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 頭上を鳥が飛び、思わず見上げる。空を見上げて探すのは、もはや習い性となっていた。

 イルは視線を戻し、懐かしい光景を眺めた。歴史を感じさせる堅牢な城を(よう)する街は、活気があった。風土病に脅かされていてなお、経済を回す重要性を説いたユーセラ公爵の手腕の賜物である。


 ラヴィネン国では良質な<灼赤石>を産出する。良質な<灼赤石>は、工業用の特殊な魔道具にも用いることができるほどの高熱を発する。

 この<灼赤石>のお陰でラヴィネン国は生きながらえているとも言えた。


 王宮へ行き、事の次第を確かめると言い張るエルをなんとかユーセラ公のカントリーハウスにまで連れて来た。

「いやはや、どうあっても殿下の美貌は隠しようがありませんからな」

「ここならば、いっそ大っぴらに顔を出して歩いた方が安全というもの」

「ユーセラ公爵領においてのエルネスティ殿下の人気はゆるぎないですからな」

 同行者はそう口にするものの、イルはカントリーハウスの建物内に入るまではエルにフードを取らないように言った。

「エルを見つけたとたん、お祭り騒ぎになりますから」

 そうなったが最後、街中にエルネスティ殿下が来駕したことが一気に広まる。

「間諜が紛れ込んでいたらすぐに知られてしまいます」

 もう少しだけ、エルの行方は分からないままにしておきたい。その間に相手のことを調べるつもりだった。


 ラヴィネン国でも有数の貴族のカントリーハウスの門扉であるから、護衛がふたり警護に立っていた。

 イルが先に立ち、フードを上げて顔を見せると、名乗る前に護衛のひとりが魔道具を操作する。館に合図を送る魔道具だ。

 残る一方の護衛が門扉を開き、恭しく一行を迎え入れる。

 館から差し向けられる馬車を待つのももどかしく、一行は広い敷地内を徒歩で進んだ。途中で馬車に出会って乗り込む。


 玄関前につけられた馬車から降りると、扉は大きく開かれ、壮年の男性が使用人を従えて待ち構えていた。

「久しいな、ユーセラ公」

「実に。エルネスティ殿下はお変わりなく、と申し上げたいところですが、愚息から怪我を負われたと聞きました。さぞかしお疲れでしょう。委細(いさい)は後です。とにかく休息をなさってください。イルマリもよくぞ戻った」

「はい。後ほどご報告に上がります」

 公爵とその息子は互いの無事を確認し、安堵する。


 幼いころから何度も訪ねている勝手知ったるユーセラ公爵のカントリーハウスだ。エルは遠慮なく中へ入った。客室ではなく、エルの私室が用意されていて、いつでも使えるように整えられている。


 使用人に案内されるのではなく、自ら赴き、その後ろに従僕が従う態となる。

 エルが部屋に入ってソファに座ると、従僕は慣れた手つきで上着やブーツを脱がせたりと甲斐甲斐しく世話を焼く。


「ただいま医師が参ります」

「治療は受けた」

「はい。そう伺っていますが、治癒具合を診て必要とあらば処置を、と公爵から承っております」

 礼儀正しく公爵の言いつけを伝える従僕に、エルもそれ以上は拒否を示さなかった。


 エルが私室で治療を受けている間、イルは一行のほかの面々とともに父ユーセラ公爵に事の成り行きを報告していた。

「なるほど、サラセン侯か」

「ただいま、王宮と合わせて配下に探らせています」

 そう言いつつ、イルは視線で父になにか知っているかと尋ねた。

「サラセン侯はここのところ、ルオマと接触している」

 イルは片眉を跳ね上げた。


 ルオマはラヴィネン国の隣に位置する大国だ。そして、エルの兄である王太子の妻の出身国シルキアと敵対しがちである。シルキアはラヴィネン国と同盟国であるものの、ラヴィネン国はルオマと対立しないように外交に腐心していた。


「王太子殿下はご壮健だ」

 父の言葉にイルはほっと安堵した。

 ユーセラは第二王子派であるため、王太子を支持している。なせなら、第二王子であるエルネスティは王太子を支持しているからだ。

 ユーセラ公爵は王太子を支持する国内貴族であるカスティとやり取りしている。だから、父の言葉は確かな情報だ。イルもまた、カスティから王宮の情報を得ようとしていた。


 ユーセラ公爵の食卓には良質なカスティチーズがよく上がる。

 ユーセラ公とその息子とともに食事に添えられたチーズを食べながら、兄は無事だと聞き、エルは胸をなでおろした。

「弟は?」

「特に変わった様子はないと聞いておりますが、」

 王宮に姿を見せる機会が減ったと聞いてエルは眉をひそめた。

「そういったちょっとした兆候が後の事件を示唆するものだな」


 エルは私室で治療を受けて休んでいる間、自分はどうしたいかと自身の中を探った。

 幼いころ、エルは学者になりたかった。世界の色んなことを知ってみたかった。

 王宮のライブラリーの本を読破しようと思っていた。たくさんありすぎてできなかったが、特に図鑑を見るのが好きだった。

 そんな第二王子に周囲はあまり良い顔をしなかった。でも、歳が近いから友人にとつけられたイルはそんなエルに根気強く付き合ってくれた。図鑑で見たものを庭園で見つけてはあれこれ話した。

「実際に自生している姿は印象が違うものですね」

「うん。ただ、これは人の手によるものだから、自然の中で自生しているものはもっと違うかもしれないな」

 そんな風に話し合ったものだ。


 だから、七つ島に行ったときに、わざわざ囲いをつけて動物園、植物園とせずとも固有の動植物がそこいらに生息する環境を目の当たりにし、学者になりたいと願っていたことを思い出した。

 てのひらに乗る小さな毛玉の不思議な動物が「フィフィ」と言って発光器官を持ち、餌にするポペアの木の実の生育地域によって発光色が変化すると知ったとき、初めて聞く生態にどれほど興奮したことか。ポペアの木が育つ地域によって木の実が含有する魔力の多少の違いによって色味が変わってくるという。世の中にはこんな動物もいるのだ。


 エルはラヴィネン国出身者だからこそ、総督らが敷く固有動植物の持ち出しの制限は正しいのだと感じていた。

 動植物のことだけではない。素材についても知りたい。七つ島では研究が盛んだ。ここの加工工房や素材工房でいろいろ学べたらと考えた。

 やはり、その素材が実際に使われる場所だからこそ、その特性をよく知っているものなのだと思い知らされた。


 特に学者は「こういうものだ」ではなく、「どうしてこういうものになるのか」という意識を持つ。特性を突き詰めていく。

 そうした研鑽(けんさん)が、たとえば魔力ひとつとっても様々な性質を明らかにしてきた。それによって人々の生活はその時々で様変わりしてきた。


 そんな風に、エルは学者を尊敬していた。だから、なんの瑕疵(かし)もない学者に罪を背負わせて追い出したと知ったとき、とても辛くて悲しくて、腹が立った。その学者は知らない者ではなかった。幼いエルにいろいろ教えてくれた鳥類学者だった。


 彼を探し出したい。彼なら、国を救う手立てを知っているかもしれない。

 でも、本心では謝りたかった。

 あなたは間違っていなかった。いわれのないことで責め立てて申し訳なかったと。


 自国を救いたいのは切実な願いだ。

 それとは別に、学者にあこがれていたことから、正しいことを述べて国を救おうとしていたのに、虚偽によって不名誉を背負わされ追われた鳥類学者を探し出し謝罪し、彼の名誉を回復したかったのだ。

 そして、もし叶うなら、復興した国を見てほしかった。兄の治世において、必ずや国を立て直す。

 けれど、彼らはラヴィネン王国の者たちを許さないだろう。会いたくないと言われても仕方がない。


「サラセン侯に連絡してくれ。直接会って話したい」

 エルの言葉に、ユーセラ公とイルがさっと視線をかわす。

 暗殺者を差し向けられた相手の懐に飛び込むことは危険だということなど、承知の上での発言だ。

 臣下としては、(いさ)めなければならないのかもしれない。だが、ユーセラ公は恭しく承った。




 エルは堂々と王宮へ帰還した。

 正式な手続きを踏み、先ぶれを出し、衣服を整えての帰宮だ。


「ラヴィネン国第二王子エルネスティ、ただいま戻りました」

「国の難事についての任務、大儀であった。父王の喪が明けないうちから第二王子に重責を負わせている」

「慰労のお言葉、この上ない栄誉にございます」

 兄こそ、即位の準備と国内の安定、国外への牽制といった諸々の事案を抱えて相当な重責を背負っている。

 秀麗な相貌には疲労が色濃く表れていた。

 エルと同じ色味の金髪もどことなしか艶が失われているかのように見えた。


「第三王子は現在所用で出かけている」

 兄がさり気なく伝える。無事だと聞いてエルは内心安堵した。同時に、兄がエルに追手をかけた云々はやはり、ふたりの仲を裂こうとする者によって流されたのだと確信する。

 エルが報告すると、今回も空振りだったかと居合わせた廷臣たちから落胆のため息が漏れた。その中のひとり、サラセン侯爵とこの後会談する予定がある。


 打診した際、断られるかとも思ったが、案に反して快諾の返事があった。

 イルは眉をひそめたが、エルは「王宮内で会談した後、わたしの身になにかあっては、疑われるのは侯の方だ」と言い、堂々と会った方がよいと笑った。

「怪我をされたばかりなのだから、あまり無茶をなさいますな」

「ユーセラ公の下で再度治療を受けのんびりしたから、心配するな」

 そう言って、エルは王太子へ報告した後、すぐにサラセン侯と会談した。


「エルネスティ殿下、難解な任務にもかかわらず、ご壮健であらせられ、大変喜ばしく存じます」

 エルが入室した部屋ですでに待っていたサラセン侯は白鬚を蓄えた老年の貴族だ。

「サラセン侯は変わりはないか」

「常と変わらず、ラヴィネンのために奔走しております」

「そうか。わたしは今回の任務で怪我を負ったので、しばらく国内に留まろうと思う」

「なんと! お加減はいかがでございましょう」

 心にもないことを、と内心で吐き捨てつつ、エルの背後に控えるイルは顔色ひとつ変えない。


「幸いなことに大したことはない。だが、捜索任務のために諸外国を訪ねた経験を活かし、貿易に力を入れようと思う」

「ほう、それは素晴らしいことですな。しかし、殿下はずっと任務につかれていたのです。少し休息をなさっては?」

「国難を乗り越えなければとてもそんな気にはなれない。国内にいる間にできることをやっておきたい」

「素晴らしいことです。貿易はどんなことを想定されておられるのですか?」

「ああ。せっかく大国と隣接しているのだ。ルオマと積極的にやり取りしようと思う」

 サラセン侯の堅固な壁にひびが入った。エルが国内に留まる、貿易に手を出すと言っても、のらくらとかわしつつ、やんわりと行動の先送りをさせようと仕向けて来た。だが、エルが踏み込みその名前を出したところ、さすがに顔色を変えた。


「しかし、ルオマとは難しい関係性にあります」

「だからこそ、一介の商人に任せず、王族であるわたしがなすべきであろう」

 正論だ。サラセン侯はぐっと詰まった。


 そして、エルはさらに奥へ踏み入る。

「サラセン侯は最近ルオマと親交があると聞いている。仲立ちをしてもらえないか」

「わ、わたくしはなにも、」

「ほう。では、聞き違いだったかな」

「きっとそうでしょう」

「そうだな。大国に自国を売り渡すなど、ヴィルヘルムの大罪と同等の悪事だ」

 エルの言葉に、サラセン侯は息を呑んだ。それはこのラヴィネン国において、最大の犯罪者だと言うに等しい。


「会談は以上だ」

 しっかりと釘を刺し目的を果たしたエルは、呆然とするサラセン侯を置いて、イルを伴って退室する。


 ヴィルヘルム公爵はユーセラ公と双璧と謳われるラヴィネン国有数の貴族だった。七年前に発覚した大罪により、息子が後を継いだものの、領地の大半は国に召された。

 前ヴィルヘルム公は神へ傾倒するがあまり、神の領域である動物の生態の神秘を解き明かそうとする学者を忌避し憎むにまで至った。そんな彼だからこそ、国を揺るがす大罪を犯したのだ。そのことで多くの人々が苦しめられている。そんな者と同じだと突き付けられ、サラセン侯はさぞ鼻白んだことだろう。

 けれど、それがなんだというのか。


 妹は病に苦しみ、人が変わったようなふるまいをした。今思えば、そんな癇癪かんしゃくすら、愛惜しい。病状が悪化した後はどれほど苦しくても、いや、苦しさのあまり衰弱して、大きな声すら出すことができなかったからだ。

 苦しい息の下、かすかな声でつぶやくのに、耳を近づけ愕然とする。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 一体なにを謝るというのか。妹がなにを謝る必要があるというのか。

 朦朧とする意識の最中、自分になにか悪いところがあったから病に苦しむとでも思ったのか。


 ふいに途轍もない感情が湧いた。粘性によって尾を引き腹の底に渦巻く灼熱のそれは怒りだった。

 なぜ、妹なのか。なぜ、母だったのか。なぜ、我が国民がこうも苦しまねばならないのか。

 そして、なぜ、自分はなすすべもないのか。


 エルは息苦しさを感じ、王宮の中庭へ出た。

「チュルルーリリ」という鳴き声を聞いた気がして空を見上げる。青く澄んだ虚空に思いを馳せる。

 このラヴィネン国の空を飛んで行ってしまった。

 鳥はまだ見つからない。




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