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「ルシール、ごめんね。でも、彼女が言っていたのは逆だよ。君の寂しさにつけこんだのは俺の方だ」
リオンは手早く邪魔者を追い出すと、すぐさま居間へと引き返した。ルシールは立ちあがったものの呆気に取られてその場に動けずにいた。そんなルシールに近づいて、リオンは懸命に語った。
「君が家族を見限って離別を選んだとき、俺が、」
「そうね。「俺がもらう」だったかしら」
一生懸命に言い募るリオンに、ルシールは落ち着いてと笑いかける。
「リオンは寂しさにつけこんだのではないわ。愛をくれたの」
そう、「俺の愛は受け取ってくれるんだな」と言ったのだ。家族に愛されなかったルシールを愛してくれたのだ。
「返品不可だものね」
悪戯っぽく言うと、リオンはルシールを抱きしめ、安堵のため息をつく。
「そうだよ。ルシールへの俺の愛は返品不可だよ」
それはリオンが祖父から遺された魔道具が「抱えて」いるものを、ルシールが見せてくれた日の翌日、告白したときのやり取りだ。ずっと祖父に認められたいと思っていた。それが叶わないまま、逝ってしまったと悔やんでいた。けれど、違った。祖父が大事にしていた魔道具がその記憶を刻んでいた。ルシールはそれをリオンに見聞きさせてくれたのだ。
ルシールもまた、婚約破棄に至った経緯を語った。その上でふたりは結ばれた。
だから、「可哀想な子」を哀れんで恋人になったのでも、結婚に至ったのでもない。ルシールはそう言っているのだ。リオンは胸をなでおろした。
「リオンは自分の愛情は返却されたくなくても、ルシールさんの愛情ならいくらでも受け取れそうね」
リオンははっと顔を上げる。すっかり忘れてふたりの世界に浸っていた。
振り向けば、クラーラが赤ん坊を抱いて立っていた。ここは彼女の家だった。
腕の中を見れば、真っ赤になったルシールが俯いていた。
「ルシールさんは魔道具師だって聞いていたけれど、「カーディフのお掃除妖精」だったなんて!」
「アーロンさんたちもデレクさんもルシールをそれはそれは可愛がっているよ」
「みんな、結婚しても相変わらず「嬢ちゃん」と呼ぶの」
ルシールは苦笑するが、リオンとクラーラは目配せし合う。
「義姉も大変ね」
「デレクさんはキャラハンでも影響力があるからな」
ルシールに暴言を吐いたとあっては、辛辣なデレクが黙っていない。リオンもルシールも、強いて自ら今日の一件を話すことはないが、あの剣幕では自滅するだろう。リオンとクラーラはそう予想を付けた。
「こちらでも【ブモオオの湯沸かし器】のことは話題に上がっているの。とうとうペルタータでも総督府が導入に踏み切ったって」
元々はペルタータの魔道具師が発明した魔道具を、ほかの島の総督府が契約した。そして、その魔道具師は別島へ移住してしまった。
「その直前にあったのが、ファーナビー魔道具工房の魔道具事故でしょう?」
「詳しいのね」
ルシールはクラーラの腕の中でごきげんな笑顔を浮かべる赤ん坊をあやしながら言う。
「父はなにも言わないわ。でも、キャラハンにいたらなにかと聞こえてくるの」
「そうか。クラーラさんも素材屋トラヴィスのお孫さんなのね」
ルシールが赤ん坊に向けていた視線を上げると、クラーラは苦笑する。
「リオンが傍にいたらそりゃあ、彼の方が印象が強いものね」
「ルーサーはキャラハンに来ない方が俺は俺らしく採取屋なり素材屋なり、やっていけるんじゃないかって言っていたよ」
この世を去ってなお、トラヴィスの名は有効だ。だが、自分の腕を頼みにする採取屋ならば、他人の力を借りずにやって行こうという気概を持つ。
ルーサーは採取屋だからこそ、そして、同じトラヴィスの孫という立場だからこそ、リオンの心情をよくよく理解していた。
「俺はいい従兄弟に恵まれたよ」
「お父さんも採取屋にならないまま素材屋になったっていう心のしこりがあるから。お兄さんはそれが分かっているのよ」
「良い人ね、ルーサーさんは」
「そうなんだよ。それに、ダグラス伯父さんのためにという気持ちに押しつぶされない強さもある」
「あらあら、ルーサー伯父さん、とても褒められているわよ」
クラーラはそんな風に言いながら息子をあやす。そんなところからも、ルーサーが甥をよく相手しているのだということが窺い知れる。
「それにしても、義姉さんは相変わらずだな」
「そうね。いっそ、デレクさんにやりこめられて懲りてくれないかしら」
今日はリオンの妻であるルシールに矛先が向いたが、ふだんは弟の妻であるクラーラになにかと仕掛けてくるのだという。
「以前なんて、【パオーンの掃除機】で旦那が贈ってくれた指輪を吸いこもうとしていたのよ。うっかりしていたなんて言っていたけれど、うちへきてくつろぐばかりで、掃除どころか自分が使った食器を片付けることすらしない人がよく言うわ」
かろうじて吸引口に引っかかっているのを慌てて取り上げたのだとクラーラは言う。
ルシールは顔色を変え、リオンは「大丈夫なのか、それ」と片眉を跳ね上げる。
「さすがに夫に言ってきつく注意してもらったわ」
でも、そろそろ父に言うべきかしらとクラーラは小首を傾げる。
「そうするといいよ。ダグラスさんは知っていそうだけれど、クラーラから話したのなら、動くだろう」
「そうね。デレクさんも動きそうなのであれば、お父さんにも知らせておくべきかしらね」
さて、七つ島でもツートップの素材屋を向こうに回して、クラーラの義姉はどこまで踏ん張ることができるだろうか。さらに言えば、クラーラは知らぬことだが、ルシールはふたりの総督に身内扱いされている。
リオンは取り立てて、自分が動く必要もあるまいと捨て置くことにした。
「【パオーンの掃除機】で指輪が吸い込まれそうに、」
当の本人のルシールは、なにか別のことを考え込んでいる様子だ。
リオンはそんなルシールに気を取られ、すっかり子供を持つことについてどんな風に考えているか、聞きそびれてしまった。
クラーラの家を辞して周辺観光に出かけるため、キャラハンの街を歩いていた。港の方とは別の門を目指す。
「祖母さんは祖父さんに対してしょっちゅう言っていたらしいよ。採取屋なんてどうしようもないんだから!って」
「えぇ?!」
「そして、ダグラス伯父さんに採取屋から素材屋にならなくてもいいんだとも言っていた」
父からそう聞いたという。
息子の自身を縛るものから解き放とうという心情からくる言葉だったのだろう。夫に対してどうかは不明だが。
それでも、ダグラスはずっと父と同じ道を歩まなかったことを悔やんでいたという。そこで、父が気にする採取屋を経て素材屋になるという道を、息子のルーサーが辿っているという。
「偉大な父の望みを叶えてやるんだって」
「想いは連綿と受け継がれていくのね」
「うん。想いが受け継がれていくんだから、別に工房を継がなくてもいいと思うんだ」
ルシールはリオンが言わんとすることを察した。それはアランのことを言っているのだ。
「アランさんはデレクさんとは違った素材屋になりそうね」
「ルシール専用の【コケコッコの時計】のニワトリになった気分だって言っていたよ」
「本当に、お世話になりっぱなしなの」
ルシールは一流の人々に囲まれていながら、足りない部分が多い。それを補うために集中する必要がある。そうなると、ふだんの生活がおろそかになる。リオンやアランが注意してくれるので、ありがたいことである。
「どんな人間にも欠点や悩みはあるんだってことだな」
「ダグラスさんのようなすごい人にでもね」
どれほど才能があっても、知識があっても、欲するもののためにあがいている。どれだけ善い人間でも、それぞれの行動原理によって動くから、衝突は免れ得ない。
通りで昼食を見繕っていると、店先で売られる果物を見つける。七つ島のあちこちで育てられているキウイだ。
レアンドリィ総督家ではよく島民からキウイの献上物がある。旬の時など、毎日食べても追いつかないくらいだ。
「キウイのきらきらした緑色の果肉が総督の瞳を思い出させるんですって」
そうやって折に触れて思い出し、よりよい献上物をと慕われている。
「素晴らしい政治的手腕の持ち主である上に、島民思いの方だものな」
そう返しつつ、ルシールこそがすっかりレアンドリィ総督に心酔しているなとリオンは思う。夫婦喧嘩をして実家に帰られたら、きっと容易に戻してもらえないだろう。
クラーラの義姉のような人間は大勢いる。ルシールは単に自分が採取屋リオンに相応しくないと言っているのだと受け取ったようだが、違う。あれは妻をけなしてつまらない存在だとして、不倫をもちかけていたのだ。愛する妻を侮辱されたのに、なぜ道ならぬ恋愛沙汰に同意すると思っているのか理解ができないが、そういうことらしい。
「結婚したから女性から誘われなくなる? 違うね。別種の女の魔の手が伸びて来るんだよ」
アランは鼻で笑ったものだ。
人のものだと欲しくなるという性質の女性たちから誘いを掛けられるというのは本当で、「リオン、結婚したんですって? 奥さんに飽きたらわたしとどう?」などとあけすけに言われたこともある。
そんなことがルシールに知られでもしたら。
義父である総督のほかに義弟を自称する総督まで控えているのだ。
総督ふたりを相手取るのは分が悪い。
そんなことを考えていると、リオンの視界に記憶のある人影が過る。
「ルシール、あの人、」
ふとリオンが首を巡らし、指し示した。
「こんなところでお会いするなんて」
キャラハンの街を出ようとしたところで、ルシールとリオンは懐かしい人の姿を見た。
いつも、いいね、感想、誤字報告、ありがとうございます。
「返品不可」云々のエピソードは
一章の33話で出てきました。
ちなみに、トラヴィスは妻にほれ込んでいました。
彼がマテリアルマスターとまで呼ばれるに至るのは、妻の存在が大きいです。
その話もいつか書けるといいなと思います。




