となった。
いつも、いいね、感想、誤字報告、ありがとうございます。
クリフォードと料理をしたエピソードは
第三章後編72話で出てきました。




