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本日二回目の投稿です。

 

「これは一体どういうことなの?」

 はっと振り向いた妹と婚約者は、ジャネットとその向こうにいるルシールを確かに見た。

 ルシールは呆然と突っ立って、ジャネットがものすごい剣幕でいろいろ言うのをぼんやりと聞いていた。


「汚らわしい! 選りにも選って婚約者の妹に手を出すなんて。大体、オレリー、あなたもあなたよ! いつも姉のものを欲しがって。とうとう婚約者も横取りしたっていうのね」

 挨拶のキスだとか、顔についたゴミを取っていたとか、そんな言い訳はもはや通用しないほど濃厚な睦み合いをしていた。


 ジャネットの剣幕に、人が集まってくる気配がした。

「おや、」

「あれは、」

 さすがにほかの者に見られては風聞が悪いと悟った婚約者とオレリーが知らぬふりをできずに身を離し、身なりを整える。


 ジャネットの口撃が止んだのは、ルシールがよろけたのを支えたからだ。

「ルシール、真っ青じゃないの。無理はないわね。馬車に戻りましょう」


 ルシールはジャネットに連れていかれる前に婚約者と妹を見る。

「アドルフ、こうなってはもうあなたのご両親やうちの両親に隠しだてできないわ。後できちんと弁明してください」

 立ち上がった婚約者はベンチに座ったままの妹の顔を見ることはできず、かといってルシールと視線を合わせる勇気もない様子だ。翻って、妹は憎々し気に姉をにらみつける。


「わたし、妊娠しているの。アドルフの子よ」

 ルシールはめまいがして倒れそうになった。ジャネットが支えてくれる。

 もし仮にオレリーが言う通りだとすれば、ルシールではなく妹が結婚するかもしれない。

 婚約者の両親が息子であるアドルフを庇いだてするのではないかとルシールはひそかに不安に思った。そして、妹に関してはステルリフェラ家の両親はそうするだろう。子供をつくり、血筋をつなぐことが重要なのだ。


「さあ、ルシール、とにかく一旦家に帰りましょう」

 ジャネットに支えられて馬車に戻ろうとしたとき、レアンドリィ家の御者が手を貸してくれた。一連の騒ぎを見聞きしていたのだ。この件はレアンドリィ家にも伝わる。その考えは、ルシールに腹を据えさせた。

 これで良かったのだ。ステルリフェラ家はもみ消そうとするが、それではルシールの立つ瀬がない。


 そうして家に送り届けられ部屋で休んでいたルシールの元へ、オレリーから話を聞いた両親と兄夫婦が慌ててやって来た。

 妊娠したというのは嘘で、問い詰めて明るみに出たのだという。あまりのことに、ルシールは声もない。だというのに、家族は一度きりのことだから目をつぶってやれと言った。

 それは婚約者の両親も同じだった。


 謝罪することなく、居直ったアドルフにルシールは聞いた。

「どうして、妹と」

 アドルフもオレリーも、酔った弾みだ、ほんの一度の過ちだと言った。

 昼間から酒を飲んで婚約者の妹に、あるいは姉の婚約者に手を出しても良いというのか。

 けれど、ルシールの抗議の声はどこにも届かない。


 アドルフは言った。

「オレリーはそんな子じゃない。まだ若いから知らないだけなんだ。純粋なんだ。彼女の振る舞いを見て誰かが悪く思うなんて発想すらないんだ」

 それは自分がしたことがどんなことか、考えもしないということだろうか。大人の女性としての振る舞いではない。そして、そんな子供に、ルシールの婚約者は手を出したというのか。


 ルシールの反感を読み取ったアドルフはさらに言い募る。

「明るくて頑張り屋のいい子だよ。悪気はなかったんだ。誤解されやすいだけなんだ」

 ふとおかしく思った。

 なぜ、加害者である妹の弁明を、同じようにルシールを踏みにじった婚約者の口からされなければならないのだ。


 両親も兄夫婦も義理の親も、みなが一度の過ちであるのだから、許してやれと言った。そうしてなかったことにして、今まで通り過ごせと。

 まるでそうしないのはルシールが狭量だからだという言い様である。

 なんて勝手なことを言うのだ。

 ルシールは思わず両手を握りしめた。ジャネットがいたら、ルシールの代わりにまた怒ってくれただろうか。


 実家はそれなりに裕福だけれど、そろそろ兄の代になろうかとしていた。兄は結婚している。子供はまだだが、これから生まれてくるだろう。行かず後家の妹は歓迎されないだろうことは目に見えていた。なにより、婚約者と妹の浮気を知った兄嫁に、婚約破棄されては困ると言われた。

 それでなくとも、両親は兄と妹には甘く、ルシールにはなにかと「長女だから」を押し付けてきた。


 家族たちの自分勝手な都合はもはやどうでもいい。

 期待してしまったルシールが思い違いをしていたのだ。

 ただ、肉親でもない者たちがルシールのために尽力してくれた。その思いを無下にしてまで婚約することを決めたのだ。


 じりじりと身体の中から炙られるような痛みは、今まさに端から焼け、焦げついていっていると知らしめている。ルシールの心の一部は焼け焦げ炭化した。鼻の奥を刺激する匂いに、しんと身体が冷たくなる。


「わかりました」

 ルシールはそう口にした。そう答えるほかなかった。

家族も婚約者一家も勝手なことを言う。自分たちのことしか考えていない。


 ルシールは魔道具師を目指していた自分を応援してくれた人たちの期待を裏切ってこの婚約に臨んだ。なのに、「気にすることはない」と言ってくれた。

 婚約者が魔道具師になることを否定したから一旦は諦めることとなった。子供を生んで義務を全うした後、ふたたび目指そうと思った。ただ、ルシールとしてはそれでいいかもしれないが、いろいろ助けてくれた人たちの気持ちを踏みにじったのだと思えてならなかった。


 だから、この婚約はなんとしてでも成立させたい。少なくとも、ルシールはその努力をしなければならないと思う。

 そうでなければ、自分を許せない。




 次の日から、良い妻を目指そうと努めた。

 ペルタータ家を訪ねる頻度を増やし、婚約者の好みの茶の淹れ方を教わった。その際、うっかりして火傷(やけど)をしてしまった。ペルタータ夫人はとても心配してくれたが、アドルフは気づきもしない。


 積極的に話しかけ、話題がなければ、庭のなにがしの花が咲きそうだと言った。

「咲いたらいっしょに見たいです」

 そう言ったが、婚約者はそっけなく花に興味がないと言った。それを、ペルタータ夫人や使用人が傍にいて聞いていた。

 だから、少ししてルシールが庭の方を見てため息をついたときにはとても心配してくれた。

「ああ、もう散ってしまいましたね」

「ルシールさん、ごめんなさいね」

「ルシールさま、お気を落としなさいませんよう」


 あの騒動はペルタータ家の使用人たちの間にも広まっている。可哀想で健気な婚約者という認識が定着していた。だから、過剰に気を遣われている。それがルシールには重荷に思えた。

「ありがとうございます。わたしが至らないせいですね」

 励まされれば、そう言うほかない。


 婚約者の好物の果物が旬を迎えたので、自身で市場へ行って買い求めてペルタータ家に持って行った。

「あら、もうこの時期なのね」

 ペルタータ夫人は喜んで夕食に招待してくれた。

 銀盆にうつくしく山積みにされた片手に収まる大きさの果物は、皮ごと食べられる。

「ルシールさんが持って来てくれたのよ。こんなに気遣いのできる婚約者がいて、アドルフは幸せ者ね」

「本当だなあ」

 取りなすように言うペルタータ夫人に、ペルタータ氏もしみじみと同意する。


 アドルフはばつが悪そうな表情を浮かべながらも、ルシールが皿に取り分けた果物を食べた。

「んん、まだ少し時期が早かったかな」

「あら、そう? こっちはよく()れているわよ」

 ペルタータ夫人がいかにも美味しそうな果物を指し示す。

「じゃあ、そっちを貰おうかな」

 同じ果物であっても、ルシールが差し出すものは酸っぱく、母のものは甘く感じられるのだ。ルシールはじわじわと首を真綿で締められていくような感覚を覚えた。





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